第3話

 ズズッ、と鈍い音を立てて、壁が斜めにズレた。続けて野菜を切り分けるように亀裂が入っていく。


「な……!」


 男たちは慌てて跳びすさる。それと同時に、防音・防火壁が呆気なく崩れ去った。その向こうに立っていたのは――。


「全く、我輩の庭で物騒な真似は止めてもらいたいものだな」


 ――三年四組、大河原実咲。


 自他共に認める、非の打ちどころのない生徒会長。と同時に、剣道部の主将を務め、勉学でも学年トップをひた走る生まれながらのエリート。艶のある黒い長髪をポニーテールにまとめ、右手に握った竹刀でトントンと自分の肩を叩いている。その度に、たわわな胸が揺れる。


 って、それは今はどうでもいい。

 まさか、あの竹刀でこの壁を切り分けてみせたのか? そんな馬鹿なと思いつつ、しかし、梅子や香澄の戦いっぷりをみれば一概に否定することもできないと考える。

 そして、実咲の実力はすぐに披露されることとなった。


「そこの野蛮な男共。ぶっ倒れた仲間を担いで、さっさと失せるがいい。さもなくばこの場で斬り捨てる」


 その言葉を挑発と取ったのか、男二人は銃口を実咲に向けた。


「ま、まずはてめえから死にやがれ!」


 男たちは、今度は迷わなかった。再び耳を聾する銃声が響きわたり、無数の銃弾が実咲の下へ殺到する。しかしその直前、呆れた様子で彼女が肩を竦めるのを、僕は確かに見た。

 そして、カカカカカカカン、と甲高い音が連続した。真っ赤な光を帯びた竹刀が自在に舞って、弾丸を弾いてみせたのだ。それも一発残らず、である。一体どこのジェダイだ。


 実咲は竹刀を正眼に構え、じとっとした目で男たちを睨みつけた。


「それで終わりか?」


 その余裕溢れる姿に、男の一人は何をトチ狂ったのか特攻をしかけた。銃撃しながら実咲との距離を詰めていく。


「うあああああああ!」

「ふん」


 赤い竹刀は残像を伴ってふわりと舞い、再び弾丸から実咲を守る。折れる気配もない。

 その竹刀を、実咲は軽く突き出した。その先端は見事に男の額を捉え、後方へと突き飛ばす。悲鳴を上げる間も与えられない。


「お、おい! ひいっ!」


 残る不届き者は一人。気絶した仲間を見捨てて、窓へ向かって走り出す。逃げるつもりか。


「我輩に背を向けるとは、愚かな」


 そう呟いて、実咲は槍投げの要領で竹刀を放り投げた。そして竹刀は、男の背中中央部を先端で強打した。まるで吸い込まれていくような精確さだった。男は一瞬で意識を奪われる。


 実咲は教室全体を見回しながら、ゆっくりと踏み込んできた。


「誰か怪我をした者はいないか?」


 先ほどまでの喧騒はどこへやら、二年五組は静まり返っていた。唯一聞こえてくるのは、カチャカチャという金属質な音。香澄が拳銃から弾倉を取り出し、残弾を確認しているのだ。


「こ、こえぇ……」


 僕の隣で、祐樹が震えながら声を漏らす。

 僕も同じ感想を抱いていた。幼馴染の木村梅子、クラスメイトの石切香澄、生徒会長の大河原実咲。

 三人共、見慣れた存在ではあるものの、いや、だからこそ、この戦闘を行ったことが信じられなかった。皆、常識人とは言い難い。が、それでも一応常人であると思っていたのに。これではアメコミのヒーローのようではないか。


「香澄、怪我は?」


 実咲に声を掛けられた香澄は、仏頂面のまま窓側の方を顎でしゃくった。そこには、尻餅をつく格好で梅子がへたり込んでいる。


「大丈夫か、梅子?」

「す、すみません、実咲先輩。屋上にいた連中を倒してからここに来たので、出遅れました」


 実咲は手を差し伸べ、梅子が立ち上がるのを助ける。

 って梅子の奴、『屋上にいた連中を倒してから』とか簡単に言うなよ。本当に化け物か、お前らは。


「先輩、この野郎共、どうしますか」


 抑揚のない声で香澄が問う。


「そうだな、警備員たちが来るまでに、身柄を拘束しておくか」


 そう言って、実咲はやたらと長いスカートのポケットから手錠をいくつか取り出した。その顔には、何とも嗜虐的な笑みが浮かんでいる。ドSだったのか、この人。


 窓際にいた実咲は、早速梅子と香澄が倒した男たちに手錠を掛け始めた。黙って見守る二年五組の一般生徒、及び古文の教諭。


 だが、その光景をぼんやり眺めているうちに、僕は大事なこと、否、大事な人のことを思い出した。ゆっくりと体勢を低くしながら、その机に近づく。


「小原さん、大丈夫?」


 僕はそっと、玲菜に声をかけた。玲菜はまだ恐怖感が拭い去れないのか、机の下で頭を抱えている。


「どうやら助かったみたいだ。安心して」


 自分の手柄でもないのにこんなことを言うのは、身分不相応も甚だしい。だが、そうせずにはいられなかった。どうしても声をかけてあげたかったのだ。恋は盲目とは、よく言ったものである。


