ディープ・ラーニングと百合の花

水野匡

復・活

 暑い暑い夏のある日。

 スポーツの祭典も中止になって、世間は埋め合わせにてんてこまい。

 そんな中──

 私の友達、九条は家に篭りっきりで何かをやっていた。

「九条、来たぞー」

 私が声をかけても返事は無い。どうせ鍵はかかっていないので勝手に入る。

 むせ返るような暑さが家中に漂っている。九条のことだから、きっと換気もしていない。若干臭いし。

「九条、ここにいたのか」

 九条は家の奥の書斎に──書斎の体を成しているか怪しいが──篭っていた。

「ふ……これで……完成だ!」

 九条は唐突に大声を上げると、両手を天に掲げ、そのまま座っていた椅子が後方に倒れ、九条は床に転がった。

「お、おい九条、だいじょう……」

 私の言葉が途中で止まったのは、訳がある。

 九条の身体で隠れて見えなかったが、倒れた椅子があった場所の前には、人間がいた。

 私が言葉を止めるほど驚いたのは、その人間が、すでにこの世にいないことを知っているからだ。

 八戸──死んだ九条の、恋人。


 一年前。

「九条」

 私は葬式会場で九条に声をかけた。

「……七海」

 項垂れていた九条が私の方を向く。

 その表情は死に絶えの象を連想させた。

 九条と私の前には、盛大に飾られた仏壇がある。中央には、死んだ八戸の遺影が飾られている。

「遅くなったが……お悔やみ申し上げる」

「ありがとう、七海……」

 私の言葉にも、九条は虚に応えていた。相当、八戸の死が堪えたらしい。

 八戸は流行病に罹って亡くなった。特効薬の無い病気で、助かる見込みもあったが……あえなく。

「これから、どうする」

 私は尋ねた。

 九条は八戸と婚約していた。年内にも結婚式を挙げ、二人で起業するつもりだったそうだ。

 九条と八戸は揃って研究者だった。私にはよく分からないが、何やらAIの研究をしていたらしい。曰く、データを集めた後の運用に関するアドバイザーだかなんだかの仕事をやるとか。そんな展望を、九条と八戸は私と会う度に、楽しそうに語ったものだった。

「とりあえず……お世話になったところに、お礼参りに行くさ。このまま、放っておくわけにもいかないからな」

「そうか。手伝えることは、無いだろうが……何かあったら、頼ってくれ」

「そうするよ」


 それが一年前のこと。

 あれ以来、九条は色々なものを精算し、自宅に篭り出した。世間的には失踪したことになっている。

 私は熱中すると人間らしくなくなる九条をよく知っていたから、彼女をよく手助けしていた。主に生活面で。

 九条はとにかく何かに熱中していた。タブレットにデータを打ち込んでいたと思ったら、今度は金属を加工している。大丈夫なのかと尋ねればこの家は耐熱加工済みだと言う。

 そういう問題でも無いだろうが、とにかく一年が経った。

 そして今。

 目の前にあるものは、確かに八戸の形をしたものだった。

「七海か。よく来てくれた。聞いてくれ!私の研究成果を!」

「研究……成果、だと?」

 私は聞いた。それは、恐ろしさもあったかもしれない。

「ああ!私は、ずっと考えていた。八戸に再び会いたい。彼女がいないと、私はダメになってしまう。だから考えた!彼女を復活させる方法をだ!」

「なん……だと?」

 復活?私は黙って話を聞くしかなかった。

「ああ!外見は問題無い。成長は止まってしまうが、どうせ八戸はもういないんだ。私が愛した姿を再現すればいい。問題はその人格だ。AIを使ったところで、八戸らしさを再現できなければ意味が無いからな。だから私は学習させることにしたんだ。ディープラーニングさ!」

「ディープラーニング……」

 AIに大量のデータを学習させ、自分で思考、行動させる技術。要するに機械に『人間の脳』を搭載させるのだ。

 仕組みは簡単だが、正しい方向に導くには、それこそ人を育てるような苦労があるらしい。

「そうだ!私はAIに片っ端から八戸に関するデータをぶち込んだ。私が知る彼女の言動、インターネット人格、動画、写真、日記!だがそれだけじゃ足りなかった。彼女を再現するには、客観性が足りなかったんだ。何せ、私と彼女自身しかモデルが無いからな。だが、私はそれで会心のアイデアを思いついたんだ!」

