第14話 ロシェの矯正
指示通りの訓練を行なって貰うとは言われたものの、ヒューズは今現在、自分たちが置かれている状況に納得できないままでいた。
「……っく……!」
三人は、ロシェの指導のもとその場で逆立ちをし、両脚をぴたりと付けた状態でまっすぐに伸ばしていた。三対の脚がぷるぷると震えながら屹立する様子は、それを見守っているロシェがひどく無表情なこともあり、側からみればなにが何やらわからない光景であった。
事実、本人たちでさえも訳がわかっていない。
「うおっ、と——」
ヒューズがほんの弾みでバランスを崩し、揺れながら脚を地面に着けようとする。その時、図らずもこの特訓の恐ろしさを体感することになった。
「ダメよ、勝手にやめちゃ」
ロシェの姿が視界から消えたと思った、次の瞬間。金色を帯びた彼女の瞳が、目の前に爛々と輝いているのが見えた。瞬きのうちに、ヒューズのすぐ近くまで距離を詰めたのだ。
そして、ヒューズの腹に指先が触れると、ヒューズは水を叩くような奇妙な感覚に襲われながら、地面へと叩きつけられた。
「……!? ぐ、ああ……!」
激痛だった。細胞が次々と破裂してゆくような、じくじくとした痛みがヒューズを襲っていた。
腹部を攻撃された時、ヒューズは「殴られた」とは思わなかった。衝撃こそあったものの、重みが全く感じられない。正拳突きと呼ぶには余りに軽いその一撃は、柔らかな指圧に似ていた。
しかし、痛いのだ。確かに破壊されている。ロシェの瞳の黄金が、恐怖の反照のように見えた。
「そこ。腹筋の力の入れ方が歪んでるからバランスが崩れるの。それと、右腕だけ力み過ぎてる」
淡々と語る声が、痛みの中でもはっきりと聞き取れる。ロシェの指摘は的を射ていた。
「天眼」と称されるロシェの異能は、物体の構造、運動、状態を見通す、言うならば超越的な観察眼である。人体の骨格や筋肉、それらがどんな状態で、どのように動いているのかもロシェの眼にはまるきり透けて見える。
対魔科三年、ロシェ・ライラック。彼女はその眼で全ての事象を見切り、敵の「痛点」を叩くことに特化した退魔師であった。
「あなた、筋力はそれなりにあるみたいだからバランスをもっと整えましょう。左手だけで逆立ちして。やめろって言うまで倒れちゃダメ」
「……も、もし倒れたら?」
「コロっとやっちゃう」
ロシェが冗談めかしたように言う。が、目が笑っていない。ヒューズは血の気が引いていくのをこれ以上ないほどに感じていた。
話しているうちにマリーも限界が来たようで、背中から地に落ちてしまった。するとロシェは容赦なく同じような指圧を喰らわせ、マリーを今まで聞いたことのないような声で悶絶させた。
「あっああーっ! 痛い! 痛い!」
「あなたは平衡感覚はいいし体の動きもしなやか。でも根本的な筋力が足りてない。逆立ち腕立て」
「ひええ、前より厳しくなってる!」
「異能の消費体力が大きい分筋肉も付きにくいの。コントロールが多少できたところでそこは変わらない」
無理やり立ち上がらされ、言われるがままに動かされるマリー。当然何度も転び、転ぶために小突かれて悶絶している。だが、男連中を突くよりも力は弱めているようだ。
なるほど可愛がられている、と密かに思った。
「おいロボット女ァ! 俺は!」
「ガタガタのバランスを筋力で補ってる感じね。というか態度が気に入らない。私先輩よ。もっと敬って」
「うるせえ、俺は誰にも——ぎゃあっ! 痛え!」
気にしていないと言いつつも、最初に殴りかかられたのは癪に障ったのだろう、フレッドには特に当たりが強いようにも見えた。
「さ、言われた通り頑張って。私も暇じゃないの」
ロシェの訓練は続く。広大な訓練場に、三人の悲痛な叫びがこだました。
* * *
「——で、そんなにやつれてるわけだ」
病室のベッドで、レインが微笑みながら言う。
