花火の音はもう聞こえない

吉田コモレビ

戻れない。

 

 断言するけど、成瀬和也が通う高校には『魔女』がいる。それも『夏』にだけ、あらわれるのだ。

 今年、誰にも知られていない、目に見えないけど存在してる。災厄を齎すこともあったり、またまた恋仲を取り持つキューピットになったりと色々。全ては気分次第。なんでもできちゃう。

 まあ、それはさておき彼、和也の話だ。

 桜舞う、木の下。期待で胸膨らます入学式の前。


「一目惚れです!付き合って下さい!...正確にいうと、黒髪美少女が大好きです!」


 彼が見据えた先には美少女。きめ細やかな黒髪ロングが春一番に靡き、端正な顔立ちが露わになる。スレンダーな体躯を包んだ真新しいブレザーと紅のリボンが年相応を感じさせ、大人っぽい彼女の雰囲気が余計際立つ。

 てか、超かわいい。和也が一目惚れするのも分かる。


 でも。


「無理、です」


 結果実らず。顔にかかった前髪を払い、ある程度予想できる返答をした彼女。

 そりゃあそうだ。和也は高校デビュー1日目なのである。軽めに脱色された短髪はしっかりセットされていて色白の肌も綺麗だが、お世辞にも誰もが振り向くイケメンとは言えないんですもの。


「そうですか!僕は和也、末長くよろしく!」


 ニカッ、と笑って手を差し出す和也。対して彼女、日暮花凛さんは何かを言おうとしたが、言葉が放たれることはなく。

 握手を無視し、避けて行ってしまったのだった。


 と、こんな感じで2人は出逢いましたとさ。



 * * *



 4階の窓から見える木々に張り付きけたたましくアブラゼミが鳴動し、日差しは焼けるように熱い。遮光カーテンのお陰か、1年3組の教室は快適な気温だけど。


「そろそろ諦めたらどうだ?」


 和也を諭すのは友人の沢城健斗くん。前の座席の彼は振り返り、椅子から乗り出している。


「入学式から...無視されまくりじゃん」


 健斗くんは小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。和也はちょっぴりムッとする。


「うるせー。僕には日暮さんしかいないんだよ」


 初めて出会った3ヶ月前から。2日に1回の頻度で日暮花凛さんに思いの丈を伝えている和也。ある時は手紙で、またある時は呼び出したりして。


「知ってるとは思うが、日暮花凛は難攻不落。告白した男の子は数知れず。なのに誰とも付き合ってないんだ」


 健斗くんのありがたい忠告だ。

 確かに高頻度で彼女が告白されているところを目撃にする。基本的に深く溜息をつき、無視してその場を去っているらしい。


 まあ周りの女子から言わせてみれば、その態度が「調子乗ってる」とかなんとかで疎まれたりしているけど....。ホント女子って怖い!


 「ライバル、多いぞ。それも和也よりイケメンな奴ら」


 高校デビュー1年目の和也が勝てる相手達じゃない。中学時代は友達すらいない陰キャだった。

 でも、彼は自信ありげに頬杖をつく。自分は変わったんだ、という自負があるのだ。


「だけど、僕が1番多く告ってるから...多分10歩リードしてるよ!」


「お前のそーゆー無駄にポジティブなところだけは見習いたいわ...」


 健斗くんは肩を竦めた。

 すると、教壇から怒声が飛んでくる。


「おぉいっ!ぞごぉ!うるせぇぞぉ!」


 ハズレの先生、ともっぱら噂されている峯岸がキレていた。そういや今、『夏休みを過ごす上での注意』みたいなことを熱弁していたんだった。2人は話に夢中で気付かなかったらしい。

