37 社畜は上司に誘われる…2
「大久保入らないか、ウチの会社に」
山岸がそう言った瞬間、大智は自分の心臓が止まるかと思った。
「やっぱ起業するとしても、全部自分ひとりでできるワケじゃないだろ? いくら俺の人脈が広いとは言っても、弱い業界もある。その点、お前は俺が担当してないクライアントも持ってるワケだし、もしお前がウチの会社に来れば今の仕事をそっくりそのまま奪えるかもしれない」
「……」
「でも一緒に仕事するなら有能なヤツじゃないと嫌だからさ。その点、お前は俺が育てただけあって仕事がまあまあできるし。まあ、今でやっと及第点って感じだし、2年前とかならぶっちゃけ誘うなんてありえなかっただろうけどよ、引き取ってやってもいいかなって」
彼なりの愛情の裏返しなのか、山岸はいつも以上に大智をdisっていた。そして照れなのか、大智の顔を見ずにそんなことを言う。結果、絶望に満ちた表情を見られず、なんとか表情を元に戻すと、大智はこう尋ねる。
「さっきおっしゃってた、自分が『大抵の仕事はひとりでできるようになった』っての、あれって一緒に連れていけるって意味だったんですか?」
「あ、そうだけど? 逆にそれ以外にどんな意味があるんだ?」
「いえ、その……なんでもないです」
大智としては、てっきり『大智がひとりで仕事をできるようになったから、山岸も会社を離れられる』という意味なのだと思ってた。が、実際はもっと利己的な理由だったようだ。
そして、山岸はさらに、大智にとって嬉しくない情報を付け加える。
「まあでも正直さ、俺もひとりで会社をやる勇気ってないんだよ。楽しくもなさそうだし……だから、こういうのはどうかなって。『お前と一緒なら退社、そうでなければ辞めない』っての」
さらなる衝撃が大智を襲った。これは、行くも地獄、行かぬも地獄のパターンだ。
もし山岸の提案を受け入れて一緒に起業しても、上下関係が今後も続くのは想像に難くない。山岸の尻拭いや責任転嫁もあるだろうし、ゼロから会社を立ち上げる以上、大きなリスクがついてくる。今より収入が下がることはあっても、増える可能性はまずないだろう。
だけど、行かぬのパターンもまた地獄だ。山岸は今でこそこんな感じで、気楽に決めていいよという雰囲気を醸し出しているが、一世一代の提案の最中ゆえに態度が柔和になっているだけだ。もしここで断ってふたり仲良く会社に残れば、雰囲気は確実に今より悪くなるのは間違いないし、大智からすれば「てかそもそもなんだよその二択! 同じ大学に行きたいカップルみたいな話だな!」という話だ。
しかし、そんな大智の気持ちには気づかず、高田はこう続ける。
「俺、なんか社員みんな仲良い会社に憧れがあってさ。今みたいな規模感だと難しいけど、20人くらいまでならできると思うんだよ、家族みたいな会社。平日は一緒に仕事して、土日はみんなでバーベキューとかキャンプに行って……そういうの、なんかいいだろ?」
いつもなら笑顔で「はい、間違いないっす!」などと答える大智だが、今日は引きつった笑顔をコクコクさせるのが限界だった。
大智は思う。この人はべつに好きでパワハラやってるワケじゃないんだ。ただ精神的に子供で、オトナじゃなくて、周りのことも自分のことも見えてないだけなんだ。だからこそ、結果的に周囲の人をボロボロにさせるんだ……と。そう思ってしまうほど、山岸の笑顔に邪気はなく、無邪気な暴力性が引き立っていた。
「で、どうだろう。前向きに考えてくれるよな?」
山岸は問う。大智は気づく。早速、語尾の圧が変化していることに。自分が本音を出さずにいたことを安堵しつつ、精一杯の笑顔でこう続けた。
「山岸さん、マジでありがとうございます! そこで俺のこと思い出してくださるの、マジで感謝です」
「いやいや」
「……はい、そうですね。すげえ嬉しいお話なんですけど、でも簡単に決断が出せる話でもないんで。前向きに考えるので、時間もらえると嬉しいです!!」
大智がそう述べると、満足げに山岸はうなずいた。
「よろしく頼むわ」
そして、そう述べた。
その後、話は全然関係のない方向へ移った。山岸の話に愛想笑いしつつ、実のところ、どんな話も頭に入ってきていなかった。
