花霞の彩《いろ》
吾妻栄子
花霞の彩《いろ》
「桜なんてつまんない」
「梅の方が香りもいいし、桃の方が色が濃くてきれいだわ」
七歳の幼い姫は小さな体に華やかな桜模様の着物を纏っているというより半ば埋もれているように見えた。
「
杯を手にした城主は顔を綻ばせる。
こちらは笑った目尻の皺深く鬢に白いものの目立ち始めた、姫君の父というより祖父にこそ相応しい風貌であった。
「この子はもう眠いのですわ」
彩姫の傍らにいた母君が苦笑して言い添える。
こちらは黒髪の豊かで艶やかな、雪白の肌に唇の赤く鮮やかな、夫君の城主と並べばまるで娘のように若い後添いである。
一際大きく円らな瞳は隣の幼い娘との血の繋がりを良く示していた。
「おめでたい席で興ざめするような言葉はいけませんよ」
母の白い手が幼い娘の頬を優しく撫でる。
しかし、七歳の彩姫の円らな目には打ち据えられたような影が射した。
「今は分からなくていいの」
不意にまた別な声が飛ぶ。
「
城主は声の主たる姉娘の名を呟いた。
こちらは先立たれた妻との間に儲けた十五になる姫君である。
平生でも桜色をほんのり含んだ肌をした柔和な面差しの娘だが、切れ長い瞳はどこか寂しげに見えた。
「確かに桜の花には際立った香りも無ければ、鮮やかな色も持ってはいない」
静かに語る智姫を父の城主も、義母の継室も、臣下たちも痛ましげに見詰める。
幼い妹の彩姫だけが大きな丸い瞳をいっそう大きく見開いて眺めた。
「だからこそ、桜は夜の闇を優しく照らす花霞になるし、どんな色の灯りにも映えるの」
智姫は立ち上がると幼い妹の手を取った。
「いらっしゃい」
桜模様の衣を着た彩姫は素直に立ち上がる。
二人の姫が座敷向こうの見晴台に進むのを見守った。
「ほら、今宵はお城の隅々まで灯りを点けているから花霞が
姉の静かに語る声を背に妹は大きな目を見張った。
「向こうのお山は真っ暗だけど、桜の咲いた辺りだけは優しい乳色に染まっている」
音もなく吹いてきた夜風から幼い妹を守るように姉娘は桜模様の着物の肩を抱く。
十五歳の智姫は春の夜の肌寒い風に紛らすように幽かな声で囁いた。
「あのお山を越えた所でも、きっと桜が咲いていて愛でている人々がいるはず」
*****
「彩姫様、この度は城主就任、おめでとうございます」
上半身には優しい桜模様の小袖、下半身には男と同じ袴を着けた十五歳の姫君に居並ぶ臣下たちは一斉に平伏する。
すっかり髪に白いものが目立つようになった母君は傍から不安げにその様を見守った。
「我が国は父上が倒れ、また、隣国に嫁がれた姉上も身罷られて周辺諸国に狙われている」
見晴台に立った妹姫は宵闇の迫る桜の花盛りの風景を真っ直ぐ見据えた。
「この花霞の国をきっと守り抜いてみせる」
(了)
花霞の彩《いろ》 吾妻栄子 @gaoqiao412
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