 健斗くんは慌てて前を向き、和也は背筋を伸ばす。


「取り敢えず、花火大会に誘ってみるよ」


 千葉ポートタワー付近で催される比較的大きな花火大会。

 小さな声で、背を向けた健斗くんに宣言した。



 * * *



 ホームルームは『有意義な夏休みを過ごすこと』との言葉で締めくくられ、教室は喧騒に包まれた。

 しばらく1年3組に来ることは無い。このタイミングで気になるあのコを誘わなかったら、独り身の夏休みを過ごす羽目になってしまう。

 みんな無自覚ながらこの時間を惜しんでいるのか、一抹の寂しさを誤魔化すように騒いでる生徒が大多数だ。やれプールに行くだの夏期講習はまだ早いだの彼女欲しいだの部活が怠いだの。


 でも和也は荷物を纏めると、急いで戸に手をかける。廊下特有の冷気が肌を撫で、頬の熱を冷ます。走ってはいけないタイルをひたすら駆けた。

 なぜかというと。


「待って!日暮さん!」


 1番乗りで帰路につこうとした彼女。木製の下駄箱でロウファーに履き替えていた日暮さんは、和也の方を振り返った。


「...何」


 仏頂面だけど、相変わらず綺麗な顔をしている。乱れた髪と呼吸を整え、和也は誘い文句を口にした。


「僕と!花火大会に!行きませんか!?」


「嫌だけど」


 御手本のような玉砕。日暮さんはつま先をトントン、と地に叩きつけ、靴下の居心地を確かめる。満足げに頷き、昇降口の扉を開いた。


「はいはい!ちょっと待って!お願い!」


 いつもはここで引き下がる和也も、今日ばかりは譲れない。普段は出さない大きな声で呼びとめる。

 明日からは夏休みだ。此処で断られたら、1ヶ月以上会うことができない!

