第3話 宮仕え (みやづかえ) ~美しき主~
宮仕えは私の念願であったにもかかわらず、初めの頃は、気後れでそのままの自分を出せず、
そのうえ宮中でのこまやかな決まり事、人々の顔や名前もなかなか覚えることができずに恥ずかしさにうち沈む日々でございました。先に宮仕えをしていた女房たちの、皆うち解けて中宮様ともの馴れた感じでやりとりをしている様子がうらやましいばかりで。同時に、その光景のきらびやかさ、和やかさといったら今までこんな世界があったのかと感無量で、とりわけ中宮様のお美しさは言い表せないほどでした。
ひどく冷え込んだ夜のこと。中宮様が私たちに絵などを差し出してお見せくださるのに、袖からちらと見える御手がつやつやとした薄紅梅色で、物語でなく現実にもこのような方がいらっしゃったのだと、思わずはっと我に返るまで見つめてしまったものです。
これからはいつも、こんなにすばらしい後宮へ参上するのかとうっとりしながら、また一方では慣れぬ場所に落ち着かぬまま、
「いくら
ああ、伝説になぞらえて引き留めていらっしゃるとは思いながらも、ますます気恥ずかしさに縮こまっておりました。なぜなら葛城の神は自分の器量が良くないので昼間は姿を見せなかったというのです。器量にはからきし自信のない私です。それなのに女官が来て
「まだ、上げてはだめ。少納言が恥ずかしがっているから」
と、やはりすっかり見抜かれておりました。
中宮様は私をお引き止めになって、興味をもたれることをあれこれおたずねになるので、お話しているうちにとうとう夜が明けてしまいました。薄闇にまぎれることもできなくなり、こちらの顔があらわになってくるのを気が気でなく思っていると、
「もう、局へ下がりたくなったでしょう。では、お帰り。夜になったら早く来るように」
と仰せられ、ようやく退出いたしました。
局へ帰って格子を上げると、一面の雪景色でございました。目に染みるほど真っ白な雪を見たときに、なんだか生まれ変わったような心地がいたしましたのは、私の第二の人生の始まりをくっきりと心の中にとらえることができた喜びだったのかもしれません。
冬の早朝は、しみじみとしております。大変寒いので、朝から女房が急いで火をおこして炭火を持って廊下を渡っていくのも似つかわしい光景です。
中宮様も雪の風情をお楽しみになりたいご様子で、
「今日は昼間に来るように。雪曇りで、そんなに顔もよく見えないから大丈夫でしょう」
などと、やはり心をくすぐられるようなことを言いつけていらっしゃいました。
思えば初めから、十も私より年若くまだ十七歳であられた中宮様に、私は心を奪われていたのでございます。すぐれたご器量だけでなく、聡明でさわやかなお人柄、こまやかなお心配りに触れるにつけ、このような方は千年経っても現れるまい、と思われることでした。そして、その思いは七年間のつとめの中で一層色濃くなっていったのでございます。
同じ局の式部のおもとは、私がぐずぐずしているのを見て、
「中宮様のご厚意にそむかぬよう早く出仕なさいませ」
と、せきたてますので、ああ、つらいと思いながらも御前へ行き、いつになったらあんなふうにできるのだろうかと、他の女房の軽やかな立ち居振る舞いを見ておりました。
しばらくたって、兄君の大納言
「こんな雪で道もないと思いましたのに、どのようにしていらっしゃったのですか」
中宮様が美しいお声でおたずねあそばすと、
「このような日なれば、情け深い人だと私をご覧いただけるかと」
そんなふうに、互いに
山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む
をふまえてご問答なさいます。
このようなすばらしいやりとりを見るにつれ、私の心はときめき仕合わせを感じました。私以外の女房は、伊周様とも気軽に受け答えしたり、からかわれれば、
「もう、大納言様ったら」などといって笑ったり、和気あいあいとしたさまです。
私が、少しばかり世に知られた歌詠みの
「あれはだれか」
と、こちらに寄って来て何かと話しかけなさいます。伊周様に間近でお目にかかるなど初めてのことで、私は胸がどきどきし、火照ってくる顔を扇で隠しておりました。すると、伊周様はのぞき込むようにして、
「小白川での話は父上から聞いたが、本当にそうであったのか」
などと、宮仕え以前の私の噂話についておたずねになります。
「お恥ずかしゅうございます」
とだけ答えて、私は何をお話申し上げたらよいかもわかりません。精一杯顔を隠している扇までを、さっとお取り上げになり、それをもてあそびながら、
「この絵はだれが描いたのか」
などと、なんとか話させようとなさいますけれども、私はあわてて顔を覆った袖に白粉がついて、顔がまだらになってしまったていたらくに違いないと、ますます困惑するばかりでございます。
中宮様は私がどうすることもできずにいるのを察していらっしゃるようで、
「こちらにも扇があります。こちらへ。これは誰が描いたのでしょうね」
と兄君をご自分の方に呼び戻そうとなさいますのに、
「この人がわたしをつかまえて、立たせないのです」
などとおっしゃって、私を困らせておもしろがっていらっしゃいました。私にとって、このようにお相手の対象となるのもたいへん名誉なことではございましたが…。
お一方でさえ緊張してしまうのに今度は弟君の
それにしても(早く私も会話の仲間入りをしなくては。きっと古参の女房たちも最初からああだったのではあるまい。あれこれして宮仕えに励んでいるうちに、自然と平気にもなってくるだろう)と私は自分に言い聞かせるのでした。
あるとき中宮様は何かお話しなさったついでに、
「私を思うか」
とおたずねあそばしました。
「どうしてお思い申し上げないことが…」
言いかけたところで、台所の方から誰かの高らかなくしゃみが聞こえてまいりました。
「ああ、いやなこと。うそをついたのね。いいわ、わかったわ」
中宮様はそうおっしゃると、奥へお入りになってしまいました。
うそなどということがあるものでしょうか。並大抵の思い方ではないのに。「くしゃみこそうそをついたのです」と申し上げたいけれど、まだ弁解もよくできぬ新参者だったので、くしゃみの主をにくむばかりです。くやしい気持ちのまま局へ下がると、すぐに中宮様からの薄緑色のきれいな紙に書かれた手紙を使いが持って参りました。見ると、こう書かれていました。
いかにしていかに知らましいつはりを空にただすの神なかりせば
「くしゃみの神さまがいなかったら、あなたの本心を知ることができなかったことよ」とおっしゃるなんて、またあんまりだと悲しい一方でうれしくもあり、
薄さ濃さそれにもよらぬはなゆえに憂き身のほどを知るぞわびしき
「花の色ならぬ鼻なのですから、中宮様を思う気持ちに薄いも濃いもありません。ただくしゃみのせいでうち沈んでいる私です」と返歌申し上げました。
中宮様は、このように宮仕えに馴染めずあまり口をきけない私に、あれこれとお心を砕いてくださったのです。それにしても、だれがあのような大事な時にくしゃみなど、構わず出放題にしたのでしょうか。
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