第20話 千堂安具楽


 「あ、あぐらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!おぞいばよぉぉぉぉぉぉぉ!」


 小雪は泣きじゃくってその男の名を呼ぶ。目には涙。鼻には鼻水。それは普通の高校生の女の子が見せてはいけない哀れな姿だった。それを木の上から二メートルくらいの大きさの大鎌の男は可哀そうなものを見る目で見下ろす。


「お、お前大丈夫か?お前がそんな風に泣くなんてよっぽどじゃねぇ?」


 緑色の外套を着た男はガラにもなく本気でビックリしていた。安具楽という男は常にチャラい。何をしてもチャラいその男がこんな風に慌てる機会なんて一年に一回あれば多いと言われてるくらいなのだが、その一回が今ここで発生しているのであった。


「ひ、ヒカリをだずけでぇぇぇぇぇぇ!」

「わかったから、わかったから落ち着けって」


 安具楽は一目見てこの戦況の大体を把握する。それを見上げたキーリングはイヴに向かって言う。


「………この場にまた千堂が増えるとは、私も運が無い。しかし、あなたは男性。イヴ。やってしまいなさい?ハイ」

「あなたも私を愛してくれませんか?さぁ、ここに降りてきて……」


「あん?寝言は寝て言えってのぉ!」

「「!!」」


 キーリングとイヴは驚愕に目を見開く。二人にとってそれは初めての事だった。今まで男性であるならばイヴのその声を聞いた者は効き目が薄いことはあっても全く影響のない者はいなかった。考えられるとすればそれは……


「あ、あなたはまさかそっち系?ハイ?」

「なわけねぇーだろうがよぉ!」


 そうこう言いあってると安具楽の後方から五人の中学生くらいの子供が木から木の枝を伝って飛んできた。手にはそれぞれ小さい鎌や斧。弓などを携えている。


「は、早すぎっすよぉ!安具楽さぁぁぁん!」

「安具楽っち。速いってぇー」


「わりぃ、わりぃ。あ、そうだ。夢幻。おめぇこの状況把握したか?」

「把握完了。意図理解」

「ならやってみろ」

「了解。任務開始」


 すると夢幻と呼ばれた紫色の刻印が頬に刻まれた黒ずくめの少年は懐からディナーベルを取り出す。ディナーベルとは西洋でよく使われている家族や客に食事の用意のできたことを知らせるあの鈴だ。そのシンプルでアンティークな鈴を夢幻はチリンチリンと鳴らす。

 その瞬間、ヒカリはその歩みを止めた。


「…………ぼ、僕は何を……」


 その音を聞くとヒカリは正気に戻る。


「!! ここはマズいっ!」


 ヒカリはとにかくイヴから素早く距離を取る。そして、茫然と佇んでいたバートンに向かって走り出す。


「!! ここはまずいかぁ!」


 バートンもヒカリに向かってこられてキーリングの元へ一旦引く。態勢を立て直す為だ。そこへキーリングが安具楽へ向かって叫ぶ。


「な、何をした!!」

「あん?おめぇのその横の女がその坊主に暗示をかけてたんだろ?それを夢幻が解除したって話じゃねぇか」

「そ、そんな簡単に解けるものかぁ!イヴの力はそんな毒のような解除は…」


 キーリングは取り乱す。口調が本来のものではなくなるほどに。しかし、安具楽はそんなこと知らねぇとばかりに言い放つ。


「いいや?毒だろう?それは声を主体とした意識の改変。身体ではなく精神をむしばむ毒だ。だったらこの毒使いの夢幻の出番だ。毒使いなら毒の解除方法なんて十八番だかんなぁ!」