 日暮さんはビクッと肩を震わせ、一時停止。


「行かない」


 今度は振り向かずに返事をした。日暮さんは、止めた足を再び動かそうとする。


「ちょっ、待っ...」


 諦めず再び誘おうとした矢先。


 ヒュウウッ。


 夏風が吹いた。


〈ルギウゲ・ルギウゲ・ルギウゲ・ガルソスサ!!〉


 魔女の仕業。

 その壱。


『和也の外見を、高校デビュー前の冴えない男子に戻す!!』


「うわっ!まぶしっっ.....」


 和也の身体が眩く発光した。ホタルイカのようなバイオルミネセンス。

 幸い日暮さんはこちらを見ていなかったし、周囲には誰もおらず、2、3秒で煌きは収まったから異変に気づく者はいない。


「なななっなに!?なななななんだったんだ!?」


 思わず目蓋を下げていた和也は、恐る恐る目を開く。見えない何かに怯える小動物みたいな挙動は愛らしい。


 和也の叫び声に驚いたのか、日暮さんは振り返ってくれた。そして彼を見て、コテン、と首を傾げる。


「.....誰?」


 魔法をかけられた彼の容姿といえば、ボサボサの黒髪に寝癖が連なっている。前髪も襟足もみあげ同様に、だらしなく長く伸びきっていた。

 日暮さんは、中学時代の和也の容姿を足先から舐めるように視認して、心底不思議そうな顔をする。

 しかし自分の姿に気付いていない和也は、「誰?」との問いかけに心外そうに答える。


「えっ!?まだ名前覚えてくれてなかったの!?....どうも!成瀬和也です!」


「.........誰?」


「えっ!?」


 動揺してる和也をよそに、日暮さんは首を反対方向に傾げ、淡々と話す。


「成瀬くん、っていう私のストーカーは知ってるけど...」


「ストーカー呼ばわりはひどいよ!」


 いや、完全にストーカーだと思うけど。


「んで...君は誰?」


 日暮さんの左手人さし指は、ダサくて情けない姿の和也を指していた。


「いやっ...えっ?だから成瀬..」


「鏡」


 日暮さんが慣れた手つきで胸内ポケットから取り出した可愛らしいピンクの手鏡は、未だ狼狽を隠せない哀れな陰キャを映している。それはもう、完全に中学暗黒の和也で。


「えっ...うそっ...」


 和也はまじまじと覗き込んだ。腕をあげたりして、反射しているのは自分なのか確認。

 何度試しても、忌み嫌った過去の和也だった。


「うっ...」


 呻く。頭を抱え、肘と膝を廊下についた。

 埃で汚れるブレザーのズボンが一瞬頭をよぎったが、崩れ落ちずにはいられなかった。当分着ることはないし、クリーニングにでも出せばいい。


「どした....ほんとに成瀬くん、なの?」


 『何か』が起きていることを悟った日暮さんは、ロウファーを脱ぎ捨て和也に走り寄る。上履きを履くことも忘れ、心配する彼女は元来優しい性格であることが伺える。

 でも、和也は後退り。


「みっ...」

「み?」

「みないでくれぇぇぇぇえええっ!!!!」


 まるで2人だけの世界だ。その場から動けない和也の絶叫は、窓を震わせ廊下に反響していた。



 * * *



 昇降口に繋がる廊下には、双子のように自動販売機が壁面に沿って2つ並んでいる。隣に置かれた長椅子に、2人はその自動販売機たちのように腰掛けていた。


「それにしても、奇妙なこともあるものだね〜」


 80円のアップルサイダーをあおり、なんとなく納得したらしい日暮さん。既に元の、茶の短髪に戻った和也は、未だにこうべを垂れていた。


「予兆もなく、手がかりもない事象...」


 何故だか日暮さんは目を輝かせている。

 和也はやっと落ち着いたのか、顔を上げた。


「日暮さんにだけは、見られたくなかったのに....」


 こんだけ接近して想い人と会話するのは初めてだというのに、和也は悲しそうな表情。

 でも仕方ないよね。だって黒歴史を晒されたんだもの。好きな人の前で。


 今しがた、全て説明したのだ。

 さっきまでの姿は以前の和也で、中学では日陰者の筆頭だったこと。そんな自分が嫌で、心機一転、高校デビューを遂げたこと。


「別に恥じることじゃ、無いじゃない?」


 日暮さんは缶を軽く潰し、彼の顔を覗き込む。和也はこんな近くで彼女の顔を見るのは初めてで、頰が赤く染まった。日暮さんはいつも通りの無表情だが。


「自分を変えるのって..すごくすごく大変なことだと思うから...それに」


「....それに?」


 息がかかる程の距離。早まる鼓動を抑え、言葉が紡がれるのを待つ和也。


「それに....。忘れ去りたい、消し去りたい過去なんて、誰にでも、あると思うから...」


 一瞬彼女は似つかわしくない、物憂げな表情を浮かべた。和也は驚き、思わず凝視してしまう。でも日暮さんは立ち上がり、その視線を避けた。


「さーて。花火大会。一緒に行きたいんでしょ?」


 元の無表情に戻った日暮さんは、グッと伸びをする。


「いいの!?行きたい!!」


 彼女の物憂げな、濡れそぼった長い睫毛が眼と脳にこびりついていたが、和也は日暮さんの問いに即答した。

 だが、同時に疑問も生じたようで。


「なんで急に...?てか、この、不思議な現象?を、簡単に受け入れられないんだけど...?」


