第35話 鮮血の包囲網

 死体の転がる廊下で、ヒューズは言葉を失った。数分前まで生きていた生徒たちは、何者かによってその若い命を絶たれたのだ。"何者か"と脳内にもやをかけたのは、既に実行者を断定しながらも肯定するのが怖かったからだ。

 死体の一つに駆け寄ろうとすると、壊した床——もとい天井が衝撃の余波で瓦礫を落とした。ヒューズが次にすべき行動を思い返したのもそのタイミングだった。


(切り替えろ、眼を背けろ。もう死んでるんだ)


 眼を強く瞑り、電気を滾らせて脚を踏み込む。

 俊足をいざ発動せんとした、その時だった。突如として首が締まり、同時に体勢が後ろに傾いた。何かに襟首を引っ張られている。あまりの唐突さにヒューズは抵抗する間も無く引き寄せられ、教室の扉に吸い込まれてしまった。


「っ、離せ……!」

「しー……静かに。暴れないで」


 雷撃を準備したところで、聞き覚えのある囁き声が耳をくすぐった。勢いよく振り返ると、ロシェがすぐ近くで顔を寄せていた。どうやら急に振り向かれたのに驚いたようで、無表情ながらもほんの少しだけ眼を丸くしていた。

 ロシェが人差し指を唇の前に立てて念押しする。雷に触れた肌がわずかに赤らんでいた。


「す、すみません。痛かったですか」

「痛かった。電気って触ると痛いのね」


 できる限り息を潜めた会話だが、どうにも締まらない。しかし今回ばかりはロシェの雰囲気に呑まれるわけにはいかなかった。学園で起きた異常……生徒を狙う襲撃者について、情報を共有しなければならない。空き教室に身を潜めるように引き込んだロシェも、この異常は把握しているだろう。


「ロシェ先輩、一体ここでなにが……」

「さあね。私も突然狙われたから詳しいことはわからない。諜報科が束になってるっていうのはわかったけれど」

「……やっぱり、諜報科ですか」


 冷静な振る舞いを努めながらも、ヒューズはひどく落胆した。魔族が人を殺すのとは訳が違う。栄誉の戦死という言葉は好きではないが、志を果たして死ぬのと味方に裏切られて死ぬのとでは天と地の差だ。それに加え、諜報科が自分たちに刃を向けたとなれば、セントールが両親殺しの犯人だという考えも信憑性を帯びてくる。肺を綿棒で掻き混ぜられるような不快さを感じていた。


「諜報科は魔族を殺せるほどの力はないけれど、対人戦闘においてはエキスパート。異能もあの手この手の搦手からめて揃い。厄介な連中ね」

「今まで戦ったことのない相手です。俺も敵の姿が見えなくて……ん? もしかして先輩なら……」

「見えるわ。私の異能なら透明でも認識できる。まあ、それ以上に面倒な相手に当たっちゃったからこうして隠れてるんだけど」


 ロシェの異能は、体構造から点穴の位置、遠視や透視まで、見えざるものを視ることに特化した力だ。それさえあれば、不可視のまま攻撃を仕掛けてきた相手にも対応できるだろう。

 希望を見出した後、改めて「面倒な相手」について質問しようとした瞬間、視界の端に煌きが射した。ロシェの両眼が黄金に輝き始めていたのだ。


「——後ろ」

「え」


 背後に迫る異様な感覚。振り返ろうとしたヒューズは、その刹那に気付いた。後ろには。正確には、教室の壁があるだけだ。亀裂もなければ通気口もない。しかし、魔族との戦いで研ぎ澄まされた感覚は、何もない空間から現れる殺意に対し、敏感に警鐘を鳴らしていた。


