恥ずかしくなんかないっ!

逢雲千生

恥ずかしくなんかないっ!


 お年頃、と聞くと、たいていの人は恋をしたのだろうかと思うことでしょう。


 男の子であれば、ほとんどがそんな理由ですが、女の子もそう変わりません。


 けれど男女というものは不思議なもので、大人になれば笑い話にできても、子供のうちは、特に小学生の頃はしゅうが勝つものです。


 これは、私が小学六年生の時に出会った、小さくて大きなヒーローのお話です。




 私が通っていた小学校は、今でこそ有名な私立校ですが、当時はそれほど目立たない普通の公立でした。


 戦前から続いていた学校だったのですが、大人の事情とやらで、私が卒業した後でいったん閉校になり、それから私立校として再出発を果たしたのだと聞いています。


 私の後輩になる子供達は、平日にはピッカピカの制服を着て、送迎のバスに揺られながら登下校する優雅な状態ですが、私の頃はといえば、みんながみんな徒歩でした。


 学校の近くに住む生徒ばかりが集まっていたので、当然と言えば当然なのですが、毎日三十分以上も歩かなければならない子供もいたため、中にはお母さんが自転車で送迎してくれる家もあったくらいです。


 成長すればするほど変わっていく世の中ですが、子供というものはそう変わらないらしく、今朝も嫌な光景を見てしまったため、私は落ち込んだまま教室に入りました。


「おっはよー。って、どうしたの。具合でも悪い」


 高校で知り合ったとは、入学当初からの親友です。


 何かと話が合い、いつも一緒にいることが多いため、今では先生達にまでコンビと呼ばれるほどになっていました。


「おはよー。具合が悪いんじゃないんだ。ただ、登校中に嫌な光景を見たから、気分が悪くなっただけ」


「ええっ。何があったの?」


 真紀に尋ねられ、私は少し迷いました。


 かなりデリケートな問題であることと、朝早くに出していい話題なのだろうかと思ったのですが、本気で心配する彼女の目にはかなわず、出来る限りの小声で説明をすることにしたのです。


「……実はね。私が登下校で使っている道は、母校でもあった小学校の通学路になっているのよ。そこで徒歩通学の子達に会ったんだけど、男の子が女の子をからかって泣かせてたんだ。内容を聞いてたら、どうやらその女の子、生理になったらしいのよ」


「へえ。でも、どうしてそれでからかわれるの?」


「それがね、授業中に、急になっちゃったらしくて、足に流れた血をクラスメイトに見られてから、ずっとからかわれているみたいなのよね。最近の子は十歳くらいでなる子がいるっていうけど、私まで嫌な気持ちになっちゃった」


「それはそうだよ。私だってそう思うもの」


 真剣な眼差しで私を見る彼女は、本当に悲しそうだった。


 周りからは大げさだと言われる時もあるけれど、私は彼女のそんなところが好きだった。


 鞄から必要なものを出して机に入れると、私の前の席から椅子を借りた真紀は、それでと言って続きを聞きたがった。


 私も自分の椅子に座ると、その時の事を思い出しながら話した。


 女の子はからかわれた後、一人きりにされて、また泣いていた。


 私が声を掛けてみようと思った時、遠くから走ってくる女の子が見えたのだ。


 小学生にしては背の高い女の子は、泣いている女の子の肩を抱いて慰めながら、「大丈夫、気にしなくていいよ」と言って学校へと歩き出した。


 二人は友人なのだろうけど、何も出来なかった自分を不甲斐なく思う反面、助け合える人がいて良かったと安心したのだ。


「実をいうと、ああいった光景を見るのって初めてじゃないんだよね。私も小学生の頃に、ああいった男子にからかわれてたし、もっとひどい目に遭った子もいたから、今でもちょっとしたトラウマになってるんだ」


「それ、初耳なんだけど。大丈夫だったの?」


「うん。私にも、ううん、女の子にとってのヒーローがちゃんといたから」


 そう言って笑うと、懐かしいあの頃に戻ったように、記憶が一気に戻ってくる。


 小さな机に小さな教室。


 廊下には高い声の子供達が走り回っていて、休み時間には誰かしらが怒られていた。


 そんな当時に戻ると、私は真紀に、私のヒーローについて話し始めたのだった。




 私が小学五年生の時、初めて生理になった。


 授業で習ったばかりの頃だったから、想像していたよりショックは少なかったけれど、学校でなったこともあって、誰にも見られないように保健室に行くまで、恥ずかしさと恐怖で記憶が曖昧なくらいには、動揺していたんだと思う。