 日暮さんは空き缶を自動販売機の横に設置されたゴミ箱に投げ入れた。そしてこちらを振り向く。


「考えても分からないことは考えない主義なの。だって、なーんにも予兆も無かったでしょ」


「うん....。突然だった」


 和也は思い出す。急に自分が光って、目を開けたら変身していた。消し去りたい過去の姿に。


「あと...なんというか...」


 日暮さんは顎に手をやり、考えるポーズをとった。こういう芝居がかった仕草も、美人がすると似合って困る。


「こういう不思議な『運命』みたいなのって、良いと思わない、かな?」


 言いづらそうにしている日暮さんは、なんだかとても新鮮だ。背を向けてるから、どんな表情をしているのか窺い知れないけど。


「『運命』って...日暮さんと、僕が!?」


 自分と彼女を交互に指差し、本気半分冗談半分で和也は聞いてみる。

 すると。


 ふっ、と日暮さんが。

 笑った。


「『運命』に翻弄されるの、私、嫌いじゃないから」


「う、ん」


 雲で隠れていた太陽が再び顔を出し、窓から差し込む陽光が彼女の黒髪を照らす。舞っている小さな埃が、雪みたいで綺麗だ。

 まるで日暮さんが笑ったのを、天が祝福してるみたいで。


「じゃ、稲毛海岸駅に19時ね。ばいばい」


 その笑顔は一瞬だった。破顔した日暮さんはそれはもう可愛くて、和也はしばらく惚けていたが。


「....っしゃ」


 彼女の背中が見えなくなってから。


「よっしゃああああああっ!!不思議な現象さん!ありがとう!!!」


 廊下には、部活に向かったり帰宅しようとしたりしていた生徒が通っていたが。

 気にせず雄叫びをあげている和也がとても嬉しそうで、愛おしかった。


「うるせえよ!」


 パチンっ、和也の頭部を軽く叩く男。座りながら喜びを噛みしめ、拳を握りしめていた和也は振り返る。

 そして、楽しげな顔がさらに明るくなった。


「健斗!成功したよ!!」


 嬉しそうに報告した相手は、サッカー部に行く途中の健斗くん。


「嘘だろ!?どんな手を使った!?」


 信じられん!と、素直に驚く彼の姿がやけに面白くて、和也は笑みをこぼした。



 * * *



 『魔女』とは、学校に縛られている存在だ。学外には出られず、初夏に生まれ、秋に死ぬ。でも、『大魔法』を使えば、外に、出ることが---。



 * * *



 花火大会当日、だ。

 湿度が高い、典型的な夏の夜。汗で背中に服が張り付く感覚が嫌だ。


「うっわ人混みすご....」


 高校生になってもうまくリスニングできない『○〇〇〇〇イナゲカイガン』とかいう英語のアナウンスを聞き遂げたあと、電車内の9割の人と共に下車した和也。空調の効いた車両とホームの熱気の温度差に辟易。


 今朝ニュースで特集が組まれていたコミケとのデジャブを感じながらも階段を昇り、広めにつくられた改札でパスモをタッチ。コミケと違うのは、和装してる人がほとんどだってこと。黒Tシャツを大きめに、カーキのチノパンで身を包んだ和也は少し浮いていた。


「さすがにまだ居ないか...」


 時刻は18時と数秒。何となくソワソワしちゃって予定の電車より数本早い準急に乗ってしまったのだった。

 待ち合わせ場所である、目を引く巨大なマップが掲示された柱の前できょろきょろ。同じようにこの場所で逢瀬の約束している者も多いのか、何人か柱にもたれていた。


 でも、思いの外すぐに。きっと、同じ電車に乗っていたのだろう。


「おまたせ。はやいね〜」


 和也の肩をトントン、と叩く女性。


「...えっ?あ、うん...ひ、日暮さん..だよね....?」


 思わず見惚れてしまった。

 白っぽい、わざとらしい電灯の明かりに照り映える、アップされた黒髪から覗く彼女のうなじと肌は天然の純白の美しさ。所々に花が咲いている濃紺の浴衣とのコントラストがあまりにも絶妙で、触れたら壊れてしまいそうな危うさを併せ持つ魅力だった。


「うん。結構混んでるね~」


 でも、日暮さんはそんな危うさを取っ払うかのように桃色の帯をぎゅっと締め、微笑む。

 和也は上手く答えられない。言葉をつっかえている。


「え、あ...」


 助け舟を出してあげたいほど、話に集中できていない。和也は困惑、目を白黒させてる。


 あ、おっと。見蕩れてる場合じゃなかったんだ。


 風が吹く。『運命』を運ぶ息吹。



〈ルギウゲ・ルギウゲ・ルギウゲ・ガルソスサ!!〉


 魔女の仕業。

 その弍。


『日暮さんの外見を、高校デビュー前の地味な女の子に戻す!!』


 刹那。

 日暮さんは、以前和也が包まれた光を纏った。


「きゃっ!?な、なに....?」


 らしくない、可愛い悲鳴をあげ、意図せず目を瞑る日暮さん。少し怯えてるみたい。

 和也はその光に見覚えがあったので、見当がついているようだ。


「これって....」


 魔女の仕業だ。


 光が収まって。

 誰もが振り向くような美人が存在したはずの場所には、丸眼鏡をかけたおさげの少女が立っていた。前髪はセンターで分けられ、あどけないように見える。地味めの、学級委員をやっていそうな女の子。


