究極の万能スキル【理解】を手に入れて目が覚めた俺、田舎領主の使いっ走りをやめて王都に行ったら英雄になりました
藤井論理
第1話 天使と悪魔の声が聞こえる
「オグマ、庭の掃除をしておけ!」
「はい!」
「それが終わったら薪割りと屋敷の掃除と洗濯と買い出しと料理と俺の肩もみだ!」
「はい!」
「『はい』じゃなくて『ありがとうございます』だと言ったろう!」
「すみませんご主人様! ありがとうございます!」
「お前には感謝の気持ちが足りんのだ、バカ者が!」
「ご忠告ありがとうございます!」
「仕事は楽しいか!」
「楽しいです!」
「最高か!」
「最高です!」
ふん、と鼻を鳴らし、主人――領主のガルタ様は、大きな身体を揺するようにして屋敷に入っていった。
「はあ……」
俺は思わずため息を漏らした。
――なんて立派な方だ。
辺境の小さな土地の領主であるにもかかわず、腐ることなくいつも背筋を伸ばし、顔には悠然とした笑みを浮かべている。俺のような
なんという度量だろう。いずれ大きなことを成し遂げるに違いない。
俺は頭のなかで今日の予定を組みたてる。
――今日も休憩はとれないな。飯も抜こう。
なんとしてもガルタ様の期待に応えなければ。
「ああ、働くの楽しいな……」
俺は青空を見あげ、目を細めた。
「ガルタ様! いただいたお仕事、すべて完了いたしました!」
執務室から身体を縮めるようにして出てきたガルダ様は、俺の声を聞いてびくりと振りかえった。
「夜に大声を出すなバカ者が!」
「申し訳ありません! ご忠告ありがとうございます!」
「時間がかかりすぎだ! 明日は日が落ちる前までに終わらせろ!」
「かしこまりました!」
「仕事は楽しいか!」
「楽しいです!」
「最高か!」
「最高です!」
「声がでかい!」
「申し訳ありません!」
「帰れ!」
「帰ります!」
ガルダ様は「ふん」と鼻を鳴らして玄関のほうへ歩いていった。
こんな夜に街へ出るらしい。会合かなにかだろうか。ガルダ様の勤勉さには頭が下がる。俺ももっと頑張らなくては。
――野犬が出てこなければ薪割りをもっと早く終わらせられたんだけどなあ。
俺が外で作業していると決まって野犬が現れて作業を邪魔される。追い払うのに時間がかかり、いつも仕事は遅れに遅れた。
――追い払わないで餌でもやって手懐けたほうがいいかな……。でも餌代がないしなあ。
俺は思案しながら屋敷をあとにした。
昼間はあんなに晴れていたのに、いまは星ひとつ見えない。そればかりか空気がじめっとしていて、間もなく雨が降ってきそうな気配があった。
ランドールの領主・ガルダ様に十八歳で雇っていただき、早一年がたった。給金は月八万ミラほど。その大半は田舎に住む家族への仕送りに消えてしまう。ゆえに俺は藁の寝床で眠り、食事はひとつのパンを朝と晩に分けて食べることもあった。
しかし俺は少しもつらいとは思わなかった。生きていけるだけの少々のお金と、大切な家族の穏やかな日常があれば、それだけで満足だ。
俺は服の下からペンダントをとりだした。細いチェーンに獣の爪のような形をした黒い石がぶら下がっている。俺が田舎を出るときに母さんがくれた
腹がぐうと鳴った。仕事中は気を張っていたから空腹を忘れていたが、さすがになにか食べておかないと明日の仕事に障ってしまう。
「ん?」
看板が目に入った。
『食事処
――こんなところに店なんてあったっけ……?
思い出せない。気に留まらなかっただけだろうか、それとも新しい店だろうか。
いずれにしろ、ちょうどいい。俺は山河亭のドアを開いた。
「いらっせい」
頭を剃りあげた大柄な中年男性が独特のイントネーションで俺を迎えた。
カウンター席に座る。
「なににしましょい?」
――『しましょい』……?
