第37話 煉熱・後帯の乱舞

 マリーの部屋には未だ氷の壁が三人を守るように立ち塞がり、たなびく冷気が床に垂れた髪の毛を揺らしている。静寂の中、彼女らを助け起こす者はおらず、眠りを妨げるものも存在しなかった。

 女子寮の窓側には中庭が備わっている。地下空間の最低限の彩りである。天井に投影された人工の空が、内情と反した爽やかな光を発していた。


「……ここだな」


 そこに、一人の男が現れた。マリーたちを眠らせた二人組の片割れ、中肉中背の男だった。着けていたマスクを外し、その無個性な顔を露出させている。男は外壁のへりに足を掛けて軽々と目的の窓に移ると、懐から鈍器を取り出した。


「——オイコラ、何やってんだテメェ」


 いかにも不機嫌そうな声が響いた。

 男が咄嗟に振り返ると、中庭の木に寄り掛かりながら窓を見上げる少年——フレッドの姿があった。


「そこ女子寮だろ。何やってんだ」

「…………」


 黙りこくる男に対し、フレッドが持っていた本を閉じ、木の陰に置いてから立ち上がる。


「おい。降りて来いや変態野郎」


 フレッドは、対魔科で唯一学園で起きた異変に気付いていなかった。本来立ち入り禁止の中庭で気配を消していたこと、「一歩も動かず本を読む」というデータベースの真逆を行く動きを諜報科が予測できなかったことが合わさり、襲撃を一切受けていなかったのだ。

 不機嫌な理由も、読書で普段使わない脳機能を酷使したストレスだった。その腹いせに目の前の不審者を懲らしめようとしているだけである。


 一方の男は、フレッドとの予期せぬ遭遇に戦慄していた。不可視の異能が途切れた状態で、対魔科——それも優れた火力と範囲を持つ「炎」の異能力者を相手にするなど論外だ。


「……こうなれば、の方が確実か」


 思考の末、男は鈍器で窓を叩き割り、素早く中に入り込んだ。そしてきらきらと舞い散るガラス片が中庭に落ちるよりも速く、フレッドも壁を駆け上った。


「何するつもりだ! 逃さねえぞ……あ?」


 窓枠を掴んで部屋を覗き込む。そこには倒れ込むレイン、マリー、フェリシアの三人と直立する氷の壁……そして、三人の傍で奇妙に屈んでいる男の姿があった。


「ど、どういう状況だ!? なんで寝てんだお前ら! そんでテメェは何してんだ変態野郎!」


 困惑しながらも、フレッドは男を捕らえようと手を伸ばした。それを見た男の口角が不気味に引き上がると同時に、フレッドの足首に染み入るような冷たさが走った。

 唾を飲み込み、足元を見る。冷気の発生源、彼の足首をしっかりと掴む、陶器のように白い腕。見間違える筈もない。レインがフレッドを妨害し、掌から強烈な冷気を発していた。


「な——」

「仲間との殺し合いだ。楽しめよ、スラムの狂犬」


 男はその隙にフェリシアを抱え上げると、音のない独特な走りで部屋から離脱した。「待て!」と声を上げ、力任せに手を振り払おうとしたところで、室内が凄まじい光に包まれた。


「……! お前ッ、——!?」


 爆裂。既視感があった。光の異能だ。

 片手で放たれた光の筋はフレッドの体に直撃し、窓——正確には窓を含んだ壁全体を吹き飛ばした。フレッドは辛うじて体を翻すと、中庭の花壇を踏み潰しながら着地した。それに追随して降りてくる人物が二人いる。マリーとレインだった。


「痛ってええッ! ふざけんな、何しやがる!」

「"コーウィルの槍"」


 放出した冷気が即座に槍へと変質し、容赦なくフレッドに向けて突き抜かれる。訓練中のものとは訳が違う。魔族と相対した時の攻撃だ。その後ろでは、マリーが次の砲撃を準備し始めている。二人はフレッドのことを完全に敵と認識しているようだった。


