第7話 保健室と夕焼けとお別れ

 ……ここはどこだろう?

 なんだか、体が温かい。

 かすかに、消毒薬の臭いがする。


「スバル……」


 ミナが、私を呼んでいる声がする……

 たしか、私はプールサイドで、ミナを怖がらせたモノを処理していたはずだ。

 それをミナに見られて……


「……ミナッ!?」 


「わぁっ!?」


 経緯を思い出して跳び起きると、驚いたミナの声が聞こえた。

 顔を向けると、ミナが胸元を押さえて、呼吸を整えているのが見えた。

 辺りは、白いカーテンに囲まれている。

 ここは……保健室か?


「スバル、大丈夫?」


 置かれた状況がいまいちつかめず戸惑っていると、ミナが不安げな表情を浮かべた。

 そうだ、戸惑っている場合ではなく、まずはミナを安心させなくては。


「ああ、大丈夫だよ」


「そっか。よかったー」


 私が答えると、ミナは微笑みならため息を吐いた。

 ひとまず、安心してくれたようでなによりだ。

 こちらも安心すると、ミナは頬を膨らませた。


「もう! いきなり倒れるから、心配したんだよ!」


「それは、すまなかった……」


 私が謝ると、ミナは得意げな表情を浮かべた。


「うむ! 次から気をつけるように!」


 ……次から気をつける、か。

 このまま、深く追求しなければ、その「次」という機会もあるのかもしれない。

 しかし……


「スバル? つらそうな顔してるけど、どうしたの? お腹、痛くなっちゃった?」


 ミナは私の顔を覗き込むと、不安げな表情で首を傾げた。

 このまま、話をごまかしてしまえば、何事もなかったことにすることもできる。

 しかし、それでは、ダメだ。


「スバル?」


 私は、ミナを怖がらせるモノを殲滅すると決めたのだ。

 たとえそれが、私自身であったとしても。


「スバ……」

「ミナ、さっきプールサイドで、何を見た?」


 ミナの声をかき消すように、質問をぶつけた。


「……」


 すると、ミナは私から目を反らして、口を噤んだ。


「ミナ、答え……」

「えーとね! スバルがお手洗いにいってなかなか戻ってこないから、ちょっと心配になったんだ。それで、様子を見にいったら、個室が全部開いてて、ビックリしたの。それで、どこ行ったんだろう、って思って、ウロウロしてたんだけど、なんとなく図書室かなって思って、行ってみたの。そしたら、今日はリコペンがカウンターにいたのね、なんか、今日が図書委員会の当番だったんだって。それで、スバル見てない?、って聞いたら、リコぺん、見てないよー、っていうの。だから、どうしようかなー、ってなんてたんだけど、窓の外見たらスバルがいるのが見えたのね。だから、リコぺんに、見つかったからいくねー、っていって、リコペンが、分かったー、っていってくれて……」


 今度は、ミナが私の声をかき消すように言葉を捲し立てる。


「……それで、スバル見つけたら、えーと、うん、そう、スバル急に倒れたの! だから、私、本当に何も見てないし、何が起こったかなんて全然分かんないけど、すぐに保健室に行かなきゃって思って、スバルをお姫様抱っこして運んだのね。あ、プールのカギは途中で職員室に返してきたから平気だよ! それで、保健室の先生に診てもらったら、多分寝不足と貧血だから、少し休ませていきなさいって言われて……あ! そうそう! 保健の先生に、山本さんの目が覚めたら、もう帰りなさいって言われたから、鞄はもう持ってきてるんだ! スバルの鞄も持ってきてるから、大丈夫だよ!」

 

 相変わらず、酷い有様で、ミナが何を見たかは伝わってこない。

 ただ、一つだけ分かることはある。


「だから、スバル、一緒に帰ろ……」

「ミナ、ちょっといいか?」


 話を遮ると、ミナは目を伏せて唇を噤んだ。


「……うん、どうしたの?」


「……話の内容が、全く頭に入らない。五・七・五・七・七の形でまとめろ」


 いつもなら、不服そうにすることもあるが、ミナは私の要望を聞いてくれる。


「……やだ」


 しかし、今回は予想通り、ミナは私の要望を拒否した。

 それも、そうだろう。

 

