ほのぼのエッセイ集

小玉 幸一

第1話珈琲と父と、初めての紅茶


 家にいつも買い置きしてあるインスタントの珈琲がなくなったことに気づいて、やべぇなぁというため息を独りごちた。

 ただ買いに行けばいいだけなのでなにもやばくはないのだが、いつもそこにあるはずのものがないと少し不安になってしまう。煙草が残り数本になってしまったときに、やべぇ買わなきゃ! というあれに似ている。

 僕は毎日珈琲を飲んでいる。出先で時間が空くと、近場の喫茶店に入り珈琲を飲みながら過ごすし、家でも何かの作業中や読書の時など必ずと言っていいほどに珈琲が横にある。たまには飲まない日もあるだろうけれど、いま思い返しただけでは飲まなかった日のことを思い出せない。ずっと過去に遡っていくと、ポケモンマスターをまだ目指していた頃にはすでに珈琲を飲んでいた。

 そんな子供が珈琲を飲んでいると聞くと、ませたガキだな、とか思うけれど、飲んでいたのだから仕方がない。なぜ子供の頃から珈琲がここまで身近なものになっていたのか不思議だ。たぶんそれは父親の影響が大いにあると思う。

 僕の父は珈琲が好きだ。いや好きというのもちょっと違う。珈琲に対して「~産が良い」とかこだわりがあるわけではないし、わざわざ豆から珈琲を淹れるということもない。ただ、コンビニや自動販売機で飲み物を買うとなったときは、必ず珈琲を選んで買っている。それは珈琲が好きというわけではなく、父にとっての習慣なのだと思う。

 昨年末に父がとある病気で入院することになった。いままで大きな病気もなく、入院なんてしたことがなかった父だったから、僕は慌てて地元に帰った。よく聞いてみると命に関わるようなものではなく、手術さえすれば通常の生活に戻れるとのことなので、僕の不安からくる緊張も一気に緩んだことを覚えている。

 とはいえ入院し、手術をすることは決まっていたので、実家の家業を手伝うために二ヶ月ほど実家にとどまった。父は煙草を吸う人なので、母からこれを期に煙草を辞めるようにときつく言われていた。その矛先が同じく煙草を吸う人である僕に向いたことは言うまでもない。

 高校まで実家で過ごし、家業のことも大方は解っていたけれど、父が入院している間は細かいところまで僕が引き受けないといけないので、帰省した翌日から父に仕事を教えてもらうことになっていた。

 僕はまだ日が昇りきらない早朝から、父と二人で軽トラに乗り込み仕事場へと向かう。冬とは思えないほどに暖かい年であったが、この時間帯は流石に寒い。途中の自販機に寄って、熱い缶珈琲を互いに買って指先を温める。すると父は隣にある煙草の自販機で煙草を買いだした。ああ、駄目だこいつ。と思った。まあ僕も一緒になって煙草を買ってしまったので、母には内緒という暗黙の了解を互いに誓った。

 しかし母とは怖いもので、僕と父が隠れて煙草を吸い続けていたことを解っていたらしい。

 仕事場に着くと軽トラの中で二人して寒い寒いと言いながら、買ったばかりの熱い珈琲をちびちびと飲む。その頃にはちょうど山の端から太陽が見えはじめ、早く気温上がらねぇかなあとかいいつつ、二人共に煙草を一本吸う。

 久々に下り立った仕事場には懐かしさを感じる。まだ実家にいた頃は手伝いなんかもたまにしていたので、勝手知ったる場所ではあったが、今回のようによくよく見ることもなかったためか、新しい発見も多かった。

 なかでも一番僕を驚かせたのはゴミ箱である。燃えるゴミと空き缶ゴミの袋があるのだが、60Lサイズはあろうその空き缶ゴミの袋には、珈琲の缶がみっちり詰まっていた。煙草というより病気の原因こっちじゃね? と疑うほどに、同じ銘柄ばかりの缶が入っている。もちろんその日に買ったものも同じ珈琲だ。父に聞けば毎朝同じ自販機で同じ珈琲を買っているとのことらしい。毎日かならず一缶づつ増えていくというわけだ。