「——せッ!」


 破壊に対する躊躇を完全に捨て去り、壁に向けて放電する。雷の熱量が壁に亀裂を入れ、威嚇的な咆哮を上げた。それに合わせて一瞬殺意が消え、隙を付いて飛び起きた。

 臨戦態勢に移った二人だが、ヒューズの眼には不審な人影すら映らない。糸とナイフの襲撃者と同様に、透明になる力を受けているのだろう。


「ロシェ先輩、敵は!?」

「壁の向こう。……本当に厄介。恐らく『透過』の異能力者よ。壁も、地面も、こっちの攻撃もすり抜ける。武器は短剣ひとつね」


『透過』の異能。すり抜ける力。それが確かなら厄介どころの話ではない。ヒューズからすれば、「見えない」と「攻撃できない」の二重苦だ。ロシェが居なければ攻撃を躱すことすら困難になる。幽霊と戦えと言われているようなものだった。


「戦い方とか……そうだ! その眼で弱点を見抜けたり……」

「それができないから逃げてたのよ。そのビリビリで何とかならない?」


 緊張感のない返しに頭を悩ませながら、半ばやけっぱちに雷を放出する。それを前方に放とうとした瞬間、「前の扉から二人」という声が届いた。

 その正体を察したのも束の間、ロシェとヒューズそれぞれに向けて、鋭利なナイフが投げ込まれた。

 それを躱し、ロシェに眼を向ける。強張った表情に浮かべた金の瞳が、いつになくその顔を真剣に照らしていた。


「三対二。どれから潰すべきだと思う?」

「……まず透明化を解くべき、ですかね」

「そう。……エネルギーの伝達方向からして、そうね。"ナイフ持ち"がその異能力者だと思う」


 そう言って、ロシェが「扉から左に3メートル」と簡素な指示を飛ばす。それが耳に届いた瞬間に、ヒューズの脊髄は彼の肢体を爆発的に動かした。

 位置さえ分かればこちらのものだ。瞬きの隙も許さず、ヒューズの拳が振り抜かれる。


「——ズレた。壁を蹴って頭上へ」


 空振った腕の動きに合わせて、髪をかきあげるような風の揺らめきを感じ取った。……と共に、右肩へと体重がかかる。人の手の形だ。頭上へ跳躍したナイフ使いは、さながら曲芸師のようにヒューズの肩を支えとしていた。

 ロシェの視界で、肩に手を掛けたまま片手でヒューズを刺し殺そうとする姿が見えた。ロシェの方には、廊下でヒューズを襲ったのと同様の糸、そして「透過」で近付いた攻撃がけしかけられていたが、それを躱せない彼女ではない。綿毛のようにふわりと跳ぶと、拾い上げたナイフをヒューズの方向に向けて投げ返した。


「ぐっ!」


 男の声が上がり、頭上にいた人物が色を取り戻す。ナイフを持っていた腕に正確に投げ込まれた刃が、浅黒い肌を鮮血に染めていた。

 ようやく姿を見せた襲撃者を見上げて、ヒューズは静かな怒りを視線に乗せた。無防備な空中、武器を持つ手は負傷し、厄介な異能も解けている。これ以上ない好機だった。


「まず一人目——!」


 ヒューズは壁を蹴って空中に上がると、あろうことか攻撃を受けた右脚に雷撃を纏わせた。こうした意趣返しを企むほどに、ヒューズの精神には抑圧にも似た負荷が掛かっていたのだろう。


 上昇の勢いを併せた蹴り上げが、白雷の煽りを受けながら炸裂し、襲撃者の腹部に突き刺さる。勢いそのままに天井の蛍光灯を粉々にし、白眼を剥いて教卓の上へと崩れ落ちた。


「……!」


 ロシェの見立ては正しかった。ナイフ使いが気絶した次の瞬間、電飾のスイッチが入ったかのように色彩が明滅し、壁に溶け込むようにして透過する男と、手元に糸を巻き付けた女の姿を映し出した。


 ロシェが静かに息を吐き、ヒューズは左脚を軸にその場へ着地した。二人の眼には、魔族と相対する時とそう変わらない、明確な敵意が浮かんでいた。


「ヒューズ」

「ええ。反撃開始だ」


 生徒同士の潰し合いが、輪転しつつあった。

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