第23話 ダンスダンスダンス

ダンス・パーティ前日。

朝一番で、レイチェルがあたしの部屋を訪れていた。

どうやら今日は厨房へは行けそうにない。


「昨日はご馳走様でした。イザベラ様も大変お喜びのご様子でした」

あまり表情の変わらないレイチェルだけど、昨日よりも柔らかい感じがする。

「本当は直接お礼を述べられたいとお思いだったのですが、王后陛下の命により、ゲストの対応をなさらなければならなくなったものですから…。非常に残念がっておいででした」

「えーと、あの、あたしも残念です。こんなに気を遣っていただいて直接お礼を言えなくて…」

イザベラは確かにいい人のようだけど、それほど会話をしたこともないし、ゲームとのギャップに戸惑いが拭いきれてはいないのは事実だ。

しかしそんな説明のできないことでレイチェルに不信感を抱かせてはいけないので、取り敢えず無難な返事をした。

レイチェルは大きく頷くと、話題を本日の本題へと変えた。

「今回のパーティは王后陛下によって特別に催されるもので、それほど形式ばったものではありません。エミリーが招待されていることから分かるとおり、招待客も貴族や要人に限った方ばかりではないので、気持ちを楽にしていただいてよろしいかと思います」

それを聞いて、ちょっとほっとした。

ゲームのイベントとしてならいざ知らず、現実世界でなんであたしが招待されたのか不思議だったから。

ちなみに招待状がこんなにギリギリになったのは、王后陛下の思い付きであたしが選ばれたかららしかった。


それから、作法についてなどの説明を受けているうちに、そろそろ昼に差し掛かったので、昼食がてら保存用に作りおいていた焼き菓子をレイチェルと口にしながら話を続けた。

「最初の曲は、王后陛下――もしくはアラン王子が踊られて始まりとなります。そしてそれに身分の高い主要客の方々が続くのです」

他にも、事前に男性からの予約があったらその人優先で踊ること、同じ人と何度も踊らないこと等々を教えてもらい、新しく知る世界に「ふんふん」と感心しながら聞いていたあたしだったけれど、踊りについての説明を延々と受けるうち、肝心なことを思い出して堪らずに手を挙げた。

「レイチェル先生…」

「?エミリー?どうしたのですか」

レイチェルがあたしの先生呼びに違和感を覚えているのが分かるけど、それどころではない。

「…ダンスって、何を…踊るのですか?」

「そうですね。定番の『白い小鳩』『長き冬の終わり』。最近の流行だと『花のささやき』や『月は眠らず』と、それから…、愛を語らう曲と言えば『とこしなえなる想いのゆくえ』などですかね」

ああ、曲名だったんだ。

何言ってるのかさっぱり分からなかった。

「えーと、あの、いや、それ以前に、…どういう踊りかなあって。あたし、村祭りで踊るようなのしか出来ないんですけど、そういうのじゃあ、ないですよねー…?」

あたしの言っていることがよく分からないといった風に、レイチェルが首をかしげる。

「村祭りではどういったものを踊るのですか?」

「みんなで輪になって手をつないで、飛び跳ねたりクルクル回ったりするんですけど…。そういうのじゃないですよ…ね?」

「違いますね」

やっぱりそうか。

いや、期待はしていなかったけど、そうだよね。

今からグレッグさんに頼むしか――…。

「困りましたね。迂闊でした。時間がありませんが、早急に対処するしかないでしょう」

レイチェルはチェストの上にある置時計を確認するとすっくと立ち上がり、真面目な顔をしてあたしに左手を差し出した。

「え?」

「わたしの手にエミリーの右手を乗せてください」

「は、はい」

言われたとおり手を乗せると、レイチェルの右手があたしの背中の左上の辺りに添えられた。

「あの…、もしかして、レイチェル様が教えてくださるのですか!?」

「わたしも、男性の側を踊るのは初めてなのですが…」

ちょっとはにかんだように答えるレイチェルの姿に、嬉しくなってそのポーズのまま抱きつくような気持ちで体をぶつけた。

そうだった。レイチェルも元男爵家の娘?なんだから踊れてもおかしくないんだ。

「嬉しいです!ありがとうございます!ありがとうございます!!ありがとうございます!!!」

嬉しさのあまり上位の方に対して無礼な振る舞いをしたにもかかわらず、当の本人は頬を染めて照れくさそうな顔をしていた。

「まあっエミリー!」

それは困ったような感じだけど、決して怒ってはいない声だった。

姿や名前は同じだけど、ゲームとはまるで違う人だ。

最初の印象は固い人なのかと思った。

ジェニーさんがよく思っていないようでもあったし。

でも、悪い人とは思えない。

多分、不器用な人なんじゃないかな?