 でも。浴衣は元のまんま。


「ひ、日暮さん..だよね....?」


 和也は確信しながらも、ついさっきした確認を一応、する。


「だから、そうだって...なんだったの?今の」


 彼女自身、中学時代の日暮さんに戻っているとは露知らず、目を慣らすためにぱちくりぱちくり瞬きを繰り返していた。


「....はい、ちょっと自分のこと見て」


 和也はポケットからスマホを取り出し、内カメを起動。困惑している日暮さんに手渡した。

 おずおずと受け取る。前髪をいじりながら覗き込んだ。


「うわ...」


 彼女が消し去りたい、過去の姿が液晶に。足の力が抜け、しゃがみ込んでしまった日暮さん。衆目を一瞬集めたが、それも束の間。


「...だ、大丈夫?」


 和也は心配し、肩に手をかけようとしたけど。


「きゃゃああああっっっ!」


 彼は悲鳴に驚き、手を引っ込めてしまった。

 花火大会に向かう人達もびっくりして、和也に軽蔑の目を向ける。『なに女の子泣かせてんだ...』、『リア充○ね』との罵声が聞こえてきそうだ。和也は何にも悪くないんだけどね。


「と、とりあえずこっちに!!」


 和也は一瞬躊躇ったが、日暮さんの手を握る。そして手を引き、人の流れに逆らって出口を目指した。



 * * *



「そ。私も、高校デビュー、したの。嫌ーな嫌ーな中学の自分とおさらばしてね」


 考えても分からないことは考えない主義とはいっていたが、意外にも日暮さんはケロッとしていた。すでにいつもの姿に戻った彼女の手には、相変わらずアップルサイダーが握られている。和也が選んだのは綾鷹でした。


 さっきまでの喧騒が嘘のように、逆の出口には殆ど人がおらず閑散としている。

 2人はファミリーマートの窓硝子に寄りかかって昔話をしていた。


「僕と、同じ、だね...」


 日暮さんはお決まりの無表情で頷き、下駄をカタカタ、と鳴らした。自然とそちらに目を向けると、綺麗な足の甲が露わになっている。


「友達いなかった訳じゃないんだけど...自分に自信がなかったのかなぁ〜。ヒトと目、合わせて会話できなくて」


「...うん、分かる」


 和也もそうだった。その気持ちは、痛いほど、理解できてしまう。


「だから、眼鏡やめてコンタクトにして。髪もストレートにしたり、その他も色々」


 「結構綺麗になったでしょ?」と楽しげに問う彼女は儚げで、和也は頷くことしかできなかった。

 遠い目をして、日暮さんは続ける。


「でしょ〜。...でも、やっぱり性根の部分は変わんなくて。今まで縁が無かった、イケてる系男子達から告白されても、緊張しちゃって。冷たい態度とか、無視することしかできなくて」