 ミナは、プールサイドで見たことを私に伝えたくないのだから。


 いつものように焦っているだけにも見えるが、明らかに話題を反らそうと目を泳がせていた。


「ミナ、頼むよ。何が起こったのか教えてくれ」


「やだ! べ、別にそんなに怖いと思わなかったもん!」


「そんなに、ってことは、少しは怖かったんだろ?」


「う……それは……」


「だったら、教えてくれ」


「でも……」


「ミナ。私はミナがまた怖いモノを忘れられなくなって、体調を崩したりしたら、嫌なんだ」


「でも、今回の怖いは、いつもの怖いとはちょっと違うし……」


「大丈夫、それでも、きっと、悪いようにはならないから」


「……本当に?」


「……ああ。本当だ」


「……なら、分かった」


 説得の末、ミナはようやく頷いてくれた。

 そして、口元に指を当てて、真剣な表情を浮かべた。



「黒き影 まとい紅き目 輝かせ 怪異を食らう……」



 それから、ミナはいつものように歌を詠む。

 そうか、ミナには私が怪奇現象を処理している様子が、食事のように見えたのか。

 それならば、きっと結句の言葉は、バケモノを表すような言葉が来るのだろう。

 他のヤツらからはともかく、ミナにバケモノ扱いされるのは、少し悲し……




「……愛し吾が君」




「……え?」



 予想外の結句に、思わず変な声を上げてしまった。


 えーと?

 あれ?

 愛し吾が君?


「え? じゃないよ! 見たことを正直にまとめろって言うから、頑張ったのに!」


 混乱していると、ミナは不服そうに頬を膨らませた。


「いや、たしかにそう言ったけれども、ミナ、その、なんというか、最後の言葉の意味、ちゃんと分かっているのか?」



「うん。分かってるよ」


 しどろもどろになる私とは対照的に、ミナは平然とした表情で頷いた。

 きっと、なにか意味を勘違いして覚えているに違いな……



「大好きで大切なあなたって意味でしょ? なら、スバルにピッタリの言葉だよね!」



 ……うん。

 意味はしっかり覚えているみたいだな。 

 なら、少し答えを聞くのが怖いが、踏み込んだ質問もしておこう。


「えーと、それは、恋愛的な意味で、か?」


「うん。それもあるよ!」


 私の問いかけに、ミナは屈託のない笑顔を浮かべて返事をした。


 えーと。

 つまり。


 ふはははは!

 私たちは相思相愛だったわけだ!

 どうだ、まいったか!


 ……いや、なにかに対して勝ち誇っている場合ではないな。

 ひとまず、呼吸を落ち着かせないと。


「だって、スバルよりカッコいい男子なんて、いないもん!」


 混乱する私をよそに、ミナはなぜか得意げな表情で胸を張った。

 そう言ってもらえるのは、ありがたい。

 しかし、正直なところ、ミナに思いを寄せている男子の中には、私より格好良いヤツなんて沢山いる。


「……そんなことは、ないだろ」


 私の反論を受けて、ミナは穏やかな微笑みを浮かべた。



「そんなことあるよ。だって、スバル、私が怖がるモノを一人で追い払ってくれてたんでしょ?」



 教室で本を読んでいるときにも、そんな気はしていたが、やはりバレていたようだ。


「……そうか。やはり、知っていたのか」


 思わず口に出して呟くと、ミナはコクリと頷いた。


「うん。だって、中二になってから、全然怖いモノ見なくなったから。陰を祓う者シャドウスイーパーさんが、頑張ってくれてたんだろうなって」


「……その二つ名は、できれば使わないで欲しかった」


「えー!? なんでー!? 私、その二つ名けっこう好きだよ、決めポーズも含めて!」


「それは、どうも。まあ、そう言ってもらえるなら、ありがたいよ」


「えへへー、どういたしまして! でも、スバルって凄いね、怖いモノを一人でやっつけちゃうんだから」


「……大好きなミナのためなら、それくらいどうってことないよ」


「え……スバルがデレた!?」


「別に、ミナが想いを伝えてくれたんだから、私だって素直になってもいいだろ。それとも、なにか不都合があるのか?」


「ううん! 全然! そっか、私たち両思いだったんだね」


「いや、最初の方は私の片思いだったはずだぞ? なんたって、私は、バケモノって呼ばれて石を投げられてたのを助けてもらったころから、ミナのことが好きだったからな!」


「あ、それって、私がこっちに引っ越してきたばっかりのころだから……五才ごろ!? スバルってばおませさん!」


「ふははは! なんとでも言うがいいさ! これで、私の執念深さを思い知ったろう!」


「むー! 私だって、あのころからスバルのこと、可愛いって思ってたし! それに、小学校に入るころには、スバルのこと好きだったもん! 一緒にいて楽しかったし、怖いモノ見たのに皆が信じてくれなくても、スバルだけは信じてくれたし!」


