第2話 祖母のお見舞い

一、祖母のお見舞い


平成二十六年六月

「うみだ! 海!」

運転席の清美が、目前に広がる海を見て歓声を上げた。

「ホント、良い景色・・」

琴代も思わず声が出た。


六月の陽光に照らされた海と島々。キラキラとした光景が突然目の前に現われたのだ。それまで山間の曲がりくねった道路を延々と走ってきていて、峠を越えて下りはじめた時、その光景が眼前一杯に広がって見えた。


 車を道路脇に止めると、二人は車外に出てその景色を呆然と眺めた。

 明るい光に包まれた青い空に白い雲。その下には、緑の島々の間に光る海が見える。まさに絵画のような美しい景色だった。


南琴代と阿部清美、二十三才で同い年の二人は家が近所で、ものごころ付く前からの幼馴染みの親友だ。

この日は京都に暮らしている二人が、伊勢志摩方面に一週間の旅行に出た初日だった。


朝まだ暗い時間に琴代の軽自動車で京都市内を出た二人は、名神自動車道、新名神自動車道を乗り継いで伊勢自動車道を勢和多紀ICで降りると、まず鳥羽市を目指して走行していた。

と言うのも、この旅は鳥羽市の老人保養施設に入所している清美の祖母に会いに行く事から始まったのだ。


「今度の休みに、志摩のお婆ちゃんに会いに行くよ」

と、清美が話した時に、

「あたしも久し振りに米子お婆ちゃんに会いたいな。行くー、私も行く」

と、琴代が便乗したのだ。

琴代は、若い女性らしからぬ古い歴史や遺跡を見る事が大好きな歴史好き女性。通称歴女だった。

伊勢志摩地方にも、あちこちと行って見たい所が沢山あるのに、一人だととても不安で怖くて、まだ全然行けてなかったのだ。


その点清美は元気のかたまりみたいな女の子で、ずんぐりとした丸っこい体は、スポーツで鍛えられていて喧嘩も強く女子では無敵だった。

一人バイクで日本一周したこともある活動的な清美は、琴代とは正反対と言える性格だ。

そして二人は、今までにも色んな所に一緒に旅をした経験もあった。琴代にとって実に頼りになる同行者だった。


「真珠だって! 行ってみる?」

と、道端の立て看板を見て清美が気勢を上げた。

「行きましょう。鳥羽城も行きたいから、この辺りで駐車場に入ろうよ」

「出たわね。歴女!!」

「ふふ」

鳥羽駅前の市営パーキングに車を入れると、城への坂道を上がって行く。


「ここは、どんなお城なの?」

 今まで何回も、城跡の見学に付き合ってくれた清美が、坂道を弾む様に歩きながら尋ねてくる。


「海賊の城よ。城主は九鬼嘉隆。海賊大名の九鬼嘉隆って聞いた事ない?」

「あー・あるある、九鬼って珍しくて格好良い名前だもの」


「織田信長軍で鉄甲船を作って、毛利水軍を打ち負かしたのが九鬼嘉隆よ」

「それかー。でもそんな有名な割に、その後の歴史に名前が出ないね?」


「義隆は、その後も豊臣方の水軍の大将として多いに活躍したわ。だけど関ヶ原の戦いでは西軍について不運な自害をしたのよ。当時家督を継いでいた息子の守隆は東軍についていたので、九鬼家は残ったの。その後に家督争いが起こって、それを幕府に咎められて内陸に領地替えされて、水軍を失ったの」

「海賊が陸に上がったの。そりゃあ、だめだわ・・」


「でも家督争いのまま二家に分裂したけれど、九鬼家はそのまま明治を迎えられたのよ」

「へええ、と言う事はその方が良かったと言う事?」


「それは何とも言えないけれどね。その後の二家は、養子を出し合ったりして助け合っていたみたいよ」


 城跡は思ったより広大だった。至る所に石垣があり、特に海に向かって何段にもなった石垣は海賊大名にふさわしい物だった。


「なるほど・・、ここに立つと海賊の気持ちが分かるわ・・」

本丸跡から島々が横たわる海を眺めて清美が言う。

水平線は外洋で、そこまでは入り組んだ島々がこちらの船を隠してくれる天然の良港だ。外洋を航行する船を本丸から一望出来るのだ。


「ここに最近まで小学校があったのね・・・」

 説明板には、近年まで小学校の建物が建っていて、老朽化のために撤去されて、城跡公園になったと、書かれてあった。本丸の井戸の跡はその時に発掘された物らしかった。


「この城は、琴代としてはどう見ますか?」

と、清美が歴女の琴代に感想を尋ねる。


「九鬼嘉隆は、この鳥羽城を長い年月を費やして築城したのに、関ヶ原の戦いが起こって数年しか住めなかったの。そして戦後、家康に許されたのに、部下の早とちりで自決させられた。その悲しい最後をこの美しい風景が癒やしてくれるような気がするわ・・」

