名前のない
伊島糸雨
1.吐き気
無理やり連れて行かれた合コンで、グラスにろくに口をつけないままトイレに駆け込んだのは、別に驚くようなことでもなんでもなかった。
こういう場に引っ張り出されて自分がどうなるかなんて、私自身が一番よくわかっている。だから「無理だ」と言ったのに、忠告を無視して強制するから、こんなことになる。
「ちょ、ちょっと、大丈夫……?」
遅れて入ってきたどこか見覚えのある先輩が、慌てながらも優しく背をさする。何も事情を知らないにせよ、あの微妙な空気の中で率先して私を追ってきたのは、純粋な優しさゆえだろうよ思う。けれども、私にとってはその背中をなぞる生温ささえもが、気持ち悪くてたまらないのだった。
「ぶ、ぉえっ」
そして何も言えないまま、えずいて、吐く。
頭の奥底はひどく冷めている一方で、胃と喉はひりひりと焼け付いて、不快な痛みを伝えてくる。内臓の中で何かがこぽりと弾けるたびに、私は便器に向かって口を開ける。何も食べていないせいで、酸味ばかりが舌先を転がって、歯を溶かしていった。
昔から虫が嫌いで、お化けが嫌いだった。うぞうぞと蠢くのを気持ち悪いと思った。不安と恐怖を振りまくものを憎らしいと思った。
でも何よりも、人間が大嫌いだった。
これと言った理由もなく、人間だけは、どうしても愛することができなかった。
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