第5話 恋敵とアルバイトとツンデレとボンゴレと満月

 放課後の教室。


 日が延びたため、窓の外はまだ明るい。


 それでも、生徒達は部活動やら委員会活動やらで忙しい。


 もしくは、アルバイトをしているから、さっさと帰る生徒もいる。


 だから、残っている生徒などほとんどいない。


 誰かと二人きりになるには、意外とちょうど良い場所なのだと思う。


 運動部員に見つかる可能性が高い、体育館裏よりもずっと。

 

「あのさ、神野につきまとうの、やめてほしいんだけど」


 ……ただし、ともに残る相手を選ばせてほしかったけれども。

 

 私は今日も、放課後の静かな教室で読書をしていた。

 ミナはアルバイトがあるから先に帰っているので、読みかけの本を読破するのに良い機会だと思ったからだ。

 ミナが帰ってしまっていると思うと淋しかったが、本の内容に没頭することができ、それなりに楽しんでいた。

 しかし、そこに突然、相馬がやってきた。

 そして、険悪な表情でこちらを睨みつけ、わけの分からない言いがかりをつけてきた。

 面倒くさいから、気にせず帰ってしまおうかな……


「……ちっ、無視かよ」


 対応に悩んでいると、相馬は大げさな舌打ちのあとに、聞こえよがしの独り言を呟いた。

 これは、帰った方が、余計に面倒くさいことになりそうだな。

 なら、相手をしてやらなくては。


「すまない、無視をしていたつもりはないんだ。ただ、君の発言について、身に覚えがないものでね」


 なるべく相手を刺激しないように、丁寧な言葉で答えた。

 しかし、相馬は目付きをよりいっそう険しい目付きで、こちらを睨みつけた。

 どうやら、あまり効果はなかったようだ。

 それでも、本当に身に覚えがないのだけれども……

 大体、つきまとっているというなら、今頃はミナのアルバイト先に押しかけているだろうに。


 そういえば、ミナからアルバイト先は駅前のそば屋だと聞いていたな。

 それならば、きっと制服は和装なのだろう。

 絶対に似合うし、綺麗なのだろうな……

 

「は? それ、マジで言ってるのか?」


 現実逃避していると、相馬の苛立った声が耳に入った。


「ああ。本気で言っているが、何か気にくわなかったのだろうか?」


「……ちっ」


 問い返してみると、相馬は再び大げさな舌打ちをした。


「お前らと同じ中学だったヤツに聞いたら、昔っから神野にベッタリだったって言ってたぞ」


「まあ、幼なじみだし、仲が良いから一緒にいる機会は多かったな。それの、何が問題なんだ?」


 私の問いかけに、相馬は表情をさらに険悪にした。

 ……人の形相というのは、どこまで険しくなることができるのだろうか?


「問題あるに決まってるだろ! お前、周りからバケモノって呼ばれて、怖がられてたんだろ!? そんな、危ないヤツの近くに、怖がりの神野を置いておけねぇよ!」


 くだらない疑問を抱いていると、相馬は近くの机を蹴りながらそう言い放った。

 ……まあ、確かに相馬の言うとおりだ。

 

 幼い頃から、バケモノ、と呼ばれ、疎まれることが多かった。

 それに、物騒な術を使ってミナの記憶を操作したり、ミナを脅かすモノを処理したりしている。

 だから、危険人物極まりないという自覚はある。

 しかし…… 


「ならば、ミナに直接言えば良いじゃないか。山本は気色の悪いバケモノだから離れた方が良い、と」


「そんなこと言ったら、俺が悪役になるだろ!?


 私の言葉を受けて、相馬は近くの机を殴りつけた。

 威嚇のつもりなのだろうが、うるさくてかなわない。

 私も大概だが、暴力的なことを平気で行う相馬も、ミナの側にいてはいけない類に入ると思う。


「大体、おかしいだろ! 高二にもなって、家が隣だからって理由だけで、一緒に登下校したり、クラス違うのに一緒に弁当食ったり、ベランダで話し込んだりするのは! そのおかげで、神野が他のヤツと話す時間がなくなるんだぞ!?」


 冷ややかに眺めていると、相馬は騒々しい声でわめき立てた。

 つまり、私と一緒にいる時間が多いせいで、ミナに話しかけるタイミングが少なくなっている、と思っているのか。

 しかし、本当はミナに苦手意識を持たれているから避けられている、ということを教えてやった方がいいだろうか?

