26 社畜はJKに『女』の部分を感じる…2

 大智の父親は、大人になってからゴルフ好きになったことがきっかけで、自分の夢を投影する形で息子にプロゴルファーの夢を目指させた。


 だが、いざ大智が腰を壊し、プロゴルファーの夢が叶わないモノだと気づくと、自分自身もゴルフから離れてしまった。打ちっ放し場に行くこともなく、ゴルフ雑誌を買うこともなく「これいいらしいぞ」と言ってゴルフ練習用の細いバットを買ってくることもなく、テレビ中継をつけることもなかった。


 大智としては、当初は「自分に気を遣ってくれているのか」と思っていたが、大学時代、帰省中の出来事でそうではないことに気づいた。実家のリビングで大智がゴルフ大会の中継を見ていたところ(チャンネルを回しているとかつての仲間が出ていることに気づき、そのままなんとなく観ていたのだ)、後から入ってきた父親がなにも言わずにチャンネルを変えたのだ。


 そのとき、大智はすでに就職活動中で、高校時代のことは過去として消化できていた。だからこそゴルフ大会のテレビ中継なんてものを観ていたのだが、父親はとても嫌そうな顔でチャンネルを変えた。


 もし、夢破れて傷心した大智を気遣うためにゴルフ関連の話題を出さなくなっただけだったなら、チャンネルを嫌そうな顔で変える必要などないワケで……つまり、父親は「自分が息子の夢を壊した」という現実から、目を背けたかっただけなのだ。


 当然、大智的にはその事実は悲しいモノだった。愛情とは気遣いだと思っていた行動がそうではなかったと気づくのだから当然だ。


 そして、同時に「そんな軽く済むと思うのか」とも思った。少なくとも大智は高校卒業までの10代をすべてスポーツに捧げていたし、最終的には自分が選んだ道ではあったものの、その道を用意したのは他でもない父親だったからだ。


 にも関わらず、過去から目を逸らすというのは、大智にとって自分を否定されたようにしか思えなかったし、同時に父親が責任から逃れているような気もした。


「でもね、そういうのがあったからこそ思うようになったんだ。結局、自分の人生に責任を持てるのは自分だけってこと」

「……」


 大智が昔話を終えても、葉豆は真剣な表情で聞き続けていた。


「親でも責任取れないんだから、先生が責任取れるワケもない。俺はそう思う」

「じゃあ、先生の言うことなんか……」


 そう言いかける葉豆を手で静止し、大智はこう続けた。


「でも、先生の言うこともある面では正しいと思う。実際、もし俺がプロゴルファーになれてたとして、正直ちゃんと稼げてるかわからないから」

「はい……」

「厳しい世界だし、今みたいな社畜だったほうが安定してたかもしれない。社畜だし、安定って言っても文字通りに『安く定まってる』って感じだけどね」

「安く定まってる。うまいこと言いますね。ふふっ」

「だから、大事なのは葉豆ちゃんの気持ちなんじゃないかなって」

「私の気持ち……ですか」


 うなずきつつ、大智はなるだけ静かに、言い聞かせるように続けた。


「それで……これはあくまで予想と言うか、もし俺が誰かになにかを相談するとしたらその可能性が高いってだけなんだけど……葉豆ちゃん、本当はもう、どうしたいのか決まってるんじゃないかな?」

「……」

「どうしたいか決まったうえで、それでも決心がつかなくて、自分の考えは間違ってないって確かめたくて、それで聞いてるんじゃないかな?」

「……」


 普段、元気で明るい葉豆が、大智の言葉に沈黙した。その態度は、大智の推測が当たっていたことを示していた。


(やっぱりそうだったんだな……)


 結果、大智の胸に広がったのは「安堵」の感情であった。自分は彼女が求める答え――話はしっかり聞いてあげ、自分のこともそれなりに明かしたうえで、肝心の問いには明確には答えず、ただ彼女の背中を押してあげるという答え――を与えてあげることができたのだろう。


 つまり、問題なく彼女の相談に乗ることができたワケで、彼女も自分の気持ちに気づけて満足だろう。大人として、やってあげるべきことはこれでできたはず……。


(でも……なんだろう、この気持ち……)


