第48話 嵐に克つ

 人面鳥ハーピーは、他の魔族に輪をかけて希少な種族である。ここで言う「希少」というのは、個体数の少なさに加え、人前に姿を現さないという意味も含んでいる。たとえ縄張りに人が踏み込んでこようと、そこから何かを略奪していこうと、滅多に反撃することはなかった。ただ静かに身を隠すだけだった。この種族は、「闘争」というものを無駄だと割り切って生きていた。


「あたしの力を借りたいって……吸血鬼さんにそんなこと言われたって、あたしよくわかんないよ」

「魔族の世を創り出すためには力が必要だ。シャウラ、お前の能力は群の中でも極めて突出している。どうか、私に力を貸してくれ」


 数年前、人の寄り付かない岩礁地帯でアルフェルグとシャウラは出会った。


「……あたしたちの寿命、知ってて言ってるの?」

「寿命?」

人面鳥ハーピーの寿命は15年。……あたしが今12年ちょっと生きてるから、それに協力したって意味がないよ。死ぬんだもん」


 歪な魔族の中でも、神が悪戯で創ったような残酷さがそこにはあった。人間と何ら変わらぬ知性と身体があるのに、最盛期を迎えることなく、若いまま死んでいくのだ。人面鳥の根底にある虚無観はそのためだった。


「……ならば、尚更力を貸して欲しい」

「ええ?」

「命には意味を持たせるべきだ。お前たちにはそれがない。命には夢が必要なのだ。……それが見つからないのなら、私の夢に乗れ。夢の先には幸福がある。『成し遂げた』と、満足して死ぬほうがいい」


 アルフェルグの言葉にシャウラは目を丸くし、しばし硬直してから心底愉快そうに笑った。


「そんなに! そんなにあたしが欲しい?」

「ああ」

「あたしに命を燃やしてほしいの? あなたの夢のために、あたしの全部を?」

「そうだ」

「『かわいそう』じゃなくて『じゃあ私のために死ね』なんて、とってもひどい人だね! ……でも、いいよ。あなたと一緒なら楽しそう」


 シャウラはそう言って翼を差し出した。握手の真似事だった。


「アルフェルグさんだっけ。アル兄って呼ぶね?」

「フ……随分な変わりようだな」

「へっへー、仲良くしようね。"ドーメー"って言うくらいだから、他にも仲間がいるんでしょ?」

「ああ。スライムと人狼の仲間がいる。一方はそうと言い難いが……人狼の方は、きっと尊敬できる」


 特に深い考えはなかった。「命の意味を知りたい」という潜在的な願望はあったが、それをシャウラ自身自覚していなかった。彼女は、その時「楽しく生きて笑いたい」とだけ感じていた。


 * * *


 ヒューズと別れた後、レインが走った先では退魔師と人狼、人面鳥を中心とした魔族の軍勢との激しい戦いが繰り広げられていた。一見すると状況は優勢だ。しかし——


「機動力、耐久力の薄い者は下がれ! この魔族、何らかの異能力を有しているぞ!」

「正体が、掴めない……! 念動力の類か!?」


 一体だけ、他の退魔師を圧倒している魔族がいた。レインにとっては忘れられない姿だ。華奢な女の肉体に、青い羽が美しく生え揃った翼、猛禽の脚。ノルノンドで激闘を繰り広げた魔族の盟主、シャウラだった。


「……これは、幸運かな」


 シャウラが退魔師の一人を捻り潰そうと羽ばたいたその時、レインが氷の塊を投射した。それが空中で平たく展開し、強固な盾へと変化する。シャウラの風はそれに亀裂を入れて打ち消され、代わりに白い冷気がアスファルトに霜を下ろした。


「え!? あたしの風が……あっ! あなた!」

「ノルノンド以来だね。人面鳥ハーピーのシャウラ」

「冷たいタイマシ! こんなところで!」


 シャウラは前回の戦いがよほど堪えたのか、レインに対して余裕のない態度で距離を取ると、警戒した様子で翼を大きく広げた。

 一方でレインは冷静だった。勝利条件が明確に見えたからだ。魔族の数は多いが、少数精鋭の退魔師に対処できないほどではない。つまり、その中で特に強い力を持つ者……シャウラやアルフェルグのような魔族さえ倒してしまえばいい。そしてその役割は、それと戦闘経験のある者が担えば確実だろう。