 ……ん?

 コイツは、ミナに避けられているはずなのに、なぜ私達の家が隣どうしだということを知っているのだ?

 誰かから、聞いたのだろうか?

 しかし、そうだとしても、夜ベランダで話し込んでいることまで知っている人間は、いないはずだ。

 ミナが友人にそのことを話したのだろうか……


「おい、黙ってないでなんとか言えよ?」


 考え込んでいると、相馬は威嚇するような表情で尋ねてきた。

 答えてやらないと、机を壊しかねないか。


「ああ、すまない。さっきの君の発言で、気になることがあったものだから」


「は? 気になること?」

 

 相馬はそう言うと、威嚇するような表情で私の顔を覗き込んだ。

 コイツは一々凶悪な表情を作らないと、私と話せないのだろうか?

 まあ、そんなことは置いておいて、本題に入ろう。


「ミナと私が、ベランダで話し込むことがある、なんて話は誰に聞いた?」


「そ、それは……」


 私の質問に、相馬はたじろいだ。

 ふむ、つまり、あまりよろしくない手段で、この情報を知ったということか。

 盗聴や盗撮でもされていたのだろうか?

 しかし、ミナに持たせてある盗聴盗撮機発見用マスコットが反応した、なんて話は聞かないしな……


「別に、なんだっていいだろ! ともかく、あんまり神野につきまとうなよな!」


 相馬はわめき立てると、うるさい足音を立てながら教室を出て行った。

 いや、つきまとい事案なのは、お前の方だろ……

 しかし、証拠があるわけでもないか。

 ひとまず、ミナには戸締まりを強化するように、連絡をいれておこう。


 その後、最終下校時間より少し前に、教室を出て帰路についた。

 思わぬ邪魔が入ってしまったが、読みかけの本を読破できて良かった。

 これなら、明日からは、ミナに借りた「異世界に転生した私ですが親友のために今日もチート能力で暗殺稼業です」を読むことができるだろう。

 異世界転生ものは有名どころしか読んでいなかったから、少し楽しみだ。

 そういえば、ミナは主人公が私に似ていると言っていたが、どんな内容なのだろうか?

 可愛いと言ってもらえたのは何よりだが、暗殺者に似ているというのは、はたして喜ぶべきことなのだろうか……


 そんなことを考えているうちに、いつの間にか自宅の最寄り駅に着いていた。

 駅舎を出ると、空は薄らと暗くなっていた。

 家までの道のりに街灯がないわけではないが、一人で帰るのは少々不安だ。

 ミナも無事に家まで着いただろうか?

