そこいらへんの

@wizard-T

第1話

 今日も白鳥たちは優雅に泳いでいる。水面下では必死に足を動かしているとか言うが、あまりにも優雅すぎて信じられない。


 オヤジたちは優雅に見える白鳥でもそうして裏では努力しているんだとかなんとかうるさいが、単に優雅であるというだけで十分じゃないか。ったく妙な理屈をつけるもんだ。もっとも、思うだけで口には出さないが。



 まあ、オヤジって言う事であればオレだってそうだ。もう39歳であり世間的には立派な中年だ。そのくせ子供もいねえ情けねえ男だ。


 ああカミさんはいるぜ、去年やっと見つけた一つ年上のが。


 一応仕事はそれなりにして来たつもりだ。そこそこ有名な大学を出て社員百人程度の会社に入り込んで会計一筋十七年、特に問題もなく仕事を続け現在では上から読んでも下から読んでも会計課、の長だ。

 入社したての時に社長からそんなギャグを聞かされた時には思わずおいおい大丈夫かと思ったが、今ではすっかりオレにも伝染しちまってる。


 それにしてもまあ、人の多い事多い事。カミさんにはさらに余計な金払って入ることはないでしょとか言われたけど、それでも無趣味に近いオレの唯一のストレス発散場所なんだから勘弁してくれよ。


 まあ普通のカミさんだったら馬券買う事すら許してくれないんだろうけどな、その辺りは寛容だと思う。


「にしてもさ、今日はせっかくの日だってのに風が強いのなんの」

「おめえヅラ飛ばされねえよにしっかり押さえとけよ」




 自分はその点は免れているつもりだと思いながら慌て気味に頭を触り、十年後の自分のような競馬オヤジたちの他愛ない会話をボサッと眺めていたが、現状はそんな事をやっているような状態じゃない。


 馬で金儲けした奴ぁないよとは全く真理だ、まともに酒も飲まないで必死に溜め込んで作った万札が一時間5レースで千円札2枚になった。


 交通費を考えると残り軍資金は実質千五百円しかない。行くなとは言わないけどたまには勝ちなさいよ、出かけるたびにそう言われる。この調子だと本当に行くなと言われそうだ。

 レースが見たいならばテレビで見ればいいじゃない、全くその通りだ。だからこそ今日は勝たなきゃいけない。だから本命で行き続けたつもりだった、でも勝てない。こうなりゃサイコロでも降って決めた方がいいんじゃないかってぐらい当たらない。春一番って呼ぶには遅すぎる強風。そんなの関係なく、単にオレの頭と読みと勘と運が悪いだけなんだろうけどな、風はあったかいのに懐は寒い。


 ああいけない、メインレースを買わなきゃいけないんだ。時間はあと25分、まあ余裕はあるがこれまでと同じことをしていてもよくて元返し、おそらくは負けを少なくするだけだろう。もちろん後者のつもりで買った方が経済観念って言う点ではがいいのだろうが、ギャンブルに経済観念もへったくれもあるか。


 こちとら十七年のサラリーマン生活で毎日数字と向かい合ってるからこそ言えるが、ギャンブルなんぞやらないのが一番経済的だ。


 だからこそ、決めた。好きな馬と好きな馬の馬連一点買い、千五百円。




 そんな完全夢馬券を買い終わって戻って来ると、まあ床の汚ねえ事。日本人はスタンドのゴミも持ち返るだのゴミ箱に入れるだの海外の皆様はもてはやしているが、ここにはゴミがごっそりと落ちてる。

 一応オレ自身は理性を保ってゴミ箱に放り込んでるが、いずれにせよ足元には燃えるゴミが散らばってる、しかも今日の風であっちこっちに飛び散っちまって……あーあまったく参ったとしか言いようがないね。清掃の人も大変だ。


 風は強いくせに、空は嫌になるぐらい青い。風が雲を全部吹き飛ばしちまったのか、そのせいか知らねえが午前中重馬場だったのが今は良馬場だそうな。まあそんなことなどどうでもいい、俺は今、平凡な人生の中で平凡な夢を選ばれた十八頭の馬のうちの二頭に託している。

 七十億、いや人類の歴史が始まった頃から計算すりゃもっと多くの生き物の中の、俺って言う存在。この星ができた時に偶然出来上がった一匹の生き物の末裔。その末裔のうち数万人ほどがここに来て、まったく無駄なことをしている。その中に自分が今ここでスポットライトを浴びるだろうなんて考えてる奴はたぶん一人もいない。


 かっこいい思いができるのは、目の前の緑色のじゅうたんの上を走る十八頭の馬のうちたった一頭と、その上に乗ってる奴、ほぼそれだけ。仕事しに来てる奴と遊びに来てる奴では前者の方が偉いのはわかりきっているが、それでも笑わずにいられない。


 今ここでオレがスタンドを去るのと、池の上にいる白鳥の羽根が一本抜けるのではどっちがより世間的に大きな影響があるのだろう。そんなくだらない事を考えているだけで時間は勝手に進んでいき、楽隊によるファンファーレが鳴り始めた。


 オレはなんとなくまわりの連中につられて両掌を高速で合わせた。一人なら絶対にしないであろう事をやってる、もちろんテレビの前にいる時もしない事を。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る