第15話 赤煉瓦の都

「旅行? いいんじゃねえの?」


 廊下で手元一杯に資料を抱えながら、ジンが特に考えたそぶりもなく言った。横で旅行について質問を飛ばしていたマリーが、驚きつつも嬉しそうに表情を緩ませていた。

 時刻は昼下がり。やはり現在の教員たちは仕事に追われているようで、生徒と会う時間を作るだけでも一苦労なようだった。いつも壮健なジンの目元にも、うっすらとが浮かんでいた。


「お前ら今ロシェに稽古つけてもらってるだろ。三年は二日後にゃ長い仕事が入る予定だからな、そのタイミングで行けばいい。どうせ教員俺らはてんやわんやで授業はないし」


 皮肉を混じらせたような上がり調で言い、「まあやりがいがあっていいけどな」と付け加えた。対魔科を担当する教員は、教える技能の関係上殆どが退魔師の仕事を兼任する形になっている。教員、退魔師、そしてアステリアの中でも上位の立場としての職務と、いわば三足のわらじというわけだ。多忙を極めながらもそれを楽しめるジンには天職と言えるかもしれない。


「ただあれだ、黒影の宣戦布告の件があるだろ? いつ魔族との戦いが起こるか分からん。そん時は呼び戻すかもしれないってことだけ注意な」

「はいっ、わかりました!」

「おう。外出届とか諸々の提出は早めにな」


 そうして、ジンは足早に去っていく。マリーは踊り出しそうな足運びで廊下を戻っていくと、そこで待っていたヒューズに声を掛けた。


「大丈夫だって。二日後からはロシェさんも仕事が入るから、その日に行っちゃおうか!」

「話も判断も早いなぁ。俺も楽しみだったし、ありがたい話ではあるんだけど」


 予想外のスピードで事が運んでいく。三泊四日でマリーの家に宿泊する予定であったが、彼女の両親は急な泊まりにも対応できるらしい。マリーが困る様子や日程を心配する様子が全くないあたり、よほど実家の規模が大きいのだろう。


「そうだ、レインも朝退院したってさ」

「ほんと? よかったぁ」

「フレッドもなんだかんだで行くって言ってた。美味しいものがあるらしいって言ったら即賛同だったよ」

「あはは、食べ物の欲望には勝てないよね。あそこの料理は美味しいよ! 本当はワインが名産らしいけど、普通の料理も最高!」


 マリーが嬉々として故郷について語る。思春期の女子にしては稀少な郷土愛だ。こうして好きなものについて物怖じせずに話せるところも含め、マリーの持つ底抜けな純真さの現れだと思った。


「……あっ! そろそろロシェさんの訓練が始まるよ!」


 時計を見やり、二人はばたばたと足音を立てながら駆けていった。

 またロシェに突き倒されながら有益な力を身に付け、魔族を倒せるように成長していく。思えば、学園に入学してから病室にいた時を除いて休みなしだった。一般に休日と言われる日も、ジンによる授業や自主トレーニングに費やしていた。旅行で体を休めるのも悪くはないだろう。


 ——そうして、出発の日がやってきた。


 ノルノンドは学園の所在地から南西にある都市だ。ヒューズはバスのような交通機関を使うのだろうと思っていたが、マリーが迎えの車を寄越していた。つやつやと黒光りする、いかにも高級車といった具合のリムジンである。本でしか読んだことのないそれに、ヒューズたちは目を見開いていた。


「すっげー……リムジンだ……本物の……」

「いや、薄々勘付いてはいたけどさ。マリーのお家って本当に富豪なんだね」

「うーん、あんまり意識したことはないんだけどね。さ、乗って乗って!」


 言われるがままに乗り込むと、車内には輝かしい様相が広がっていた。シートは沈み込むような極上の座り心地で、腰を下ろしただけで眠ってしまいそうになる。走り出してから、専属の使いらしき人物が飲み物を差し出してきたが、揺れで溢れる様子もない。思い描いたままの、優雅なドライブだった。


「なんつーか、闘争心っての? 俺の根っこにあったもんがよ……スッと消えてくっつーか……全然暴れたいと思わねえ……」


 大股を開いて座るフレッドが、溶けたように背にもたれかかりながら呟く。烈火のような暴れ者であるフレッドがそうなってしまうほどに、リムジンのもてなしは素晴らしいものだった。


「直接邸宅に向かわれますか?」

「ううん、中心街の噴水広場までお願い。お家には歩いていくから」

「かしこまりました」


 マリーと運転手が親しげに会話する。存分に車内を満喫している三人を見て微笑みながら、ジュースのストローに口をつけた。


「……んあ、寝てた?」


 ひやりと頰を撫でる外気で、ヒューズが目を覚ます。あまりの心地良さに眠っていたらしい。横を見ると、フレッドとレインも寝息を立てていた。

 車に乗ってから、二時間が経過していた。


「みんな、起きて! 着いたよノルノンド!」


 リムジンから一足先に下車したマリーが、中に向けて大声で呼びかける。目を擦りながら起き上がった二人と共に外へ出ると、真っ先に飛び込んできたのは、美しく並び建てられた赤レンガの建物群。そして、芸術的に造形された噴水の煌めきだった。


「うおお……! すごい!」

「これが有名な噴水広場か。綺麗だなぁ……」


 中天から射す太陽光が、噴き上がる水飛沫に何度も反射している。虹がかかっては消えていく不規則的な水の軌道に、思わず心奪われていた。


 ノルノンドは、開発の進む現代には珍しく、中世や近代の街並みをほぼそのままに残している。この街が観光業に早々に舵を切ったのが原因だ。この外観を街の何よりの資源として守り継いできたのだという。

 マリーが絶賛するのも肯ける、満点の光景だった。


「懐かしいなあ……久しぶりに帰ってきたよ」


 しみじみと感慨にふけるマリーをよそに、フレッドは幼い子供のように広場を駆け回っている。あまりの興奮っぷりに一般の観光客が写真を撮り出していた。


「おーいフレッド! 落ち着けって! 外で騒ぎを起こすなって先生にも言われただろ!」

「落ち着いてられねえよ! 俺こんなとこ来たの初めてなんだよ!」


 フレッドが見たことのない無邪気な顔で笑う。血に飢えた悪魔のような印象さえ覚えていたが、やはり年相応の感性は持ち合わせているようだ。暴れん坊の意外な一面に、ヒューズとレインは呆れつつも口角を上げていた。


「マリー、まずはどうするの?」

「私の家が広場からまっすぐ行ったところだからさ、観光しながら歩いて行こうよ。途中でお店にも寄ってみたりして!」


 そう言って、マリーが先導して歩き始めた。フレッドは少し道から逸れ、好き勝手に辺りを見物していたが、三人がまとまって歩くのを目にすると、駆け足気味にその後を追った。


「あ、ほら! 見えてきたよ!」

「? 見えてきたって、まだ一分も歩いてな——」


 道の途中で、マリーが指差した先。舗装された道を沿うように視線を上げると、それはすぐに認識できた。


「——え……」


 周囲の建物よりずっと高く、ずっと幅広い、領主の城のような——いや、城そのもの。この街の風景と美しく同化しつつも、確かな存在感を放つ建物を差して、マリーは言った。


「あれが、私の実家!」


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