第32話 諜報科へ

 訓練が終わり、生徒たちが就寝した深夜。寮棟の外れの小さな喫煙室で、ジンが電話を受けていた。左指に掛けた煙草はすでに燃殻が半分に差し掛かろうかというところで、寂しげに灰を落としていた。


「……オイオイ、いくらなんでも遠すぎるだろ、そこは。飛行機が使えるわけでもなし、今から行っても二日かかる。最寄りの支部でなんとかしろよ」


 相手はアステリアの連絡官だ。ジンに、遠方への出撃要請が出ているという知らせが入っていた。


「あぁ……上からの圧力が? そりゃあんな大規模な襲撃があった後だ、過敏になるのも分かるが」


 話しながら、ジンはノルノンドの戦いでレインが纏めた簡潔な報告を思い返していた。

『人狼の襲撃はこちらへの挑発の意図があったと思われる』という文言。それが正しいならば、今まさにその効果が出ている。ジンの戦力としての位置付けは極めて高次なものだ。それを易々と拠点から遠ざけるほどに、上層部としても魔族に厳しく反応せざるを得ないのだろう。


「……わかった、応じるよ。ただし、いつでも帰還できるよう準備を整えておいてくれ」


 そう言ってジンは電話を切ると、煙草がもう口につけられない長さになったのを見て少し辟易するように溜息を吐いた。


 次に脳裏に浮かんだのは、一ヶ月ほど前のロシェとの問答だ。

『魔族の情報網について、どう思う?』という、何気ない雑談のような切り口だった。しかしロシェがどこか考え込むような真剣さを無表情のうちに込めているように思われて、らしくないと笑ったのを覚えている。


『大したもんだと思うぜ? どこで仕入れてんのか知らないが、新入生の情報も網羅してたって話だ』

『私は妙だと思うの』

『妙?』

『あるんじゃない。こっちから情報を抜く方法が』


 やけに、印象的に残ったやり取りだった。


「——嫌な感じだなァ」


 そう言って喫煙室を後にし、ジンは身支度を整えるなり、要請のかかった場所まで移動を始めた。


 * * *


「おはよう、ヒューズくん」

「お、レイン。おはよう」


 朝食を取り終わり、廊下で顔を合わせた二人が挨拶を交わす。早い段階で今日はジンが居ないということが知らされており、この日の過ごし方はそれぞれに一任されていた。課題の強制などをしない所に、ジンが生徒から好かれている理由が表れていた。


「今日はどう過ごすの? 良かったら一緒に訓練しないかって誘いに来たんだけどさ」

「あー……悪い。空いた時間にやりたいことがあって」

「そっか……残念。ちなみに何を?」

「諜報科に用事があるんだ」


 用事というよりは、偵察と言った方が正しい。人を疑うのは苦手だったが、リオの話を聞いた後では一度諜報科の内情について調べなければならない気がしていた。謎に包まれた第四の科への、個人的な好奇心もあった。


「じゃあ僕も今日は休みにしようかな。マリーがフェリシアと話がしたいって言ってたし。ふふ、女子会ってやつかな」

「仲良くしてくれると助かるよ。あいつ人見知りだからさ。フレッドはどうするって?」

「彼ね、昨日の夜からずっと本を読んでるよ。色んな本。絵本から文学書まで、たくさん」


 まさかフレッドが、と驚愕するヒューズに対し、レインは昨日受けた相談の内容を「実は」と話しかけて、良心の呵責で押し留めた。


『——なあ、その……女心ってどうやったら分かるんだ』

『お、女心? どうしたんだい急に』

『なんでもいいだろ、いいから教えやがれ! ……オイ! 笑ってんじゃねえ!』

『ごめんごめん、つい。そうだなあ、僕に聞くより本を読んでみたら? ロマンチックな物語とか』


 フレッドは以前文字を読むのが苦手だという話をしていた。基礎教養を学ぶ機会がなかったのだという。そんな彼が読書のアドバイスを素直に聞くほどの心境の変化があったということだ。


「まあ、ヒューズくんに教えるにはまだ早いかな」

「え?」

「なんでもないよ。それじゃ」


 悪戯っぽく笑うレインを見送ると、ヒューズはしばらくその発言の意図を考え、やはり分からない、と自嘲気味に笑って歩き出した。


 向かう先は当然諜報科の棟だ。学園の端の端、他学科の生徒が普通に過ごす分にはほぼ確実に立ち寄らないであろう位置に存在している。ヒューズも今まで立ち寄るどころか視界に入れたことすらなかった。


「ここか……」


 諜報科のプレートが架けられた通路の先に、事務室めいた部屋がいくつも並んで見える。一見して気にする所はなかった。

 訪れたは良いものの、どういう理由で中に入るかまでは考えていなかった。完全な先走りだ。諜報科、と名付けられているだけあって、関係者以外の情報の持ち出しには厳しいだろう。事実、今も警戒で張り詰めた緊張感を奥から感じていた。

 もうこのまま中に入ってやろうかと勇んだ、その時だった。


「何か用かね。諜報科の生徒ではなさそうだが」

「うわっ!?」


 背後から、痩身の男性に話しかけられた。

 よく手入れされた解れ一つないスーツを身に纏った、一見するとビジネスマンのような風貌をした大人だった。恐らく諜報科の教師なのだろう、こちらに対する警戒心が嫌というほど伝わってきた。


「その、ええと。諜報科の仕事に興味があって。見学させてもらおうかな、なんて……」

「……ここがどんな人材を育てる場か知っているだろう。君は対魔科の一年だな。入学式に居たのを思い出した」


 厳格な雰囲気に押され、つい実の詰まっていない答えを返してしまう。男性は呆れた表情を隠しもせずに言うと、そのまま棟の中へ歩いて行ってしまった。

 どうにか新しい理由を作れないかと思案していると、視界の中に残っていた男性の姿勢が一瞬崩れ、その場で硬直したのが見えた。まるで機械を再起動させたような、奇妙な動きだった。

 そして男性は硬い表情をそのままにこちらへ戻ってくると、ヒューズに冷たい視線をぶつけながら言った。


「見学を許可しよう。対魔科と諜報科には明確な協力関係が存在する。それを学ぶのは有意義だ」

「え……いいんですか?」

「構わない。ついてきたまえ」


 まるで人が変わったような——話し方や表情は何一つ変わっていないが——振る舞いに、ヒューズは困惑した。戻ってくるまでにどんな思考が回ったのかは見当が付かなかったが、この人物もアステリアの異能力者の例に漏れない変わり者なのだろうか。そう考えると納得できるような気もしたが、警戒する気持ちは少なからずあった。

 しかし、好機なのは間違いない。これで中に入り込み、「変身」や「幻覚」の異能力者を見付けられれば言うことなしだ。


「はい、ありがとうございます! 俺は対魔科一年のヒューズ・シックザールと言います。あなたは?」

「諜報科。セントール・ロスだ」


 痩身の男性……セントールは、ヒューズに一瞥もくれずに早足で廊下を進んでいく。全くその真意が掴めなかった。ヒューズは不信感を強めていきながらも、道の途中で見える部屋の中を注意深く観察し、自分の目的を果たそうと全力を尽くした。


 方々の影からの、隙間無い監視にも気付かずに。

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