第17話 ノルノンドの狼

 アドニスとの話を終え、部屋を出て行こうとしたところで、ヒューズはある物に目を留めた。


「……これは、何の絵ですか?」


 金の額縁に仰々しく飾られた絵画を見ながら、ヒューズが怪訝そうに首を傾げる。その中には、白い獣毛を全身に纏い、鋭い牙を示している男が、森の中で佇んでいる姿が描かれていた。

 それが、憎き人狼に酷似しているように見えたのだ。


「ああ、それかね。題名は『ノルノンドの狼』。ここらの地域に伝わる御伽話おとぎばなしを描いたものだよ。ほら、本棚を見てごらん」


 言われるがままに壁面の棚に目を向けると、同じく「ノルノンドの狼」と銘打たれた古めかしい本が、ナンバリングと共に並んでいるのが分かる。アドニスはどこか感慨深そうに語った。


「森の中に棲む人狼が人間の少女と交流を重ね、やがて街の守護者となる。しかし種族の壁は越えられず、二人は涙を流しながらも決別してしまう……子供向けではないが、ここでは有名な物語さ。よかったら持っていくといい」


「人狼」について、ヒューズは人類の敵……つまり魔族と認識している。しかしアドニスの語り口からすると、ここで言う人狼は実在する生物ではない、それこそ架空の妖怪を指すのだろう。実在する魔族が脚色され、絵物語となる例はいくらでもある。それこそ「入江の人魚マーメイド」や「吸血鬼ヴァンパイア」などがそうだ。路地裏で戦った緑色の魔族も、似たような生物が物語の中で「ゴブリン」と言い表されることもある。


「じゃあ、後でまた借りに来ます。それでは」


 見送るアドニスに一礼し、フレッドと共に部屋を出た。

 ——ひょっとすると、この辺りに自分の探す人狼がいるのかもしれない。そんなことを思って眉間に皺を寄せながら、大部屋の方へ歩いて行った。

 よくよく注視してみると、廊下の所々にあしらわれた装飾に、狼をモチーフとしたものが混ざっている。ノルノンドと狼には、切って離せない縁があるのだろう。


「——やー、それにしても綺麗な髪! お手入れどうしてるの〜? おばさんにも教えて欲しいわ〜」

「ふふ、お母さんの髪も綺麗ですよ。僕が教える必要なんかないでしょう」


 廊下の先から、和やかな声が聞こえる。大部屋の前で、マリーとレイン、そして背の高い、艶やかな印象を受ける女性が話し込んでいた。

 女性は近付いてきた二人を発見すると、どこぞで見たような満面の笑みを浮かべ、ぱたぱたと駆け寄ってきた。明らかにマリーの血族だ。


「あらあらあら! 貴方たちもマリーのお友達ね? そっちがフレッドくんで、髪の白い方がヒューズくん! いらっしゃいね〜」

「お邪魔してます。えっと……」

「あ、私はシャロン・アイオライト。マリーの母親よ〜」


 マリーの母親……シャロンは、二人に顔をずいと近付けて遠慮なしに観察したのち、屈託なく笑って見せた。父の方も良く似ていたが、シャロンはよりマリーに似ているように思える。彼女の明るい性格は母に依るところが大きいのだろう。


「それにしてもヒューズくん、可愛い顔してるわね。うちに最近来た若い子もねー、真っ白でふわふわな髪の毛でね! あ、よく見たら眼も似てる!」


 可愛い顔、と言われて少し不服に思いながらも、むず痒さに目線を逸らしてしまう。ヒューズは首筋に手をやりながら、似ているという「若い子」について考えた。今まで、自分の家族以外に白髪の人物を見たことがなかったからだ。


「その子って新しいメイドさん? 何歳くらいなの?」

「十二歳って言ってたわ〜。身寄りがないから雇ってくれって頼んできて、でもそんな歳の子をこき使う訳にはいかないでしょ? だから、お手伝いって形で住んでもらってるのよ〜」

「へえ〜っ、私もご挨拶しておかなきゃ」


 マリーとシャロンの会話に耳を傾けながら、ヒューズは少し表情を曇らせた。十二歳の、身寄りのない白髪の少女。ヒューズの妹も、生きていればその歳だ。否が応でも過去の記憶を思い出してしまう。


