50 社畜は友人に「転職」を勧められる…
「それで、リモートで会議してたんだけど、あのクライアントさんってジョーク通じる人だろ? だからうちの会社のメンバー5人でそれぞれ顔とか手足だけを出して『封印されしエクゾディア!』ってやったんだよ」
「どうなったの」
「『封印から解き放つので、御社は来週から参加しなくていいです』って」
「ダメじゃんそれ」
それから数日後、大智は高田と飲みに来ていた。場所は赤坂見附駅から徒歩3分くらいのところにある『まめ多』という小料理屋だ。ランチ単価の高い赤坂近辺において、1000円で魚のランチを食べられることで人気のお店であり、夜になると和の割烹料理を味わうことができる、なかなか良いお店である。
店を指定したのは高田だった。ちゃんこ屋といい割烹といい、彼はどうも健康にいい食事が好きらしく、今も煮込み大根をハフハフと食べている。リモート会議でクライアント相手にエクゾディアをする人間とは思えない感じだ……いや、食の好みと社会常識はあんまり関係ないか。
でも、今はそんなことはどうでもいい。店に来てから30分、高田のトークが一旦小休止したのを見計らって大智は切り出す。
「高田」
「なんだよ、だいだい」
「話があるんだ」
「ははん。そうだと思ったぜ。まあ、俺にかかっちゃそんなこと予想するのは簡単……」
「いやいや、おごりでメシに誘ってるんだから普通にわかるはずだ、わかってなかったら困る。無銭飲食をお前にさせたいワケじゃないぞ?」
「あ、ふーん……そう……」
「ちょっと悲しんでんなよ……」
思わず少し呆れてしまった。
「で、どんな要件だ?」
「うん。えっと」
「どうせあれだろ。また葉豆ちゃんとのことでノロケとかだろ」
「あー、前はそうだったもんな」
「初体験を迎えるに当たって気をつけるべきことを教えてください、とかだろ」
「しょ、初体験って! お前、人の彼女を……」
「ちげーよ、初体験はお前のほう」
「はーん、俺か……ってさすがにならねえよ。一応経験者だ」
「ど、どど童貞じゃねーの?」
「さっきからちょっと笑いのツボが古いぞ。あとそれ、『童貞じゃねーし』って言い張るから意味があるワケで……いや今はそんな話はいい」
ここにくるまで、正直なところ大智は内心緊張していた。が、高田がいつにも増してしょうもないことを言うので(その内容は低俗極まりないものだが)、少し気が楽になった。
と、そこで大智は高田がこちらをじっと見ていることに気づく。頬杖をついて、どこかしたり顔だ。心のなかを見透かしたかのように笑っている。
「なんかあるんだろ。話してみろよ」
こちらの気分を楽にするために、あえて道化になってくれていたらしい。
「……実はさ」
そして、大智は山岸とのことを話した。高田は至極真面目な態度で、しかし葉豆とのことを話したときとは違ってずっと酒を飲みながら聞き続けた。
「なるほどな」
話が一通り終えると、高田はハイボールを豪快にあおる。とりあえずの生を終え、2杯目も終え、3杯目からハイボールに変わっていた。気のせいか、顔もほんのり赤くなっている。
「だいだいってなんて言うか……ほんとにかわいそうなやつだな」
「なんだよそれ。真面目に話したのに憐れむとか」
「違うよ。そういう意味じゃなくて、自分の力量がわかってないのがかわいそうって言うか」
「力量?」
「なあ、だいだい……お前、ちょっくら転職してみたらどうだ?」
「転職……えっ」
「いや、だってそうなるだろ」
大智は思わず聞き返すが、高田は意外と冷静な口調で続ける。
「あのクソ上司についていっていいことあるワケないし、というかあいつが経営者でやってけるとも思わないし、かと言って会社に残るのも気まずい。じゃあ、転職するしかないじゃないか」
「……」
「さっさと次の会社決めちまえば、返事が遅くなった理由にもなるだろ。『転職活動してて、言い出せませんでした』って言えば、あのクソ上司も納得するさ」
高田は至極当然のように語った。が、大智にとってはまさに目からうろこだった。山岸について行くか、山岸との関係性が悪化するのを受け入れて会社に残るかの二択しかないと、なぜか思い込んでいたのだ。
「それに正直、山岸との間になんかあるんだろーなーとは思ってたんだ。ほら、ランチのときにお前誘われてただろ?」
「ああ」
「山岸って最近、だいだいを昼飯に誘うことなかったからさ。まあ、まさかそんな意味不明な誘われ方してたとは思わなかったけど」
なるほど、高田はお見通しだったらしい。だからこそ、大智の話を聞いても動揺しなかったのだろう。
「でも……転職って、そんなにうまくいくのかな」
しかし、大智としては高田に反論せざるを得なかった。
「どうしてそう思う?」
「だって俺、社会人歴まだ5年目だし」
「十分だろ。新卒入社から最低3年はいろって言うけど、クリアしてるワケだし」
「学歴だってべつに高くないし」
「中途入社は学歴より実績だろ」
「目立った実績だってない」
