第2話 隻腕の女傑

 右腕のない女性……カトレアを前にして、四人は一点を見つめながら硬直してしまっていた。


 誰もその欠損に対し質問をぶつけることはしなかったが、激戦の残香を漂わせる隻腕に、思わず目を奪われてしまっていた。

 中でも際立った反応を見せたのはレインである。カトレアの言葉を聞き、痛ましそうに目を細めると、半ば呟くようにして口を開いた。


「……"空凍"のカトレアさん、ですか?」

「空凍?」


 彼女の異名だろうか。字面から連想されるのはレインの操る氷結能力だが、同系統の異能力者がそう簡単に居合わせることもないはずだ。

 問い掛けに対し、カトレアが複雑そうに頷く。レインは他の三人と比べてアステリアとの関わりも深い。『ノエル・ハイトマンの妹』として顔が知られているのと同様に、多くの情報も抱えているのだろう。


「レイン・ハイトマンです。兄がお世話になりました」

「世話になった……か。それは私の台詞だよ」


 カトレアも彼を知る人物の例に漏れずレインの礼に恭しく応じると、一転して「その話はまた後で」と断ち切り、未だ緊張した面持ちの生徒たちへ視線を移した。


「さあ、席に。もう時間だ」


 促されるままに席に着き、ゆっくりと教室を見回す。と言っても特に見るものがあるわけでもない。ただ、一年生の頃はほとんど訓練場で授業を受けていたのだ。対魔科一年の教室には埃が積もっていたことだろう。座って見る景色が妙に新鮮だった。


「改めて、対魔科二年を受け持つことになった。『元』退魔師のカトレアだ。上の方針で……」

「ちょ、ちょっと待ってください。元?」

「人の話は遮らないこと。……まあ、疑問が湧くのも無理はない。質問には適宜答えよう」


 語り出したカトレアを遮り、マリーが控えめに手を挙げながら質問を飛ばす。カトレアは迷惑そうに目を瞑りつつも冷静な声色は変えず、視線を一瞬右腕……もとい、右の袖にやって溜息をついた。


「見ての通り、私は右腕を失くしている。ある種の箔と言えば聞こえはいいが、隻腕というのは退魔師としては不利が過ぎる。……現場で足を引っ張るわけにはいかないからな。三年前に前線を退いた」


 実際に隻腕で退魔師を続けることの厳しさを味わったのか、それともただきっかけとして前線を退いたのかは分からない。だが、そう語る彼女の眼には、未だ枯れない女傑の風格と哀愁が滲んでいた。


 その元で学んでいれば、いずれ右腕を失った理由も知ることになるだろう。信頼関係を十分に築いてからの話ではあるが。


「それじゃあ、なんで今……?」

「人手不足だ」

「え?」


 身も蓋もない返しに、マリーが頓狂な声を上げる。その驚きに同調したのかカトレアは自嘲気味に笑ってから、更に話を続けた。


「君たちも良く知るように、先の戦いでアステリアはジンさんを失った。……それだけではない。地下校舎の爆破によって死んだ幹部もいれば、あの戦いで人知れず殺された強者もいる。分かるだろう」


 四人の表情が一斉に曇る。ジンのこともそうだが、あの襲撃で守り切れなかったものはあまりにも多い。マリーとフレッドも、助け出す前に瓦礫の中で力尽きた人々を何人も見ていた。レインとヒューズは、人狼と人面鳥の群れに屠られる退魔師を少なからず目撃している。


 アステリア本部からすれば相当の、ともすれば存続が危ぶまれるほどの痛手だろう。


「そこで、上層部は戦力の育成を必要とした。私だけではない、引退した退魔師を呼び戻し、即席の『強化委員』を編成したんだ」

「強化委員……僕らの成長を促すため、ですか」

「ああ。足並みが揃っているとは言い難いが」


 そう言うカトレアの顔はどこか億劫そうだ。

「強化委員」と銘打たれ、歴戦の退魔師が一堂に会する。ヒューズはその絵面を想像すると、思わず眉間にしわを寄せてしまった。我が組織の事ながら、退魔師は変人の集まりだ。比較的まともそうなカトレアが損な役回りを押し付けられるのは、ある程度予想できることだった。


