第2話

 ズタタタタタタタッ!


 空を斬る突然の轟音に、僕たちは思わず耳を塞いだ。チリチリという金属質な音が続く。


「なっ、何だ、何なんだよ⁉」


 そう声を張り上げたのは、僕の数少ない友人、久米祐樹である。ワックスで刺々しく固めた髪を押さえながら、のけ反るようにして叫ぶ。


「黙れ! 全員静かにしろ! 動くんじゃねえ!」


 僕、平田拓海は、久米の隣席でうずくまった。といっても、それは咄嗟に取った行動である。決して僕が冷静だったわけではない。教室のほぼ中央でのことだ。


「なあ拓海、これって何が起こって――」

「知らないよ!」


 小声で言い返す。今の轟音は、どうやら教室前方の出入り口からしたようだ。僕だって、何が起こっているのかは気になっている。確かめなければ。そっと顔を上げる。そして、ぎょっとした。


 教室前方から乗り込んできたのは、目出し帽を被った大男だった。数は三人。その手には、なんと自動小銃が握られている。あれが火を噴き、轟音を響かせたのだ。チリチリという金属音は、薬莢の落ちる音だったか。


 視線を動かすと、授業を担当していた古文の教諭は、腰を抜かしていた。ガタガタ震えているのが、ここからでも見える。頼りにできない。


「こ、この学校って、セキュリティ万全じゃなかったのかよ……」


 情けない声を上げる祐樹。

 すると、男三人はさっと身を屈めた。何事かと目を反対側、校庭に面した窓の方へと向ける。

 そこには、新たな人影が降ってくるところだった。腰にロープを巻いた男たち。恐らくは、屋上からロープで降下してきたのだろう。こちらも数は三人。彼らも同型の自動小銃を手にしており、こちらに狙いを定めている。


「全員伏せやがれ! 死にてえのか!」


 先に乗り込んできていた男の一人が叫ぶ。僕が慌てて机の下に身体を捻じ込むと、窓側から銃声が轟いた。流石に防弾ではなかったのか、窓ガラスが撃ち破られていく。

 頭を抱えながらそちらを見遣ると、三人の男たちは巧みに身体の重心を動かし、教室に飛び込んできた。


「目標地点、制圧」

「制圧確認」


 男たちは立ち上がり、自動小銃を構え直しながら声を掛け合う。あたかも軍人のようだ。

 それから一転、リーダーと思しき男が再び声を荒げた。


「てめえらは人質だ! 下手に怪我をさせたくはねえ! このままじっとしてろ!」


 それを聞いた時には、祐樹はお経らしきものを唱えていた。南無阿弥陀仏を繰り返す。

 だが、彼に注目しているだけの余裕は一瞬で吹っ飛んだ。


「小原……」


 思わず、僕は彼女の名前を口にしていた。

 小原玲菜。僕のクラスメイトで、恥ずかしながら片思いの相手でもある。彼女は机の下で膝を抱え、眼鏡の向こうで涙を流している。


 僕は自分の無力さを恥じた。

 せめて彼女だけでも救われてほしい。だが、この窮状をひっくり返すだけの力が、僕にはない。『平凡な日々』を渇望する僕のような人間には無理な相談だ。


 僕に戦うだけの力があれば。だが、こんな連中を相手に戦うとなれば、過酷な訓練を受けなければならないだろう。無論、そんな経験は僕にはない。やっぱり無理だ。僕の存在など、その程度なのだ。


「よーし、そのまま静かにしてろよ」


 男たちは机の間を闊歩し始めた。一歩進むごとに、硬質な足音がする。

 無駄なく僕たちの動きを監視し、反抗心を押さえつける男たち。しかし、身代金を請求する気配はない。集団誘拐でもするつもりなのだろうか。


 そんな考えを巡らせている最中。窓の外に、するっともう一本のロープが下りてきた。

 男たちの仲間が下りてくるつもりなのだろうか。『これ以上緊張感を高めるようなことは、どうか止めていただきたい』などと具申できるはずもなく、僕は再び玲菜の方に目を遣ってから、顔を膝の間に挟み込んだ。


 しかし、僕はすぐに顔を上げることになった。聞き慣れた幼馴染の声が、耳に飛び込んできたからだ。


「はあああああああっ!」


 窓から乱入してきたのは、男たちとは比較にならない小柄な体躯の女子だった。


 ――一年三組、木村梅子。


 中学生の空手の全国大会で、四位に入賞。その実績で特待生として入学を果たした、体育会系女子である。


 梅子は短めのツインテールを振り回し、果敢に窓際の男たちに殴り掛かっていく。その姿だけでも気迫溢れるものだったが、彼女が手に装備しているものを見て、僕は思わず息を飲んだ。


 梅子は、いわゆるメリケンサックというものを装備していたのだ。指にはめるタイプの金属部品。無論、生身の拳で殴るよりも、遥かに大きな威力を発揮する。銀色に輝くそれは、縦横無尽に空間を切り裂いた。


