インスタントカメラ②

 暫くして。


「少年!これが私のベストショットだ!」


 皇女様は自慢げに一枚の写真を見せてきた。おやおやどれどれ...と、右京さん気分で拝見する。写されていたのは、並ぶ二つの雨濡れした自動販売機だった。人工的な光がぼうっ、とぼやけてて神秘的。

 こういう何気ない日常の一コマを切り取った写真は、純粋に素敵だと思った。


「きれいですね」

「そうだろう!ココは少年と私の思い出の場所だからなっ」


 思い出にするには早過ぎる昨日のことなのに。不思議とそれは、思い出だった。


「今日はコーラ飲まないんですか?」


 ふと疑問に思ったので聞いてみる。あんなに美味そうに飲んでたし。


「あぁ。『悪魔の血液』、あれは身体に悪過ぎる...一週間に一度と決めているのだ」

「そりゃ健康だ」


 炭酸ドリンクの王様はコーラと相場は決まっている。あれは糖分の塊を溶いた水なのだ。


「くっ、飲みたくなってきた...」


 僕がコーラの存在を彼女に思い出させてしまったのだろう。自動販売機の方向に向かって歩いては戻り、歩いては戻り...と繰り返していた。

 葛藤している様子は滑稽で微笑ましい。


「あっ!そうだ!」


 皇女様は何やら思いついたみたいだ。


「どうしたんです?」

「はんぶんこ、だ!」


 半分こ?

 皇女様は、『素晴らしいアイデアだっ!』といわんばかりに大きな目を輝かせていた。


「罪悪感も、悪魔の血液もはんぶんこしよう!」

「はあ」


 彼女は軽い足取りで自販機の方に向かった。

 つまり、僕はコーラを半分の二百五十ミリリットル飲むってことかな?

 えーあの、コップに入れて半分にする分には構わないんですけどね。お口をつけるとなると...童貞の僕は意識してしまいます。


 彼女は昨晩覚えたての自動販売機で購入し、コーラを持って戻ってきた。そして僕の隣に当たり前のように座る。さっきより近く感じた。


「数字、揃わなかったのだ...」

「そう簡単に当たるわけじゃないですから」


 昨日の運が良すぎただけだ。肩を落として露骨に落ち込んでいる皇女様は、やっぱり子供らしい。


「ええいっ!こうなったらヤケ酒だっ!」


 ぷしゅっっ、と、つい昨日聞いたばかりの音がする。


「酒じゃなくてコーラですけどね...てか、ヤケ酒なんて言葉、どこで覚えたんですか?」

「む、お父様がよく言っている。『やってらんねぇ!今夜はヤケ酒だぁ!!』と。寝室まで響いてきてうるさいのだ」


 我が国の王様、苦労してるんだな...。お疲れ様です。頑張って下さいませ。

 僕が一国の主に敬意を表していると、娘である彼女は既にコーラを半分飲んでいた。


「ぷはぁっっ!うめぇ!うめぇ!罪悪感が相まってさらにうめぇ!」

「よかったですねー」


 昨晩と変わらない反応に、思わず笑いがこみ上げてくる。彼女はおそらくにやけているであろう僕に、開封済みの、残ったコーラを渡してきた。


「これで少年も同罪だっ。飲みたまえ」


 やっぱり、こうなるんですね。

 彼女はこう、いわゆる間接キスみたいなのを気にしないのだろうか。気にしないんだろうなぁ。この娘、距離感おかしいし。

 どうしたもんか。飲んだ方がいいのかな。


「どうした?早く飲め、悪魔と契約してみろ。美味いぞっ」

「...はい」


 飲まなかったら、逆に不審がられるだけだ。ええい、ままよ!と、口に運ぶ。

 皇女様が感じていたであろう罪悪感とは違う罪悪感が、口内に広がった。

 ゴクゴクゴクゴク。

 うーん。緊張して味なんか分からん。

 僕が当惑しながらも喉を潤していると、彼女は僕に向けてカメラを構えていた。


 パシャリ。


「え、なに...」

「いや、大分間抜けな顔をしていたモノでなっ。つい撮ってしまった」


 僕、間抜けな顔してましたか...。

 てゆーかそれ、皇女様の口づけコーラ飲んでたせいなんですけど。


 ジーっ、と写真がプリントされて出てきた。


「ぷっ....くすくすっ...。な、なんてっ顔を、し、してるっ...」


 彼女は腹を抱えながら、出来立てホヤホヤの写真を見せてくる。そこには頬を赤らめ目を見開き口角の上がった、コーラを飲む青年が写っていた。

 なるほど...これは確かにキモいけど。さすがに笑い過ぎじゃない?


