第16話【第四章】
【第四章】
二日後。翌週の月曜日、昼休みのこと。
「おい、聞いたか拓海! 今度は遊園地だ!」
「んあ?」
相変わらず快活でミーハーな祐樹が、僕の机に手を着いた。同時に、今朝発売された週刊誌を僕の机に投げ出す。
幸い僕は、遊園地での負傷に伴う後遺症もなく、いつも通り登校していた。とは言え、流石にこうも戦いに連続で巻き込まれていては、気が滅入ってくるというものである。
「見ろよ! これ、北町にあるボロい遊園地の写真だろ? 拳銃が写ってるぜ!」
『あーはいはい、よかったね』とでも告げて突っぱねてやりたい。だが、祐樹とて悪気があってこんな話をしているわけではないのだ。付き合ってやるべきだろうか。
でもなあ、麻酔銃でとはいえ、自分が撃たれたことは思い出したくないし。結局僕は、机に突っ伏するくらいしか動きようがなかった。
「おい拓海、最近ノリが悪いぞ? それが親友に対する態度か!」
「ああもう!」
僕の頭をぐりぐりやってくる祐樹を前に、思わず声を荒げようとした、その時だった。
「あの、拓海くん?」
その声に、僕はがばっ! と顔を上げた。
「玲菜さん!」
「うわっ!」
あまりの僕の勢いに、祐樹が身を反らすが知ったこっちゃない。ここでの玲菜の登場は、疲弊した僕には砂漠のオアシスのようなものである。祐樹には悪いが、今は無視させてもらおう。
「ど、どうしたんだい、玲菜さん!」
自分でも口調が朗らかになっていることに気づく。そんな僕を前に、玲菜はもじもじしながらこう言った。
「ちょっと、来てほしいんだけど……」
「もちろん! どこへでも行くよ!」
これには、流石の祐樹もやれやれとかぶりを振っている。玲菜が僕の意中の人であることは、彼も知っているのだ。
しかし、玲菜がいつになく落ち着かない様子であるのはどうしたわけだろう?
まさか、僕に重要なことを伝えようとしているのか? そしてそれは、第三者には悟られたくないような内容なのだろうか?
僕が椅子から立ち上がると、調子を取り戻したらしい祐樹がずいっと顔を近づけてきた。ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「ああ、玲菜さん! 悪かったね、拓海を独占しちゃって! さ、行ってこいよ、拓海!」
「いたっ!」
バシン、と背を叩かれる。全く、とんだ悪友を持ってしまった。しかし僕は、意外にも苛立ちを覚えはしなかった。
当然だ。何せ、あのいつも大人しい、小原玲菜ともあろう可憐な少女が、自分から声をかけてきたのである。只事ではあるまい。
「じゃ、じゃあ、私についてきて」
そう言って、ゆっくりと背を向ける玲菜。もしかして、ローゼンガールズにおける僕の活躍を見て、特別な感情を抱いてくれたのだろうか?
考えてみれば、何の見返りもなく、スライムやら鳩の群れやらを相手に命を張っていいはずがない。僕の負傷と心痛は、癒されるべきなのだ。
僕は飽くまでもジェントルな雰囲気を壊さないよう、ゆっくりと立ち上がり、胸を張って玲菜の後に続いた。
さて、どこに連れて行ってくれるのかな?
※
結論から言おう。僕の期待は裏切られた。
何も玲菜が悪いわけではない。だが、恋愛系フラグと思われた彼女からの呼び出しは、理事長室での作戦会議に過ぎなかった。
味気ない鉄扉を、玲菜と共に通過する。そこにいたのは、理事長である猪瀬と、いつものローゼンガールズ戦闘員三名だった。
いつもの面子が揃ってはいる。だが、室内の雰囲気は落ち着かない。特に、梅子と香澄の周囲。
梅子は、いつものように『お疲れ、お兄ちゃん!』などと声をかけてはくれない。僕の顔と自分の足元の間で、視線をさまよわせている。あ、別にお兄ちゃん呼ばわりされたいわけじゃないぞ。
また、香澄は逆にいつも通り、僕を睨みつけてくる。周囲の空気をギスギス言わせるのが香澄のいつもの態度なのだが、今日は一段と苛立っている様子だ。
そんな二人からやや離れた、理事長の事務机の上では、これはこれで緊張感が漂っている。実咲と猪瀬が机を挟んで、難しい顔を向け合っているのだ。
「あ、あのー、実咲先輩、それに理事長。何をしてるんですか?」
「見れば分かるだろう、拓海くん」
いや分からねえよ、と僕は理事長にツッコみたくなった。
「いえ、どうしてそんなに緊張なさって――」
「やった! 我輩の勝ち! 三連勝~!」
「ぐっ! 理事長たる私が、生徒会長とはいえ我が校の生徒に連敗を喫するとは!」
ようやく僕は状況を理解した。実咲と猪瀬は、二人でババ抜きをしていたらしい。
しかし、どうしてまたそんな味気ないことを?