 もしも、相馬に待ち伏せでもされていたら……


「スバルー、不安そうな顔してるけど、どうしたの?」


「ああ、ミナが無事に家に帰れたか心配に……うわぁっ!?」


「きゃぁっ!?」


 突然かけられた声に驚いて振り返ると、私と同じくらい驚いた表情のミナが目に入った。


「もう、急におっきな声出したら、ビックリするでしょ!」


「それは、すまなかった。まさか、ミナが後ろにいるとは、思わなかったから」


 私が謝ると、ミナは屈託のない笑顔を浮かべた。


「えへへー、私もー! スバル、一緒に帰ろう!」


「ああ、そうしようか」


「やったー!」


 そんなやり取りをして、私達は歩きだした。

 すると、不意にミナが不思議そうな表情を浮かべた。


「ところで、スバル。さっき、戸締まりに気をつけろ、っていうメッセージくれたけど、何かあったの?」


 ミナは首を傾げながら、私が送ったメッセージの意図について尋ねてきた。

 相馬がつきまとっている可能性があるから、なんて正直に話すわけにはいかないか。

 まだ、証拠も何もないのだから。


「いや、ただ何となく心配になっただけだよ」


「そっか! 心配してくれてありがとう! この間、中島さんのところの野菜無人販売所で、ドロボウ事件があったみたいだし、気をつけないとね」


 ミナはそう言うと、不安げな表情を浮かべた。

 ふむ、中島さんの事件が真っ先に出るということは、ミナに何かが起こっているわけではなさそうだ。

 これなら、少し安心……



「それに、最近夜中に怖い目に遭うことが多いから、ちょっと不安だったんだよね」


「……またなのか」



 ……前言撤回。

 安心している場合ではないな、これは。


「そうなの! 先週、くらいだったかな? リコぺんにちょっと相談事があったの、あ、でも遅い時間だったから、電話じゃなくてメッセージにしたよ! でも、未読のままだったから、さすがに寝ちゃってたかなーって思って、私も寝ようって思ったんだ。あ、次の日の朝になって、ごめんなさい寝てました、って返信がきたから、私もちゃんと、こっちこそ夜遅くにメッセージ送ってごめんね、って謝ったよ! それで、夜の話に戻るんだけど、ベランダのガラス戸からなんか、ペタペタ音がしたの。変な音だな、って思ったけど、ひょっとしたら、スバルがベランダから遊びに来たのかも、って思ってガラス戸に近寄ったのね。でも、カーテン開けたら、スバルじゃなくて、なんで相馬が、っていうことになって、しかも、ありえない格好だったの。でも、すぐに消えちゃって……」


 ミナは足を止めて、私の掴みながら遭遇した怪奇現象について、説明してくれた。

 ひとまず、リコぺんさんに何か相談していたことと、相馬が関わっているらしいことは分かった。

 しかし……



「ミナ、ちょっといいか?」


 私が話を止めると、ミナは意外そうな表情で首を傾げた。


「うん、どうしたの?」


「話の内容が、全く頭に入らない。五・七・五・七・七でまとめろ」


 

 私の言葉に、ミナは残念そうに肩を落とした。


「そっかー、上手く伝えられてなかったかー」


「すまない。何となく、予想はついたんだが、より正確に状況を知りたいんだ」


 私がフォローすると、ミナは真剣な表情を浮かべて、軽く頷いた。


「うん、何となく分かってくれたんなら、ちゃんと伝えられるように、私も頑張る」


 そして、口元に指を当てて、真剣な表情で黙り込んだ。

 正直なところ、今回の件ばかりは、ミナがどんなモノを見たのか、大体の予想はついている。

 多分、相馬の生き霊的なモノが見えたのだろう。

 しかし、その場合、私が対処してしまっても良いのだろ……



「生首に 心臓提げた 級友が ベタリ張り付く 夜半のガラス戸」

 

 

 ……うん。

 そんなモノが度々訪れてくるのなら、対処をしないわけにはいかないな。


「それは、なかなかグロテスクなことになっているな……」


「でしょー。そのせいで、ただでさえ相馬のこと苦手なのに、余計苦手になっちゃってさー。悪いとは思うんだけど、学校でもちょっと避けぎみなんだよねー」


 ミナはそう言うと、深いため息をついた。

 なるほど、ミナによりいっそう避けられていたから、相馬は私に言いがかりをつけにきていたわけだな。

 自業自得とも知らずに、憐れなヤツだ。

 いや、無自覚のうちに生き霊をとばしているなら、自業自得と知らないのは当たり前か。


「でも、相馬ってなんでわざわざ、私に絡んでくるんだろう?」


 相馬を憐れんでいると、ミナがあまりにも鈍感な質問をした。


「あー、それは、アレだ。好きな子に構ってほしいから、ちょっかいをかけるってヤツだろ」


 言いがかりをつけられた腹いせに、相馬の想いを軽くバラしてやった。

 すると、ミナはみるからに嫌そうな表情を浮かべた。


「えー、それはないよー。だって、相馬っていつも、私のこと馬鹿にするようなことしか言わないもん」


「それは、ほら、好きな子にイジワルをしたくなるタイプだからとか、そんな理由だろ」


 私が答えると、ミナは不服そうに口を尖らせた。


「でも、そういうツンデレみたいなのって、相手が自分に好意を持ってるていう前提がないと、逆効果でしかないよねー」


「……そうだな」


 ミナの言葉に、耳が痛くなった。

 私も、ミナに対して意地を張ったことを言ってしまうことがある。

 ひょっとしたら、ミナを傷つけてしまっているのだろうか?