 しかし、一方で大智の胸の中には、なんとも形容しがたい感情が生まれつつあった。それは「違和感」のようでもあり、また「虚しさ」のようでもあった。


(なんでだ……欲しい答えをあげられたのに、大人としての役目は無事に果たせたはずなのに、どうして虚しさを感じている……)


 そう思いつつ、大智は葉豆の横顔を見る。真剣になにかを考えているその顔はとても美しく、真っ直ぐで、青い。世界と真剣に向き合っているのが伝わってきて、眩しくて、眩しいから長く見ていられないような気持ちにもなって、実際に目を逸らしてしまって、でも一方では大人として好感を抱かないワケにもいかない……のに、虚しい気持ちは募っていくばかりだった。


 真横に彼女はいるはずなのに、ふたりの間には何枚もの膜のようなモノがあるように思え、ついさっき本心として吐いたはずの言葉たちが妙に嘘くさく、中身のないモノに思えてきて、次第に自分のことをもうひとりの自分が見ているような感覚すら生まれてきて……。


「大智さん」

「あ、はい」


 しかし、大智がそんなモヤモヤの違和感の理由を見つける前に、葉豆が口を開いた。急だったので大智は思わず不自然な返事になったワケだが……そんなことはすぐに気にならなくなった。葉豆はどこか照れくさそうな笑顔を浮かべ、半分上目遣いのようにして……つまり、大智のことを、見ていたのだ。


「大智さんって……どうしてそんなに私の気持ちがわかるんですか?」


 甘ったるい声だった。強い風が吹き、彼女の黒くて若い髪がなびく。閉じて開いた瞳の下まぶたが、閉じる前より湿ったように見えた。


「どうして、って……え?」

「ひょっとして、エスパーですか?」


 葉豆は続ける。さらに、輪をかけて甘ったるい、湿り気すら感じさせる声だった。


 その両頬は赤く染まっており、夕陽が差すまであと数時間あることを考えると、それが理由ではないことは自明である。恥ずかしげに寄せられた太腿はお互いに押し付けあって丸みを帯びており、すぼめられた肩が女性らしい身体のラインを強調し、ポニーテールのおかげであらわになった首筋は白く……。


 天真爛漫で明るい性格もあって、『女の子』としてしか見ていなかった葉豆から、急に『女』の部分を感じ、大智は言葉に詰まった。


「えっと、え、エスパーではないけど……」

「エスパーじゃないなら何なんですか?」

「強いて言えば……年上だから、かな? ははは……」

「年上だからですか……でも納得です」


 大智としては「年上だから」の言葉に、年上の人間ならそれくらいのことは言える、というニュアンスを込めたつもりだった。が、葉豆は止まらなかった。


「じつは友達にも何人か話したんですよ。でもみんな私の気持ちとかわかってくれなくて、好き勝手言うだけで、とくに男の子は全然関係ない自分の進路の話とかし始めて……」

「葉豆ちゃん……??」

「でも、大智さんは違いました。最後まで話聞いてくれるし、意見押し付けたりしないし、それに、私のことすごく考えてくれてるんだなって……」


 葉豆は、もはや今にも泣きそうな雰囲気だった。当然、大智としては完全に想定外であり、過大評価もいいところだった。


(え、これなに……え、どうし……たらいいんだ?)


 当然、大智はそう思う……のだが、たくさん話して、たくさん聞いてもらったことでスッキリしたのか、葉豆は勢いよくベンチから立ち上がると、


「長い時間、ありがとうございます!! 先生とはしっかり話し合ってみますね!!」


 そう言って、そそくさと歩き始めてしまった。


「えっと……」


 どうしていいのかわからず、大智が困惑して固まっていると、葉豆が振り向く。


「大智さん、そろそろ帰りましょう!!」

「あ、帰る……わかった」


 声から甘たっるさや湿り気はすでになくなり、アンニュイさも消え、つまりいつも通りの、すっかり元気を取り戻した葉豆にそう言われ、考える間もなく大智は駆けていく。


 当然ながら、この数時間で生まれた、いくつもの気持ちは消化されることなく、かと言って公園に置いてくることも叶わず、宙ぶらりんなままとなったのだった。

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