「バカ野郎、やめろ! 危ねえだろ!」

「よく喋る魔族だね……!」

「誰が魔族だマヌケ! ぐっ、マジでシャレになんねえぞ……」


 紙一重で氷の連撃を潜り抜けながら、フレッドは必死に思考を巡らせた。訓練や喧嘩ならば喜んで相手になるところだが、状況が妙なことにはフレッドも流石に気付いていた。何より、フェリシアがあの男に連れ去られたことは大問題だ。口振りから考えるに、二人の様子がおかしいのも男の仕業である可能性が高い。

 フレッドが出した結論は、「男を追いかけて殴る」という非常にシンプルなものだった。


(つっても、こいつらが殺意剥き出しで襲ってきやがる! 一対一なら絶対負けねえが、二対一は無理……いや、無理じゃねえけど怪我させちまう!)


 少し距離をとって、フレッドはようやく炎の異能を解放した。入学の頃なら状況も考えずに戦いを続行するところだが、彼は学園生活の中で最低限の戦略を学んでいた。精神面ならば、四人の中で一番の成長を遂げていると言える。


「後で詫びろよなお前らッ!」


 左手を引き、掬い上げるようにして薙ぎ払う。拡散した炎熱が花壇の土を気流に乗せ、灰茶色の煙幕が生成された。戦法としては好みどころか嫌いだったが、フレッドは視界を奪った合間に、逃亡した男を追って走り出した。


「待て、変態野郎! そいつ連れてってどうするつもりだ!」


 いざこざの内に、フェリシアを抱えた男とはかなりの距離を付けられていた。その秘密は走法にある。「影走」と呼ばれる無音高速の走法が諜報科には教え込まれているのだ。まともに駆け合っても勝ち目はない……が、それはあくまで一般人相手の話だ。対魔科の常識破りな力には通用しない。

 フレッドは全力で火炎を噴出し、その勢いで猛追を始めた。


「レインちゃん、追いかけよう!」


 背後からはマリーの声が聞こえる。普段と変わらない、天真爛漫といった具合の声だ。味方に追われる、敵として認識されるというのは、想像以上に精神に支障をきたすものだ。フレッドは相手が諜報科であることも、襲撃の理由も把握していなかったが、この戦いが異常だということははっきりと理解していた。


「マリー、構えて。

「わかった!」


 フレッドに聞こえない声が交わされ、レインの手に踊るような冷気が這う。造り上げた氷の槍が勢いよく投げ飛ばされ、フレッドの足元に突き刺さった。

 狙いを外したと思われた槍から、氷の結晶が伸びる。それは背後だけを警戒していたフレッドの脚をあっという間に絡み取り、一瞬のうちに体勢を崩し去った。

 焦りながら目線を二人に向けると、そこに映ったのは動けない体に正確な照準を合わせる、マリーの鮮烈な光だった。


「やっ、べえ……!」


 両手に備えた光球の規模を見るに、手加減など一切無い、マリーの必殺の一撃だ。魔族の頑丈な体さえ焼く異能を、フレッドは何度も目の当たりにしてきた。正面から受けてただで済むとは思えない。

 氷から抜け出すのが叶わないと悟ると、フレッドは全霊を込め、自身の火炎でそれを迎え撃つことを決めた。


「——弩級砲フレア!」


 太陽の如き破壊の光が、躊躇なく襲い掛かる。同時にフレッドは全身から巻き上げた熱を滾らせ、力が枯れ尽くすかという規模の猛炎を射出した。渦巻き、牙を剥くそれは、さながら怒れる龍のようだった。


「ぐ、おおおッ! 相、変わらず、バカみてえな火力しやがって……!」


 赤と橙のエネルギーが、周囲を粉微塵に吹き飛ばしながらせめぎ合う。炎と光の熱量対決は一瞬拮抗したように見えたが、異能の質がそもそも違う。マリーの光が炎を徐々に押し戻し、フレッドの命さえも掻き消そうとした、その時。


「——!」


 峻烈の雷が、危機を救いに現れた。

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