 お母さんは中学生になってからだって言っていたけれど、私の頃にはもう、小学生でなる子供がたくさんいて、六年生になると、学年の女子は半分がなっていた。


 先生は「恥ずかしいことじゃないのよ」と言うけれど、男子の目を気にすると、どうしても恥ずかしかった。


 悪ガキと呼ばれる子は必ずいたから、その子にバレると、毎月からかわれるのが嫌なくらいひどかったからだ。


 先生も注意してくれたけれど、小学生男子ほどこうかつで、意地悪で、残酷な存在はいないだろう。


 特に、デリケートな面において彼らは、有無を言わせない、女子の天敵だったのだから。


 なっている人が多かったこともあって、ほとんどの女子は男子の態度を怒りながら、なっている女子同士でを言い合っていた。


 私もその一人で、子供ながら重い生理痛を抱えていたこともあって、男子の心ない言葉に毎月傷ついていたからだ。


 けれど内気な子もいて、そんな子ほどターゲットになりやすく、毎月毎月、誰かしらが泣かされていたくらいの騒ぎになっていた。


 あの日も、私は痛むお腹を抱えながら、保健室に向かっていた。


 私が在籍していた頃は、運良く保険医がいたので、子供用の鎮痛剤などを処方してもらえたので、下手な市販品より効くと評判だったこともあり、なった子はいつも、保険医に相談に行くのが定番だった。


 急になったこともあって、ナプキンをもらうついでに、痛み止めをもらおうと急いでいると、例の悪ガキが取り巻きを連れて、一階の廊下で私を待ち伏せしていたのだ。


「おい、。お前、いまセーリなんだろ?」


 ニヤニヤと笑う悪ガキのしょうは、取り巻き達と一緒に、私を取り囲むようにして通せんぼしてくる。


 痛みと気持ち悪さで内股になる私を見て、彼は鬼の首でも取ったかのような笑みを浮かべた。


「なあなあ、そうなんだろ?」


 ニヤニヤと笑いながら道を塞ぐ彼に、私は腹立たしさと恥ずかしさが込み上げてきた。


 早く保健室に行きたいのに、彼らがわざと道を塞ぐので、前にも後ろにも動けなかったからだ。


 お腹の痛みと、嫌な感覚にめまいがしてくる。


 こんなことなら、お母さんの言いつけ通り、自分の分を持って来れば良かったと後悔した。


『加奈美。自分のナプキンはちゃんと持っていかなくちゃ駄目よ。いつ、どこでなるのかわからないんだから』


『大丈夫だって。保健室にあるし、他の子から借りれるから』


 今朝だって、そんなやり取りをしてきたばかりだ。


 これまでだって不定期で、だいたいは間に合ったから気にしなかったけれど、今は後悔しかない。


(お母さんの言うことを聞いておけば良かった……)