 それを聞いたイヴは夢幻に向かって叫ぶ。


「あ、あなたが私の愛を邪魔したのですか!なんて外道な!」

「お前。ブーメラン。外道。お前」

「な、なんですって!!」

「安具楽。あいつ殺す。許可を」


 安具楽はうーん、と考えて夢幻に言う。


「いいぞぉ。やってしまえ!あ、絶対に殺せよぉ。だから礼儀として名乗っとけ。冥途の土産わかれのあいさつだ」

「了解」


 そう言うと夢幻と呼ばれた少年は木から地面に降り立つとうやうやしく頭を下げて名乗る。


「千の道は毒の道。"異端狩りの千堂""十の毒"千堂夢幻。これよりお前の毒をおかしつくす」


 千堂一族にとって自己紹介は別れの挨拶として有名だ。それは敵に千堂の情報をなるべく与えないためであり、敵に対しての最大限の敬意でもある。最期くらいは敵に殺す者の名前くらい教えてやろうという、千堂流のケジメ。


「じょ、女性に対して侵すなんてひどいお方ですわね。あ、あなたも男なら正々堂々戦ってみては?」

「お前。さっきから。うざい。能力の無駄。もう黙れ。そして死ね」


 イヴは夢幻に向かってなおも"祝福"を使い続ける。この力はイヴとの距離が近づくごとにその力を発揮する。しかし、夢幻はそれを無駄だといい、イヴに向けて歩き出す。


「こっちへ来い」

「!?」


 夢幻の言葉でイヴは本人の意思に関係なく、夢幻に向かって歩き出す。それはまるで操り人形のような奇怪な動きだった。それをみたキーリングは焦ったようにイブに叫ぶ。


「!! イヴ!どこへ行くのですか!!」

「わ、わからない!! 私の意思では……」


『千堂流紫式 小夜さよ直伝 音響浸食』


 それは特定の相手に声という媒体を用いて暗示をかける千堂特有の毒だ。夢幻の"奇跡"は『浸食する毒』という変幻自在の毒を操るものであり、それを技にまで昇華させたのがこの力の正体である。


ひざまずけ」

「や、やめて……」

「黙れ」

「………!?」


 もはや話すことすらできない。イヴはその容姿から、男が今の状況を見たらよりなまめめかしく思わせるものであるが、夢幻はその表情を変えない。夢幻は跪いたイヴに向かって言う。


「お前。綺麗だな」

「!!」


 イヴはこれをチャンスと思ったのか。夢幻向けて精一杯の涙を流す。古来より、女性の涙はある種の武器だ。この少年にもそれが通じた。なんだかんだ言ってもこの子も男。自分に惚れない男はいない。そう考えていた時だった。


「だから侵す。醜悪に」

「!?」


 夢幻はイヴの頭をアイアンクロ―の要領で思いっきり掴む。その瞬間。夢幻に捕まれたところからその白い肌は紫色に染まり始め、十秒ともしないうちに全身にまで広がった。


「い、イヴ………」


 キーリングとバートンはそれを黙ってみていることしかできない。今動いたらあの安具楽という男や小雪に殺される。それがわかっていたからだ。


「あ、ああ、ああああああ、ああああああああああ………」


 イヴはそのまま力なくコテっと地面に横になってしまった。イヴは全身を紫色に染めたまま絶命した。『浸食する毒』の紫色の毒。技ですらない、純粋な毒によって。


「よくやった夢幻。流石小夜の弟子だなぁ!」

「教悦至極。感謝感激雨あられ」

「お、おう、なんか上機嫌なのはよくわかったぜぃ……」


 夢幻が安具楽の木の上にジャンプで戻ると、安具楽はその夢幻の頭を撫でた。


「じゃあ、次はどいつがいくかねぇ!!」


「き、キーリング様!大司教様!お願いいたします!!」

「ば、バートン!お前が行くといい!ハイ!!」


 キーリングはバートンを押し出す。ハイの使い方それであってる?と思うヒカリだった。ヒカリは小雪に向けて話す。


「あ、あのさ。状況が呑み込めないんだけど……」

「もう大丈夫ってことよ。安具楽がいればもう安心ね。なんでここに居るのか全くわかんないけど」


 小雪は涙や鼻水をヒカリに見られまいと拭いていた。しかし、ヒカリはまだ鼻水が少し出ていることに気づいていた。でもなんか指摘したら怖いのでやめておいた。だって汚いじゃん?


