第17話 賤の屋 (しずのや) ~月夜の思い出~
例えば、花山院の事が起きる前年の七月。ひどく暑いので、どこも開け放して寝ていた時のこと。夜更けにさがさと入って来た
則光ときたら扇はどこへ行ったかと探すわ、ふところ紙をざわざわといわせながらしまいこんだかと思うと、今度はやっと探した扇をばたばたといわせながら、型どおりの別れの挨拶をする始末。あんなに
そんなことを腹立たしく思っていると、
「
などと
「格別な、お名残りの御朝寝ですね」
御簾の中に身体を半分ほど入れていらっしゃるので、
「朝露よりも早く帰っていった人のことがうらめしいので」
半ば投げやりに答えると、枕元にある扇をご自分の持っていらっしゃる扇で引き寄せるようになさるので、身体ごとこちらに傾いていらっしゃるのに、どきっとして奥へいざります。
「他人のように思っていらっしゃることよ」
斉信様は思わせぶりなことを仰ったりしながら、日が高くなってきたのを気にしつつわが家へと帰って行かれました。さっき別れてきた女人のところへの後朝の文が遅くなったというのも気がかりなことでしょう。そして、その女人のところへも、このように別の男がのぞきにきているのであろうか、などとお思いになるのかもしれません。このようなことは私のことではなく、世間的なこととして書いておきましょう。
また、その年の暮れ十二月二十四日。中宮様の御仏名の初夜に、読経を聞いてから私は里へ退出いたしますと、斉信様からのお手紙が届けられておりました。
「今宵は里へ訪ねて行こう。久しぶりに喪服を脱いで、晴れやかに装っていらっしゃい。きっと楽しいことがあるよ」
秘密めいたことをお書きになっていらっしゃいます。なんだろうかと、どきどきいたします。それにしてもこんなに浮かれた気持ちでいいものでしょうか。
私には斉信様が、無理なことは決してなさらない方だという確信がございました。今になってみれば、あの時すでに、私へのご好意が男と女のものというより、人と人としてのものであることに気づいていたのかもしれません。
私はお返事をしなかったので、本当にお見えになるのかは半信半疑でおりました。それでも里で久しぶりに喪服を脱いだのが嬉しくて、薄紫、紅梅、白いのなど衣をたくさん重ね着して、斉信様のご計画に想像をめぐらしておりました。下仕えの者が寝んでしまった頃、斉信様のお供が私を呼びに参りました。本当にいらっしゃったのかと外へ出てみますと、立派な
「よくぞ美しく着替えて待ってくれていたね」
斉信様は私と同じ年のお生まれでいらっしゃいますが、もの馴れた感じで私には似合わないようなことを仰います。
「あれこれ気を回す必要はない。ただ、前から、こうして有明の月のころにあなたと車に乗って出かけたいと思っていた」
「私でなく、ふさわしいお方がたくさんいらっしゃるでしょうに」
「風雅を楽しみたいのだから、それが分かる相手でなくては楽しくはあるまい。あなたは一般の女とはちがう。美しいものや、おもしろいことを見たり聞いたりしては素直に喜ぶし、もったいぶったところがない。だいたいの女は、このように連れ出しても一向に辺りを見ようともせず、さらわれてでも行くかのようにびくびくした素振りをするだけでおもしろ味がない」
「私とて、このような大それたことになろうとは思ってもおりませんでした。月の光が明るすぎます。奥へ入らせてくださいませ」
「だめだ。それでは甲斐がないではないか」
斉信様の後ろへすべり込もうとするのを、しょっちゅうそばに引き寄せて外を見せようとなさいます。私も、次第に月明かりに目が馴れてくると、眼の前に広がる光景のすばらしさに恥ずかしさも忘れ、夢中になって見渡しました。斉信様が、高々と
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