 まさか背後から攻め込まれるとは思わなかったのだろう。窓際の男たち三人は、大きく体勢を崩した。もちろんこれは梅子の計算通りだったはず。奇襲の初歩である。

 驚くべきは、彼女の拳が有する破壊力だった。


 小回りの利かない自動小銃を振り回し、梅子の接近を拒む男たち。だが、そんなもので梅子は怯まない。

 タン、と床を蹴り、低姿勢でダッシュ。振り回される自動小銃の打撃を回避。斜め下から一人目の男の顎に掌底を打ち込む。掌底とは、文字通り掌で行う殴打だ。

 見事に顎に掌底をくらった男は、気を失って体勢を崩した。


「ふっ!」


 梅子は止まらない。倒れかかってきた男の首に抱き着くようにして跳躍、そのまま捻り倒す。勢いを殺さずに、その背後にいた二人目の男の横面に回し蹴り。しかし、これは男の腕にガードされた。


 無理に攻め続けることはせず、梅子は一旦距離を取った。慌てて退き下がる生徒たち。

 男はすぐさま拳銃を抜き、梅子に向ける。だが、梅子はすぐさま目標を変更、未だ自動小銃を捨てられないでいた男に向かってダッシュ。


「歯ぁ食いしばれえええええええ!」


 一瞬で距離を詰められ、動揺した男の頬に、容赦なくメリケンサックが叩き込まれる。

 あの勢いでは殴殺されてしまうのではないか。と思ったが、僅かに鮮血が舞っただけで、男は呆気なく昏倒した。一瞬、メリケンサックに青白い光が宿ったように見えたが、気のせいだろうか?


 残る敵性勢力は三人。窓際に一人、廊下側に三人。しかし、廊下側にいる連中は、誤射を恐れて銃撃できないでいる。

 それを見越してか、梅子は先ほど仕留めそこなった男に再度突進する。男は拳銃すらも捨て、白兵戦の構えだ。ボクシングでもやっているのだろうか。そんな雰囲気。


 今度は明らかだった。ぶわり、と青白い光が、梅子のメリケンサックから立ち昇ったのだ。

 アッパー気味のその拳を、男は半身を引いて回避。梅子は足払いをかけ、男の体勢を崩そうとするが、男は呆気なくバックステップで再び回避。


 マズい。距離を取られた。瞬発力は梅子に分があるかもしれないが、リーチは大の男に敵うはずもない。予想通り、男はハイキックを繰り出し、梅子の顎を下から狙った。

 両腕を交差させてガードする梅子。だが、男は強引に足を突き出し、梅子を弾き飛ばした。


「ぐあ!」


 したたかに背中を床に打ちつける梅子を前に、男は予備の拳銃を抜いて狙いを定める。次の瞬間、目の覚めるような銃声が響き渡った。


 再び僅かな鮮血が舞い、倒れ込んだ。男の方が、だ。

 同時に、何者かが僕のそばで立ち上がる気配。


「ガキは下がってな。俺に任せろ」


 そんなドスの効いた声が、僕の頭上から梅子に向けて発せられた。


 ――二年五組、石切香澄。


 僕や祐樹のクラスメイト。頭脳明晰でありながら、運動部から助っ人として呼ばれることの絶えない文武両道系女子。一人称は『俺』であり、髪型もベリーショートなので、かなりボーイッシュな印象を与える。

 しかし今重要なのは、彼女が手にしているものだった。黒光りする拳銃である。


 よく見れば、拳銃が黄色い光を帯びている。ちょうど、梅子のメリケンサックが青い光を上げていたのと同じように。


「石切先輩……」

「黙ってろ、梅子。後は俺に任せな」


 言うが早いか、香澄は空を斬るような勢いで振り返った。残る男たちは三人。壁際に並んでいる。その中央、リーダー格の男に向かって発砲する。胸に二発、頭に一発。

 見事な軍隊式の撃ち方に、堪らず男は崩れ落ちた。激痛によってか、呻き声を上げている。命に別状はないようだ。


 しかし、先にリーダーを仕留めてしまったのがマズかった。残る二人が恐慌状態に陥ったのである。


「なっ、なんなんだこの女共は⁉ こんな連中がいるなんて、聞いてねえぞ!」

「お、俺もだ! ええい、くたばりやがれ!」


 ジャキリ、と自動小銃を構える二人。このまま乱射されたら、クラスメイトたちに被害が及ぶ可能性が高い。香澄も慌てて拳銃を構え直すが、どちらの男を狙ったらいいのか決められないでいる。


「死ねえ!」


 二人の男が滅茶苦茶に銃口を向け、引き金に指を掛けようとした、次の瞬間だった。

 男たちの背後で、ピン、と空気が張り詰めた。


「な、何だ?」


 ただならぬ空気感に、はっと振り返るクラスメイトたち。

 次の瞬間だった。廊下側の壁に亀裂が入ったのは。

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