第17話
「君の度胸は買わせてもらおう、拓海」
しっとりした口調で、実咲が言った。
「だが正直、我輩には、まだ君に異能の力の秘密を明かす勇気がない。申しわけないが」
「あっ、いえ」
それはそうかもしれない、と僕はようやく気づかされた。
異能の力に秘密があるのなら、その力は先天的なものではないのかもしれない。この世に彼女たちが産まれ出てから、後天的に手に入れた能力だということになる。それはすなわち、何かきっかけ、すなわち過去があるということだ。
「あたしは構わないよ、お兄ちゃん」
静かに告げたのは、最年少の梅子だった。
「ただ、できれば他の人に聞かれたくはない、かな。ここにいる人はもう知ってるはずだけど」
ふと室内を見渡すと、皆一様に俯いていた。その沈黙に一石を投じたのは猪瀬である。
「ちょっと待ってくれ」
そう言って、背を向ける。向かう先は、執務机のさらに向こう側。辞書や辞典が並んだ、重苦しい棚だ。
「えーっと、ここかな」
一見無造作な動きで、猪瀬はある辞典の表題の部分をぐっと押し込む。すると、棚が左右に分かれた。
何事かと目を瞠る僕。その視界に入ったのは、先ほど通ってきたのと同じような鉄扉だった。ただし施錠されてはおらず、サイズもだいぶ小さい。
「この先は私のプライベート・ルームだ。機密性の高い会話をする際に使っている。君たちも使うといい」
「ありがとうございます、理事長」
いつになく大人びた口調で、梅子が告げる。
「じゃあお兄ちゃん、ついて来て」
立ち上がり、さっさと鉄扉に向かう梅子。僕ははっとして、半ば転びそうになりながらも、腰を上げて彼女の後を追った。
※
僕が入るのを待ってから、梅子はぐっと鉄扉に取り付けられたノブを引いた。よいしょ、と口にすると同時、鉄扉はゆっくりと閉まっていく。
室内を見回すと、やはり狭い個室になっていた。広さは六畳ほどだろうか。閉塞感はあるものの、この部屋にも間接照明は配されていて、座り心地のよい革張りの椅子が対面式に並んでいる。その間には、小さな丸テーブルが置かれていた。
「何か飲む?」
そう問われて、梅子の方を見遣る。梅子は、背の高い冷蔵庫の扉に触れたところだった。
「じゃあ、ジンジャーエール、あるか?」
「うん」
やや緊張していいるのか、梅子はゆっくりとした動作でグラスを二つ取り出した。ジンジャーエールとコーラの瓶を取り出して、丸テーブルの上に置く。
「注いであげるよ、お兄ちゃん」
「ああ、悪い」
僕はすっかり恐縮してしまっていた。いつもはこんな調子ではないのだが。
そうか。緊張だ。緊張が伝染してきたのだ。梅子の緊張感に、僕も酔わされてしまったらしい。
「それで、質問はこうだったよね? どうしてあたしたちに、異能の力が宿っているのか」
僕は無言で頷く。梅子はそっとコーラを口に含み、こくりと飲み込んだ。
「これは香澄ちゃん、実咲ちゃんにも共通してるんだけど……。どうやら、死ぬような目に遭った時、ごく稀に、特殊能力を発現する人間がいるんだって」
「特殊能力?」
アメコミのヒーローみたいだな。この場合はヒロインか。
「火事場の馬鹿力、って言葉があるでしょう? あれを、自在に使いこなせるようになるの。自分の好きなタイミングでね」
「その力を駆使して、お前たちは戦ってるのか?」
「そう」
それから、梅子は人間の脳の造りについて、少しばかり話をした。よく分からなかったが、人体のリミッターを外す、とか何とかそんな話だった。
「人間は、元々全力の三十パーセントしか力を発揮できないの。ずっと百パーセントで動いていたら、骨も筋肉ももたないからね。内臓にも障害が出るかもしれないし。でも、あたしたちはそれをコントロールできる」
道理であれだけ人間離れした戦闘ができたわけだ。
「じゃあ、お前の鉄拳とか、香澄の拳銃とか、実咲先輩の竹刀が光って見えるのは……?」
「うん。リミッターが外れた時に生じる副作用? みたいなもんかな」
「そうだったのか……」
取り敢えず、大方納得するには至った。だが、まだ肝心な謎が残っている。
「梅子、お前の場合はどうだったんだ? その、異能発現のきっかけになったこと、ってのは」
「事故に遭ったの」
毅然として答える梅子。
「飲酒運転の車が、あたしとお母さんが歩いてるところに突っ込んできて……。その時、たまたま交番勤務であたしたちのそばにいたお父さんが、庇ってくれたの。それでも、あたしは頭を打って、しばらく意識が戻らなかったんだけどね」
「そ、そりゃあ……」
僕は言葉を継げなかった。幼馴染で、何も隠し立てすることのない仲だと思っていた梅子。そんな彼女が、そこまでの悲運を背負っていたとは。たった今まで、知らなかった。
きっと、僕の目は右往左往していたことだろう。少なくとも、今この瞬間に梅子と目を合わせることはできなかった。
心理的にも行動的にも不器用な僕に、一体どんな慰めができたというのか?