「よく言うよ。お前、うちの会社の若手エース筆頭格じゃないか」
「若手エース……? いやいや、そんな冗談」
「冗談じゃねーよ。みんなそう思ってる」
高田は真面目な表情だった。
「同世代の誰よりもたくさん仕事こなしてるうえに、うちのチーム含めいろんなとこの助っ人に入ってるじゃないか。お前、周りからなんて言われてるか知ってるか?」
「いや」
「『さすらいのトラブルバスター』って言われてるんだぞ。あちこちのプロジェクトに参加して、ややこしい問題を解決して去ってくから」
「……なにそれ、クソダサいじゃん。二つ名ってもっと格好いいもんじゃない?」
「でも、仕方ない。だって流行らせたの俺だから」
「おい」
自分の知らないところで変な二つ名を高田が流行らせていたことにツッコミつつも、大智は自分がそんなふうに見られていることに驚いていた。
たしかに、自分は山岸のせいで多くの仕事を抱え込んでたし、流されやすい性格の結果、あちこちのプロジェクトに助っ人的に参加していたのも事実だった。
が、まさかエース筆頭格として見られているとは……。
「……てっきり、高田は会社に残れって言うのかと」
「なんで」
「だって山岸さんのこと嫌いだし」
「そんな理由で言うワケないだろ。俺は子供か」
「精神年齢は子供だろ」
「そりゃ人間的には大嫌いだし、あわよくばだいだいを自分のチームに引き入れたいって思ったのは嘘じゃないよ」
「うん」
「でも、やっぱお前はうちみたいな会社にいるような人間じゃないと思うんだ」
「……」
「たしかに、現時点では俺のほうがお前より役職は上だ。でも、それは立ち回り方が少しうまかっただけで、べつに仕事ができたワケじゃない。ひとりのプレイヤーとしては、お前のほうがずっと優秀だと俺は思ってるし、もっといい会社で働くべき人間だと思うぜ」
高田の言葉には、自虐や嫉妬のような雰囲気は少しもしなかった。ただ、純粋に友のことを考え、踏み込んで提言しているのが伝わってくる、そんな口調だった。だからこそ、大智の胸に、深く深く染みていった。目の前にある煮込み大根を口に運ぶと、程よい温度が身体を内側から温かくしていった。
「やってみろよ。ワンチャン、すっげえ大企業行けるかもよ?」
「ありがとう……わかった。そうしてみる」
大智は静かにうなずいた。その反応を見て、高田もまた静かにうなずいた。笑顔だったが、気のせいか、大智には少しさみしそうにも思えた。
○○○
「大智さん、もしかしてお酒飲みました?」
その週末。顔のマッサージを受けているとき、大智は葉豆に質問を投げかけられた。仰向けの体勢で、顔に薄いタオルが敷かれたまま、目の周囲や頭部を葉豆は優しく、ときに力を込めてマッサージしてくれていた。
彼女によると、男性がハゲやすい一因は女性に比べて頭皮を刺激しないからだと言う。たしかに、女性は髪をとかすときや乾かすとき、ストレートアイロンをかけるときなどに、自然と頭皮を刺激している気がする。そう考えると、葉豆の頭皮マッサージはハゲ防止にも役立っているのかもしれない。女子高生の彼女ができるとハゲになりにくい。世の中にはそんな謎の方程式があるのかもしれない。
なんてどうでもいいことはさておき、返答する。
「え……どうしてそう思うの?」
「体が少しむくんでるからです。むくみって色んな理由があると言われてまして、立ちすぎ、座りすぎ、運動不足、まあそういう理由でむくむんですけど、大智さんの場合、お酒を飲んだあとに顔が少しむくむ感じなんです」
「へえ、さすが」
「当然です! 私は大智さんのカノジョですので!!」
大智としては、さすが整体師という意味で言ったつもりだったが、葉豆は違う感じで解釈したようだった。まあ、そうだと捉えられてもおかしくはない流れだったが。
「高田と飲みに行ったんだよ。会社で仲のいい」
「ああ、たまにお話伺う方ですね!!」
「うん。昼もいつも一緒だから、今週は6回一緒に飯食った感じかな??」
「うわあ、それはすごい……ふふっ、仲良しなんですね!!」
「まあ、それは否定できないかな」
「……仲良しなんですね」
「なんでちょっと嫉妬してるの。相手アラサーのオッサンだよ?」
「ふふっ、冗談です! 私、いつかお会いしてみたいです!」
「え……いやー、それはちょっとやめといたほうが」
そんなふうに話した大智だったが、肝心の転職話については葉豆には話しておらず、また話していないことに、彼自身気づいていなかった。
そして、そんな小さな出来事がのちのち、葉豆の不安をふくらませる一因になることにも、もちろん気づいていなかったのだった。
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5日ほどお休みさせてもらってました。楽しみにしてくださってた方はごめんなさい。一応この先は毎日更新に戻る予定です。
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