 手術日が近づくにつれ、医者からも「手術中に痰が詰まるといけないので」という理由で絶対に禁煙するようにと言い渡され、父は渋々禁煙を始めたが(そのときなぜか父に「俺が辞めるんだからお前も辞めろ」と言われ、僕も禁煙を始めた)、わざわざ医者に「珈琲は飲んでもいいのか?」と聞いてまで、珈琲は飲み続けた。

 いま思えば、僕が珈琲を飲むのも煙草を吸うのも、父に憧れたのがきっかけではないかと思う。

 こんな父の元に育った僕だから、「珈琲派or紅茶派」という質問がくれば、即座に珈琲派だと答える。むしろ紅茶は苦手だ。コンビニとかでも、珈琲のボトルはよく買うのに、紅茶となると一度も買った覚えがない。

 そういえば先日、友人から急に紅茶のティーパックを貰った。父の入院騒動で僕が二ヶ月も東京を離れていたので、それの復帰祝い的なものだと思う。見てみるとお洒落なイラストがプリントされた小袋にスリランカ産と書いてあるが、いかんせん紅茶に興味がないので良いものなのかどうかまったく解らない。でもあの友人のことなので、それなりに良いものなのだろう。

 笑顔で渡してくる友人に対して「いや、紅茶苦手なので。珈琲派なので」と断るわけにもいかず、「わーい」と有り難く受け取った。

 家に帰ってその紅茶の小袋をしげしげと眺めるものの飲む気分にはならず、その日はそっとしておいた。

 一週間ぐらい経つと、それは部屋のインテリア然としてきて、ずっとこのままでもありかなあ、という思いと、流石に飲まないと申し訳ないなあ、という思いとが同時に込み上げてくる。苦手と言ってもまったく飲めないほど苦手ではないし、友人宅にお邪魔して紅茶を出されたならば普通に飲む、と思う。自分からは積極的には飲まないというだけだったので、僕は勇気を振り絞って小袋の封を開けた。

 たくさん入っていた。

 冷静に考えてみれば、この小袋に1パックだけというのは考えにくい。なんなら8パック入りと袋に書いてある。僕はこの小袋の何をあんなにも眺めていたのだろうか。

 ティーパックを一つつまみ上げてみて、いつも珈琲を飲む時に使うマグカップに入れた。T-falの電気ケトルで沸かしたお湯をそこに注ぐ。パックから染み出したティーが、お湯を黄金色に滲ませてゆく。なにせ人生で初めてティーパックから紅茶を作ったので、どのくらい待てばいいのかとか、ティーパックは入れたままで飲んでいいのかとか、なにも解らずにとりあえず匂いを嗅いでみた。

 おお、これがスリランカ産かあ、などと思う。

 僕はスリランカの匂いを嗅ぎつつ一口啜ってみる。おっ、これは。もう一口啜る。どうも僕が苦手としていた紅茶とは一味違う。やるじゃないかスリランカ、となぜか上から目線で褒め称えた。

 紅茶を美味しいと思ったのは初めてのことだった。もしかしたら子供の頃に飲んだ紅茶のイメージが強すぎて、ずっと苦手意識を持っていただけなのかもしれない。子供の舌は大人よりも敏感に味を感じ取れると聞いたことがある。子供が嫌いな野菜の代表格にピーマンが挙げられるのも、繊細な子供の舌はその苦味をよりいっそう強く感じてしまうからだそうだ。

 だとするならば、大人となって味覚が変わった僕の舌が、紅茶を美味しいと感じたことにも納得がいく。僕は紅茶が苦手だったのではなく、子供の頃の記憶が潜在的に苦手意識を作り出していただけだった。

 紅茶をプレゼントしてくれた友人に感謝しつつ、今後は珈琲の合間にときどき紅茶も飲んでみよう。いやしかし、この紅茶は友人がくれた大切なもの。特別な日にこそ飲もう。そう思った。

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