 物憂げな彼女の目には、何が映っているのだろう。和也は雰囲気を明るくしようと、冗談混じりな口調で言う。


「分かる!イケてる、陽キャの男子達ってめちゃ怖いよね!僕も話す時緊張するもん」


「君もその、『陽キャ』の1人だと思ってたんだけどね〜」


「...え?」


 和也はその時初めて、自分の高校デビューが成功していることに気づいた。そして、後悔していないことに。

 ふふ、と小さく笑う日暮さん。


「ま、それで..ほら、私、口下手だから。『調子乗ってる』って、女子にも嫌われちゃって。友達すらいなくなっちゃった」


 肩を竦める。確かに日暮さん、1人でいるところしか見たことない。何となく反応に困った和也は、必要以上にペットボトルを口に運ぶ。...空だった。


「だから、私、高校デビューしない方がよかったのかなって。地味なりに同類同士で仲良くやってればよかったのかなって、後悔もしたんだけど...」


「そう、なんだ...」


 和也はやはりどう返していいか分からず、同意するしかなかった。日暮さんは構うことなく昔話を続ける。


「そんな時、昔の君に出会った」


 日暮さんは和也の方を向き、笑いかけた。まさかここで自分が出てくるとは思わなかったのか、若干面食らう。


「昔の、僕...?」


 視線を外し、夜空を見つめる日暮さんは、足をぶらぶらさせた。


「そ。ほら、この前さ...」


 初めて魔法を、かけた日。終業式の日。彼の黒歴史が晒された時。昔の--中学時代の和也。


「私とは別世界の人だと、思ってた。色恋沙汰しか頭に無い、陽キャの1人だと思ってた君が、私と同じように、昔の自分を変えたくって、しかも成功した人だって知ったの」


「...日暮さんも、成功してると、思うよ。だってまるで別人じゃん」


 和也は慰めとかじゃなくて、本音を口にした。丸眼鏡におさげと、地味要素をふんだんに詰め込んだ以前の彼女とはまるで違う。


 でも、それは。


「外見だけ、ね。中身は変わってないよ何も」


 日暮さんはため息をつき、缶を潰す。


「だから、君に、憧れたんだ...少しだけ」


 何かを諦めたような口調で言い切ったあと立ち上がった日暮さんは、ベガを見つめていた。

 暗くても尚映える濃紺の裾をはためかせ、和也の方を振り返る。


「どう?幻滅した?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべている日暮さんは、普段とのギャップも相まって数倍魅力的に見えた。

 息を飲んでいた和也だったが、なんとか言葉を絞り出す。


「....いや。幻滅なんかしない。黒髪美少女も眼鏡おさげ美少女も、大好き、だから」


「なにそれ?....でも、ありがと」


 嬉しそうにはにかむ日暮さんは、悔しいけど、綺麗で可愛いんだ。やっぱり、『運命』は、2人だけの物で。


 小さく遠くで何かが鳴った。数秒後、夜空が明るくなる。

 なにか忘れてるような....。


「あっ!」

「あっ!」


 2人は顔を見合わせる。


「「花火だ!!」」



 * * *



「急げばっ..間に合うっ...」


 息を切らし、走る2人。再び改札に入っても通行人は少なくて、取り残されたことを如実に感じさせた。

 打ちあがる音、呼応する歓声に近づく。


「...走るの...きっついなぁ...」


 愚痴を漏らす日暮さんが履いてるのは焼き下駄だ。薄ピンク色の鼻緒が挟まれた足の親指と人差し指の間は、少し赤く炎症してしまっている。


 もう走るのは、限界だろう。うん。

 ヒュウウッと、建物内に吹きつける風。


〈ルギウゲ・ルギウゲ・ルギウゲ・ガルソスサ!!〉


 魔女の仕業。

 その参。


『日暮さんが履いている下駄の鼻緒を、ぶった切る!!』



「あっ..!痛っ....」


 日暮さんは案の定、つまづいた。

 両手をついて衝撃を吸収してから、右足の甲をさする。


「だ、大丈夫!?」


 少し前を走っていた和也はかなーり心配し、ダッシュで日暮さんの方に駆け寄る。


 「うん...だいじょーぶ。あはは..調子乗って下駄とか履いてきちゃったからかなぁ..」


 心配させまいと、杞憂だと知らせるために笑う日暮さん。

 彼女の足の爪から軽く出血しているのを見た和也は僅かに思案する。

 そして。


「乗って、日暮さん!」


 背を向けて屈んだ和也はどんなカオをしてるんだろう。


「...え?」


「おぶるよ...嫌?」


 断られたらどうしよう、と内心ビクビクしながらも勇気を出してるみたいだ。

 日暮さんは少々驚いていたが、さっきの力ない笑顔とは違う、優しげな微笑み。そのまま和也の首元にに腕を回した。


「嫌じゃないよ。...っしょっと。ごめん。ありがとーね」


 決して軽くはない彼女の重みと、異様に細く、冷たいながらもどこか温かみのある腕を直に感じ、和也はどこか背徳感を覚えた。心音がうるさくて、日暮さんに気付かれているかも。

