第211話 鬼姫と悪鬼の影

 久しぶりに屋外を歩き回り、疲れの見え始めたロバートと、あの事件の重要な証人でもあるトナムを、ハンスの操る馬車に乗せて見送ったあと、ルリアたちは白竜神殿内へと足を踏み入れた。

 これは初めから考えていたことではない。

 アルドラが神殿の孤児院を訪ねるというのでルリアもついて行くことにしたのだ。


「あっ! アルドラお姉さん!!」


 白竜神殿の講堂を抜けて、裏手にある孤児院へと続く中庭へ出ると、孤児院の方から一人の少女がルリアたちの方へと駆け寄ってきた。


「わっ、ちょ、ちょっとサレア!?」


 ボフッと飛びついてきたサレアに戸惑い声を上げたのは、ルリアの前にいたアルドラだ。

 彼女は、サレアが腰元に抱きついてくる前に手を上へと挙げていた。その手に袋を吊していたからだ。


「サレア! まだ修練は終わっていませんよ!」


「ひゃぅッ!」


 ビクリッ! と、肩をすくめたサレアを追いかけてきたのは、アルドラの幼馴染みナーリアだ。

 彼女の背後、孤児院前では、六歳くらいから一二、三歳ほどの子供たちが動きやすそうな服装で等間隔に並んでいる。

 見たところ、神殿の巫女や神官が習得するという格闘術の修練をしているのだろう。

 七竜神殿や精霊教会の神職たちの中には、神職兵モンクと呼ばれる戦闘を担う者たちがいる。

 彼らは、上位の神職や癒やしの術を使う術者を守ることを役割としているが、術者本人が神職兵モンクであることも多い。

 それは歴史的に見ても、神殿や教会が所属する国の戦場に足を運ぶ機会が多いからだった。

 己の身を守れなければ、刻々と状況が変化する戦場で癒やし手として足手まといになりかねない。

 

「ほらサレア。ナーリアに怒られるよ。アタシもお菓子も逃げはしないからさ、修練を終わらせてきなよ」


 アルドラはサレアを促して、ナーリアの方へと背を押した。

 サレアという少女は、清楚な外見のわりに活発な性格のようだ。

 あの事件の折には、怯えていたこともあっておとなしい印象だったが、考えてみれば六歳という幼さなのに一人で生家へ戻ろうとしたほどの子だ。外見どおりの性格では無いだろう。

 ナーリアの方へと戻るサレアの背中に、アルドラが優しい視線を向けている。

 そんなアルドラに、ルリアは軽く思案するような視線を向けた。


「アルドラ? もしかしてあの事件の後、よく神殿を訪れていいるのですか?」


 そう口にしたのは、アルドラに対するサレアの懐き具合が、あの事件での交流だけではありえないと思えたからだった。

 それに彼女が手にしている袋の中には、お手製のサブルクッキーが入っているようだからだ。ほのかにバーニバニラの甘い香りが漂っている。


「その……逃がした奴らがあの子の事を狙うかも知れないと心配で……」


「別に叱責しようというわけではないですよ。ただ、貴女も狙われる対象になり得るのですから」


 あのときの状況から、路地の死角にいたアルドラの姿が確認できたかは分からない。だが煙幕で目くらましをした中で、拘束しておいた二人を殺めたあの手際。決して油断して良い相手ではない。