 そんなことを考えても後の祭り。


 からかう正太くん達の声を聞きながら、痛みと不快さを我慢していると、男子の一人が叫んだのだ。


「うわっ。こいつ、やべえぞ」


 彼に続いて、次々と男子達が騒ぎ出す。


 何かと思って視線を下に向けると、私の足の間から赤いものが流れているのが見えた。


 これはまずい。


 そう思って彼らの輪から抜け出ようとしたけれど、正太くんが私の肩を突き飛ばした。


「うわ、きったねえ。お前、まじきたねえわ」


「そんなの出て来るなんて、まじでありえねえし。やだやだ」


「なんかにおってこねえ? まじウケるし」


 そんなことを言いながら、男子達のからかいはエスカレートしていった。


 一階には年下の子達もいるし、クラスの違う同学年生もいた。


 彼女達も遠巻きに私を見ては、それぞれに反応しているようだけれど、それが恥ずかしくてたまらなかった。


 誰かが先生を呼びに行ってくれたんだろうけど、その間にも正太くん達は私をからかい続ける。


 お母さんにも先生にも、これは大事なことなんだよって言われたのに、今は嫌で嫌でしょうがなかった。


 このまま消えてなくなりたい。


 生理になんてならなきゃよかった。


 そう考えていた時、男子の一人が倒れたのだ。


 うめき声の後に、数人の男子も倒れる。


 何かと思って後ろを振り返ると、男子の一人を殴るまさくんがいたのだ。


 昌樹くんは同学年の男の子だけれど、私は一度も話したことがない。


 いつも無愛想で無口な人だったから、一部の女子からクールでかっこいいと言われていたけれど、男子達からはスカしていると嫌われていた子だ。


 私も苦手なタイプだったので、クラスメイトにならない限りは、接点を持つことはないと思っていたのに、彼は怖い顔で、私をからかう男子達を次々と殴っていた。


「お、おい。お前、何やってんだよ」


「お前らこそ何? 苦しい思いしてる女の子に、寄ってたかって悪口言って、恥ずかしくねえの?」


 初めて聞く彼の声は、想像していたよりずっと低い。


 だからこそ凄みがあって、悪ガキの正太くんですらたじろいだほどだ。


「う、うるせえっ。そんなの俺の勝手だろ。だいたい、学校を汚すやつがいるから、俺がみんなの代わりに言ってやってんじゃねえかよ。それを邪魔したのはお前だ」


 学校を汚すやつ。


 その言葉に顔が熱くなった。


 そんな気持ちなんて一つも無いのに、正太くんにはそう思われていたのかと思うと、悲しくて恥ずかしくて涙が込み上げてきた。


 泣くな、泣くなと唇を噛みしめると、昌樹くんは鼻で笑った。


「はっ。何が汚してんだっての。そいつが今どうなってんのか、お前知ってて言ってんの? だったら、お前の方がひでえ奴だよ」


 昌樹くんは、正太くん以外の男子を殴ると、私の近くまで歩いてくる。


 靴下が赤く染まっていくのが恥ずかしくて、さらに内股になっていると、昌樹くんは「ちょっとごめん」と言って、自分が来ていた上着の袖を、私の腰に巻いてくれたのだ。


 上着が上手い具合にスカートのようになって、私は少しだけ気持ちが楽になった気がした。


 汚れるからと断ったけれど、彼は「いいから」と言って、正太くんを睨みつけたのだ。


「お前さ、ちゃんと授業聞いてたのか。聞いてて理解してたら、こんな真似は絶対しないよな」


「き、聞いてたに決まってんだろ! 女なら血が出て、それで大変だってことだろ」


 正太くんの言葉に、昌樹くんは重いため息を吐いて、腰に手を当てた。


「なんで血が出るとか、どうして大変だとか、そんなとこまでは聞いてなかったって事だな」


 そう言うと、正太くんだけでなく、殴られた子達まで困惑した顔になる。


 どうやら自分達が間違えているとわかったようで、彼らは青い顔になりながら、昌樹くんの話を黙って聞き始めた。


「いいか。生理ってよく言われるけど、これはげっけいって言うのが普通なんだ。漢字だと難しいけど、毎月女性なら必ず起こることで、これが起こらないと大変なんだぞ。腹が痛くなったり、血が足りなくて倒れたりする人もいるけど、みんな大人になった時に、元気な赤ん坊を産むために当たり前にしてるんだ。男はわからないけど、人によっては怪我するよりずっと痛いし、入院するくらいひどくなる時もある。母親がそれに耐えてくれたからこそ、お前らだって生まれて来てるかもしれないんだ」


 昌樹くんの低い声が廊下に響く。


 気がつけば、保健室にいた保険医さんも廊下に出ていて、彼の話を黙って聞いていた。


「お前らは、面白いネタが出来た程度だろうけど、なってる人は人生が変わるくらい衝撃を受けるし、受け止めきれていない人も多い。お前らの言葉で傷ついて、月経自体が嫌になって、薬で止める人だって出て来るかもしれない。そうなったら、お前らは責任とれんのか? 将来、生まれてくるはずの子供が出来なくなって悲しむやつに、昔はごめんって一言で済ませる気なのかよ。そんなやつを許してくれると思ってるのか? 許されると思ってんのか?」


 静まりかえる廊下で、昌樹くんの話は続く。


「月経って言うのは、そんな簡単なことじゃねえんだよ。なったら子供が出来るけど、ならなかったら一生子供が出来ないことになる。なったからって苦労する人はするし、ならなくたって幸せになる人もいる。だけどな。少なくとも、お前らみたいなふざけたやつらに馬鹿にされるほど、加奈美も他の女子達も、軽い気持ちでいるわけじゃねえんだよ」


 昌樹くんは青ざめる正太くん達を見回すと、怯えた顔の彼らに向かって叫んだ。


「生理は恥ずかしくなんかないっ! 大切で尊いことなんだよっ!」


 その言葉に、誰が拍手し始めたのかはわからない。


 あっという間に広まった拍手の音に、私は痛みなど忘れて涙を流した。


 この時から昌樹くんは、私だけでなく、学校中のヒーローになったのは言うまでもない。




「……そんなことがあったから、私にとって生理っていうのは、それほど恥ずかしいものじゃないって思えるようになったんだよね」


「へえ、いい人がいたんだね。私の学校なんて、先生達の方が神経質になってたから、なった子なんてものあつかいだったもの。しかも担任が男の先生だったから、なかなか言えない子がいて、授業が終わった後で、椅子を見たクラスメイトが気づいたりしてたからね」


