第5話 氷刃の宴

 学園入学から、二日目の朝が来た。

 昨日の昼、レインとの会話がどのように終わったのかは多く語らないでおくが、ともかくヒューズはレインとの「手合わせ」に臨むことになっていた。


「ヒューズ! おはよう!」


 寮から集合場所……学園の"訓練場"に移動する途中、ヒューズはマリーに呼び止められた。

 昨日顔面蒼白で倒れたマリーだったが、顔色は健康そのもの、血色とハリのある肌を取り戻している。萎れた花を水に浸けたようだ、とヒューズは微笑んだ。


「身体はもう大丈夫なのか?」

「うん。心配かけてごめんね。……それより、レインちゃんに決闘を申し込まれたって聞いたけど?」

「決闘って……そんな血生臭いものじゃないよ。ただ授業で手合わせするだけ」


 昨晩のうちに情報が広まっているらしい。マリーの口振りから察するに、二人はすでに意気投合しているのだろう。社交性の高い二人が同じクラスに居るとなれば、仲良くなるのも当然だ。


「レインちゃんね、すごくご機嫌だったよ。よっぽどヒューズに期待してるんだね」

「はは……期待に添えればいいけど」


(期待、か。あんなこと言っておいてよくもまあ……)


 苦笑しながら、昨日の会話を思い出す。


『"女だから"と手加減するようなら、骨の一本でも折ってみせるからね』


 どうにかして断ろうと弁を回した時、投げ掛けられたのがこの言葉だった。あまりにあっさりとした文面に、背筋を刺すような殺気を感じ取ったものだ。その言葉が今も耳元にこびりついている。


 と、そんなことを思い返しながら歩いているうちに、ヒューズたちは訓練場に辿り着いた。重厚な鉄扉をスライドさせると、そこにあったのは、広大な人工芝の地面だった。


「わあっ……! 広ーい!」

「……この学園、なんでもかんでも大きくしすぎだろ! どれだけ地下掘ったんだ!」

「ハッハッハ、こんなのは序の口だぞ」


 背後の声に振り向くと、無精髭を蓄えた大男……ジンが立っていた。ジンはヒューズたちの挨拶に相槌を打つと、自慢げに腕を組んで言った。


「ここが第一訓練場。砂地、コンクリ、市街地、森林……諸々合わせて第十訓練場まである!」

「すごーい!」

「いやっすごいけど! すごいけど……えー……?」


 きゃっきゃ、と子供のようにはしゃぐマリーをよそに、ヒューズは愕然とした。この規模の土地が、地下にあと九つある。その事実だけで、このアステリアという組織の持つ力がいかに膨大なものかが理解できる。国家にとって、異能力者にはそれほどの金を賭す価値があるということだ。


「おはようございます、先生」

「……うぃ」


 立て続けに、レインとフレッドが訓練場に現れる。フレッドは昨日の勢いはどこへ行ったのか、何やら不機嫌な様子でそっぽを向いていた。


「やあ、ヒューズくん。おはよう」

「お、おう。おはよう」

「昨日はよく眠れた?」

「眠れないよ。あんたのことを夢に見そうだった」


 ヒューズが皮肉混じりに笑ってみせると、レインは静かに笑みを返し、無言のままジンに向き直った。


「じゃあ今日の授業始めるぞ。今日は魔族との戦闘を想定した擬似訓練を行う。二人一組で組み手を……と、行きたいところだが」


 ジンは言葉を切り、マリーの方に目をやった。


「マリー。お前は別メニューだ。第三訓練場に行ってこい。"ロシェ"って娘がいるはずだ」

「……? は、はい」


 別メニュー。おそらく、マリーが「光の異能」を制御するための訓練が必要なのだろう。一戦一撃の大技だけでは、戦闘訓練に参加することはできない。

 となると、訓練のメンバーが一人余る。戦闘狂のきらいがあるフレッドが抗議を起こすと思ったが……


「俺は見学でいい。テメェら、喧嘩の約束してんだろ」

「なんだ、やけに素直だな? ……ははーん、なるほどそういうことか」


 フレッドはその場に腰を下ろし、不満げに黙り込んでしまった。ジンはフレッドの鬱血した右手を意外そうに一瞥すると、何かを察したように笑った。


「じゃ、レインとヒューズ。手合わせしてみろ。死なない程度の傷なら治す用意はあるからよ」


 なんだか、とんでもない一言が聞こえた気がする。

 ジンの言葉はつまり、「死なない程度の傷ならいくらでも負わせていい」という許可の裏返しでもある。ヒューズが唾を飲み込むと、レインは獲物を前にした蛇のように目を細めた。