どこの
「ええと、初めて来たもので――」
「シェフの気まぐれ定食ね」
――言ってない。
あとシェフって誰だ。もしかしてあんたか。どっちかっていうと大将って感じだが。
店の主人は皿にパンと肉を載せ、蜂蜜酒とともに俺に差しだした。
「そこにあったパンと、なんかの肉です」
「気まぐれが過ぎる」
「大丈夫、食べれます」
「いや、可か不可かの話じゃないんだけど……」
「百ミラでいいよ」
「やっす……!」
「やっぱり百二十ミラで」
「なんでちょっと上げたの?」
「こっちにも生活があるんで」
だったら最初からまともな価格で出せばいいだろうが。
主人はじろりと俺を見た。
「あんた、やつれてるじゃねえか。だからちょっと心配になっちまってな」
「そうかな……」
俺は自分の顔に触れた。しばらく鏡を見る暇もなかったから、どんな顔になっているかわからない。
「でも体力はあるほうだよ。全然疲れないし」
「かえってまずいやつだって、それ」
「ほとんど寝なくても大丈夫だし」
「ますますまずい。というかあんた、目の輝きがやばいよ。火トカゲみたいだ」
――でも、本当に大丈夫なんだけどなあ……。
気力も体力も充実している。仕事も楽しい。経済的には少し苦しいが、家族にお金は送れているし、俺が切りつめればなんとかなる。
「とにかく食べなよ。たったの百五十ミラだ」
「また上がってるじゃないか」
「安くしすぎて後悔したんで」
「素直」
顔は怖いが悪いひとではなさそうだ。
そこにあったパンとなんかの肉はそこそこおいしかった。これなら百五十ミラでもかなり破格だ。
俺は飯を食べながら、聞かれるがままに身の上話をした。
父親が早くに亡くなり、家が貧しいこと。出稼ぎで俺が家計を支えていること。いまは領主のガルダ様のもとで働いていること。日々充実していること、などなど。
「ふぅん……」
主人は渋い顔で腕を組んだ。
「言いたかないが、あんた利用されてないかい?」
「ガルダ様に? ははっ、そんなわけないだろ。あの方はすばらしいご主人様だ」
たしかに誤解を受けやすい物言いをする方だとは思うが、俺はちゃんとわかっている。本当は慈悲深い方であると。
「あんた頑張り屋みたいだし、王都に行ったほうが報われると思うぜ」
「しかし、ガルダ様に恩がある」
主人はかぶりを振った。
「いまのあんたの様子じゃ、なにを言っても無駄かもな。でもいつか
「ありがとう。でもいらぬ心配だ」
「死なんように飯はちゃんと食え。特別に百四十ミラにしてやるからな」
――最初の百ミラを聞いていなければ素直に喜べたんだが。
食事を終え、俺は山河亭を出た。空きっ腹に蜂蜜酒を入れたせいでほろ酔いだ。気分がいい。
「いいひともいたものだな」
山河亭主人の言った言葉を思いだす。
――理解、か。
俺はすべてをちゃんと理解している。山河亭の主人はいいひとだ。そしてガルダ様はすばらしい御方。なにもまちがってはいない。
ぱっと視界が白くなり、ごお、と空が鳴いた。近くで雷が鳴っている。一雨来るかもしれない。
俺は足早になる。細い道を抜け、広場に出た。
円形の広場。その中心には水を司る竜『フロレンシア』の像が建っている。この世界は七体の竜――光の竜、闇の竜、火の竜、土の竜、木の竜、金の竜、そして水の竜が作りだしたと言われている。水源の近いこの地方はフロレンシアに強い信仰心を抱く者が多い。
俺は像を見あげた。ときおり雷の光に照らされて、そのたびフロレンシアは俺をにらみつける。
「竜よ。もしも俺がまちがっていると言うのなら、
当然、答えが返ってくるはずもない。
俺は失笑した。
「なんてな」
そのとき、像の頭頂部にひときわ白い光の筋が落ちたかと思うと、像は爆発するように砕けた。
そしてつぎの瞬間、額に強い衝撃。破片が頭を直撃したようだった。
「あ」
――死んだ、かも。
地面に身体が叩きつけられる。手も足もまったく動かすことができない。
視界が暗い。雷鳴も聞こえなくなった。雷がやんだのか。いや、おそらく俺の目と耳の機能が死んでしまったのだろう。いずれ、その死は身体全体をむしばむことになるはずだ。
もう身体の感覚がまったくない。
母さんと弟妹たちの姿が思い浮かぶ。
――ごめん、みんな、ごめん、ごめん……。
やがて、ふっと身体が軽くなるような感覚がやってきて、俺の意識は途切れた。
◇
真っ黒だった意識に色がもどってくる。少し遅れて耳に音が飛びこんできた。
女性の話し声だ。
――ここは天国か?