 だとしたら、私も相馬と同じように嫌われているのでは……


「あ、そうだ! ツンデレで思い出したんだけど、バイト先に『ボンゴレ蕎麦』っていう新メニューができたから、今度食べに行こうよ!」


 ……うん。

 ひとまず、食事に誘ってくれるくらいには好かれているようだ。

 しかし……


「そのメニューは、アサリをオリーブオイルとかニンニクで蒸したものと、蕎麦をあえたものなのか?」


 恐る恐る尋ねてみると、ミナは屈託のない笑顔で頷いた。 


「うん、そうだよ! 結構人気のメニューなんだ!」


「……まあ、確かに不味くはなさそうだが、何というか、蕎麦の風味を全否定してないか?」


「うーん、そうかなぁ? 美味しいなら、いいと思うけど……あれ?」


 新メニューについて疑問を呈してみると、ミナは不意に話を止めて首を傾げた。


「なんで、『ボンゴレ蕎麦』の話になってるんだっけ? なんか、ツンデレについての話をしてたような気がするんだけど……」


「それは、ほら、ツンデレとボンゴレの語呂が似てた、とかそういう理由だろ」


 なぜツンデレについての話題が出ていたか、には触れずに説明をした。

 すると、ミナは屈託のない笑顔を浮かべて頷いた。

 

「そっか! そうだったよね!」


 恐ろしく適当な説明だったが、ミナは納得してくれたようだ。

 今回も、無事に恐怖を忘れてくれたなら、何よりだ。

 それにしても、生き霊が相手なら、色々と覚悟を決めないとな……


「……スバル? 淋しそうな顔してるけど、どうしたの?」


 感傷的な気分になっていると、ミナが不安げな表情で顔を覗き込んできた。

 ……余計な心配をかけては、いけないか。


「……いや、なんでもないよ。ただ『ボンゴレ蕎麦』が口に合うか、心配になっただけさ」


 話をはぐらかしてみると、ミナは屈託のない笑顔を浮かべて、私の肩を軽く叩いた。


「大丈夫だよ! マズイっていうお客さん、五人に一人くらいだから!」


「それは……また、微妙なところだな……」


 ミナと私のどちらかが、その二割にならないことを祈ることにしよう。

 それから、私達は「ボンゴレ蕎麦」についての話題に花を咲かせながら、帰路についた。


 家に辿り着き、食事、入浴、今日の分の宿題を済ませているうちに、時刻は午前零時になっていた。

 この時間なら、ミナが起きていることもないだろう。

 しかし、念のため確認はしておくか。

 スマートフォンを取りだし、ミナに電話をかけてみた。

 スピーカーからは数回のコール音ののち、留守番電話サービスの音声が聞こえた。

 よし、これなら大丈夫なはずだ。

 ベランダへ出てミナ部屋に顔を向けると、明かりは既に消えていた。

 今のうちに、全てを終わらせてしまわなくては。


 

 生首に

 心臓提げた

 級友が

 ベタリ張り付く

 夜半のガラス戸



 目を閉じて、ミナが詠んだ歌を頭の中で唱えた。

 すると、ベチャリという湿っぽい音が、耳に入った。

 

「……」


 目を開けると、無言でミナの部屋を覗き込む相馬らしきモノの姿が目に入った。

 首から上は、相馬の顔をしていることは間違い無かった。


 しかし、首から下は、ミナの詠んだとおり、太い血管が伸びた心臓がぶらさがっているだけだった。


 こんな有様でミナと私が話しているところも覗いていたと思うと、かなり気色が悪いな。

 それでも、五体満足で出てこられるよりはマシなのかもしれない。

 手足がなければ、殴りかかったり、蹴りかかったりすることもないだろうから。

 しかし、噛みつかれたりしたら厄介か……


「……!?」


 考え事をしていると、相馬らしきモノは私に顔を向けた。

 そして、驚愕した表情を浮かべて、カタカタと小刻みに震えだした。


「やあ、相馬。覗きは楽しかったか?」


「……!」


 声をかけてみると、相馬らしきモノは、パクパクと口を動かした。

 どうやら、声は出せないようだな。

 なら、唇を読んでみるか。

 えーと、なになに……


 こ、ろ、さ、な、い、で、く、れ?