「さ、始めようか」


 レインとヒューズは距離を取り、剣呑な雰囲気で睨み合う。クラスメイトとの戦闘にヒューズはどうにも興が乗らなかったが、こうなっては仕方がない。後のことは考えず、レインの求めるままに振る舞うことにした。


「行くぞ——」


 身を屈め、全身から白い雷を放ち始める。気まぐれに絡み合う稲妻が脚に向けて下降し……ゴムのソールを焦がして、一気に弾けた。


「——"飛雷トートルド"ッ!」


 路地裏の魔族に繰り出したものと同じ、急速の空中蹴り。一秒に満つかどうかという間に、ヒューズの脚はレインの眼前に至り、


「"ヴァーダンの盾"」


 突如として現れたに防がれた。


(氷……! これがレインの異能か!)

「すごい速度だね。眼で追えなかった。……雷による神経加速ってところかな」


 みし、という音が耳に届く。しかし、氷盾はびくともしない。それどころかヒューズの脛部を凍てつかせ、盾に貼り付けてしまっていた。


「僕の異能は『氷』。堅牢で、限りなく、そして自由な能力だ!」

「ッ!」


 地面から迫る強烈な冷気に身が震える。咄嗟に視線を向けると、霜の降りた床からは、幾重にも重なった氷の柱が飛び出していた。

 脚を取られたヒューズに避ける手段はない。柱はヒューズの横腹部を突き上げ、脚と盾とを無理やりに引き剥がした。


「ぐ……」


 冷たさと痛みがじわりと染みる。レインが冷徹な眼で左手を払うと、空中に浮かび上がった無数の氷……鋭利な刃と化したそれが、一息に放たれた。


「う、おわあああっ!」

「まだまだこんなものじゃないよ! 僕も、君の力も!」


 氷刃から逃げるように走り回るヒューズに、レインは手を緩めず仕掛け続ける。絶えず撃ち込まれる大質量に、ヒューズはレインの持つ力の強大さを感じていた。


 距離をとったはいいが、遠距離戦のままでは不利だ。ヒューズは拳を引くと、駆け抜けるとともに掌から雷撃を放出した。

 軽い音を立てながら、小さな刃が砕けていく。そのままレインの懐に潜り込み、雷を纏った掌底を繰り出す。が、再び盾に防がれる。凍り付く前に素早く離れると、ヒューズは大きく息を吐いて向き直った。


「……休憩がてら聞くぞ。俺に勝負を仕掛けた理由が知りたい」

「ふふ、戦闘中にそんなこと聞く? マイペースな人だね。……そうだな、僕は——」


 レインは盾を携えたまま微笑むと、真っ直ぐにヒューズの瞳を見据えた。


「——君の調書を見た」

「……!」


 ヒューズの表情が曇る。冷え切った空気が、ぱちぱちと白むように鼓動した。


「君がどうしてそうなったかは聞かないよ。きっと知るべきじゃないし、僕には計り知れないことなんだろう」


 レインは一瞬だけ俯いた後、闘気を帯びた、戦士としての眼を蒼く光らせて言った。


「そんな覚悟を、僕は超えなきゃいけない。僕がどこまでやれるのか、君の力で試してみたいんだ」


 その言葉を聞いて、ヒューズは再び拳を構えた。

『魔族を殺さなければならない』のは、どうやら自分だけでは無いらしい。庇護すべきクラスメイトとしてではなく、高め合い、競い合うライバルとして、ヒューズはレインを捉え直した。


 そして、勝利へと動き出す。

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