「もう私達の出番はないわね。観戦しときましょう」

「う、うん。何とかなるってのならいいんだけどね……でもあの人達強いの?」

「ええ。特にあの安具楽は一の鎌ですもの。緑色最強の千堂よ。たとえあの十二人が一斉に飛び掛かったとしても勝てるくらいには強いわ」


 マジで!? 一対十二で勝てんの!?


「だから何もしなくてもいいわ。なんか見た感じ他の千堂の教育にシフトチェンジしたっぽいし」

「なんかそんな感じだね。この状況で教育ってヤバすぎだけどね……」


 木の上にいた安具楽は地表に降り立つと後ろの子供たちに向かって、正に教育しているかのように話す。


「いいかぁ!おめぇら見とけよぉ!これが俺の戦い方だぁ!しっかり聞いときやがれぇ!」


「あいさー!」

「オッケー!」

「わかった」

「はいよー」

「了解」


 多種多様な返事を子供たちが返す。協調性があるのかどうか疑わしいものばかりではあるが、安具楽は満足したように大鎌を頭上に掲げる。


「まず大剣相手の戦い方だぁー!こいつは雑魚だから戦い方はいたってシンプル!一撃の攻撃力はあっても重い武器ってのは速度がおせぇ!だから瞬殺よ!」

「え?」


 バートンがそう言うともう事は終わっていた。一瞬で距離を詰められたバートンは情けない声をあげた瞬間に斜めに体を斬られており、大剣を構える暇さえなく、その命を絶命させていた。ズルリ……と、上半身の部分がゆっくりと動き始め、地面にドシャっという気色の悪い音を立てて落ちる。


「ひ、ひぃぃぃぃ!」

「お前さんは最後だ。よぉぉぉーく見ておけぇ?」


 安具楽はキーリングにそう言うと今度は小雪に向かって話す。


「おぃーい、小雪ぃぃ!一人ずつあの中から出してくれぇ!」

「はいはい。わかったわ」


 そう言うとさっき小雪が作った半円球状の檻の一部が解除され、一人出てくる。実はこの檻の中の八人はまだ生きていたのだ。


「くっ、あの小娘に捕まるとは……ってなんだ!?なにが起こっている!?」

「いいから構えろぉ!千の道は鎌の道!"異端狩りの千堂"!"一の鎌"!千堂安具楽!その歪んだ存在を刈り取る!」

「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」


いきなりの死刑宣告。しかも相手は一のクラス。日本刀を構えた男、ミールス・レンブルグは恐怖で顔がひきつる。


「日本刀の相手は簡単だぁ!相手は刀。切れ味が良くて刀で受け止めることもできる!でも千武には敵わねぇ!ただ斬りつけりゃあいい!!」


 そう言うと安具楽はまたしても一瞬でその距離を詰める。驚いたミールスは慌てて刀で防御しようと頭上に掲げる。それを待っていたとばかりに安具楽は刀ごとその存在をきれいにすっぱり切断してしまった。それはもうバートンと同じように。


「安具楽っちー。さっきからワンパターンなんだけどぉー」

「お?そうかそうか、じゃあ技を見せてやんよ。小雪ぃ!」

「はいはい、わかってますって」


 小雪がそう言うとまたも檻から三又の槍の男が出てくる。名前はラムダ・ダーニング。


「名乗るのめんどくせぇなぁ!もういいわ!てめぇ構えろ!」

「な、なんだ!?」


 ラムダは訳も分からず槍を構える。それをみた安具楽はニヤぁっと笑い、千堂の技を出す。


『千堂流緑式 我流 斬撃飛ばし』


 単純にして明快。爽快にして痛烈。ただの斬撃である。斬撃を飛ばす。本来、斬撃というのは飛ばないもの。高速で振り下ろしたところで斬撃範囲はそんなに広くない。しかし、安具楽の"奇跡"は『飛翔する万物』。なんでも飛ばすのだ。自分自身ですらも。


「な、何を………」


 またも何もできずに粛清隊の司教はその命を終える。ドシャっという醜い音が聞こえる。


「安具楽さん。さっきから相手弱すぎないっすか?」

「あん?まぁそうだなぁー。もうめんどくせぇ。一遍いっぺんにやるかぁ!」


 キーリングはブルブルと震えていることしかできなかった。粛清隊の司教クラス。本来であれば相手が祓い人であっても平気で蹂躙じゅうりんできる程強いのだ。それがまるでアリのように踏みつぶされていく。