 その時、僕は視界の隅に違和感を覚えた。玲菜から目を逸らすと、そこには気絶していたはずの男が一人。意識を取り戻し、拳銃を取り出そうとしていた。これは誰がどう見てもヤバい。皆が油断しているというのに。


「この女共が……!」


 今の僕に、拳銃を手にした大男に飛びかかっていくだけの度胸はない。となれば、早く三人の戦闘少女たちに危機を知らせなければ。

 でも、何て言ったらいいんだ? 


 混乱した結果、僕は百二十パーセントの知恵と勇気を振り絞って立ち上がり、窓の外を指差した。


「あーーーーーーーっ! UFOだ!」


 我ながら意味不明である。ただ、男の気を惹くことができればと思った結果だ。

突然の大声に、男ははっとして拳銃を僕に向けた。


「ッ!」


 誰か気づいてくれ! と、心の底から懇願する僕。

 しかし、戦闘少女たちのリアクションは驚くべきものだった。


「え、UFO⁉ どこどこ⁉」

「何っ! 俺もついに目撃者に……」

「ほう! これぞ未知との遭遇だな!」


 何言ってんだお前らはあああああああ!


 しかし、結局発砲はされなかった。慌てて窓際に駆け寄った際、実咲が竹刀を自分の背中側に放り投げたのだ。それは見事に、男の頭頂部を直撃。男は再び昏倒した。


「あれぇ? UFOなんて見えないよ?」

「チッ、見間違いかよ」

「誰だ、こんな嘘をついたのは!」


 落胆する梅子、苛立つ香澄、そしてがばりと振り返った実咲。

 一人突っ立っていた僕は、すぐに実咲と目が合った。


「貴様か! 注目を浴びたい若者の気持ちは分かる。だがはよくないな! 名前は?」

「はっ、はい! 平田拓海です!」


 無意識のうちに、僕はビシッ、と背筋を伸ばしていた。


「平田拓海くんか。怪しいな」

「え?」


 じーーーっ、とこちらの目を覗き込む実咲。僕は自分の頬が紅潮するのが分かった。照れているのではなく、実咲の放つ圧迫感に当てられてしまったのだ。


「梅子、香澄、早速理事長室に行くぞ。事の次第を報告しなければならん。拓海くんとやら、我々に虚偽の発言をした真意を確かめさせてもらう。ご同道願おうか」

「は……い……」


 その場で崩れ落ちそうになりながらも、僕はふらふらと廊下へ歩み出た。振り返った時、祐樹が憐憫の情を顔に浮かべているのを見て、僕は胸中で呟かざるを得なかった。


 一体僕は、何をやっているんだ?


         ※


 そう言えば、僕たち一般生徒は、職員室や校長室、理事長室といった部屋がどこにあるのか知らされていない。どうしてそこに疑問を抱かなかったのか、不思議なほどである。


 まあ、当然と言えば当然か。この国立未来創造高等学校は、日本中から選りすぐりのエリート生徒が集められている。入試時点での倍率は、およそ五十倍。入学を許可されるのは、上位二パーセントの生徒のみだ。

 その一人一人がVIP対応なのだから、教職員は言わずもがなである。テロや災害対策のため、彼らの居室が秘匿されているのは当然と言える。


 実咲を先頭に、梅子と香澄、そして僕の四人は、二階から一階へと階段を下りていく。その途中で、これまた物騒な男たちを見かけた。


 彼らの姿はよく見かける。いわゆる警備員だ。くすんだ緑色のベレー帽を被り、防弾ベストの上から黒い制服を着込んでいる。胸元には紫色のバッジを付けており、それが本校所属の人間であることを示していた。


 紫色というのは、この学校のトレードマークにあしらわれている色だ。古代日本で、身分の高い人々の衣装が紫色だったことに由来しているという。


 彼らには警察を上回る権限が与えられているらしく、一人一人が拳銃を携行している。そんな彼らが、簡単にテロリストに打ち倒されたのは考えにくい。負傷者の姿も見受けられない。一体何があったのだろう?


 やがて僕たちは、一階の最奥部、厳めしい鉄扉の前で立ち止まった。


「大河原実咲、入ります」


 実咲がそう言うと、


《声紋認証完了、網膜認証に移ります》


 とのアナウンス。実咲は軽く腰を折って、鉄扉の横の壁面に顔を近づけた。


《網膜認証完了、入室を許可します》


 すると、鉄扉がガシャン、と重苦しい音を立てて開錠された。向こう側へと開いていく。


「さあ、行くぞ皆の衆」


 実咲に促され、僕たちは薄暗い廊下へと足を踏み入れた。

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