第33話 揺らぐ秩序

 諜報科の廊下を歩きながら、ヒューズは口元が曲がるような、言い知れぬ不安感を胸に抱いていた。迎え入れて貰えたのはいいが、そこに親切心のような前向きな感情を一切感じなかったのだ。何か作為的な理由があり、かつそれを隠すつもりが無い。セントールの態度からはそう読み取れた。


「諜報科と対魔科の関係と言ったが、君はその具体例を一つでも把握しているかね」

「えーと……すみません、よく知らなくて」

「代表的なものが"事後処理"だ。君たちが無駄に派手なことをして起きた騒ぎを無かったことにする仕事。……先日の事件は最早揉み消せる段階ではなかったが。全く常々面倒なことをしてくれる」


 アステリア自体が裏側の組織なだけあり、その活動には「隠匿」の手段が不可欠だ。特に魔族と異能力者の戦いは一般人からすれば恐怖の対象以外の何者でもない。そこで諜報科の情報操作や個人に対する記憶処理が役立つ。

 しかし、先のノルノンドの事件では、規模が大きい上に突発的であり、加えてヒューズたちも特に隠匿の都合を考えず大暴れしたために、完全な情報操作が間に合わなかったらしい。そう語るセントールの顔には、苛立ちが露骨に表れていた。


「……それに関しても何か言うことがあるだろう」

「……す、すみませんでした」

「フン。力だけ強い痴れ者を集めるからそうなる。ブレンハイムといい、なぜ我々が貴様らの尻拭いをせねばならないのか。毎度頭が痛むよ」


 初対面とは思えないほどの、いや初対面だからこその刺々しさに、ヒューズは肩を縮ませながらも顔をしかめた。嫌味を言うために入棟を許可したのだろうか、と邪推してしまうほどだ。


 と、吐き捨てられる文句を黙って受け入れながら歩いていると、セントールはある部屋の前で足を止めた。対魔科の訓練場と良く似た鉄扉で阻まれた入口をくぐると、広い空間の中に多様な障害物が設置された、極めて視界の悪い場所が待ち構えていた。


「諜報科の生徒はここで日々技能を磨く。好きに見学したら勝手に帰りたまえ」


 障害物の先に目を凝らすと、何やら人型の的のようなものが蠢いている。好奇心のままに注視していると、空気が抜けるような軽い音と共に、的の上部……人で言う後頭部が、ぱん、と弾け飛んだ。


 一瞬銃撃かとも思ったが、ヒューズの動体視力が捉えたのは全く別のものだった。。どこからか鋭く投擲されたナイフが、障害物の隙間を縫って的を貫いたのだ。それを見て、これが暗殺の訓練だとすぐに気付いた。


「音が大きいぞ。無音の殺しを心掛けろ」

「はい、すみません」


 セントールの指導に、姿の見えない声が返答する。どちらにもやけに無機質な、それでいてロシェとは違う、血の通わない恐ろしさのようなものがあった。

 考えてみれば、別段おかしいことではない。正面を切っての戦闘を任される対魔科が存在するのだ、対人用の暗殺を異能力者に任せるのは極めて合理的と言える。


「その……セントール先生も、こういう仕事をしたことがあるんですか?」

「当然あるが。それがどうした」


 あっけらかんと言う声には、何の感情も篭っていなかった。初めからこうだったのか、"仕事"を重ねるうちに変質したのかは分からないが、それが諜報科の根本を象徴しているようだった。

