葉桜の君に

澄田こころ(伊勢村朱音)

葉桜の公園

 その生徒に目をとめたのは、入学式が始まる五分前。担任を受け持つクラスの中に彼女はいた。

 体育館の傍には桜の大木があり、その下に入場を待つ生徒の列が。みな揃いの紺のブレザーに、縞のネクタイ。女子はチェックのスカート。男子は紺のスラックス。


 田舎の地方都市の中では、おしゃれだと生徒から人気の制服だった。


 時折強い風が吹き、豪勢に花びらをおとすその桜を彼女は見上げていたのだ。他の女子生徒から、頭一つ抜きんでている。手足の長いすらりとした体躯に、腰まで伸びたまっすぐな黒髪。切れ長の目はどこか中性的で、髪を短くしても似合うのではないかと、いらぬ連想をさせた。


 教師になり、数十回は繰り返してきたありふれた入学式の情景。でもたった一点の違和感が俺をひきつけ、目が離せなかった。


 その生徒は、薄紅の花びらを無数につけ美しく咲く桜を、その中性的な双眸で睨みつけていたのだった。


 紅白の垂れ幕で飾り立てられた体育館から、教頭の晴れがましい声が聞こえてくる。


「第65回 私立緑風高校入学式を始めます。新入生入場!」


 その号令を合図に、体育館の重い扉が開かれた。



                   *


 その年の春、世間は未曽有の混乱の渦中にあった。その落ち着かない世情に引っ張られてか、何時までも寒さがひかず桜は咲き続けた。

 東日本で起こった地震がこの列島に大きな爪痕をのこした、そんな春だった。


 凄まじい惨状を流し続けるテレビから逃げたくなり、今はコンセントを抜いてある。一人住まいの部屋は、耳が痛くなるほどの無音。


 休日にはそんな部屋にいるのがいたたまれなくなり、散歩に出かけた。勤務する高校から離れているので、うっかり生徒に会うこともない。近くの公園までほんの気晴らしだった。


 大きな総合病院の白い建物が、鬱蒼とした木々の向こうに見える。その公園には芝生広場を囲うように桜が植えられていた。花見シーズンには大いに賑わうのだろうが、今は葉桜。レジャーシートを広げ、子供を芝生で遊ばせる親子の姿があるだけ。


 そんな親子連れの中、芝生広場のど真ん中に何をするでもなく、立ちすくんでいる若い女性がいた。黒のスキニーパンツが長い足を強調し、真っ白なパーカーを着て長い髪をポニーテイルに結っている。


 遠目でも、まっことかっこのよい服装をした女性は、あの入学式の日に桜を睨んでいた生徒、春川桜子だった。



 俺は躊躇した。声をかけるべきかどうか。

 休日に先生に声をかけられるなんて、生徒は気分を悪くするだろう。教師なんぞに学校以外で会いたいわけがない。


 しかし春川は俺をみつけ、ためらいを見破るように大きく手を振り、そしてあたりに響き渡るほど大きな声で言った。


「せんせーい。こんなところで何してるの?」


 生徒から声をかけられては、無視はできない。俺は教師の仮面を装着し春川に近づいて行った。一歩一歩、歩を進めるたび、カサコソと青くしげる芝生から音がする。


「散歩だ。春川こそ何をしていたんだ?」


 新学期が始まって一週間。個人的な会話を交わすのはこれがはじめてだった。


「桜みてた。葉桜ってきたないなあって」


 たしかに地面に花びらが散乱し、満開に咲く桜の隙のない美しさに比べれば、葉桜はくすんで見える。


「遠くから眺めたらそうだなあ。でも近づいてみたら以外に、葉桜もおつなもんだぞ」


 そういい、俺は葉桜に近づいていく。その後ろを春川は素直についてきた。ちょうど桜の真下に来て、上を見上げた。


「ほら、遠くから見たら色がまじりあって濁って見えるけど、ここならはっきり一つ一つの輪郭が見えて、きれいだ」


 桜の木には、花びらが落ちたえんじ色のガク片がぶら下がり、枝の付け根には黄緑色の若葉。まだところどころ花も咲いていた。


「ほんとだあ。このガクちっちゃいサクランボみたいでかわいい。若葉の色もきれいだね。さすが美術教師、見るとこがちがうねえ」


 砕けた口調。教師にも敬語を使わない。もちろん人見知りもしない性格は、まだキャラの探り合いをしているクラスにおいて、ムードメーカーとなっていた。

しかし天衣無縫なその横顔が、一瞬くもる。


「私桜って嫌い。特にソメイヨシノ。木にいきなり花が咲くんだよ。一色だけなんてつまんない。先生知ってる? ソメイヨシノってみんなクローンなんだって。だから一斉に咲く。気持ち悪いよね」


「自分の名前が桜子なのにか?」


「あっほんとだ」


 初めて気づいたのか、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。

 思わず俺は笑い出した。


「ひどーい。私が嫌いなのは、ソメイヨシノだからいいの。八重桜とか山桜は好きだもん」


「さっき、桜が嫌いって言ったぞ」

 俺の意地悪な指摘に、ますます頬を膨らませる。


「だって、ソメイヨシノってなんか学校みたい。みんながおんなじ色して、おんなじ瞬間咲くなんてさ」


「春川は学校が嫌いなのか?」


 俺は意外だった。クラスの大人しい子たちと違い、もう男女の区別なく友人をつくり毎日楽しそうにしている。そう俺の目には映っていたのだ。


「せっかく私立の高校に入ったんだから、自由にできると思ってたのに全然違うんだもん。わけわかんない校則もいっぱいあるし」


 そんな愚痴を教師の前で堂々と言える生徒の心は、もう何物にも縛られておらず、自由ではないだろうか。


 ここは、担任としてなにかアドバイスするべきだろう。そう思っても何も頭に浮かばない。黙り込んだ俺を不思議に思うわけでもなく、春川は一心に葉桜をながめていた。


 遠くから春川の名を呼ぶ声がした。

 俺は、はっとしてその声の主をさがす。


「おかあさーん。仕事終わった?」

 そう春川は言って、母親へ向かって走っていった。

 春川の母親は娘から俺の身分を聞いたのだろう、ふかぶかと頭を下げてくれた。俺も慌てて頭を下げる。頭をあげ一瞬母親と目があった。

 その顔に見覚えはなかった。


 体育館の外で春川をみつけた時、記憶のそこからよみがえった一人の女。美大時代の恋人、響子。

 春川と響子は似ているというか、まとう雰囲気が同じだった。

 思わず年齢的に娘かと思い、春川の家庭調査票にその名を探した。

 そこに記された母親の名前は、響子ではなかった。


 母親は、シングルマザーの薬剤師。響子はアーティストになったのだ。全く経歴が違う。

 それでも、今日春川の母親の顔に注目させたのは、俺の未練だったのだろうか。


 テレビを見ない生活にも慣れ、ゴールデンウイークがあけ、最初の登校日。

 春川桜子は、男子のスラックスをはいて、登校してきたのだった。





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