そう思い至ると、ちょっと親近感が湧いてきた。

「それじゃあレイチェル先生、よろしくお願いします!」



「いーち、に、さん。いーち、に、さん」

部屋の中で、レイチェル先生の声が繰り返される。

「足元を見ないで。視線は前に」

いーち、に、さん。いーち、に、さん。

“いーち”で前か後ろに大きく一歩。

“に”でもう片方の足を横へ一歩。

“さん”で両足を揃える。

その繰り返し。

その繰り返しさえ間違えてばっかりで、つい足元を見ずにはいられない。

こんな単純なことも出来ないなんて…。

自分の情けなさに呆れて大きなため息をつくと、

「最初は誰だってそうですよ。日常の動作とは大きく違っていますからね」

と、先生が真剣な顔で慰めてくれた。

「一度聞いただけで出来るのは、イザベラ様ぐらいですよ。普通の人には無理です」

一度聞いただけで出来たのか。

すごいなイザベラ様。

「明日は音楽も流れますし、そうすればもっと動きやすくなると思います」

音楽かあ。

これってワルツだよね。

ウインナ・ワルツとかメヌエットとか、伊月の時に音楽の鑑賞時間に聴いたなぁ。

ゲームではオリジナル曲が使われてたけど、『白い小鳩』とかいうのもゲームで流れてたのと同じ曲だったりするのかな。

もう明日は踊らなくていいから曲だけ聴いてみたい。

――とは言えず、その後もレイチェル先生によるダンス指導は続き、気付けばお腹が夕食を求めて鳴いていた。


「これだけ踊れるなら明日は問題ないでしょう。相手の男性のリードに合わせれば大丈夫です。お疲れさまでした」

レイチェル先生が真面目な顔でそう言った。

少し汗ばんで、頬が上気して見える。

踊れないよりははましになったという程度で、決して上手くは踊れないあたしを、それでも労ってくれるようなレイチェルの言葉に胸が熱くなった。

「ありがとうございました!このご恩は忘れません!!」

ずっと組んでいた彼女の左手を両手で包み込んで、感謝の気持ちを伝えた。

「大袈裟です。わたしはイザベラ様に言われてここへ来ましたので、感謝をするならイザベラ様に…」

「でも!実際に何時間もあたしと一緒に踊って教えてくれたのは、レイチェル様です!本当に感謝しています。ありがとうございます」

満面の笑顔で伝えるあたしに、レイチェルは少し驚いたような顔をしていた。

「まったく…。イザベラ様があなたを気に掛ける理由が分かったような気がします」

そう言いながら笑った彼女の顔は、何故だか泣きそうな顔にも見えた。

「あっ。すいません。あたし、汗びしょびしょで」

レイチェルの手を包むあたしの掌が、未だかつてないほどに汗に濡れていることに気が付いて、慌てて手を離した。

気持ち悪かっただろうな。

申し訳ない。

「こんなんで明日大丈夫かなあ」

殿方と手を合わせた時もこんなだったら恥ずかしいな。

汗ばんだ両掌をながめるあたしに、レイチェルが

「明日は手袋をしていますから、それほど気にならないと思いますよ」

と何も気にしてない様子で言った。

「手袋?」

「はい。――もしかして、お持ちではありませんか?」

「はい…」

手袋ってあれだよね。

シルクとかの。

確かにドレスに合わせてそういうの着けてるの見たことがあるような気がする。

でもこれまであたしの人生には必要がなかった物だ。

「それでは手袋は明日お渡ししましょう。他に何か必要なものはありますか?」

後は、ドレス、靴、アクセサリーぐらいだよね。

多分大丈夫。


それから、お礼に何かせずにはいられなくて、とりあえずまだ残っていた焼き菓子をレイチェルに渡した。

その時、扉をノックする音が聞こえて、麗しのイザベラ様が顔を覗かせた。

「姿が見えないと思ったら、まだここにいたのね」

イザベラがレイチェルを見つけて言った。

「あたしがダンスを踊ったことがないから、レイチェル様が教えてくれていたんです」

責めているわけではないのは分かっていたけど、お世話になった身としては言っておきたかった。

「そう。お疲れさま。ありがとう、レイチェル」

イザベラがそう言うと、レイチェルはあたしに向けてとは違うやり切ったような嬉しそうな笑顔をしていた。

「イザベラ様。エミリーからまたお菓子を貰ったんですよ」

レイチェルに渡した物だったけど、彼女は当然のようにイザベラへお菓子を差し出した。

その姿は、侍女が主へ渡すというよりも、まるで姉妹のやり取りに近いように見えた。

この2人、どれだけ一緒に過ごしてきたのか分からないけど、きっと本当に仲が良いんだな。

「ありがとう、エミリー。嬉しいわ。どう?ダンスは?」

うっ。

「上手いかどうかは置いておいて、レイチェル様のおかげで、とりあえずは、多分、何とかなるかもしれないと思います!」

踊れるようになったとは言い切れない。

でもこれだけレイチェルに付き合ってもらって、全然踊れないなんて失礼ないことは言えない。

そんな気持ちを込めてイザベラに伝えてみた。

イザベラはそれを理解したような笑顔を浮かべると

「いい時間を過ごしたようね。私も加わりたかったわ。残念」

と、あたしの頭をポンポンと優しく撫でた。

「でも今日はゆっくり休まないとね。また明日会えるのを楽しみにしているわ」

そう言って、2人は部屋を出て行った。



それからあたしは夕食をとって、今日の汗を流し大浴場の湯船に身を沈めた。

この世界は中世ヨーロッパに似ている感じがするけど、あまり風呂に入らなかったらしい中世ヨーロッパと違って、この国では使用人でさえ入浴の習慣がある。

なんでも10年位前に王都でなんかの病気が流行った時に、幼いながらも利発なイザベラ様の提案により、入浴によって清潔に保つことが慣習となったのだとか。

そのお陰で病人も随分減ったらしいよ。

有り難いことだ。

この世界のイザベラは本当にチートだね。

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