二章 アステリアの盛宴

第14話 目覚め矢継ぎ早

 ——なぜ、私を遠ざけるのですか。


 皆、貴方を見放しました。成し得ぬ夢を見続ける貴方に愛想を尽かしました。けれど、私はそうではありません。義理とは言え、貴方に連なるものとして、力になりたいのです。


 私では不足ですか。

 私が地位を失うことを案じているのですか。


 なぜ置いていくのですか。

 私とて遮光の手段は持っています。

 太陽など恐るるに足りません。


 私の能力は役に立ちませんか。

 私の血は貴方の刃に成り得ませんか。


 ああ、なぜ話を聞かせてくれないのですか。


 なぜ、私だけを置いて逝ったのですか。


 ——どうか、待って。アルフェルグ。






 * * *


「……う……?」


 短く声を上げる。ぼやけた視界の中で白天井にピントを合わせられずにいると、その白に混ざり込むように少女が顔を覗かせた。妹——フェリシアは、兄と同じ青い瞳に溢れんばかりの涙を溜めながら、ベットの上で目覚めたヒューズにしがみついていた。


「フェリ……シア?」

「兄ちゃん、兄ちゃん! よかった……!」


 顔を紅潮させて泣きじゃくるフェリシアの背に、半ば無意識で手を添える。ヒューズは少し困ったように静止していたが、次第に覚醒した意識が事の顛末を認識させた。ここは学園の病室だ。どうやら、森からは生きて帰ることができたらしい。


 そう考えた次の瞬間、ヒューズはフェリシアを跳ね飛ばさんばかりの勢いで起き上がっていた。


「マリーは!?」


 口をついて出た、友人を案じる言葉。フェリシアはその勢いに一瞬怯んだが、すぐさま涙をそのままに頬を膨らませ、あろうことかヒューズのほっぺたを両手で引っ張った。


「……ばか!」


「ばか」。フェリシアからついぞ聞いたことのない発言に、一転ヒューズが気圧される。こうあからさまに怒りを示すのも極めて稀だ。両頬を伸ばされたまま困惑するヒューズに向けて、フェリシアはいかにも不慣れに、悲しみを込めた怒声で続けた。


「自分の心配をしてよ、兄ちゃん! 死ぬところだったんだよ!? わたしがどれだけ……!」

「ほ、ほへんごめんはうはっはわるかった


 間の抜けたな発音に呆れたのか、その中に宿る確かな後悔を読み取ったのか、フェリシアは頬から手を離すと、溜息の後に言った。


「……マリーさんも生きてるよ。衰弱していたけど今は元気にお喋りもできる。気になることがあったから、それはロシェさんに診てもらってる」

「そうか……よかった」


 マリーの生存にひとまず胸を撫で下ろし、強張っていた体からゆったりと力を抜く。——すると、脇腹に刺すような痛みが走った。一瞬顔を歪めたヒューズを前に、フェリシアが物憂げに目を瞑る。


「焼いたでしょ」

「え?」


 聞き返すヒューズに手が伸ばされ、入院着がそっと捲られる。フェリシアの突飛な行動に面食らう暇もなく、ヒューズの眼には脇腹の——黒い怪物に抉られた傷の痕が飛び込んできた。


 焦げたように変色した皮膚に、医療用の糸が細かく縫い付けられている。傷は塞がっているのに、その外観はどこか歪だった。びり、と響く痛みの出処を悟り、額に汗が滲む。


「内臓が傷付いた状態で焼き止めたせいで、治癒が上手く働かなかったの。……後遺症が残ってる」


 かといって傷を塞がなければ失血死し、焼いたまま放っておいても死んでいた。それこそ"固定"が遅れていたらどうしようもなかった、と続ける。責めようにも責められないといった具合だ。今後、激しい活動には内臓の損傷リスクが付き纏い、異能による定期的な治癒が必要になるとのことだった。


「そうか」と痛ましさを押し込めるように呟いたヒューズに、フェリシアがひしと抱きつく。柔らかに手を回し、胸に頭をうずめながら彼女は消え入りそうな声を伝えた。


「兄ちゃん……お願い。自分を大切にして。マリーさんを助けなきゃいけなかったのは分かってる。でも、でも……兄ちゃんが死んじゃったら……」


 唯一の肉親を想う気持ちはフェリシアも同じだ。他の生存を第一とし、自らを省みないヒューズの態度に怒り、それ以上に哀しむのは当然だった。それに、旧校舎崩壊の際、フェリシアが身を犠牲に負傷者の治癒を行った時とは違い、今回は「生き残る覚悟」も「生きるための協力」も介在しない。

 捨て鉢の死。ヒューズ自身、己の無謀さを自覚していた。


「わたし、アステリアに残る。兄ちゃんの治癒をここで続ける。……兄ちゃんも、マリーさんもフレッドさんもレインさんも……みんな、みんな死なせたりしないんだからね……」


 十三歳になったばかりの幼い少女。異能を宿し、人狼と共に過ごしたとしても根本は変わらない。幼いなりの覚悟と一滴の我儘、そして溢れんばかりの博愛がフェリシアの言葉には満ちていた。


 自分も、それに応えなければならない。

 過去の勝利に甘えるな。

 託されたことにうつつを抜かすな。

 自分はまだまだ未熟な半端者なのだ。


「……ごめんなぁ、フェリシア。馬鹿な兄貴で。俺、もっと頑張るよ。強くなる。自分の命も仲間の命も、どっちも守れる退魔師になる」


 フェリシアを抱きしめ、絞り出すように告げる。フェリシアの口からは嗚咽が漏れるばかりで返答は無かったが、心は確かに通っていた。


 兄弟の言葉のない対話は、幼く抱き合ったまま、純白の病室で涙を流し切るまで続いていた。



 ——と、その時。


「……?」


 肌を刺すような感覚がした。

 後遺症によるものだろうかと考えて、ヒューズはすぐに否定した。抱き合うにしても、フェリシアは傷痕を刺激しないよう自然と気遣っている。そもそもこの感覚は「痛み」では断じてない。


 フェリシアも何らかの異変を感じたようで、目元を腫らしながら顔を上げ、周囲を見渡していた。


 皮膚の上で、僅かに雷の異能が弾けている。さながら、指先で肩を叩くような信号だ。無意識がヒューズの身体になにかを促している。


 つまり、


(——『危険信号』!)



 気付くが先か、微かな風切り音に続き、校内に鈍重な地響きが轟いた。地震にしては余韻がなく、落雷にしては鳴りが遅い。ヒューズは顔を上げたフェリシアを宥めると、まだ少し重い体を引き摺って病室のドアを開けた。


 そのまま医療科の廊下を抜け、音のした方向へと足を進める。追い付いたフェリシアに手を添えられながら辿り着いた場所——既に多くの人が不安げに騒めく中庭の前で眼に入ったのは、明らかに異常な『武器』の姿だった。


「真っ赤な……槍……?」


 鮮やかな紅色をした、細長く凛然とした槍。表面は滴るような照り艶で彩られ、単色にも関わらず豊かな高貴さに溢れている。両刃一刺の穂先は中庭の中心に突き刺さり、ひび割れた地面に赤茶けた飛沫が散っていた。


 言い知れぬ美しさに眼を奪われる中で、鼻腔にそよ風が舞い込む。つんと香ったそれは、未だに慣れない戦禍の匂い——血の匂いだった。



 攻撃か、それとも何かの意思表示か。

 どこからか飛来した『血の槍』は、固体を保ったまま静謐な威圧感を放っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る