第3話 疾技と剛力

 激突。


 空気が揺れる。壁が震える。人工芝がめくれんばかりの衝撃が、二人の間から一息に発される。

 言付け通り、異能は一切使っていない。ただ拳をぶつけただけだ。しかし、短期間に相次ぐ強敵との戦いを駆け抜けた彼らは、最早『歴戦』と言っても差し支えないほどの力を体現していた。


「どうした……そんなもんじゃねえだろ!」


 拳を引いて両腕を押し付け、組み合う形となる。フレッドの掌からは、身体の奥で滾る火炎をありありと示すような熱が感じられた。

 みしみしと骨が軋む音がする。純粋な力ではフレッドに勝るものは居ない。拘束された状態での力比べはヒューズにとって明らかに不利だ。


 呼吸を合わせる。フレッドが更に力を込めた瞬間、ヒューズはその脚を素早く払い、一瞬で距離をとった。


「先生の教え、覚えてるか!?」

「ああ!?」

「『得意分野に引き込め』ってやつッ!」


 瞬間、ヒューズの輪郭がぼやけ、フレッドの視界から姿が消えた。


 徒手格闘において最も重点を置くべき部位は、拳ではなく脚だ。自らの行動軸としてもそうだが、相手の次の手を読む時も脚に注目する。実力者同士の戦いともなればさらに顕著で、脚の動きをどう気取られないようにするか、読まれた上でどう対処を凌駕するかが勝負の分け目となる。

 ヒューズの動きはその理論に忠実で、それでいて特異的だった。


「——せえッ!」


 惑うフレッドの横腹に、痛烈な蹴りが入る。不意の痛みに歯を食いしばりながら拳を払うが、そこにヒューズはいない。警戒し気を逆立てたところに反対側から二撃目が入り、続けざまに三撃目が突き刺さる。四撃目を——獣の直勘とでも言うのだろうか、間一髪で防御して、ようやく二人は相対した。


「……ハハッ、前よりもっと速え! 加速せずにそのスピードか!」


 手傷を負いながらも不敵に笑うフレッドは、そう看破してみせた。

 戦術を織り込んだ脚の動きステップと移動の速度。これを組み合わせるだけで相当の武器になるのは想像できるだろうか。ほぼ無意識で注視することになる脚に、超高速でフェイントを重ね掛けすることで視線を「外す」。その隙を突いて一瞬で死角を取り、鋭い一撃を叩き込むのだ。素の状態で高速戦闘を可能とするヒューズに適応した、ロシェ直伝の戦闘術だった。


「八発喰らわせるつもりだったんだけどな……!」

「俺ァ一発も受けねえつもりだった!」


 いがみ合うように笑い、再びヒューズが跳び退く。そのまま攻撃態勢に入ると、脚を一瞬地面に擦ってから消えた。四方から地面を蹴る音が重なり、まるで地面そのものが呻いているようだった。

 フレッドは動かず、腹の底から呼吸をしながら構えている。そしてほんの一刻、音の隙間でついに状況が動いた。


 正面から、ヒューズの一閃がフレッドに直撃したのだ。 


「……!」


 右脚を腹に押し込みながら、ヒューズは焦燥の汗を滲ませた。側から見れば勝負が決したとも取れる静寂の中で、必死に次の手を考えている。

 ——フレッドは、修羅の如き形相でヒューズの脚を掴み取っていた。


「お前の本気でもねえ速さに手も足も出なかったらよ……」


 身体が床を離れる。言い知れぬ浮遊感と、墜落前の無常感に襲われる。僅かに残された時間では、身を硬らせることしかできなかった。


「最強になんかなれるわけねえだろうがッ!」


 布や棒切れを振るうのとなんら変わりない速度で、ヒューズは頭から床に叩きつけられた。人工芝と衝突したとは思えない衝撃が頭蓋を襲い、脳が激しく揺さぶられる。雄叫びを上げるフレッドは一向に力を緩めず、脚から手を離す気配も無い。先程の意趣返しとでも言わんばかりに二撃、三撃と攻撃を重ねていく。三分という制限の中、ここで勝負を終わらせるつもりなのだろう。


