第37話 来たる黄昏

 ノエルが救援に駆られ、二週間が経過した。その間も魔族の出現は頻発し、ノエルは……いや、ジンやカトレア、そして生徒たちも含め、実力者たちはひっきりなしの対処に追われていた。


 蜂起の終わりが見えず、原因も謎のまま。疲弊していくアステリアだったが、彼ら上位層は変わらず闘い続ける。そんな姿に、並の退魔師は自虐によって心を痛めていく。

 そして、唐突に"その日"は来た。


「A班とC班は陣形を広げろ! B班は救護に専念、一般人の退避を最優先で行い、負傷者は順に後列に送れ!」


 少し、視点を変えよう。

 音の入り乱れる市街地で、一人の女性が鋭く支持を飛ばす。女性——カトレアの声に退魔師たちは必死の形相で応じ、魔族から人々を逃し続けていた。


 その日の出現報告は、いつもに増して苛烈だった。十を超える場所で一斉に魔族が暴れ出したのだ。そこでアステリアは、それぞれの地区に強者を中心とした大隊を送り込み、一斉封じ込めに走った。カトレアが請け負ったのもその一つ、特に大きい地区の対処だ。ノエルは隣接する大地区、ジンは遠方の小地区複数と、適した者が派遣されていた。


「う、うわああああっ!」


 逃げ遅れた男性に、コウモリのような魔族が掴みかかる。それを見るが早いか、カトレアは俊敏に飛び出し、魔族の肌に触れた。


「"施錠ロック"」


 瞬間、魔族が呻きと共にびたりと硬直する。男性を後方に送ってから魔族の鼻先を殴りつけ、放置したまま次の獲物に狙いを定めた。

 押し寄せる多様な魔族に、両手で次々と触れ、そして叩く。触れられた魔族は何が起こったかも分からず固まり、みるみるうちに木偶人形が乱立し——


「"解錠アンロック"」


 一声で、一斉に血を噴き出した。


 空凍、または琥珀嬢。カトレアの持つ「固定」の異能は、元は生物にも有効な能力だった。固定したものには受けた衝撃が蓄積され、増幅の後解放される。止めて衝撃を与えるだけで、魔族には相当なダメージを与えられるのだ。攻守両極に優れ、高度な指揮能力を兼ね備えるカトレアは『第二世代の希望』と持て囃された。……本人がその異名をどう思うかは別の話だが。


「カトレアさん、現範囲内の避難完了しました!」

「よし、魔族の掃討に移りつつ逃げ遅れた者が居ないか気を払え! 私が先導する、固定した敵には適宜攻撃を加えろ!」


 極めて順調だ。縦横無尽の活躍により、市民が逃げるまでの時間は稼いだ。後は敵を討ち払うだけ——頭数は膨大だが個々の能力が低いような相手には、まさしくカトレアの独壇場であった。


「はああああっ!」


 先程と同じように、敵の大群に飛び込んで両腕を振るう。固定、攻撃、解放。このプロセスで並の魔族は討伐できる。

 そんなカトレアを脅威に思ったのだろう。大柄な魔族が複数匹で自動車を持ち上げ、彼女に向けて投げ付けた。そして大質量がカトレアの細身を押し潰す……その直前。  


「"施錠ロック……反転リバース"!」


 一瞬がちりと止まった車が、腕を押し戻すと同時に高速で打ち返された。一連の動きに、魔族は目を見張る暇すらない。そのまま車に巻き込まれ、炎上に巻き込まれてしまった。

 煙を手で払いながら、カトレアが残党を睨む。

 勝敗はもう決していた。


 * * *


「——よし。これで全部だな」


 街に現れた魔族を狩り終えたカトレアは、安堵したような表情で「ふうっ」と息を吐いた。後は一通り巻き込まれた人がいないか確認するだけだ。それを隊員に命じて、静かに端末を開く。


(ノエルの方はあと少しで完了、ジンさんの方はまだ時間がかかるか)