「と、いったところで。返答と並行し、私の説明は大方終わった。君たちも整理は付いたか?」


 どうやらマリーの質問は、これから話そうとしていた事柄と一致していたようだ。生徒の疑問が一旦収まったことを確認すると、カトレアは扉の方へ足を進めながら再び口を開いた。


「では、次は君たちのことが知りたい。こちらへ」


 それだけ言って、早足で廊下に出てしまう。

 ヒューズたちは慌てて立ち上がり、堂々と眠っていたフレッドを叩き起こして後を追うのだった。


(……座らせる必要、なかったんじゃ?)


 廊下を急ぐヒューズの脳裏には、そんな頓珍漢な疑問が浮かんでいた。


 * * *


 カトレアが向かった先は、本館とは別の建物群——言うなれば実習棟の一室だった。移動中は何が目的なのか見当も付かなかったが、その重厚な扉を開けた途端に四人は全てを理解した。


 中に広がっていたのは、広大な人工芝の地面だった。それ以外に何もない空間が見るからに強固そうな壁に囲まれている分、その広さが一層際立っている。見紛うはずもない。かつての第一訓練場そのものだった。


「これをあの短期間で作り直したのか……」

「へっ、ケイキが良いじゃねえか。俺らをここに連れてきたってことはよォ、やることは一つだろ?」


 数分前まで寝ぼけていたフレッドも、その光景を見て目を爛々と輝かせている。教室よりも訓練場の方が慣れているのだろう。もっとも、それはヒューズも同じだった。


「ヒューズ。フレッド」


 カトレアの声が場内に響く。反応した二人はどこか嬉しげだった。


使軽く打ち合ってくれ。三分だ」


 その言葉に、二人は食い気味に了承した。

 何を要求されるかは訓練場に入った時点で分かっていたが、カトレアが「君たちのことを知りたい」という名目でこのような行動に出るのは意外だった。豪快で実地主義なジンとは真逆のタイプかと思ったが、柔軟な思考も持ち合わせているようだ。澄まし顔で見据えるカトレアの瞳には、薄らと期待の念が篭っていた。


「……三分、ねえ」


 フレッドが久し振りに生き生きと笑う。長らく見せていなかった表情だ。自覚は無かったが、ヒューズも良く似た顔をしていた。


「二人ともー! やりすぎちゃダメだよ!」


 冗談まじりに言うマリー。その横ではレインが呆れたように腕を組んでいた。


「止める準備、しておいた方がいいですか?」

「いや、次の準備をしておいてくれ。君はマリーと打ち合ってもらう。……万一暴走しても、止めるのは私の役割だ」


 確かな自信を帯びた横顔を一瞥すると、レインは「わかりました」と一言告げ、マリーと並んで場内に目を向けた。ヒューズとフレッドは既に中心で伸びをしている。待っていたと言わんばかりの張り切りっぷりに、レインは静かに微笑んでいた。


 当人たちは、言葉を交わすことなく身体をほぐし終え、ようやっと正面から向き合った。カトレアの鋭い視線がここからでも伝わってくる。本来なら担任に実力を示すチャンスなのだろうが、二人にとってそれは二の次だった。


「休暇中に何回か手合わせしたけど……やっぱり慣れた場所が一番だな」

「一番だぁ? 異能が使えねえんだから一番じゃねえだろ。俺は『全力で』やりたかった」

「今は本気が出せないって?」

「冗談だろ。本気の拳で相手してやるよ」


 上がった口角が徐々に下がり、それに伴って体勢が移り変わっていく。各々得意な領域を活かすための「構え」を取ると、吸い込む空気が急速に重くなるような気がした。


「——かかってこいやァ! ヒューズ!」

「行くぞッ! フレッド!」


 ぱん。と、芝の地面から弾けるような揺れが生じる。それが音として波及する前に——


 衝突した両雄の拳が、轟音を打ち鳴らした。

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