将来の夢。

北見 柊吾

夢。

 将来の夢。


 私の夢は、死ぬ事です。


 そこまで書いて、綺麗に消した。またこんなことを書くと担任の先生に怒られかねない。好き勝手な事を言われて、親が呼び出される。結果、親は理不尽なものに頭を下げて、私はこっぴどく怒られる。


 卒業文集、お題は将来の夢。


 特になりたいものなんかなかった。別に医者とかになりたい訳でもないし、弁護士になるには頭が足りない。

 花屋さんやYouTuberのような絶対になれないものを書いて、恥ずかしい思いをする気もない。

 小学六年生にもなって、お嫁さんなんていうのも馬鹿らしい。

 ピアニスト? 合唱コンクールのピアノにも選ばれなかった私が?

 政治家? 私の舌はこれからも一枚だ。

 作家? だとしたら、この原稿用紙を埋めることくらい造作もないだろう。

 キャビンアテンダント? まさか。私は毎朝鏡を見ている。

 漫画家? 絵なんて人に見せられたものじゃない。

 女優?アダルトな方でも大した人気は出ない。


 私は大きく息を吐いて背筋を伸ばした。


 またテキトーに、教師が好むようなものを書けばいい。


 どうせ、そこに私の本当の夢なんてない。私の夢はなんだろう。なりたいものなんて、なかった。どうせ、みんなと答えを合わせて乗り切って、将来は何かしらになって、無難な人生になるんだろうなって思っている。


 みんな同じように生きて、そこそこの人生で、それを同窓会で語り合って、面白みなんてなく、つまらない感じで死んでいく。


 これから先、私がなにか大物になれることはない。


 なるようになって、目立つことをしなければ、私は多分、幸せに生きられる。


 それを望まない私がいることもまた事実なのだけれど。


 私は、シャーペンを鼻と口の間に挟み込んで両肘をつく。


 なりたいもの、か。

 なりたいものは、あったと思う。なかったというのはたぶん嘘だ。遠い過去の無邪気な私を振り返っても仕方ないが、思い返してみると確かにあった、と思う。あれになりたい、これになりたい。いかにもありきたりで、何の変哲もひねりも面白みもない夢だ。

 ただし、強くこれになりたいと思ったものはない。どれもふんわりとしたもので、本気で憧れたものじゃない。将来なにになりたい?って聞かれた時に、視界に花瓶に生けた花があったから花屋さんと答えたくらいの軽いもの。それは将来を思い描いたうえでの発想でもないし、取るに足らないものだった。


 夢を非現実的だと否定して蓋をした私には、もう過去のことは思い出せなくなっていた。思い出そうにも、記憶にぼんやりとした霧が覆いかぶさって阻まれる。


 テキトーに書かなきゃいけないか。改めて、そう思いなおす。私は、シャーペンをまた右手に握った。


 私の夢は、人を教える仕事に就くことです。


 教師として、私は......。


 私は......。


 ......やはり、嘘はつきづらい性格だから仕方ないけれど、なかなか続きが思いつかない。


 また原稿用紙に汚れた消し跡が増えただけになった。


 いや、あまり時間もない。もう一度、同じ文を書き直す。


 私達が教えて、私達とともに、私達のあとに日本の未来を担う人達を正しく導くことができるようになりたいです。


 そのあとが続かない。原稿用紙一枚なんて、到底埋めることができない。私は文字通り、頭を抱える。


 私達が教わりこれからも学んでいくなかで、いや違う。話がどんどん脱線してしまいそうだ。


 提出期限は明日だった。私は目の前の虚空を見つめて、私がいま求めている嘘の続きが書かれていないかと探してみる。


 将来の夢なんて、私たちの年齢ではっきり決まっている人なんているのだろうか。

 子役や棋士でもなければ、いま思い描く将来と数年後に実際に訪れている未来はたぶん違うだろう。たいていの人が望んでいた未来なんて、どうせ叶いっこない。

 誰でも、引っ越すときにでも部屋を整理して出てきたこの卒業文集を開けて、あぁこの当時はこんなことを夢見てたんだなって懐かしむ程度だ。


 私も、そうなるんだろう。

 中学じゃ部活に打ち込んで先輩づきあい的な上下関係に愚痴をこぼして、家に帰ってきたら疲れて寝る毎日で勉強もそこそこ。

 まわりと同じように受験勉強して、志望校一つ下のそこそこの高校に進学して、今度は部活もテキトーで赤点回避と恋愛に精を出して、カレシほしいって女友達とつるんで騒いで、短大か国立の文系学部に進学。

 テキトーに付き合ってみた挙句、どこかの事務に就職。

 友達の紹介で彼氏ができて、結婚して寿退社。


 わかっている。今を生きているなんて、きれいっぽく見えるだけで実際は大したことないような言葉で片づけて、あの頃はよかったなんて、過去を忘れた台詞を平然と吐く。そんなくだらないような、良くもない悪くもない平凡な人生だ。


 もう一枚、原稿用紙を取り出す。


 将来の夢。私は、皇帝になりたいです。全世界を支配して、私の陰口を叩いた人全員に、権力の名のもとに処刑したいです。


 いや、私にそんな野望はない。たいしていじめられたようなこともないし、そんな復讐心なんて持ち合わせていない。


 私は、いたって普通だ。


 新たに書き始めた原稿用紙を、私は音を立てて破り捨てる。


 教師、ねぇ。声に出してみる。


 好きではなかった。あの人たちも仕事だと私のなかで割り切っていたから嫌いになることはないけれど、少なからずあんな大人になりたいとは思わない。


 教師になって、受け持ったクラスの生徒から慕われ、数年後、数十年後に生徒たちが訪ねてくるような、先生になりたいです。


 これだ。これでいこう。もちろん、多少の皮肉は含んでいる。


 そうだ、生徒の持つ能力を最大限に引き出して、っていれておいてやろう。我ながら、いいフレーズだ。生徒の言うことに耳を傾けてやり、生徒の話を親身になって聞ける。これもいい。

 熱意をもって、体当たりで、なんてフレーズはいかにもその手の学園ドラマに影響されたような子供っぽい印象を与えてしまう。


 あの担任がしっかり読んで、すべてに目を通すことはないと思うが、それでもいい。


 あぁ、私らしいじゃないか。こうやって批判的で、厄介がられる生徒。それはずーっと変わらない。今から性格を変えられる、なんて夢物語を私は信じない。

 どうせ、こんな紙に書いた戯れ言なんて、私は一年も経てばすっかり忘れてしまう。アルバムだって、なんの振り返る思い出もないのだから、見返すこともない。時間が経てばあの頃は、なんて言えるような、いい思い出になるものはアルバムに載らない。



 よし。

 原稿用紙一枚を埋め終えて、私はひとり高揚感に浸る。もっと書きたいことが出てきて、むしろ、原稿用紙一枚じゃ足りないくらいだ。

 明日、提出しよう。原稿用紙をファイルに入れ、カバンにいれる。


 寝よう。私はちょうどいい疲労感を抱えて、ベッドに入る。


 その夜、私は夢を見た。夢のなかで、私は幸せそうに過ごしていた。

 私の周りには人がいて、飛び交う言葉があった。

 私も笑顔で答えていて、その時々に笑いが生まれた。

 すべて、夢だった。


 夢のなかの私は、どう生きたのか、私とはまったく違う生活のなかに生きていた。




 朝が来て、私は原稿用紙が入ったカバンを担いで学校に行く。


 夢のことはなにひとつ、覚えていなかった。

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