「さすがに琴代は、詩人だね。でも部下の早とちりで自決させられたって・・」


「うん。息子の守隆が必死で家康に嘆願して嘉隆の助命が受け入れられたのに、嘉隆は重臣の勧めで自決したのよ」

「あっりゃあー、そりゃあキツイわ」


「そう。守隆はカンカンに怒って、その重臣を成敗したのよ」

「それは・・、その重臣だってお家の為に辛い思いをしただろうに・・」

「そうね。嘉隆の重臣はすなわち水軍の幹部だと思う。その時に、水軍の力は失ったのかも知れないね」


 鳥羽城跡見学の後は、近くにある水族館と真珠島を見学した二人は、琴代の祖母がいる老人福祉施設「朝日の家」を訪ねた。


 鳥羽城からほど近い距離の小さな半島の根元にある朝日の家は、七階建ての四角い建物だった。

到着した時間は、午後のまだ早い時間だった。


「阿部さんは、岬にお散歩に行かれましたよ。間もなく戻ると思います」

と、受付の女性が教えてくれた。

そこから、半島の突端・白い灯台のある岬まで遊歩道が延びていて、元気なお年寄りたちの格好の散歩コースになっていた。


紀伊半島の東側のその当たりから、近畿では珍しく海から上がる朝日が眺められ、お年寄りばかりでは無く、週末には恋人達や家族連れで賑わう名所となっていた。


「米子お婆ちゃん、元気なのね」

と、琴代は安心して言った。

幼なじみで隣の家に住み、しょっちゅう清美の家に遊びに行っていた琴代にとっては、米子お婆ちゃんは自分のお婆ちゃんと同じような感覚だった。琴代のお婆さんは早くに亡くなっていて、会った事が無かったのだ。


「うん、体はまだまだ元気だって。でも老後は、海を見ながら人生の終わりを楽しみたいと言って、こちらに来たの」

「ここは確かに良いところだね」

「うん、あたしも好き」


「お婆ちゃん、ここに来て何年になったの?」

「あたしの高校卒業と同時だから・・・五年ね」

米子お婆さんは、その時には連れ合いが亡くなっていて身軽だったのだ。


「あっ、あれ。お婆ちゃんだ」

白い光の中、施設に向かって歩いてくる老婆の姿があった。琴代もひと目みて米子お婆さんだと分かった。

 二人は、歩いてくる米子お婆さんに足早に歩み寄った。


「おや、清美。良く来てくれたわね。あら、琴代ちゃんも来てくれたの」

 二人に気づいた米子お婆さんは明るい声を出した。


「お婆ちゃん、元気だった?」

 琴代は、皺が増えている米子お婆さん手を握って尋ねた。


「私は、元気だよ。こうやって毎日散歩しているの」

清美も祖母の変わらぬ明るい声にホッとした。

「ばあちゃんは、海が好きなのね」

と、琴代が懐かしそうに言う。


「そりゃあ好きさ。こうやっていなさに吹かれていると気持ちいいのよ」

「いなさって何?」


「ここに吹くような東南の風の事だよ。地元の言葉よ」

「ふーん。いなさか、何だか気持ち良さげな名前ね」

 三人はしばらく風に吹かれていた。


「あんたら、昼は摂ったのかい?」

「うん、駅前で食べてきた」

「そうかい、それなら施設に戻ってコーヒーでも飲みましょう」

「うん」


 二人を案内する祖母の足運びは、まだしっかりしていて清美を安心させた。

 朝日の家は、設備が行き届いた施設である。七階のラウンジは、ガラス越しに志摩の海が一望出来て、ゆったりと飲食できるスペースだ。


「ここ、豪華ね」

初めてここを訪れた琴代が歓声を上げた。

「でしょう、ここは老人施設と言うより、リゾートホテルと言った方が良い造りなのよ。外観は地味だけれど中身はしっかりと造ってあるのね」

と、初めて来た時は、琴代と同じ様に驚いた清美が説明した。


朝日の家の外観は、なんてことも無い普通の造りだけれど、中身はしっかりと作っているのが素人でも解る。それも華美に走らずに控えめな装飾で押えてある。それが却ってしっとりとした豪華な味わいをもたらしているのだ。