「あははは、おいおい、まるで私が殺人鬼かなにかみたいに言うじゃないか?」


 笑顔を向けてやると、相馬らしきモノの震えが大きくなった。

 どうやら、かなり怯えているようだ。


「安心しろ、君を殺すつもりはないよ」


 宥めるように声をかけると、相馬らしきモノは安心したように表情を和らげた。



「ただし、これから私がすることによって、君が勝手に死んでしまう可能性は、ゼロじゃないがね」



 私の言葉と共に、相馬らしきモノの下に赤黒い沼が現れた。

 そして、そこから無数の赤黒い手が伸び、心臓と頭にまとわりついていく。


「……!?」


 赤黒い手にまみれながら、相馬らしきモノは、すがるような目付きを私に向けた。



「そんな顔をするなよ。全ては、君がミナのことを覗いたり、その気色の悪い姿で怖がらせたりしたのが悪いのだろう?」


 声をかけると、相馬らしきモノは険悪な顔つきで私を睨みつけた。


「……!」


 そして、憎々しげに唇を動かす。


 こ、の、バ、ケ、モ、ノ、か。


「ああ、知っているよ。ただし、君と違って、ミナを怖がらせたことは一度もないがな」


 捨て台詞を吐いているうちに、相馬らしきモノは赤い沼に沈んでいった。

 相手が生き霊だと分かりきっていたから、多少の罪悪感は感じる。

 それでも、ミナを脅かすモノが、また一つ消えてくれた喜びの方が大きい。

 こんなことを考えていると知ったら、ミナはきっと私のことを軽蔑するのだろうな……


 感傷に浸っていると、パジャマのポケットに入れたスマートフォンが震えるのを感じた。

 取り出してみると、画面にはミナの電話番号が表示されている。


「もしも……」


「スバル!? 大丈夫!? お腹痛くなっちゃったの!?」


 通話に出ると、不安げなミナの大声が耳をつんざいた。


「……いや、大丈夫だ。さっきは、夜遅くに連絡してしまって、すまなかった」


「ううん! 気にしないで! さっきまで、リビングでアニメ見てたからまだ起きてたし!」


 ……どうやら、かなりギリギリのタイミングだったみたいだな。

 ミナが部屋に戻ってくる前に、処理が終わって良かった。


「ところで、どうして急に電話してくれたの?」


「あー、えーと、それはだな……」


 相馬の生き霊的なモノを処理するため、ミナが寝ているかを確認したかったからだ。

 なんて、本当のことを言えるはずもない。

 さて、どうやって、話をごまかすか……

 対応に困って辺りを見渡すと、空に浮かんだ月が目に入った。

 そうか、今日は満月だったな。


「……月が綺麗だったから、もし起きてるならベランダで一緒に眺めようかと思って」


「え!? 本当!! 今行くから、ちょっと待っててね!」


 その言葉と共に、通話が切れた。

 そして、ミナの部屋のガラス戸が、音を立てて開いた。

 現れたのは、甚平姿のミナだった。

 ミナは私に屈託のない笑顔を向けてから、夜空を見上げた。


「本当だ! すっごく綺麗な満月だね!」


「だろ? ほら、夏場は夜が風流で、月が出ているときはことさらだって古典の授業で習ったから」


「そうだね! あとは、蛍が飛んでくれれば、さらにいいのかもしれないけど……」


「まあ、この住宅街の中じゃ難しいだろうな」


「あ、じゃあ代わりに、コンペイトウ撒いてみたらどうかな!?」


「綺麗かもしれないけど、食べ物は粗末にするなよ」


「そっかー、そうだよねー」



 いつの間にか、私達はとりとめのない話に花を咲かせていた。

 

 

 ……私は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

 それでも、まだ、こんなふうにミナの側にいたい。



 それが、あと少しの時間だったとしても、構わないから。

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