であるなら、この声は天使の声だろうか。
俺は耳を澄ました。
”あ~、マジうっぜ~。きったねえしくっせえし、なんなんだよこいつ。よりによってなんであたしが担当なんだよ、ふっざけんな”
――この天使、口
いったいどんな顔をしているのか見てみたくなり、俺は目を開けた。
垂れ目が印象的な優しそうな女性だった。横たわる俺の上半身を、ぬるま湯で濡らした手ぬぐいで拭いている。
”あ~、くっせえくっせえ。髪か? 髪がくせえのか? でもこいつ頭を怪我してるし、まだ洗えねえんだよなあ”
――頭を、怪我……?
あのとき雷で像が砕けて俺は頭に衝撃を感じた。怪我をしていたとすればまちがいなく頭だが、天国でも死因となった怪我は残ってしまうものなのか?
――いや……。
俺は目だけきょろきょろ動かした。
並んだベッド。そこに横たわる具合の悪そうな人びと。それを世話する白衣の女性。看護師だ。いま俺の身体を拭いてくれている女性も同じ白衣を着ている。
――ってことは、つまりここは……。
「病院?」
女性はびくりとなって俺を見た。
「め、目が覚めたんですか?」
「あ、はい」
彼女は自分の胸に手を当てて、ほうっと息をついた。
「よかったあ……! 頭を怪我して、もう三日も眠ったままだったんですよ?」
「はあ……」
思わず生返事になった。三日もたっていたことに驚いたのもそうだが、それよりも大きな原因は、彼女の声が二重になって聞こえてきたからだった。
こんな具合だ。
「め、目が覚めたんですか?」
”グールになったかと思っただろうが。驚かせんな、この野郎”
「よかったあ……! 頭を怪我して、もう三日も眠ったままだったんですよ?」
”なんで生きてんだよ。どういう生命力だよ、キモいな”
「すいません」
俺は謝罪した。
「謝らないでください! これがわたし――いえ、わたしたち看護師の仕事なんですから」
”けっこう給料いいからな。でなきゃお前なんぞの世話なんか誰がするか”
彼女は目をきらきらさせる。
「……」
――幻聴、だよな……?
彼女の口から発せられる声とはべつに、わん、と頭に響くようなもうひとつの声が聞こえてくる。その声もまちがいなく彼女の声だ。しかし内容が正反対すぎる。まるで天使と悪魔の声が同時に聞こえてくるかのようだ。
「どうかされましたか?」
”まあ頭のなかに石が入りっぱなしだからな。どうかするわな”
「石!? 石が入ってるんですか!?」
「え? あ、そ、そうですけど。いま起きたばかりなのに、なんで知ってるんですか……?」
「だって……」
あなたがそう言ったから、という言葉を俺は飲みこんだ。
言っていない。口は動いていなかった。だから幻聴だと思った。
しかし幻聴が、頭のなかに石が入っているという突拍子もない事実を言い当てた。
そこから導きだされる答え。聞こえてくるのは幻聴ではない。おそらく――。
――心の声。
どういうわけか俺は、心の声が聞こえるようになってしまったらしかった。
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