30. BATTLEの先にあるもの、辿る終わりにREAL ROAD.

◇◇◇  

30. BATTLEの先にあるもの、辿る終わりにREAL ROAD.




結果から言えば、ケイジは負けた。



勝負にならなかった。




「…俺の…負けです…」




「―まさかケイジさんが…暗鎖アンサーを返せないだなんて…」


「はっはー、いやあ、大人げ…じゃなくて女神げもなくちょっと本気だしちまったよぉ、ええい?」



先攻のムジカの8小節に対し、後攻のケイジは8小節を半分も返しきれない、中押し負けクリティカルだった。



「(―今の私の力では、さっきの詠唱がどれほど高度な応酬で、どう勝負が着いたのかわからない…。

  少なくとも彼女の力は本物だということ… ケイジさん…!)」


ライムはその場で立ちすくみ、ケイジに駆け寄ることも、口を出すこともできない。





ムジカの8小説を聴き、自分のターンになった瞬間のケイジは混乱していた。

そして4小節目には完全に絶望していた。


言いようのない凄まじい虚無感と自己に対する疑念。



そしてその先の、全てを多い尽くす大きな存在。



「(―これは… そ… 『SO.RE.NA』…?)」



気の遠くなるような深い記憶の底に、ケイジはその正体を見出す。




『SO.RE.NA』。



まだ現世の日本でラップ文化が広く浸透する前の時代に、J-POP界で一世風靡したラップ風の曲。

サビにあたる部分の歌詞は「それなー」しかない。


韻は意識されているが、行末の一文字以上を踏むことは無い。

歌詞も特に意味はなく、当時の若い女性の口語でつづられた無思想無主義の薄い内容だった。


つまり「ラップっぽい曲」であり、HIP HOPでは全くないが、その後の日本におけるHIP HOPシーンに多大な影響を与えたのは間違いない有名曲だった。



ムジカの放った先攻8小節は、まさにその時代のレベルだった。



フロウと言うよりただ喋る言葉をリズムに乗せただけで、緩急も強弱も無い。

内容も、ただニートまがいの20代OL(自分)の日常をつづったポエム。

パンチラインキメの言葉どころかバースやフック《サビ》という概念も無い、無味無価値な内容。


ライムのつもりなのか、語尾は全て「~だし」。

「チェケラッチョ」という言葉を本当に使用する時代感。


HIP HOPがHIP HOPたる所以の、魂からの叫びや生き様の表現など望むべくもない代物だった。




女神に寿命という概念は無い。


膨大な年月の間、様々な世界を見続ける女神たちは時代の変化というものに疎く、ムジカの中でラップと言えば『SO.RE.NA.』の時代から変化していなかった。


『MCバトルダンジョン』流行以降のラッパーにムジカが挑むのは、現代の3DCGのコンペティションにポリゴン時代のモデルを出品するようなものだった。



そもそもバトルという仕組みに則っていないのだから、ディスも主張も無い。

つまり対戦者からすれば、返すべきアンサーなど見つかるはずがない。


ある種完璧な先攻8小節だった。



――WACKひどいどころじゃない…ヤバい…これはバトルになっていない…。



それでも何とかケイジは、「おしゃべりラップ」とか「J-POPの朗読」とかいった古典的なディスを返そうとしたが、あまりの動揺に声がかすれ、体勢を立て直せない。



――これにディスを返していいのか…?

  これを論破して、はたして俺は何かカッコいいのか…?

  ソリで滑って遊んでいる子供をスノボで抜き去ってドヤ顔するようなものじゃないか…?



どんな言葉を返しても効力のあるディスになる気がしない。

冷静になろうとすればするほど、ケイジから自信が消えていく。



――音楽を、音楽が否定できるのだろうか。



音楽には国境も階級差別もある。


だからこそクラシックは大衆音楽をバカにするし、HIP HOPはJ-POPをバカにして良いし、悪そうなラッパーはそうでないラッパーより偉い。


それは真実だ。



真実だが――真理だろうか。



HIP HOPそのものの存在意義を問われているかのような感覚だった。



バトルとは何か。




勝利とは何か。






音楽とは何か。






――まさか…これがM.Cラッパーの本質ってことなのか…?




そう思った途端、相手がとてつもなく巨大に思えた。

技量や威圧感からくるものではなく、向き合った存在そのものが大きかった。



自分は一体何と戦っているのか。



MCバトルは精神の削り合い。

ケイジは完全に相手に呑まれてしまっていた。



――勝てない…勝つことへの意味も見出せない…!!



自分の第1ターンの5小節目で、ケイジは自らの負けを宣言した。


この世界へ来て初めてのことだった。



「音楽の女神…か…。」


改めて視線を上げると、なびく銀髪の奥に全てを見通したかのような銀の瞳が細く笑っていた。


「本当に神様だとかどうかってのは、俺にはわからないけど――

 なんだか…わかったよ…」


負けを認めたのに、ケイジの心は全く濁っていなかった。

良い試合をした後のランナーズハイなどとは違って、静かに自分が見つめられていた。



「“わかった”、ってのは、本当はわかってないってことの自覚なんだぜ」



銀眼の褐色美女は飄々と嘯く。



「まあ、“わかった気がする”とか言う、そう言いたいだけの間抜けよりはマシだけどなぁ、ええい?」



「そっか、そうだよな…。」



「…。」



ライムには、バトルからここまでの会話が一切意味不明だった。

とりあえず「なんかすごいなあ」と思った。




◇◇◇

(第31話へ続く)

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