 何よりも心に残ったのが、ヒューズを見つめる瞳だ。「お前も同類だろう」と、脳内に呼び掛けられているような気さえした。


「……ちなみに、先生の異能力は……」

「私の異能は『変身』だ。こんな具合にな」

「えっ——」


 セントールの方を見ると、そこには彼の姿はなく、代わりに写し鏡のようなヒューズの姿があった。目の前に自分自身が立っているのだ。

 探していた人狼の姿を真似し得る異能力者——親殺しの『犯人候補』。それがセントールだった。


 * * *


 一時間ほど経ち、ヒューズは廊下を一人で歩いていた。その後諜報科の異能力について聞き回ったものの、変身や幻覚に連なる力を持っているのはセントールのみだった。心中の猜疑心が膨張していくのがわかったが、彼を疑う証拠も根拠もない。ただリオの意見を聞いただけで流されただけだ。


(証拠も無しで、人を疑うのは……)


 復讐を最終目標として掲げてはいるものの、ヒューズ自身の心根が純朴なのは変わらない。事は慎重に進めなければ、復讐どころか今現在の立場さえ失いかねない状況になると思った。


「レインあたりに相談してみようかな……」


 独り言を呟いて、寮棟に向かって歩みを進める。時刻も丁度正午に差し掛かろうかというところ、食堂に誘うのも悪くないかと思案していた、その瞬間。


「——!?」


 背中の肌が一斉に粟立つような、鋭い危機信号。音も気配も感じないが、「動かなければまずい」という、ある種の生存本能が脳内で叫んでいた。


 体が動くより先に、漏れ出した雷電が表皮を這う。弾ける白光が全身の筋肉を引っ張り、転ぶような不格好さではあったものの、ヒューズの体を左に逸らした。

 避けた瞬間に、頬のすぐ横を空気の筋が通り抜ける。ヒューズの頭を狙って飛来した細身のナイフは、廊下の壁に突き刺さり、びん、と硬質な振動音を鳴らした。


「誰だ!」


 問いかけへの返答はなく、振り返っても人の姿は見えない。ただ突き刺さったナイフだけが、ここに襲撃者が居たことを伝えていた。

 雷を備え、警戒しながら辺りを見渡す。その状態で五分ほど経過したが、怪しい人影どころか誰一人として現れなかった。襲撃者が隠れるのは当然としても、ここは廊下の真ん中だ。生徒も教員も歩いていないのは明らかに不自然だった。


(おかしいぞ。何かおかしい。嫌な予感がする)


 とにかく、クラスメイトの誰かに合流して話を聞いて貰うのが先決だ。学園全体に何らかの異変が起きていないとも限らない。そうして走り出すと——


「う……!?」


 身に纏った雷が微かに音を立てながら伝達するのを感じる。視線の先に映ったのは、首元の周りでピンと張られた、透明な糸だった。

 咄嗟に頭を下げると同時に、輪状になっていた糸が一気に振り絞られる。掠った何本かの髪の毛が容易く分断され、頭皮に小さな痛みが走った。

 もしも雷を纏っていなかったらと思うと寒気がする。あくまで感覚上でだが、かなり硬質な糸だった。首の切断とまでは行かないまでも、深手を負わされるのは確実だったろう。


 間違いなく、命を狙われている。

 それも正面からの攻撃でなく、暗殺に近い手段だ。つい先程暗殺を生業とする科を見学していたばかりに、不穏な考えを過らせずにはいられなかったが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 取れる選択肢は襲撃者の撃退か、クラスメイトとの合流かの二択だ。攻撃手段、敵の数、位置の全てが未知数な今、一人でここに留まるのは得策ではない。それがヒューズの判断だった。


「くそ……!」


 雷光を更に拡散し、感知の範囲を広げながら慎重に進む。足を進めるたびに以前とは別の位置からナイフが飛来し、糸の攻撃も首の次は脚、脚の次は腕を狙って正確に放たれる。こうも激しく仕掛けられているにも関わらず、居るであろう敵の姿どころか息遣いさえ読み取れない。無音、不可視の殺意が、全力を賭してヒューズを喰い尽くさんとしていた。


(頼むから……魔族の仕業であってくれ……!)


 廊下を縦横無尽に跳び回り、額に脂汗を浮かべながらも、そう願わずには居られなかった。

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