 今回の多発襲撃は、ジンのいる遠方の方が数が多い。心配することはないだろうが、ひと段落すれば援軍に向かうのも一考だ。そんな算段をつけながら、カトレアはそれにしても、と辺りを見渡した。


(今までは断続的に魔族が出現していたが、今回はぴたりと止んだ。異変収束の兆候ならいいのだが)


 静まり返った市街地を見て、ぼんやりとした不安に駆られる。異変の原因は不明……しかし、何事にもきっかけがあるというのがカトレアの信条だ。それを解き明かして、戦いの芽を摘んでこその退魔師なのだから。


 明日にでも独自調査を始めようと決めたカトレアの胸で、なにか、チクチクしたような感覚がした。


「……?」


 そこに手を当てるが、特に痛いわけでもない。辺りをきょろきょろと見回して、カトレアはある違和感に気付いた。


「妙な……風だな」


 一定の方向から、一定の間隔で風が吹いている。ちょうど魔族が押し寄せてきた方向だ。その生暖かいような、薄ら寒いような風が、吹き抜けるたびに不安を増幅させるようだった。


 しばらくぼんやりと空を見て、




 風の正体が羽ばたきだと分かった。



「……これ、は……」


 市街地の遥か向こう、青々とした山の陰から、巨体が姿を現す。一対の翼をゆったりと動かし、空を悠々と支配する『竜』。童話の中から飛び出してきたようなドラゴンそのもの。遠くからでも分かるその存在感に、カトレアは一瞬思考を止めた。


「ん? おい、なんだアレ」

「ドラゴン……? あれも、魔族か……?」


 ざわつき始める退魔師をよそに、竜は徐々に近付いてくる。長い尾を揺らし、身体を覆う灰色の鱗が見えてくる。すぐに敵意を抱けなかったのは、竜の姿が文字通り幻想的だったからだろうか。多くの魔族と向き合ってきた彼らも、夢でも見ているように呆然としていた。


「戦闘態勢ッ!」


 そこへカトレアの檄が飛ぶ。びくりと肩を揺らして気を引き締めた退魔師は、慌てて陣を組んだ。


「隊列を組んだはいいけど……」

「飛んだままじゃ、どうすることもできないぞ」


 そんなぼやきを無視して、竜が飛翔するさまを観察する。対空戦が難しいのは分かっているが、今はとにかく竜の出方を窺うのが先決だ。そもそも交戦的でないなら、一旦協議を挟む。攻撃してきたら、それをいなして他班との連携まで粘る。それが未知の相手への対処手順となる。


 じりじりと近付く巨体に、隊の緊張感が増していく。立っているだけで脂汗が滲むようだ。竜が無機質的に、一瞥もせずに動いているのも拍車をかける。そして、ついに街の上まで辿り着いた竜は……


 尻尾を垂らし、前進するのを止めた。


「止まった……?」


 首を下に向けた竜は、じっとこちらを見ている。その場でゆっくりと行われる羽ばたきで、ごう、と強い風が吹き荒れた。しかし被害が出るほどではない。威圧しているのか、それとも別の意味があるのか。喋らない竜の内心は測れないままだった。


「カ、カトレアさん。どうしますか」

「……ひとまず、私がこの場に残る。皆は本部に連絡して返答を待て。それと、避難区域を拡大させるように——」


 カトレアの指示に皆が頷いた瞬間だった。

 ギチギチと恐ろしい音と共に、竜が顎門を開いたのだ。鋭い牙が生え揃った口を見せたかと思うと、唐突に翼の風が熱を帯びる。竜の口内には、白く、眩い光が、熱量の塊が覗いていた。


「……! 総員ッ、退——」


 竜は、白い炎を吐いた。

 その熱は瞬く間に彼女らを飲み込み、街を焼き、空を焦がし、そして、閃光が立ち込めた。


 これが、"灰の竜"の襲撃。最初の終わりだった。

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