○○○
帰りの電車。大智は運良く空席を発見し、そこにどかっと腰を下ろした。
ここ最近、葉豆にオススメされるがまま、電車の中ではつま先立ち運動をして足の血流をアップさせていた大智だったが、さすがにこの日ばかりはそんな意欲も沸かなかった。
(高田は……絶対独立には反対するよな)
ルックスも価値観も今風の高田は、昭和の生き残り的な存在である、山岸のことが大嫌いだ。山岸のほうが年上で、親会社からの出向であることもあって、表立って何か言うことこそないものの、大智の前ではその毒舌を控えないし、自分が最年少でチームリーダーになった際も、実は大智を引き入れようと動いてくれていた。
結果的にそれは頓挫してしまったものの、そんな彼にとって、大智が山岸と一緒に会社を立ち上げるなんてことは、絶対にあり得ない、許せないことに違いない。
(でも……山岸さんとの関係が悪くなるのも嫌なんだよな)
これは大智の性格的な要因が大きく、きっと高田に話しても一切理解されないところだろうが、大智自身は、山岸に対してそれなりに感謝の気持ちを持っていた。
仕事を教わったこともないが、怒鳴られる中でなにが不正解かを学んだのは事実だったし、最初からキャパを超える仕事量を任せられたことで、結果的に人並み以上の仕事をこなせるようになった……などと考えているからだ。
だから、山岸の提案を断ることで、気まずくなったり、変な揉め方をするのも嫌だった。せっかく何年もかけて、快適ではないものの、普通に過ごせるレベルの関係性を作ったというのもある。
(あの人、地獄の提案してくんだな……ナチュラルボーンハラスメントかよ)
生まれ持ってのハラスメント。生まれ持っての害悪。生まれ持っての問題源。
進んでも地獄、とどまっても別の種類の地獄……山岸の提案は、大智にとってはシンプルに巻き込み事故のようなモノでしかなかった。
そんなことを考えているうちに、三軒茶屋駅に到着する。電車を降り、階段を出て、改札を出て、さらに階段をのぼる。地上の空気は、思ったほど快適ではなく、湿り気を帯びて肌にくっついてきた。
いつの間にか、季節は本格的に夏になっていたらしい。拭い取りたい気持ちになり、ジャケットを脱ぐが、対して涼しくはならない。ネクタイを乱暴に緩めた結果、首元が摩擦で逆に熱くなって、たまらず舌打ちが出てしまう。
「はあ……なんて気持ち悪い夜なんだ」
本音が声になって出る。それなりに大きな声だったが、近くをすれ違った人は、こちらを一切見ることなくそのまま背中の方向へと去っていった。
(山岸さん、マジで最悪だ。予想以上すぎた……ああ、マジでひとりで抱えたくない)
やるせない気持ちになり、自然とそう考える。だが、高田に話すことができない以上、会社で言える人はおらず……その瞬間、なぜかパッと葉豆の顔が浮かんだ。
「葉豆ちゃんは……いや、違うよな」
今回は仕事の、それもかなり込み入った話だ。会社という、学校とはまた違った特殊な世界での人間関係の話だから、話しても通じない可能性が高いだろう。
「違う……って言うか、ダメなんだろうな」
そこまで思ったあとで、大智は考える。通じなかったとして、自分は嫌だろうかと。答えはすぐに出る。もちろん嬉しいワケではないが、決して嫌ではない。でも、もし通じないことを葉豆が嫌と感じるなら……それは嫌だと、はっきり言える。
そして、彼女自身が今、進路で揺れているワケで、支えになるべき自分がこんなことを打ち明けるのは違うだろう……と思ってしまう。オトナの性がそうさせたのもあったし、大智の性格というのもあった。
さらに今は、色んな意味で噛み合ってない、気まずい雰囲気のデートをしてしまった直後でもある。非常に些細な話だが、ふたりの間の空気には大きな影響を与えたのも事実で、そんなタイミングで、さらなるギャップを感じさせるワケにはいかない。
「話すべきじゃない……よな。やっぱり」
色んな気持ちを飲み込んで、湿り気を帯びた空気をかき分けるようにして、大智は家路を急いだ。
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