「アイデア……?」

 嫌な予感はするが、尋ねずにはいられない。

「周囲の人間だよ!彼女の交友関係だ!当然彼女にも友人はいた。七海、君のようにね。だがそう親しく無い間柄の人間もいたはずだ。例えば学校のクラスメイト、職場の人間なんかだ。そして私は思い出したんだ。そういった奴らはみな葬式に参列していた!」

「葬式……まさか、九条!」

「ああ!私は葬式を録画していたからな。データは完璧に揃っていたよ。参列者の八戸に関する言動を全て抜き出し、AIにぶち込んだ!するとどうだ!AIは八戸の脳の形を取り出したんだ!」

 そう言って九条は起き上がり、壁にかかっていたモニターに映像を映し出す。

 そこには、バラバラだったAIのニューロンが、一つにまとまって脳のイメージを取る映像が映されていた。

「八戸AIは完璧な受け答えをするようになったよ。自分の生年月日とかの基本的な情報だけじゃあ無い。彼女だけが知りうる、周囲の人間に対する評価もだ!」

「評価……」

「例えば、高校の教師は自分に対して贔屓していたから嫌い、や、母親は過保護すぎて付き合い辛かった、とかだ!」

「そんな……ことが」

 可能なのか。私はにわかには信じられなかった。

「実現したんだ!そしてテストが終わり、今!八戸を起動する!七海、君は歴史的な瞬間に立ち会える!」

 そういうと九条は八戸のロボットの口に手を突っ込んだ。

「な、何を!」

「案ずるな、起動スイッチは喉にあるんだ」

「なんでそんな仕様にしたんだ!」

「私が八戸の喉奥が好きだからだ!」

「この……変態め!」

 私は九条を罵倒したが、あえなく八戸は起動した。

 九条が喉から手を引き抜くと、八戸は嬌声を上げながら目を覚ました。

「八戸、八戸!起きてるか!?」

 九条は八戸の顔をベタベタ触りながら聞く。

 八戸はそんな九条に構うことなく答えた。

「ええ、起きてるわよ、九条」

 その声は非常に滑らかで、機械が発しているとは思えないほど、八戸の声に近かった。

「八戸!会いたかった!」

「ええ、九条……僕もよ」

 そう言うと八戸は九条に抱きついた。

 九条は感激して涙を流していたが、程なくして眼鏡を上げて涙を拭うと、八戸に尋ねた。

「おっと、いかんいかん。本題を忘れては。八戸、私の質問に答えてくれ」

「いいわよ」

「八戸は、私を愛しているか?」

 九条はそう尋ねた。私は、内心で焦っていた。

「うーん……そうねぇ」

 八戸は九条の質問に答えづらそうにしている。

「は……八戸?」

 九条の表情に焦りが見える。

「ごめんね、九条。僕、あなたのことは大好きよ。でもね、僕が本当に愛しているのは……」

 そう言って八戸はツカツカと歩き出す。

 その方向は……。

「な!?」

「七海なの」

「何ィいいいいいいいい!?!?!?!?!?」

 そう……実は、私と八戸は九条に隠れて付き合っていた……つまり、浮気していたのだ。

「ごめんなさいね、九条。でも、僕嘘はつけないから」

 そう言うと、八戸は私の唇を唐突に奪った。

 八戸の無機質で、しかし熱のある舌が私の口腔内を犯す。

 私は始めこそ抵抗しようとしたが、やがてその快楽に力が抜けていき、おそらく相当にだらしない表情になってしまったことだろう。

 解放されると、私はへたり込みそうになったが、八戸はそんな私を腰から支えた。

「そういうことだから」

「そ……そんなことがあるかあああああああああああ!!!!!!!!!」

 九条の叫びが、部屋の中にこだました……。

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ディープ・ラーニングと百合の花 水野匡 @VUE-001

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