「ここには暮らすのに必要なものは全て揃ってあるの。でも、個人の部屋は広くはないのよ。まあ老人一人、そんなに持ち物は要らないからね」

 出て来たコーヒーを飲みながら、米子婆ちゃんはにこやかに言った。

 ここは、様々な物が買える売店から銀行・食堂、大浴場、図書館、映画も上映できる舞台からスポーツジムやプールまである。中庭には雨の日でも運動出来る公園もあるのだ。


「でも、費用はすごく掛かりそうね・・」

と、琴代は肩を竦めた。

「今日はどうするの? ここに泊まる?」

米子婆ちゃんが清美に聞く。


「えっ、泊まれるの、ここ?」

 琴代が驚いて言う。

「うん、ゲストルームがあって泊まることは出来るの。ほら、遠くから家族が来るでしょう。そんな時の部屋なの、どうする琴代?」

と、二人が琴代を見つめた。


「今回は貧乏旅行だから。ここに泊まると後が辛くならないかな・・」

「あっ、たしかに。軽で車中泊の旅行なのだ。ここで泊まるとあとでテンション下がるかもね・・」

琴代の意見に清美も賛成した。


「そうか。若い者はそちらの方が楽しいだろうね。貧乏は大事だよ。良い経験になる」

「お婆ちゃんの若い時は、どんな時代だったの?」

琴代が米子お婆さんに聞いた。清美も自分の祖母たちの若い時代の話は、今まであまり聞いたことが無かったので興味津々の表情だ。


「わたし・・、私の若い時はねぇ・・・・」

と、しばらく考え込む様子を見せた米子お婆さん。


「・・・・戦争中は散々だったわ。

戦争が終わってもしばらく食べ物も少なくて、皆で必死に働いたの。

朝早くから夜遅くまで働いた。

そうしてやっと食べられるようになって、少し楽になったのは、丁度今のあなたたちの年頃ね。

それから結婚して子供を産んだ。

働きながら子供を育てて、定年して孫の面倒をみた。

それからここよ。

今は毎日安楽でしたいことが出来て、とっても幸せよ」

と、お婆ちゃんは自分の人生を僅かな時間で締め括った。


 それを聞いた二人は、大変な時代を生きてきたお婆ちゃんたちの人生を顧みて、少しシュンとした。


「清美のお家って、お金持ちだったっけ?」

 米子お婆さんと別れて、琴代が運転して道の駅に向かっていた。相変わらず美しい車窓の光景を見つめていた清美が振り向いて言った。


「普通よ。琴代の家と同じ。よく知っているじゃないの」

 二人の家は並んで建っている。土地付きの一軒家ではあるが、二軒ともごく普通の家だ。祖父の代に建てた家でそこそこの広さはあったが、お金持ちの暮らす豪邸にはほど遠い。


おまけに両家とも両親が共働きで、いつもお家に母親が居るお家が羨ましかったくらいなのだ。必要なお金に不自由した経験は無かったけれど、とてもお金持ちとはいえない。


「うん。でもあそこ、相当に費用が掛かりそうな感じだったから・・」

 琴代は、米子お婆さんが入っている朝日の家の費用が気になった。


「知らなかったの。あそこはお母さんたちが勤めている会社が経営しているのよ。お婆さんは長年勤めたのよ。退職金替わりに入所出来ると言っていたわ」

「え、タダって事? そんなに気前の良い会社だったけ?」


朝日の家の入所費用は半端では無い筈だ。

それは、受け入れ人数を減らしてまで、設備を充実させているからだ。設備を充実させれば、それを管理する職員も当然必要になる。それらの経費一切を賄うのが、入所者が払う費用なのだ。


琴代の祖母の幸代は、琴代が生まれる前に亡くなっていて、老人保養施設の事などは縁が無く、全く知らないのだった。


「うん、そうみたい。だって祖母たちは創業当時からのメンバーだからね」

 琴代や清美の祖母たちが勤めていた会社は、太陽商事と言って食品を扱う流通商社で、傘下にスーパーマーケットやフードチェーンの店を持ち、大手の食品加工メーカーに高級商品を卸している結構大きな会社だ。


「伊集院のお婆さんもそうだったね」

「そう、山形のお婆さんもね」

実は、琴代と清美が住んでいる住宅地一帯が、太陽商事と何らかな縁がある家なのだ。ご近所全てが親戚と言っても良い関係だった。


「比奈子、どうしているかな・・」

伊集院比奈子は、琴代と清美と同い年で、家も隣同士。小さい時からよく三人で遊んだ仲だった。三人とも母親は共働きで昼間は家にいなかった。だから米子お婆ちゃんのいる阿部家を、自分の家のようにしていたのだ。三人は、幼いときから同じ年の姉妹のように育ってきた。


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