第15話 あの日……

 俺から伝えるべきだったのだろうな。俺が言葉に迷っている内にマルレーヌ妃がフルール様に予定の変更を告げていた。押し込めていた感情が爆発したのだろう。マルレーヌ妃の顔には赤い痣が出来ていた。フルール様が投げた茶器が顔に当たってしまったのだという。

 逃げ出すように籠もられた部屋からは物が崩れ、壊れる音が鳴り止まない。

 侍女も下働きも関係無く部屋の前でフルール様に声を掛けているが、それに反応はなかった。

 子供が壊せるような物なんて手に収るくらいの大きさの物だろうが、それにしても音が大きく、物騒だ。硝子や陶器の破片で怪我をされなければいいのだが。

 一際大きな音に一瞬皆の動きが止まる。

 俺だってこんな大きな音がすれば驚くよ。扉なんか壊れれば直せばいいんだ。思いっきり蹴り破った部屋の中は惨憺たるものだった。

 よく子共の身でここまで部屋を荒らせたなと感心するくらい滅茶苦茶だ。

 破けた寝具から舞う埃に床に散らばる様々な欠片。大きな音は整理箪笥をひっくり返した音だったのか。

 部屋の奥では肩で息をするフルール様が佇んでいた。


「……姫様」


 俺の呼びかけにフルール様は涙の止まらない顔を此方に向け


「来ないで! 嫌い! 大っ嫌い! みんな嫌い!」


 そんな事を言われて引き下がれるわけがない。フルール様が握り締めている手は震えているし、そんなに泣いている子供を一人にできるわけない。


「俺は姫様のこと好きですよ」


 フルール様の前で跪き、握り締められた手を取る。イヤだ、嫌いだとはね除けられるかと思えばフルール様はそのままそこで声を上げて泣くんだ。吐き出されるような大きな泣き声に握り締めすぎて強張っていた手が解けていった。


 フルール様を宥め、離宮が落ち着くまでの間に事は済んでいた。今回の企ては王太子一派と呼ばれる過激な貴族の独断で行われたことだった。その中に近衛騎士の隊長が含まれていたなんて誰が思うだろうか。

 なにもしなくたって王太子は次の国王と認められているのに。ただ、髪が赤いというだけで命を狙うなんて……馬鹿な事を犯す奴はいるもんだ。

 ただ、ダンスの練習中に飛んできた矢は知らないと言い張っているらしい。フルール様を怖がらせておいてふざけるなっていうんだ。


「ドニ、怪我はもう大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。こんなことになったのは自分の至らなさのせいだ。……それより、フルール様は大丈夫か?」


 本当にフルール様を心配しているのだろうか? あれから大分落ち着きを取り戻されたが、マルレーヌ妃にはまだ笑顔を見せられずにいる。

 いや、ドニが仕事に真面目なことは知っている。きっと心配していることも本当だろう。だけど、ドニが弓を得意にしていたなんて俺は知らない。俺が知らないだけならいいんだ。なんで俺はドニを……


「うわっ、なにをするんだ?」


 ドニは俺を人目を避けるように物陰に押し込むんだ。周囲を気にして、なにがあるというのだろうか? 妙な動きに変な緊張が背筋に走る。


「マルタン、オレは離宮の秘密を知っている」

「ああ、それは前に確認……」

「どうしてフルール様は、魔法使いだと公表されない?」


 なにを言い出すのかと思えば、ドニはフルール様付きの近衛だから『竜の肉を喰った』と、知ってるのか。ならば、マルレーヌ王女の想いだって知っているはずだろう。魔法使いでは平穏な普通の人生を歩めない。


「そんなのわかるだろう?」


 わざわざ言葉にする必要だってない。


「ああ、フルール様を権力から遠ざけなければいけない。だからさ、『竜の肉』を用意したんじゃないか」


 用意した?


「魔法使いなら王位継承を辞退出来るだろう。だって」


 は?


「マルタンも陛下とマルレーヌ妃の仲を知っているから、子供との婚約を了承したんじゃないか」


 こいつはなにを言っているんだ?


「父親の側妃と恋仲だなんて、しかも子まで成しているなんて醜聞もいいところだ。わざわざ問題を公表することもない」


「ちょうどよく、前国王陛下がマルレーヌ妃の懐妊を自分の子と勘違いしおかげで、無駄な争いは避けられて……いるのかな?」

「待て! フルール様は陛下の妹姫だ。決して陛下の」

「いいよ。わかっているから。オレまで蚊帳の外に置くな。お二人の逢瀬は俺が警護することもあったんだ。今さらだ」


 どんな勘違いをすれば、フルール様が陛下とマルレーヌ妃の子供になるんだ。いや、それもだけど……


「待てって! ドニ、お前……『竜の肉を用意した』とはなんだ?」


「なにって、フルール様を王位から遠ざけるために決まってるだろう。陛下は次世代をユベール王太子に決められた。髪が赤いだけという理由だけで次を決められては俺たち臣民が困るじゃないか」


 中途半端に知って、中途半端に関わって……フルール様を魔法使いにしたと? あの日の暗殺未遂がなければ、俺は……


 フラヴィは死ななかったかもしれない。


 竜人から彼女を守れたかもしれなかったのに。一緒に彼女と死ねたのに。幸せのまま終わらせることが出来たのに。

 溢れてくる涙にもしかしたらと、想いが混ざる。もしかしたらなんて、なんにも意味は無いのに。過ぎてしまったことは悔いることしか出来ないのに。


「マルタン?」


 心配そうに伸びてくるドニの手を払いのける。

 言葉に……なにも意味がない。なにを言ってもドニにわかって貰えると思え……わからなくていい。

 だからさ、俺がドニの腹に剣を突き刺すなんて思わなかったんだろうな。


「……なん、で?」

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