「じゃあ一気にどうぞ」


 小雪は黒牢を解除する。すると一遍に残りの司教が訳が分からないという顔をしながらでてきた。


「な、なに!?」

「で、出てこれたが……」

「ああ、神よぉ……」

「み、みんなやられてるじゃない!?」

「あ、あんたがやったのね!!」


 「てめぇらぁぁぁぁぁ!構えろぉぉぉぉぉ!!」


 安具楽が今日一番というくらいの声量で五人に叫ぶ。それをビクっとしながらも五人は混乱した顔で安具楽に構える。


「多人数を相手にした場合はまず落ち着けぇ!相手だってバカじゃねぇ。一斉に飛び掛かって同士討ちをしたくねぇからなぁ!すぐには動けねぇさ!!」


 安具楽は尚も後ろで見ている子供に向かって解説をする。人数的に見ると圧倒的に安具楽が囲まれているのだが、ヒカリからしてみると五人の方が追い詰められているように見えた。


「まずやるなら厄介そうな相手!この場合はその丸腰の女だぁ!」


 丸腰の相手。ヘレン・ポーターは私!?という顔で驚愕している。


「この状況で丸腰ってのは武器を必要としてねぇか、もしくは隠しているか、バカなのかどれかだぁ!だから真っ先に殺す!!」


 バカってのは酷くないかなぁ!? その女性も青筋浮かべてるし!


 ヘレンの"祝福"は"魔弾"。今まで敵から吸収した生命エネルギーを弾に変え、相手にぶつけるという、油断させたところからの強襲。それが彼女の戦い方だった。そして今、魔弾を安具楽に………


「おせぇよ!!」

「!?」


 放とうとしたところだったがそれを察知した安具楽に体を二等分される。ヘレンの絶命したおぞましい姿にの残りの四人は悲鳴を上げる。


「てめぇら情けないねぇ……呆れちまうよぉ!お前らだってなぁ!今までいっぱい殺して成り上がってんだろぉ?じゃあ根性見せろやぁ!!」


 その声に勢いづけられたのか。四人は覚悟を決める。そして、四人は安具楽に向けて特攻する。


ブロス・ダローは二丁銃を安具楽に向ける。

アイナ・ハールスは二本のナイフを構え、安具楽に突進する。

レン・マッカ―ニンは弓を構え、援護体制に入る。

ルース・ボルタ―レンは剣を頭上に掲げ、安具楽に振り下ろさんと前進する。


「はい、みんな雑魚っ!!」


アイナはナイフごと大鎌に斬られ、ルースは剣を振り下ろす前に胴体を真横に真っ二つにされ、ブロスは安具楽を見失った瞬間に後ろから首元を大鎌で突かれ、レンは股下から真上に大鎌で斬りあげられた。


 それは一瞬のことだった。


 一瞬で四人は見事に斬り捨てられ、もうキーリングは絶句することしかできない。


「さぁて、後はお前だけなんだが……」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 キーリングは分け目も降らず全速力でその場を離れる。それは安具楽のトップスピードかと思わせるくらいに。瞬きの間にキーリングは安具楽の視界から消えてしまった。

 安具楽はあーあ、と残念そうに見送るだけだった。それを焦った小雪が安具楽に話しかける。


「ちょ、ちょっといいのぉ!?」

「え?何が?」

「何がって、あいつ逃げちゃったじゃん!!」

「問題ねぇ。ここには弟子共と引率いんそつとして水城みずきが来てっから」

「水城さんも来てんの!?じゃあ問題ないわね」


 ヒカリはさっきから輪に入れない。知らない人名が多すぎる。


「水城さんって誰なのさ」

「ああ。千堂の青色の人よ。つまり弓ね」

「その人が来ていたら何なの?」

「彼もランクが一なの。つまり、千堂で弓系統の能力者で最強って意味よ」


 弓かぁ…じゃあ遠距離最強ということか?