 そんな色々な感情を、振り払うように走り出す。


「ちゃんとつかまってて...急ぐから!」


 右足で踏み込み、意図的にストライドを広げて駆けた和也は、私から離れていってしまいそうだ。



 * * *



 出店が所狭しと並んでいる往来は、お祭り特有の焦臭さが充満していた。「たーまやー」と気の抜けた声が聞こえるのに、屋台は花火より団子の輩でごった返している。

 日暮さんをおぶり、幅をとってしまっている和也は「すいませ〜ん」とちょいちょい手刀をきりながら、見晴らしのいい場所へと進む。

 唐突に日暮さんが言った。


「あー和也。すとっぷすとっぷ」


 ポンポン、と和也の頭を叩く。

 彼女の一挙手一投足にドギマギしながらも、走るのを止めた。って...え?


「いま、かずや、って...?」


「だって君、和也でしょ?」


「...そうだけど」


 急な名前呼びに困惑する和也を意に介した様子もなく、日暮さんはとある屋台を指さした。


「私、りんご飴たべたーい」


「...花火はいいの?花凛...?」


 おずおずと日暮さんの下の名前を口にする。緊張して噛みそうにもなったが、自然に呼ぶよう心がけたらしい。

 彼女はむふー、と嬉しそうに頷く。


「いいの。今はりんご飴の気分なの」


「おっけい」


 店の内には30本ほどりんご飴、みかん飴が氷に刺さっていた。隣には水飴もある。

 やたらとガタイの良いおっちゃんに200円払う和也。なんとかポケットから取り出した硬貨2枚。自然と奢ってもらった花凛は驚く。


「ありがと...あとで払う」


 背中から片手を伸ばし、和也からりんご飴を受け取る日暮さん。和也はかぶりを振る。


「いいっていいって」


「そう。じゃ、遠慮なく」


 日暮さんは赤色の飴に豪快にかぶりついた。カリッ、と気持ちの良い音が鳴り、季節を感じさせる。

 飴屋のおっちゃんは快活に笑ってはやしたてていた。まるで子供みたいだ。


「おめぇーら!お似合いだなぁ〜」


 頬を染め照れる和也に対し、日暮さんは満足そうだった。



 * * *



 花火大会は佳境に差し掛かっていた。色とりどりの花が夜空に咲き乱れている光景は、水族館のクラゲを連想させた。

 花火を見ることのできるベストスポットまであと少し。りんご飴を持つ日暮さんに気を遣いながら、小走りで向かう。


「てか、重くない?私」


 唇についた砂糖を色っぽく舐めながら聞く日暮さん。


「いや、ちょっとねー。うん」


 和也の足が限界だったのか、口を滑らせ本音を言ってしまった。

 日暮さんは可愛らしく頰を膨らませ、和也の口に食べかけのりんご飴を突っ込んだ。


「...っもごっむぐ!」


 咳き込む和也を見て、日暮さんは楽しそうだった。


「こーゆーときは、『重くないよー』って答えなきゃ」


「はいはい。ごめんね」


「どう、美味しい?」


 和也が齧ったりんご飴を再び自分の口に運ぶ日暮さん。


「....甘かった」


 緊張して味なんか分かるはずもないのに。適当なことを言ってる和也の顔はりんご飴色だった。


「そうかっ」


 そんな気持ちを知ってか知らずか、おいしそうに頬張っている。

 和也は顔の熱気を振り払うため、少しスピードを上げる。向かい風が頬を撫でた。


「あっ!!みてみて和也っ!!」


「うおっ」


 日暮さんは和也の首をグイッと持ち上げ、上を見るよう促す。突然視界が動き、危なげに急停止した。


 和也の視界に入ったのは。

 赤、青、黄、緑、紫。様々な花火が真っ暗な空に咲き、千葉ポートタワーのミラーガラスを照らす。そこに反射した光が見物客を照らす。


 胸に響く派手な炸裂音と共に、消えてはまた打ち上げられ、またそれが消えては打ち上げられ、を繰り返す。