「今はいないから、夜にでも部屋に行ってあげればいいわよ。名前はフェリシアちゃんって言ったわ」

「フェリシア?」

「え?」

「フェリシアって……あの、名字は?」

「ええと、シックザール、だったかしら……?」


 その言葉に、四人の顔色が一斉に変わる。状況が飲み込めないシャロンをよそに、マリーたちはヒューズに視線を向けていた。

 シックザール。それは紛れもなくヒューズの名だ。


「え? ヒューズの妹さん?」

「お前、妹なんていたのかよ」

「……確かに『いた』。名前も同じ。でも……フェリシアは、魔族に連れ去られてから行方知れずだ。もう、生きてるはずが……」


 レインは、その問答を聞きながら静かに腕を組んだ。ヒューズの「調書」を見た彼女にとっても、これは全くの謎であった。


 フェリシア・シックザール。ヒューズと三つ離れた妹で、両親を「狼頭の魔族」に殺されたのち、数ヶ月後に再び魔族の襲撃を受け、行方不明となった少女だ。ヒューズの必死の捜索も、公機関の捜査もフェリシアを見つけるには及ばなかった。もう七年も前の話になる。


「事情はよくわからないけど、あの子なら外出中よ。自然が好きだとかで、よく裏の森に行ってるわ」

「裏の森? お母様、それって……」

「ええ、あの森は許可無しじゃ入れない。一応

 うちの観察下ってことで、あの子には許可を出してるけど……」

「俺にも、その許可俺にも出してください!」


 爆発するような勢いで、ヒューズはシャロンに詰め寄った。理性を欠くのも無理はない。死んだと思っていた肉親が生きているかもしれない、そしてまた会えるかもしれないのだ。

「わかった」とシャロンが言うが先か、ヒューズは全速力で駆け出し、館の外へと向かってしまった。


「あっ、待って! ちゃんと『許可印』を持って行かなきゃダメよーっ!」


 シャロンの制止にも耳を傾けず、ヒューズはすぐに見えなくなった。残された三人は不安そうな顔を見合わせた。


「追いかけた方がいい……かなあ?」

「ヒューズくんのことだ、迷子になって帰ってこないってことは無いだろうけど……少し心配だね」


 マリーたちが、まごつきながらその場で体を揺らす。その中でフレッドだけは、廊下の先をじっと見つめ、険しい顔つきで目を尖らせていた。



 ——館から飛び出したヒューズは、まず辺りを大雑把に見渡した。巨大な館の裏手に、鬱蒼と生茂る森林が見える。その敷地を境にして、街と森が真っ二つに分かたれているようだった。


 妹との再会だけを胸に抱きながら、森に向かって駆けていく。外観からは森の中の様子は全く伺えず、木々の音さえ詳らかには聞こえない。「不自然だ」と理性が叫ぶが、ヒューズの脚が止まるはずもない。一息に森へと飛び込んだ。


「……!?」


 足を踏み入れて、十秒ほど経っただろうか。気付かぬ間に……いや、気付く暇も無い一瞬だった。ただ暗いだけだった森の中が、濃霧で覆い尽くされたのだ。

 そこで初めて、ヒューズは冷静になった。ただ闇雲に走っても、フェリシアを探し出せるわけではない。霧が出ていても一人で行けるような森ならば、必ず山道があるはずだ。


(でも、おかしいぞ。外から見た時、それらしい道も看板も無かった。そもそもこんなに濃い霧が、外見で一切見えないわけがない)


 滲む違和感への焦燥と、七年越しに得た妹の手がかりへの期待がぶつかり合い、背中に嫌な鳥肌が立つ。一度戻って道を探すかと振り向きかけた、その時だった。


「——立ち去れ、立ち去れ。お前には下りていない。お前には"許可"が下りていない」


 脳髄に直接触れるような、恐怖を煽る声が、どこからともなく響く。ヒューズが右を向くと左から、左を向くと右からそれは聞こえてくる。


「——立ち去れ。立ち去れ。立ち去れ。立ち去れ」


 詰り寄るようなその音に、ヒューズは思わず臨戦態勢を取った。その態勢で力を込め、パチリ、と霧水に電光が跳ねる。……それが合図となった。


「——"異能力者"」


 突如として、声とは違うはっきりとした「気配」が周囲に現れる。認識が遅れた、接近されるまで気付かなかった、そういう類ではない。「元々そこにいたものが、敵意を露わにした」だけだった。


 現れたのは、薄茶けた灰色の毛並みを逆立てた、獣面の人型。鉤爪と鋭い牙を覗かせ、毛皮の下に隠れた筋肉を隆起させている。なにより印象に残ったのは、ぴん、と上に立った両耳と、探るようにひくついている犬の鼻だった。


 人狼が、そこにいた。

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