意識はもう完全に戻っており、まだ安静にしておく必要はあるが傷はほとんど塞がっているらしい。患者衣を身に付け、いつもは結んでいる長い黒髪をそのままにしている姿は、儚げでありながらどこか芸術的でもあった。
「いやー……いい訓練にはなるんだけどな。全身どつかれまくってもう痛いのなんのって」
「ふっふっふ、痛いだけじゃないんだよヒューズ」
「なに?」
「ロシェさんね、私たちをつつく時は絶対つぼを突くんだよ。一日中痛むけど、寝て起きたら体がすっごく軽くなるの」
「へぇ、そりゃすごい……」
ベッドの横で椅子に腰掛けながら、ヒューズとマリーが今日の出来事について言葉を交わす。濃藍の空に、ふくらんだ太陽が沈みつつあった。
「退室許可が下りたら僕も参加させてよ。聞いてると楽しそうでもどかしくなるね」
「もちろん。いつ頃になりそうだ?」
「早ければ明日には。丈夫な体で助かったよ」
そう言って、レインは少し自嘲気味に笑う。その顔をじっと見つめながら、ヒューズは一呼吸おいて話を切り出した。
「そう、レインに聞きたいことがあるんだけどさ」
「なんだい?」
「レインってお兄さんがいるのか?」
レインに兄がいることを、どこかで直接聞いたわけではない。アルフェルグとの戦いで、レインに退魔師の血縁者がいるようなことを喋っていたのが、妙に気にかかっていたのだ。
レインは気まずそうに目線を泳がせると、観念したようにぽつぽつと語った。
「正確には『いた』だね。「水」の異能力者で、四期前の対魔科だった。……強い人だったよ。僕なんかとは比べものにならないくらい」
直感で、そうなのだろうと予想はできていた。だが、クラスメイトとして三人と仲を深めていくには、これは聞いておくべきことだと思った。
「そうか……」
「そんな顔しないでよ、気にしないから。兄さんは魔族に襲われる人々を沢山救って死んだ。僕はそれを誇りに思ってるし、兄さんの強さを目標に掲げてる」
その言葉の端々から、レインが兄に抱く強い想いが滲み出ている。それがレインの戦う理由でもあり、生涯かけて追いかける背中なのだろう。
ただ、ヒューズにはそれが身を焼く盲信のようにも思えていた。
「……そう、僕は兄さんのように」
何かを呟こうとして、はっと口を止める。「暗くなっちゃったね」と戯けて見せたあと、レインはマリーに向けて助けを求めるように目配せをした。
マリーは僅かに胸を張ると、突拍子もなく明るい声で話題を切り替えた。
「ね、私さ。訓練が一段落したらやりたいことがあるの」
「やりたいこと?」
「うん。四人でさ、旅行に行かない?」
ヒューズは、その言葉で自分が学生であることを思い出した。「学生旅行」、仲の良い同級生と共に、学業とは全く関係のない場所で観光を楽しむ。同年代の友人が極端に少なかったヒューズにとって、それは憧れるに相応しい輝きを持っていた。
「俺は構わないけど、どこに行くんだ?」
「うーん、そうだなあ……」
マリーが額に指を置いてしばし考えてから、「そうだ!」と明るい笑顔を咲かせる。
「私の故郷、"ノルノンド"なんてどう? 実家にみんなが寝られるくらいのスペースはあるからさ、お泊まり会とか!」
「ノルノンドっていうと、あのレンガの街並みで有名な? いいね、一級の観光地だ」
母国の中でさえ土地に疎いヒューズにはその町がどんなものか見当も付かなかったが、二人は楽しそうにノルノンドの観光名所について議論を交わしていく。ヒューズはしばらくポカンと口を開け、計画は女子二人に任せよう、と静かに笑った。
「というか、この学園って自由外出できるの?」
「外出許可証が必要だったと思うよ。先生にでも相談してみれば?」
「うん! 楽しみだなあ〜」
窓から覗く擬似空はすっかり黒く染まり、仮想の一番星が自己主張をするように光を放っている。星に紛れた天井のランプが、二色の空に彩りを添えていた。
ノルノンド。それが、次の動乱の場所だ。
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