「君は……学園の一年生か?」

「この魔族は僕が引き受けます。周りの処理を任せてもいいですか?」

「なっ! 君のような子供に……?!」


 退魔師の男がレインの言葉に顔をしかめる。それも当然だ。この重要な戦いを子供に投げることを忌避しているのだろう。しかし、レインは真剣な眼差しで「自分がやる」と訴え続けた。


「僕には交戦経験があります。異能の正体も『風』だと知っている。僕を信じてください」

「……思い出した、君は『夕立』の……ノエルくんの妹か」


 男はそう言うと納得したように頷き、レインの言葉を簡単に受け入れた。

 レインは自嘲気味に笑うと、冷気をたなびかせながらシャウラを睨み付けた。


 自分が信頼される理由が「兄の功績」ならば、それはそれで上等だ。むしろ喜ばしいことでもある。兄に並ぶにはまだ遠い。しかし、この戦いで勝利すれば自分も兄と同等の力を持っているという証明になり得る。まさしく絶好の機会だった。


「これは挑戦だ。リベンジさせてもらうよ」

「リベンジ? あの時、別にあなたたちは負けてなかったじゃん。……でも、なんだか楽しそう」


 空気が不規則に揺れ動いている。二人の間で大きな力が鬩ぎ合っていることを、肌に伝わるほどの流れが示していた。


「あなたの名前を教えて?」

「レイン・ハイトマン」


 名乗ると同時に、レインは異能を解放した。

 地に冷気を這わせ、脚を捕らえようとする。するとシャウラは翼を大きく揺らし、天空へと舞い上がった。当然の行動だ。地面から攻撃が迫れば、当然飛び上がるだろう。主戦場は空なのだから。


「その異能には、簡単な攻略法がある」

「!」


 足元で凝縮された冷気が、急激に伸びる大樹のように突き上がる。凄まじい速度だった。昇り竜とも言うべき猛々しさで迫るそれを見て、シャウラは汗を滲ませて風の弾丸を放った。しかし、割ったそばから生え出る結晶を防ぎ切れない。氷はあっという間に猛禽の如く節くれ立った脚を絡めとった。


「く、この! こんなのすぐ破壊して……!」

「降り注げ、"ローヌの矢"!」


 下に注目した瞬間、次は頭上から攻撃を仕掛ける。生成された氷の矢はシャウラの背に突き刺さり、痛々しい傷を刻み込んだ。


(手詰まりになったら、あの広範囲攻撃が来る。ノルノンドで得た情報、今存分に生かしてやる!)


「全部、吹き飛ばせばッ! "羽凩テンペス"……」


 シャウラが歯を食いしばりながら身を縮め、空気を荒々しく逆立たせる。この「身を縮める」という動作が非常に重要だった。

羽凩テンペスト」の発生に掛かるタイムラグ。それを使い、レインは作戦通りを強化した。


「成長しろ! "イプライドの氷樹"!」


 加えられた冷気が氷と呼応し、脚に絡み付いていた氷が再び膨張し始める。縮こまったシャウラは翼を閉じ、ちょうど小さく纏まっている。その体を覆い尽くすのに、時間すら必要なかった。


 氷は瞬く間にシャウラの体を包み込み、固く封じ込めた。少しだけもがくのが見えたが、脱出できるはずもない。巨大な氷の牢獄が、柱の上に抜かりなく完成しているのだ。


「君の異能は『風を放つ』能力じゃない、あくまで『空気を操る』能力だ! 氷の中に操れる空気は無い。このまま氷像にしてやる……!」


 レインが手を緩めることなく、更に氷を大きく付け加えていく。氷の中の体温を奪い、そのまま完全に封じ込められるかと思った、その時。

 ぴしり、と。致命的な音が響いた。

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