 真紀にとっての小学校時代は、クラスメイトよりも、先生に対して思うことがあったようだ。


 私の学校は、それほど大げさにはしなかったけれど、それでも正太くん達の件は問題にされた。


 事情を知った先生と、私達のやり取りを見聞きした生徒達が、自分の親に話したことで発覚し、PTAだけでなく、教育委員会にまで話が言ってしまったのだという。


 私は先生に質問されただけだったけれど、正太くん達は、親からも先生達からも、第三者達からもこっぴどく叱られたようで、その後は大人しくなってしまっていた。


 学校では、改めて保健の授業がされたり、より詳しく丁寧な話をするために、産婦人科医まで呼ばれたりしたこともある。


 大げさすぎるほどの対応だったけれど、それもこれも、昌樹くんが先生達に訴えてくれたからなのだそうだ。


 昌樹くんの実家は産婦人科で、おじいさんの代から続いているらしい。


 お父さんとお母さんは二人とも医者で、どちらも産婦人科医として働いているので、女性の体については、幼い頃からきちんと教えられていたのだそうだ。


『おれの家って、けっこういろんな人が来るんだよ。痛くて泣いてたり、貧血で倒れたり、赤ん坊についてわめいたりする人もいてさ、そのたびにいろんなことを教えてもらってたんだ。じいちゃんが産婦人科になったのも、自分の妹が女性特有の病気で亡くなったことがきっかけらしくて、今でも悲しんでるくらいなんだ』