「『八発』喰らわせて終わりだ! なァ! ヒューズ!」


 声高らかに宣言し、四撃目へと腕が振り上げられる。為す術なく持ち上げられ、そのまま落とされるかと思われた、その時だった。腕が中天を指したタイミングでヒューズが空いていた左脚で剛腕に組み付いた。


「俺、だってな……!」


 全力で逆方向に負荷を掛け、腕の力と拮抗しながら体を捻る。「関節技か」とフレッドは考えたことだろう。咄嗟に肘を曲げた瞬間を、ヒューズが見逃すはずもなかった。


最強に先生みたいに! なりたいんだよ!」


 捻った力をバネのように解き放ち、掴んでいた腕を蹴り払う。見上げるフレッドと、見下ろすヒューズ。空中の刹那、足裏を掌に見立て、掌底のような一撃がフレッドの胸を突き飛ばした。

 

 無論決め手ではない。真正面から構えを取り直した二人が考えることは、概ね同じだった。


 死角からの攻撃はもう使わない方がいい。

 受けて捕まえる戦法はもう限界だ。


 ならば、と両者の拳が硬く締められた。


「正面から! ブン殴る!」


 意気揚々とした二人の声が、寸分違わず重なった。

 一歩、二歩、三歩と踏み締めながらも、一秒にも満たない間に体がぶつかりあう。フレッドは重い一撃で力押しを試み、ヒューズは速度を乗せた連撃で削り切ろうとする。「得意分野」の押し付け合いだ。最早どちらが上を行くかという話ではない。


 折れた方が負ける。それが拮抗である。


 声にならない叫び、あるいは息を呑むような沈黙の空間で、拳、脚、あらゆる攻撃を撃ち合う音だけがはっきりと聴き取れる。眼に見えるのは残像の筋だけだ。

 その応酬は、長くは続かなかった。


「おおおッ!」


 剛健な踏み込みと共に、互いの拳が振り抜かれる。目指すのは顔面だ。両者ともこの拳をまともに受けてしまうことは、軌道から見て明らかだった。ともすれば、最後の一撃になり得る。


 拳が迫る。そして、交差する——と、その時。


 二人の間に、ひらりと一枚の紙が舞った。


「"施錠ロック"」


 鋭く冷たい声が聞こえた。が、意識がそちらに向いたからと言って突き出した拳が停止することなどあり得ない。吸い込まれるように割って入った紙切れを同時に殴り付ける形となった。


 次に二人が感じたのは、痛烈な痛みだった。

 殴られたのではない。例えるなら、堅牢な岩石を素手で殴り付けたような鈍い痛みだ。拳は互いに届くことなく、コンマ数ミリの紙切れに衝突し、完全に押し留められていた。


「痛ってえッ! なんだ!?」

「か……紙? 空中に浮いて……」


 その紙はまるで静止画のように、空中に浮かんだまま動かない。触っても、引っ張ってもびくともしなかった。それどころか、渾身の一撃を両面から受けたにも関わらず、音さえ立てなかったのだ。


「そこまで。もう三分を過ぎている」


 訝しがる二人の元にカトレアが歩み寄る。その後ろには心底安心した、といった具合に微笑むマリーと、肩を竦めるレインの姿もあった。


「おい、もうちょっとぐらいいいだろ!」

「許可できない。私が止めなければどちらも倒れていただろう。元々三分と言ったのは君たちに無駄な怪我をさせないためだ。……効果は無かったが」


 抗議するフレッドをぴしゃりと一蹴すると、カトレアは傷だらけの二人を見回して溜息をついた。冷静になったヒューズも、今は「やりすぎた」と肩を縮めている。


「次は僕と、マリーですか」

「ああ、そのつもりだったが……」

「あはは、こんなになっちゃったら……ね?」


 ふと辺りを見渡すと、整然とした人工芝はどこへやら、訓練場は凸凹塗れの荒野と化していた。戦っているときは気付かなかったが、あれほど激しく撃ち合えばこうもなるだろう。その場のほとんどが苦笑していた。


「……二人の手合わせはまた今度だ。とりあえず、確かめるべきことは確かめた」

「確かめるべきこと、ですか?」

「ああ。次の任務にとって重要なことだ」


「次の任務」という言葉に、場の空気が引き締まる。顔色を変えた四人を一瞥して少し嬉しそうに口角を上げると、カトレアは堂々と言った。


「ノルノンドの森。そこが任務の場だ」

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