「もう大丈夫よ。あの男は絶対に死ぬ。水城さんに狙われたが最後、絶対に逃げ場なんてないんだから」


それはもう信頼という一言に尽きる言葉だった。彼女にそう言わせるほどの千堂とはどんな人なのか、僕は興味が出てくる。


「じゃあ仁の里に行きましょうか」

「あ、待ってよ。そういえばあの粛清隊ってここに来るまでに祓い人と戦ってたんでしょ?じゃあその祓い人がやられてこっちに来たってことになる。だったら遺体を届けてやりたんだけど……」

「ヒカリ、それはさっきも言ったけど……」


「いいんじゃねぇか?」


 安具楽はその会話に口を挟む。意外だった。この安具楽という男が賛同してくれるとは。いや、この人の事について何も知らないんだけどさ。


「な、何でよ!?」

「ちょうどあいつらの社会勉強にもなるしな。祓い人の寺に行きゃあ楽しそうだしよぉ!」


 あいつらとはあの子供たちの事だろう。ヒカリは見ていることしかできなかったが物騒そうな子供にしか見えない。特に夢幻。毒使いなんてヤバくない?助けられたんだけどさ。


「安具楽がそう言うなら仕方ないわねぇ……じゃあヒカリ。里はまた今度になるわよ?」

「うん。大丈夫だよ。これは僕の願いでもあるんだから。安具楽さん。ありがとうございます」

「おうよ!てめぇとは二度目だなぁ!その後元気にやってっか?」

「二度目……?」


 安具楽と会ったことがある?それはつまり……


「安具楽、この人粛清隊に記憶操作されてるの。あなたと会った記憶消されたみたい」

「…………そうか。てめぇも辛かったんだな。よく今まで頑張った。もう大丈夫だから安心しな」

 

 僕は自然と目頭が熱くなってくる。この人は記憶操作の辛さというのを一瞬で理解して、そして僕に大丈夫だと。安心しろと言ってくれたのだ。この人の器のでかさ。器量の広さに感激した僕は安具楽さんに向かって体をゆだねる。


「う、うわぁぁぁぁぁぁ、あぐらさぁぁぁぁぁん!ヤンキーだと思ってゴヴぇんなざぁァァァァい!」

「だ、抱き着いてくんじゃねぇ―!てかそんなこと思ってたんかてめぇー!」


 その場にいた僕らは笑いあった。ああ、ここが僕の居場所になるのかと。この人たちが僕の家族なのかと、そう僕は故郷に帰ってきた気持ちになる。





 数多くの死体の中で。 絵面ひでぇな、おい。











「く、くそっ!なんでこんなことに……………」


 キーリングは全速力で山の中を駆けずり回る。彼にとってこの任務は簡単なものになる筈だった。奥の手であるイヴを早い段階で投入することにはなったものの、結果的にはヒカリを確保する手前まではいけたのだ。しかし、まさか護衛がいるとは。


 あの小娘一人ならまだよかった。予備として総勢十二人でこの任務に挑んだのだ。何があっても失敗などするはずもない。そう思っていたのだが、千堂の一の位が出てくるなんて最悪だ。何をしようが勝てっこない。


 だが、自分一人だけでも逃げることができた。幸い、あいつらは私を見逃したようだ。流石に私クラスのが全力で逃げるとなると千堂でも追いつけはしない。このまま千堂の情報を持って帰るだけでもまだ挽回ばんかいのチャンスはある。そうだ、まだ私は終わってなどいない。ここから私の………



「逃げ切れると思います?」



 それは知的そうな男性の話し方だった。どこか清潔感のありそうなイメージを思わせるその声はキーリングの足を自然と止めてしまっていた。しかし、キーリングはどこからその声が聞こえてくるのかわからない。普通、声というものはどこからか方向性を伴って耳に聞こえてくる筈なのに、今は全くわからない。