 クールでかっこいいと言われている昌樹くん。


 あれからすぐに、彼に連れられて保健室で話せたけれど、彼は誰よりも大人びた人だとわかった。


 小学生らしくないと思ったけれど、そうなるほどに、いろいろなものを見聞きした彼は、いつか自分も産婦人科医になって、家の病院を継ぐのが夢だと教えてくれた。


 ヒーローになった彼は、それから学校の人気者になってしまい、卒業するまで一度も話すことはできなかった。


 それでも私は満足で、彼に助けられたという事実と感謝の気持ちは消えていない。


 羨ましいと言う真紀に微笑みながら、一時間目の準備を始めていると、教室の扉から見慣れた顔が現れた。


「加奈美。辞書貸して」


 ぶっきらぼうにそう言う彼は、真紀のことなどお構いなしに私の鞄をあさると、目当ての辞書を見つけて手に取った。


「借りてくな」


「いいけど、今日のお昼、ジュースおごってよね」


 彼は片手をあげて了承する。


 いつものことなので、真紀も呆れ半分で彼を見送ると、「そういえば」と呟いた。


「けっきょくさ、加奈美のヒーローとは疎遠になっちゃったってことだよね? ずっと話せなかったわけだし」


 そう言われて驚いた顔を見せると、彼女は「違うの?」と、私と同じ顔になった。


 お互いに見つめ合いながらしばらくいると、私はたまらず吹き出した。


 そんな私の様子に、真紀は不機嫌になったけれど、私は笑いながら「違う違う」と答えた。


「卒業後は話せたよ。だって、ずっと一緒だったんだもの」


「ええっ。それってどういうこと?」


 真紀がそう言うかいなか、また彼が顔を出して「いつものでいい?」と聞いてきた。


「いいよ。紙パックの方でよろしくね」


 笑顔で答えると、彼も微笑んで「わかった」と低い声でうなずいた。


 真紀は、私と彼とのやり取りなど気にせず、「どういうことよ」とヒーローについて聞いてくるので、私はまた笑ってしまった。


「昌樹とはね、同じ中学に入学したの。それからずっと一緒なんだよ」


「ええっ、意味が分からない。教えてよ、ねえ」


 肩をつかんでそう言う真紀に、私は声を出して笑いながら顔を近づけた。


 そして耳元で答えを言うと、彼女は驚いた後で叫んだ。


 その声にクラスメイトは驚いていたけれど、彼女は気にせず興奮する。


「そ、そんなロマンチックなことってある? きゃ――っ、もう素敵じゃないの!」


「そうかな?」


「そうだよっ。ああ、こんなことなら、さっき話しかけて、引き止めておけば良かった!」


 興奮しながら笑う彼女は、恋愛話が大好きな彼女らしく、私の話を受け入れてくれたようだ。


 その様子を見ながら、開けられたままの鞄を閉じて、静かに微笑む。




 ――あれ、昌樹くん。昌樹くんもこの学校だったんだ。


 桜が咲く四月。


 私は新しい制服に身を包み、彼と再会した。


 彼は相変わらずぶっきらぼうな態度だけれど、その瞳は優しく細められている。


 ――お前もここだったんだな。


 ――うん。家から近いし、行きたい高校に有利だったから。


 校門をくぐり、二人並んで歩いて行くと、見慣れた姿がちらほら見える。


 中には嫌な印象を持つ子もいたけれど、さすがにもう何もしてこなかった。


 私は昌樹くんと歩きながら、ずっと言えなかったお礼を言った。


 ――あの時、助けてくれてありがとうね。おかげで、今はすごく、心が軽いんだ。


 ――そっか。


 ――うん。本当にありがとうね。


 とびきりの笑顔を見せてお礼を言うと、彼は微笑んでくれた。




 中学校卒業の日。


 私はすっかり仲良くなった昌樹くんと、入学式の日と同じように並んで歩いていた。


 三年間で身長が伸びた彼は、やっぱりクールでかっこいいと人気があったけれど、彼の制服のボタンは一つも無くなっていなかった。


 ――同じ高校に行けるなら、また三年間一緒になるね。


 ――うん。


 ――でも、進路が違ったらクラスも一緒になれないだろうし、人数も増えるから、そもそも同じクラスになる確率の方が低いか。


 ――そう、かもな。


 医者になるという昌樹くんは、高校に入れば進学コースに進んでしまう。


 私はまだ、大学に行くか就職するかで悩んでいたけれど、進学してもありきたりな学科になるだろう。


 そうなれば、彼とはもう会えないかもしれない。


 少しだけ淋しいと思いつつ、あと少しで校門だというところで、急に昌樹くんが立ち止まった。


 ――どうしたの?


 振り返ると、彼は真剣な表情で腕を差し出してきた。


 言われるがまま、私も手のひらを上にして差し出すと、手の中に固い物が落とされた。


 金色に輝くそれを見て、私は彼を見上げる。


 ――ずっと言えなかったけど、おれ、お前のことがずっと好きだったんだ。本当はもっと早くに知り合いたかったんだけど、あんなひどい目に遭ってから言うなんて、なんかズルしてるみたいで、すごく嫌だったんだ。でも、高校に入ったら会えなくなるかもしれないし、お前に彼氏が出来たら、もっと嫌だから、だから今言わせてくれ。


 冷たい風が私達を包む。


 けれど私の心臓は痛いくらいに鳴っていて、寒さも冷たさも感じないくらい、彼の真剣で強い瞳に惹かれていた。


 ――おれと付き合って下さい。できれば一生、おれと一緒にいて下さい。


 涙で歪んだ彼が、どんな顔をしていたのかは今でもわからない。


 けれど、私がうなずいた後で感じた温もりは本物だった。


 そうして今も、それは変わっていない。


「加奈美、辞書ありがとな。真紀ちゃん、いつも加奈美のことを心配してくれてありがとう。これからもよろしくな」


 辞書を返しに来た昌樹は、私にお礼を言うと、ニマニマと笑う彼女にもお礼を言った。


 その言い方が恥ずかしくて、頬が熱くなったけれど、彼は気にせず行ってしまった。


「なーんだ。もう旦那持ちだったのねえ。いやあ、熱い熱い」


 からかうようにそう言う彼女に、私は恥ずかしくて背中を叩いてしまったけれど、彼女はますます嬉しそうに私をからかってくる。


 過去に受けたからかいとは違い、心地よくすら感じる友人の言葉に、私は昌樹の言葉を思い出した。


 ――いつかお前に友人が出来たら、絶対紹介しろよ。変な奴だったら、おれが怒ってやるからな。


 そう言っていたのに、彼は真紀のことを気に入っている。


 二人でいても、たまに真紀の話で盛り上がるくらいで、お互いにとって良き理解者となってくれるのも、時間の問題かもしれないと思った。


「――ありがとね」


 真紀に聞こえない声で、静かにさりげなくお礼を言うと、私の首に抱きついてきた彼女を受け止めながら、二人して先生に怒られるまでじゃれ合ったのだった。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恥ずかしくなんかないっ! 逢雲千生 @houn_itsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