「いや、すまん...ちょっと、私は笑い上戸な節があってなっ...」

「べつにいいですけどね...」


 なんとか笑いを噛み殺す皇女様。

 僕、割と自分はイケメンな部類だと思ってたんだけどなぁ。カメラ写りが悪いだけだと信じたい...ちょっぴり落ち込む。


「気分を害したなら申し訳ない...なにか埋め合わせをしよう」


 深呼吸をして落ち着いたらしい皇女様は、再び腰掛ける。僕はやっと、コーラを飲み干すことができた。


「いいですって。そんな傷ついてないですし」

「いいや、そういう訳にもいかないだろっ」


 断ったが簡単には引き下がらない彼女。

 こういう『他人に借りをつくらない』的な趣旨の教育を受けているのだろうか。僕に問うてくる。


「何か欲しいモノとかあるか?」

「ジャスティンビーバーみたいな顔」

「それは無理だ絶対」


 絶対無理ですか...。まあ冗談だけどね。はあ、イケメンになりたい。


「ホント大丈夫です。気持ちだけで」


 この半分のコーラも実質、彼女に奢ってもらったみたいなもんだ。

 それに僕は、彼女に昨日、救われたのだ。

 返せないほどの借りを、作ってしまっているのだ。

 しかし彼女はうーん、と唸っている。そんで何やら思いついたらしい、手をポンと叩く。


「....そうだっ!もうちょい私に近づけ!」


 そう言いながらも、彼女も僕ににじり寄ってきていた。元来近かった距離が、さらに縮まる。

 何だか僕は、これ以上近づいたら、ダメな気がした。


「なんだ、照れているのか?」


 お構いなしに、天使のような小悪魔的微笑を浮かべて接近してくる。

 前を見つめる宝石のような目に、僕の精気は吸い込まれそうだ。

 そして彼女は細くて白い左腕を、僕の肩に回してくる。触れたら壊れてしまいそうな、危うさを併せ持つ美麗さだった。

 僕の鼓動がうるさい。彼女に気付かれてしまうだろ。


 やばい。思わず目を瞑ってしまう。

 皇女様、一体なにを---


 パシャリ。


 フラッシュの眩しい光が目蓋越しに伝わる。目を開き、シャッターを切る音が聞こえた方を見やった。

 彼女は右腕を伸ばし、カメラレンズをこちらに構えていたらしい。

 えーと、自撮りツーショット...ってやつ?


「これで、おあいこ、だっ」


 言うと同時に皇女様は立ち上がる。できたての写真を満足げに眺めると、僕に差し出してきた。

 惚けていた僕は意識を取り戻し、おずおずと温かい写真を受けとる。

 写されていたのは目を瞑り、相変わらず間抜け顔の僕と。変顔をした皇女様だった。


「てゆーかなんでこんなに変顔に全力なんですか....」


 こう、なんというか女であることをかなぐり捨てているような...全力投球の変顔。多分にらめっこ強い。


「おもしろいだろっ。おあいこにするためには、全力でやらねばならなかったからな!」


 彼女はいつのまにやら、しゃがんで靴紐を結び直している。表情は窺い知れないけど、得意げなのは声音だけで判別できた。


 ほう。つまり、僕の間抜け顔と対等、おあいこになるためには全力で変顔しなければならなかった、ということか...。なんだそれ。


「その写真は君にあげよう」

「ありがとう、ございます?」


 蝶々結びを二重に、彼女は屈伸運動を開始する。時計は既に二時五十五分だった。

 また走ってお城に戻るのだろう。


「代わりにさっきの君の写真は...私が落ち込んだ時にでも鑑賞しようと思う」

「そうですか...」


 まあそれで元気が出るなら万々歳だ。

 彼女は、皇族なのだ。僕の知らないような気苦労なんて、山ほどあるはずなのだ。僕の写真で少しでも笑ってくれるのなら---まあ、少し嬉しくもあるかな。あ、ドMじゃないよ。


「と、いうことだ少年。そろそろお別れの時間だっ」


 インスタントカメラと僕が写った写真をポケットに入れ、別れを切り出す皇女様。


「はい、じゃあ、また」

「うむ、またなっ!」


 やっぱり別れの挨拶が『さよなら』じゃ無くて安心した。

 腕を大きく振って走る皇女様の背中を穏やかな心持ちで見送る。夜闇に浮かぶ銀髪の波が荒ぶりながら遠のく。遠のいて、立ち止まった。

 どうしたんだろ?皇女様は振り返った。


「その私の変顔写真は門外不出で頼む...マスゴミに晒されたらさすがに恥ずかしい」


 そりゃそうだ。新聞一面、皇女様の変顔なんて僕も見たくない。


「分かってますって。家で大切に保管します」

「そうしてくれると助かる。ではな!」

「はい...」


 また明日。

 と、言おうと思ってやめた。

 気軽に明日約束ができる相手じゃないことを悟ったのだ。


 僕は再びツーショット写真を眺める。この写真に、魂とは別の何かを吸われた気がしてならない。


「...コーラ買って帰るかー」


 昼の雨は、僕らの為に止んでくれた。

 僕の独り言は、数多の星々に聞かれていた。

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