吉祥寺の座敷童子 第一話

 暦も十二月を迎えると、街はどこもうるさいほどのクリスマス色に染まってしまう。

 それは、毎年のように住みたい町ランキングの上位に入る吉祥寺も例外ではなく、駅前のイルミネーションやリースなどのデコレーション、商店街に響く有線のクリスマスソングと、ここぞとばかりにイベント感をゴリ推ししている。季節毎のイベントといえば、もはやソシャゲ上のそれとしか関わりを持たない僕でさえ、ケーキの一つ、チキンの一つでも買わなければ非国民! という気がしてくる。恐ろしい季節だ。

「そういえば、もうすくクリスマスね」

 華やぐ街並みを見回しながら、隣を歩く桃子さんが声を弾ませる。

「戦前にもあったんですか、クリスマス」

「当たり前よ。それとも、今の子は昭和の時代を徳川の頃と混同しているのかしら」

「いや、別にそこまでは……」

「私が生きていた頃も、今と同じようにクリスマスを祝っていたものよ。お屋敷でも、この時期になると毎年ガチョウの丸焼きとバターケーキを頂いたわ。さすがに食糧難が厳しくなると、それどころではなくなってしまったけど……ところで瑞月さんたちは、クリスマスはどうなさるの?」

「クリスマス、ですか……」

 そういえばここ数年、クリスマスはいつも一人で過ごしている気がする。兄さんはお友達とのパーティーで毎晩予定が埋まってしまうし、僕は僕で、ソシャゲのイベントやら冬コミに参戦するサークルのチェックに忙殺されるうちにシーズンが過ぎてしまう。で、気付くと街は正月の装いに慌ただしく切り替わっている、そんな印象だ。

「特には……まぁ、年末は何かと忙しいですから、その、正直クリスマスどころではないと言いますか……」

 さすがにコミケのことは切り出せない。桃子さんにオタバレするのが辛い、というのもあるけど、実は兄さんには僕がオタクであることは伏せていて、その兄さんの手前、オタク関連の話題に触れるわけにはいかなかったのだ。

 ところが、なぜか桃子さんはぐいぐい掘り下げてくる。

「デートはなさらないの? 今の人はクリスマスに意中の方とデートに出かけるのでしょう?」

「デート? あ、いえ……そもそも相手がいませんからね。兄さんみたいなリア充ならともかく……」

「りあじゅう?」

「何だ瑞月、クリスマスにデートはしないのか、なんて桃子に突っ込まれてんのか?」

 すかさず口を挟んできたのは、今日は洒落たスカジャンを羽織る兄さんだ。ただ、背中には例によって『不労所得』の堂々たる刺繍。いつも疑問に思うのだけど、一体どこで買ってくるんだろう、このシリーズ……

「ああもう、兄さんは黙っててよ! ていうか、いいじゃん別に。デートなんて義務でも何でもないんだからさ……」

 というか、桃子さんに相手のことを突っ込まれるのは……地味にショックだ。別に、非モテだからとか、そういう話ではなく……

 ようやく商店街を突っ切り、住宅街に入ってさらに歩くこと数分。見えて来たのは、古いが高級感のある低層マンションだった。

 合鍵を使ってオートロックを抜け、目的の部屋へと向かう。マンションはすでに築二十年を超えているものの、造り自体は頑丈で古さを感じさせない。共用部の清掃も行き届いていて、ロビーには巨大なクリスマスツリーさえ飾られている。よほど管理組合がしっかりしているのだろう。

 図面によれば、部屋はファミリータイプの3LDK。床面積は八十平米を超え、ロケーションも踏まえると、年間数百万の収益は固いはずだ。

 そんな超優良物件が、ほとんど捨て値同然の価格で兄さんの手元に転がり込んできたのは、例によって理由があった。

「……ポルターガイスト」

「そ」

 エレベーターに乗り込むと、僕が続いたのを確かめてから目的階のボタンを押す。やがて滑るように扉が閉じると、かすかなモーター音とともにエレベーターはゆるやかな上昇を始めた。

「スタンドライトが倒されたり、無人のソファやらベッドで誰かが飛び跳ねる音がしたり……あと、ドアや戸棚の扉が勝手に開いたり閉じたりとかな。花瓶が倒れて割れるなんて実害も出ているそうだ」

「それは……いるね、間違いなく」

 今回の物件も、謎の怪異により入居者が定着せず、並み居る大家投資家が持て余した挙句、兄さんの手元に転がり込んだ代物だった。まぁ、今の話を聞く限りでも入居者の定着は難しいだろう。

 入居者の出入りが激しいということは、それだけ募集にかけるコストが嵩むことも意味する。収益よりもそちらの方が嵩むようになれば、どうあっても物件を手放さざるをえなくなるだろう。ただ――

「誰も……死んでいないんだよね?」

「ああ。話を聞くかぎりはな」

 そう。問題はそこだ。管理組合によれば、過去、その部屋で人死にや殺人事件は起きていないという。にもかかわらず、明らかに霊障と思しき現象が部屋で頻発している。仮に幽霊の仕業なら、どういう霊がそこにいるのか、居座る理由は何か――少なくとも現時点では、一切が謎のまま調査に乗り出さなくてはいけないのだ。

 エレベーターを降り、ふたたび廊下を歩く。やがて兄さんは、とあるドアの前で足を止めた。

「ここだ」

 合鍵でロックを解き、ドアノブに手をかけた兄さんがこちらを振り返る。

「開くぞ」

「うん」

 頷き返すと、改めて僕はドアに向き直る。

 そんな僕の目の前で、おもむろに開かれる、未知なる部屋の戸口――と。

「うわっ!?」

 意外な光景、というより登場に僕は軽く後退る。確かに、いるとは思っていたけれど、まさか玄関先に堂々と現れるなんて!