そんな疑問が僕の顔に出たのだろう。実咲がこちらに振り返り、ソファに座るようにと手で促した。
僕は梅子、香澄と向かい合うように座り、その隣に実咲が腰を下ろす。玲菜は猪瀬のそばで、従者のように控えた。
「いやはや、我輩もトランプはできるだけ多人数でやろうと提案したのだが、後輩二人が乗ってきてくれなくてな」
「そ、そうなんですか」
どうしたんだ? と尋ねる意味合いで、僕はまず梅子に焦点を合わせる。すると、
「お兄ちゃんは香澄ちゃんと仲良く遊園地に行ってたんでしょ? あたしとじゃなくて!」
と言って、梅子は腕を組んだ。
「任務だったんだ、仕方ないだろ?」
「じゃあ教室で、玲菜に鼻の下伸ばしてたのはどういうわけだ? えぇ?」
別方向に追及してきたのは香澄である。
「だっ、誰が鼻の下なんて!」
「はいはい、そのくらいにしておけ、二人共! 我々の任務はまだ完遂されたわけではないんだぞ! 作戦会議を始める!」
掌を打ち鳴らしながら、実咲が声を上げた。口調は穏やかだが、何らかの意図を感じる。
僕がそっと実咲の方を見遣ると、彼女はアイコンタクトでこう告げた。
(貸し一つだぞ、拓海!)
(ちょっと先輩! 卑怯ですよ!)
(ケチケチするな、アイス奢ってくれたらチャラにする)
どうやってそこまで悟ったのかは不明だが、取り敢えず僕は実咲の言わんとするところを理解した。はあ、と露骨にため息をつく。
「それでは、私から最新情報をお伝えします」
場が静まったのを見計らい、玲菜が語り出した。
「一昨日、拓海くんと香澄さんが確保した男性被疑者が、三つ目の電波妨害装置の場所を開示しました」
するとこの前同様に、ソファに挟まれた机がディスプレイになり、地図を表示した。
今日は市街地からやや南の方をアップで映している。工場地跡か。
「最も秘匿性の高い場所は、ちょうどここになります」
玲菜が手にしたパッド型の端末を操作すると、地図上に赤い点が一つ表示された。
「薬品工場跡です。この地下にある研究棟に、妨害装置があるものと推定されます。問題は、事態は急を要するということです」
「どういうこと?」
梅子が顔を上げる。玲菜は僅かに間を置いて、こう言った。
「敵は有毒ガスを使ってくる恐れがあります」
部屋の空気がピシリ、と音を立てて固まった。『ゆ、有毒ガス……?』という情けない声が漏れる。その発生源が自分の喉であることに気づくまで、少し時間が必要だった。
「工場跡地を利用したのは、敵ながら見事な戦略です。西の裏山と北の遊園地に仕掛けた二機ではカバーし切れない、町の南部一帯の通信を掌握するだけの強力な電波妨害装置を仕掛ける。それも、生身の人間が立ち入るには困難な場所に」
私たちが取り得る手段は二つ。そう言って、玲菜は眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「敵が有毒ガスを発生させる前に、装置を撤去する。あるいは、ガスを相殺する空気清浄機を持ち込み、それから撤去する。そのどちらかです」
「だ、だったら今すぐにでも行って、有毒ガスが出てくる前に撤去するべきじゃ……?」
僕は恐怖で声を震わせた。スライムや鳩たちとは違い、今度の敵は目に見えない。いくらなんでも不利すぎる。
「ああ、その点は心配ない」
ゆとりのある口調でそう言ったのは猪瀬だ。
「警察庁から、特殊な空気清浄機を借り受けることにした。明日の夕方には届く。それを装備して潜入すれば、毒ガスなど脅威ではないよ」
「はぁ」
僕は不安から安堵へと気分を切り替え、ソファに沈み込んだ。
「では理事長、突入は明日の夜間に?」
「それがよかろう」
淀みない実咲の言葉に、首肯する猪瀬。
「今回は我輩が行こう。梅子と香澄は休んでくれ。我々の能力も、無尽蔵に発揮できるわけではないからな。拓海、同行を頼めるか?」
「はっ、はい!」
うむ! と大きく頷く実咲。そういうキビキビをした所作を取るから、胸に目が行ってしまうのだ。何ぶんよく揺れる。
しかし、僕の頭は煩悩だけでできているわけではなかった。
「あの、もしよかったら、なんですが」
「何かね? 我輩のスリーサイズなら教えてやっても――」
「違います!」
女性陣に白い目を向けられながら、僕は否定した。
「僕が教えてほしいのは、どうして梅子や香澄や実咲先輩が、あんな戦闘スキルを身につけられたのか、ってことです! 並みの高校生にできることじゃないでしょう?」
「あー……」
僕は、前回同じ質問をした時のことを思い出した。あの嫌な汗が吹き出しそうな緊張感は、そう簡単に忘れられはしない。
だが、僕だって知りたいのだ。彼女たちがどうやって、半ば異能とも呼べる力を手にしたのか。
今日こそは、聞いておかねばなるまい。そう僕は腹を括っていた。
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