 「どこから聞こえてるのかわかりませんか?それはそうでしょう。あなたから二キロは離れているのですから」

「!?」


 それが本当だとしたら益々意味が分からない。二キロ先から自分の位置を補足する方法も、声を響かせるその方法も、まったくもって意味不明だ。


「お、お前は誰なんだ!ハイ!」

「ふふふ、面白い話し方をしますね」


その声は依然としてゆとりのある落ち着いた声だ。まさか、私の敵ではない?そう希望的観測を抱いたキーリングはあてずっぽうの方向に向けて叫ぶ。


「た、助けてくれないか!今"異端狩りの千堂"に襲われてここに居るんだ!ハイ!」

「面白い人ですねぇ。そんなこと知ってますよ。ていうよりはあなたわかってます?」

「な、何がだ!ハイ!」


 一瞬の間があり、そして、その声が山に響く。


「私も千堂ですよ?千の道は弓の道。"異端狩りの千堂"。"一の弓"千堂水城。あなたの存在を捕まえてしまいました」


 それはさっきも聞いた死刑宣告。千堂があなたを何が何でも殺すという絶対死の挨拶。別れの言葉。死の運命さだめ


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 安具楽から逃げたようにキーリングは俊足でその場を離れる。水城という男がどこにいるのかとか、ちゃんと逃げることができているのかとか、全くわからない。わからないがもはや思考は滅裂。狂気錯乱。精神崩壊の五里霧中。


 グサっ! グサっ! グサっ! グサっ! 


 それは間がある刺さり方だった。腕、腰、足、腹。

 それぞれを一定の間隔で矢がキーリングに刺さっていく。


「ぐ、グガヴヴぇぇぇぇぇぇぇ!」


 叫び声をあげながらもキーリングが足を止めない。矢が体に刺さっていったところでまだ急所には刺さってない。まだ大丈夫。まだ死なない。まだ死ぬわけには………


グサっ! グサっ! グサっ! グサっ! 


尚も矢は等間隔で刺さっていく。キーリングが木々をランダムで躱しながら逃げようが、木と木の隙間を抜けようが、草むらの中に隠れながら進もうが、矢は当然の如くキーリングに突き刺さる。


グサっ! グサっ! グサっ! グサっ!


 気づけばキーリングはハリネズミのように矢を全身から生やしていた。キーリングは気づく。急所を外しているんじゃない。!!


「やっと気づきましたか」

 

 水城と名乗る男の声が山に響く。ああ、自分は全く助からない。そう思ったキーリングはなぜか安らかな気持ちになる。死が確定した人ってこんな気持ちになるんだなと。


「大丈夫ですよ、あなたは楽に殺しません」

「…………え?」


 それはもう絶望という言葉がふさわしかった。最期は頭を貫いて死ぬ。そう思っていただけに水城の言葉は意外でもあり、最悪でもあった。


「最近、友人と酒を酌み交わしながら話していたのです。相手を最も苦しませながら殺す方法とは何だろうと。そしたらその友人。私にとっておきの毒をくれたのです。その人、毒使いだから性能は保証しますよ」


 この男は何を言っているのだろう。そんな会話を酒を飲みながらするんじゃない。そう思ったのだが、もはや声すら出ない。キーリングの髪はボサボサで、服はボロボロ。体中から色んな液体が汚らしく出ているせいでその姿はもう大司教というより乞食そのものだった。


「最初は声を奪います。そして髪が抜け、そして歯が抜けます。段々と体全体が麻痺してきて、そして溶けます。激痛を伴いながら」


 今からその説明通りになるのかと思うとキーリングはもはや恐怖しか感じない。感覚は鋭敏になりつつあるのに、体そのものがおかしくなってくるのだ。なのに声すらまともにあげられない。


「死ぬまでには一日かかるそうです。あ、安心してくださいね。その毒、作った本人でも解毒できないそうですから。誰が来ようともうおしまいですよ」


 その透き通るような声で、残虐極まりない発言をする。キーリングは横たわる。髪が抜けてくるのを感じた。


「最後の挨拶はきちんとしないとですね。じゃああなたにこの言葉を送ります。なんじ、悔い改めよ。アーメン」


 その声を最後に、水城の声は聞こえなくなる。キーリングはもはやツッコむことすらできない。この次は歯が抜けるのか……と余命一日のその男はゆっくりと目を閉じた。


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