「ごめんね、お兄ちゃん。ずっと隠してたんだ、このこと」
「そんな! お前が悪いわけじゃないだろう!」
僕は椅子から立ち上がり、つい語気を荒げてしまった。しかし梅子は、それを『まあね』という一言で受け流す。
出会った当時から、彼女に父親がいないことは知っていた。だから、彼女の家に遊びに行く時は、必ず仏壇にお焼香をしていたのだ。
しかしまさか、梅子までもが事故に巻き込まれていたなんて。
「でも、お父さんの同僚のお巡りさんたちが、あたしやお母さんをずっと助けてくれたんだ。だからあたしは空手で強くなって、誰かを守れる人間になりたいと思ったの」
僕はゆっくりと、元の椅子に腰を下ろした。
「それが、あたしがお兄ちゃんに隠してたことの全て。納得、してもらえたかな」
「……ごめんな、梅子」
そう言いながら、僕は気づいた。自分の声が掠れていることに。そして、視界が水滴で歪んでいることに。
「僕、お前がそんなに大変な目に遭ってただなんて、知らなかったから」
だからスライムと遭遇した時、戦いを彼女に任せっぱなしにしてしまった。そして、自分が矢面に立つことができなかった。
後悔の念が、腹の底から喉元までせり上がってくる。すまなかった、梅子。
「ま、まあ、昔のことだし! あたしたちは、あたしたちなりにできることをやるだけだよ! だから泣かないで、お兄ちゃん!」
「ん……」
僕は腕を上げ、乱暴に目元を擦った。
すると、控え目なノックの音が響いてきた。次は香澄ちゃんの番だね、と告げる梅子。
「ま、待ってくれ。ちょっと気持ちの整理がつかないんだ」
「ほえ?」
梅子は立ち上がりながら首を傾げた。
「一旦教室に戻る。香澄には、放課後に話を聞かせてもらうよ」
「分かった。やっぱり優しいんだね、お兄ちゃん」
「お前こそ。やっぱり強いんだな、梅子」
くすっ、と梅子が頬を緩ませる気配が伝わってきて、僕はようやく乱れた呼吸を整えることができた。
※
そして、放課後。
「たっくみ~! 今日俺部活休みなんだ! 遊園地、行ってみようぜ!」
相変わらず、呑気な調子で祐樹が声をかけてくる。全く、人の気も知らないで……。
とは思ったものの、ローゼンガールズは、こういう一般市民に被害が及ばないようにと、日夜戦っているのだ。
その端くれである僕が、祐樹の明朗さを責めるのは、お門違いだろう。
しかし、そんな葛藤はすぐさま消し飛んだ。
「おい、拓海」
祐樹の背後から、ドスの効いた声がする。その轟きに、祐樹はぴくり、と固まった。
だが、声をかけてきた人物に敵意がないことは、あまりにも明白だった。放課後に話をしようと約束していた、香澄である。
「話すぞ。ついて来な」
「了解だ」
僕は一抹の緊張感を覚えつつ、席を立つ。だがその緊張感は、梅子の時のような『真実を告げられることに対する緊張』であり、香澄本人の気性の荒さによるものではない。
はっと意識が戻った様子で、祐樹が声を上げた。
「お、おい、どういうことだよ拓海? 怖くないのか?」
「ああ。僕は別に」
大丈夫だ、と続けようとして、祐樹が竦み上がったのを目にした。
「香澄、あんまり睨んでやらないでくれよ」
すると、香澄はふん、と顔を背けた。そのままさっさと教室から出て行こうとする。
「拓海、お前、石切とどういう関係で……?」
「あー、話せる時が来たら話すよ。んじゃ」
呆然と佇む祐樹を後にして、僕は香澄の後を追った。
「なあ、どこに行くんだ? 理事長室はあっちなんじゃないか?」
「あそこは窮屈で気に食わねえ。こっちでいい」
でもこの先って、三年生教室と屋上ぐらいしかないんじゃないか?
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