「当たり前だろ! 私はいつだって、ミナだけの味方だからな!」


「きゃー! スバルカッコいい!!」


 ……ああ、幸せだ。

 このまま、ずっとミナとじゃれ合っていたい。

 いっそのこと、時間が止まってしまえばいい。

 だって、そうしないと……


「……あれ?」


 不意に、ミナが怪訝な表情を浮かべて、首を傾げた。

 ……なんだ。

 もう、時間がきてしまったのか。


「……どうした?」


 声をかけると、ミナは怪訝な表情のまま、口を開いた。

 



「君、誰だっけ?」




 ……大丈夫。

 最初から、こうなることは分かっていたから。

 

「……二年一組の山本だよ。プールサイドで倒れて、君にここまで運んでもらったんだ。さっきは、ありがとう」


「あ、うん、別に、気にしない、で?」


 嘘偽りのない説明をすると、ミナは途切れ途切れに返事をした。

 あまり納得した様子ではなさそうだ。

 それでも、ミナは腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった。 

 

「じゃあ、私はこれで帰るね。も気をつけて帰るんだよ」


「ああ、そうするよ。お気遣いありがとう」


 私の返事を聞くと、ミナは軽く頭を下げて、カーテンの外へ出て行った。

 

 ……これでいい。

 怖いモノに関する記憶なんて、ミナには必要ないのだから。

 ほんの少しの間でも、両思いになれたのだから、これ以上のことを望んではいけない。

 大丈夫、ミナの足音が聞こえなくなるころには、きっと涙も止まるはずだ。

 そうしたら、私も帰ることにしよう。


 

 ミナと別れてからの記憶は曖昧だが、校舎を出ると辺りは夕焼けに包まれていたように覚えている。

 それ以外のことは覚えていない。

 それでも、家の前に辿り着いるのだから、帰巣本能というものは侮れないな。

 ……そんなことに感心していないで、さっさとするべきことを終わらせてしまおう。

 ため息を吐きながら扉を開けると、家の中は真っ暗だった。

 父さんと母さんはしばらく海外だし、じいさんも仕事で遅くなるらしいから、当然か。

 ならば、じいさんが帰ってくる前に、全て済ませてしまおう。

 

 それから、リビングに移動し、ミナから借りた本を目立つところに置いた。

 あとは、ミナに渡しておいて欲しい、とメモをつけて……よし、これで完了だ。

 これなら、いくらじいさんでも、見落とすことはないだろう。

 さて、これで懸念事項は解決したから、洗面所に移動することにしよう。


 洗面所に移動して鏡を覗き込むと、自分の姿が目に入った。

 こうしてみると、虹彩の色は珍しいが、普通の人間と変わらないように思える。

 しかし……


「黒き影 まとい紅き目 輝かせ 怪異を食らう……愛し吾が君」


 鏡に触れながら、ミナの詠んだ歌を唱える。



 すると、鏡の中の私は、見る見るうちに姿を変えていった。


 人の形すら保っていない黒い影の塊の中に、紅い虹彩の目が二つ浮かんでいる。


 ……自分の正体が人間ではないことは、幼いころにじいさんから聞いていた。

 だから、バケモノと言われることも、周りから避けられることも仕方がないと思っていた。

 それでも、ミナだけは私のことを避けないでいてくれた。

 私のことをバケモノと呼び攻撃をするヤツらから、助けてくれた。

 だから、その優しさに甘えて、ずっと側にいてしまった。

 

 私の本質は、こんなに恐ろしいモノだというのに。


 ……感傷に浸っていないで、早く消えてしまおう。

 忘れてしまったということは、ミナは本気で恐れたのだ。

 それならば、気味の悪いバケモノが、いつまでも側にいてはいけない。



 決意をした途端、床に吸い込まれるような感覚を覚えた。

 視線を落とすと、足下に赤黒い沼が広がっていた。

 赤黒い沼は、私を徐々に飲み込んでいく。

 

 体が完全に沈み込むと、辺りの視界は赤黒い色に染まった。

 いつのまにか、周囲には沢山の物騒なモノが漂っていた。


 焼け焦げたり、ちぎれたり、潰れたり、腐乱したりしたモノたちが。


 私がいなくなったら、誰がこういうモノからミナを守るのだろうか?

 ……いや、これは自惚れた疑問だな。

 ミナのことが好きなヤツは沢山いるのだ。

 こういうモノを処理できなくても、ミナの恐怖を紛らわせてくれるヤツはすぐ見つかるだろう。 

 きっと、そうに違いない。

 それならば、疲れていることだし、余計な心配などしていないで眠ってしまおうか……

 


  大好きで大切なあなたって意味でしょ?

  なら、スバルにピッタリの言葉だよね!


 

 ……大好きなミナの優しい声を思い出しながら。

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