 立っていたのは、小学生に上がるか上がらないかの可愛い男の子だった。ところが少年は、僕と目が合った瞬間びくりと身構えると、そのまま踵を返して部屋の奥へと駆け出す。そのまま廊下にあるドアの一つに駆け込むと、戸口から目だけをそっと覗かせ、言った。

「……僕が視えるの?」

「う、うん……お兄ちゃんの目はちょっと変わっていてね」

 そう笑いかけながら、ふと気づく。どうやらこの子も、自分が幽霊だと自覚しているようだ。こんなに小さいのに……

「何だ、もう出て来やがったのか」

「うん。小学生くらいの男の子が」

「男の子……ガキか」

 むぅと腕を組むと、兄さんはあからさまに苦い顔をする。普段は第一声から相手をどやしつける兄さんも、子供の霊が相手となると、さすがにそういうわけにもいかないのだろう。

「ぼくちゃん、お名前は?」

 一歩前に踏み出した桃子さんが、玄関で腰を屈め、少年に目線を合わせながら問いかける。すると少年は、緊張で強張った顔をようやく緩めると、今度は小さなピースサインを戸口から差し出した。

「ヨシイケイタ。小学二年生。……お姉ちゃんも、僕が視えるの?」

「ええ、視えるわ。私もあなたと同じだから」

「じゃあ、お姉ちゃんも死んでるんだ」

「死……そうね。でも、こちらのお兄ちゃんは生きているの。面白いでしょう。生きているのに、私たちが視えるのよ」

 ふーん、と、ケイタと名乗る少年は大して興味なさげに鼻を鳴らす。まぁ、彼してみればどうでもいい話題ではあるのだろう。ある日突然部屋を訪れた見知らぬ大人が、幽霊を視えようが視えまいが。

「ねぇ、お姉ちゃん、ママは?」

「ママ?」

 するとケイタ君は、おそるおそる廊下に踏み出しながら小さく頷く。

「うん。ママ。いつ帰るの?」

 どうやら彼は、お母さんの帰りを待っているらしい。ということは、以前ここに住んでいた家族の子供だろうか。

「わかった。じゃあ、一緒に捜してあげるから、ママのお名前を教えてくれるかな?」

 桃子さんの隣で腰をかがめ、目線を合わせて問いかける。ケイタ君はしかし、大人の男が怖いのか慌てて部屋に引き返すと、今度は完全に部屋の中に隠れてしまう。

「大丈夫よケイタちゃん、こっちのお兄さんは優しいから。さぁ、ママのお名前を教えてちょうだい?」

「ミサト」

 部屋の中から、今度は声だけが返ってくる。どうやら母親の名前は「みさと」と言うらしい。

「兄さん、元住人のリストにみさとって女性は含まれてない?」

「みさと……?」

 さっそく兄さんはバッグからタブレットPCを取り出すと、事前に集めた元住人のリストのチェックをはじめる。

「ひょっとして……こいつか」

「何か見つかった?」

「ああ。元々この部屋に住んでいた女性だ。三年前、旦那と一緒にここを出て介護つきマンションに移り住んでる。この部屋は、その際に売り払われたんだそうだ」

「介護付き?」

 ということは、結構な歳を召した夫婦だったのか。ケイタ君の今の風貌から、何となく、若い夫婦をイメージしていたのだけど。

「この吉井美里って女性が、ガキの霊の母親なのか」

「うん。お母さんに会いたいんだって」

「ってことは、今回は彼女をここに連れてくりゃミッションクリア、ガキの霊も成仏して部屋も無事賃貸に出せる、そういうわけだな?」

「さぁ、それは……」

 今のところは何とも言えない。ベストを尽くしてもうまくいかないことはあるし、逆に、意外な方法であっさり成功することもある。柊木さんのように、自分の本当の願いに無自覚なケースもある。厳密には何が成仏の決め手となるかわからない以上、それらしい策を一つ一つ潰していくしかないのだ。

 この少年を彼の母親に会わせる、というのも、所詮はそんな〝それらしい策〟の一つでしかない。今の段階では、まだ。

「よかったわねケイタ君。このお兄さんたちが、ママに会わせてくれるって」

「ほんと?」

 桃子さんの声を聞きつけたケイタ君が、部屋から飛び出し、僕らに駆け寄る。そのまま一目散に桃子さんに飛びつくと、甘えるようにすりすりと頬を擦りつけた。

 その、いかにも子供子供した仕草に、ふと僕は胸が詰まる。おそらくケイタ君は見た目通りの年齢で亡くなったのだろう。歳を取って亡くなった人の霊は、霊としての見た目は若くても、言動に本来の年齢が出てしまう。でも、ことケイタ君に限って言えば、見た目と言動にギャップは見られない。

 幼い息子の死を、両親は嘆き悲しんだだろう。でも、その魂はずっと彼らのそばにいて、両親を見守り続けた。……が、彼らには視えなかったのだ。視えなかったからケイタ君をこの部屋に置き去りにしてしまった。そうとは気付かないままに。

「うん。絶対に会わせてあげる」

 頷き、小指を差し出す。ケイタ君は怯えがちに僕の指先を見つめると、やがて、おずおずと小指を絡ませてきた。

 幽霊特融の霧に似たかすかな触感が、何だかひどく切なかった。

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