 消えて、やり直すようにまた、打ちあがる。

 しばらく夜空を凝視していたが、和也はやっと自分のいる場所に目を向ける。屋台街は後方で途切れ、小高い丘に到着していたらしい。無我夢中で走ってたから気付かなかったのだろう。人工的な芝が植えられているのが、花火の光で分かった。


「...きれいだね」


「...うん」


 花火で煌めく日暮さんは、迫力があった。完璧な美貌の内に秘められた暗いモノが照らされて垣間見えるような気がして、でもそれごと愛せてしまいそうな、不思議な魅力。

 今の綺麗な日暮さんを見れてない和也はもったいないと思う。

 でもその瞬間は唐突に。


「ひぐ...あ、花凛」


「....なーに」


 視線はそのままで、人生で2回目の名前呼びをする和也。

 そして。


「一目惚れでした、僕と、付き合ってくれませんか」


 あえて、何度も口にした、言い慣れた告白をする。

 和也はもう、花火に集中できてない。自分の鼓動の方がうるさいのだ。花火の音はもう聞こえない。

 日暮さんは少し驚くような表情をしたあと、優しく笑った。泣きそうな嬉しそうな、美しい微笑み。


「....ぅん」


 コテン、と頷くように和也の背に頭を預ける。


 夜空には祝福するように、2つの花火が同時に打ち上げられた。




 良かった。


 似たモノ同士の2人。『運命』に導かれた和也と日暮さん。


 私が、引き寄せた、2人。お互いの黒歴史を晒し合わせ、2人を引き寄せた。


 私は知っていた。2人が、消したい過去を忘れ、自分を変えようとしてることを。


 私は、和也のことが、好きだった。

 和也が日暮さんに一目惚れしたように、私は和也に一目惚れした。『和也』なんて、心の中で呼んじゃったりした。


 私が生まれた初夏に。彼は相変わらず、日暮さんに告白していた。そんな和也を好きになってしまったのだ。


 でも私は誰にも見えない、誰も知らない。

 だからせめて。


 和也に、幸せに、なってもらおうって。


 2人を引き合わせるために、寿命を削る『大魔法』まで使って学校の外に出て。


 けどやっぱり、辛いな。

 私の最初で最後の恋は、失恋だ。

 だから魔女の、最後の魔法。私の魔法。



〈ルギウゲ・ルギウゲ・ルギウゲ・ガルソスサ....〉


 魔女の仕業。私の魔法。

 寿命を振り絞り最後。その伍。


『2人は、永遠に、幸せになる』


 ばいばい、和也。そして日暮さん、彼を幸せにしてやってね。

 もしかしたら私がいなくても、2人は結ばれていたかもしんないけど。これはただの自己満足だから。

 私の、意識が、薄れてきた。

 さよなら。



 花火の音はもう聞こえない。




「浴衣の感想、まだ聞いてないんだけど」

「...怖い程、綺麗だった」

「ふふ。ありがと。花火とどっちが綺麗?」

「そりゃあ...花凛だよ」



 * * *



 断言するけど、成瀬和也が通う高校には『魔女』がいた。それも『夏』にだけ、あらわれていた。

 今年、誰にも知られていない、目に見えないけど確かに私は、存在していた。恋仲を取り持つキューピットになった。全ては気分次第。恋以外なら、なんでもできちゃうのだ。


 それはさておき彼、和也の話だ。

 正門ではモミジやイチョウが秋風に乗り、舞っている。


「おまたせ!今日どうする!?」 

「私、りんごパフェ食べたい」

「そんなのあるの!?...ま、秋だしね」

「食欲の、ね!じゃ、れっつごー!」

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花火の音はもう聞こえない 吉田コモレビ @komorebb

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