 それにどのような力なのか、あの少年は、その姿を目にした相手から、外見の記憶を消し去る術を持っているらしい。凶手暗殺者としてこれほど恐ろしい相手はいないだろう。


「ルリアさま……ご心配頂いてありがとうございます。ですがアルフレッド様が人員を配置してくださっておりますので」


「……そうですか。彼が承知しているのでしたら私がこれ以上口を出すべきではないかもしれませんね」


 あの凶手の少年のことは気懸かりだが、アルドラが一人で行動しているのでないのならば、簡単には手を出すことはないだろう。

 ルリアとアルドラがそのような会話を交わしている間に修練が終わったようで、ナーリアがサレアを伴ってやって来た。


「申し訳ございません。お待たせしてしまったでしょうか?」


 ナーリアの言葉遣いがよそ行きなのは、アルドラの主であるルリアを気にしてのことだろう。

 サレアはまっしぐらにアルドラに近付くと、「お姉さん、サブル、サブル!」と目をキラキラとさせておねだりを始めた。

 二人の後ろには、孤児院の子供たちも付いてきており、まるで甘い匂いにでもつられるようにアルドラの周囲へと集まっている。

 どうやら、アルドラは孤児院の子供たちにも、お菓子を持ってきてくれるお姉さんとして周知されているようだ。

 先ほどサレアが駆け寄ってきたとき、彼女たちが行っていた修練は終わる直前だったのだろう。

 中庭に入ってきたアルドラを、修練終了の礼をとる前に目に留めたサレアが駆け出してしまったために、先ほどの顛末となったらしい。


「アルドラが孤児院を訪ねると聞いて付いてきたのですが、間の悪い時に来てしまったようですね。彼女には悪いことをしてしまいました」


「いえいえそのような事は、まだまだ我慢の利かない年頃とはいえあの子の失態ですので」


 貴族家当主婦人であるルリアからの思わぬ気遣いの言葉に、ナーリアが少し慌てた様子になってしまった。


「ところで、こちらの孤児院には、高い魔力を持つ子供たちが集められているのですか?」


 その問いに、ナーリアは少し悲しそうに視線を下げた。


「……お分かりでしたか。白竜神殿では、孤児の中でも強い魔力を持つ子供たちを、将来の癒やし手候補として引き受けているのです」


 初めて彼女と顔を合わせたときの話では、彼女自身も孤児だった。アルドラと彼女が育ったのは第一城壁内にある孤児院の一つだったようなので、この若さで大神殿に仕えている事を考えるとよほどの努力をしたのだろう。

 孤児たちの中でも、生まれ持った能力による待遇の違いのあることに対して、思うところがあるのかも知れない。

 魔力自体は人ならば皆が持っているものだ。修練することによって増えるとはいっても、生まれ持った基本の魔力量は人によって大きな差があることもまた事実だった。


「やはりそうでしたか。マーリンエルトの神殿でも似たような感じでしたので。どちらの神殿でも癒やし手の拡充には腐心しているのですね。そういえば、ナーリアさんは癒やしの巫女なのですか?」


 ルリアはあえて彼女の様子に気付かない振りをした。

 神殿の人間でもないルリアには口出しできることではないからだ。


「いえ、元々魔力が弱いものですから、修練を続けても癒やし手になれるだけ力を得ることは叶いませんでした。癒やしの巫女の守り手として神殿に仕えております。子供たちに格闘術の基本を教えるのも、私のような若い守りの巫女に与えられた職務でもあるのです」


 彼女の言葉を聞いて、ルリアはマーリンエルトの神官が言っていた言葉を思い出した。

 成人年齢で癒やしの術が発現できるだけの魔力がなければ、その後の修練によって魔力が増加するとしても、癒やし手としては使い物にならない。

 彼女はアルドラやルリアと同じ歳らしいので成人して一年だ。

 ちなみに修練によって増加する魔力量は女性の方が僅かに大きいらしく、丁度男性と女性の成人年齢が判別基準とするのに合っているのだという。


 アルドラが孤児院の子供たちにお菓子を配って居る間にナーリアとそのような話をしていると、神殿の方から人影がやって来た。


「……おや、他にも慰問の方が? 本日はマギルス子爵の慰問があると伝えてあったはずだが」


 年嵩の神官が二人の男性を案内して中庭へと入ってきた。


「ナーリア。こちらの方々は?」


「バスラ様。こちらは……」


 目線をルリアに送って言いよどんだナーリアに、ルリアは静かに頷く。

 どうやら彼女はエヴィデンシア家の現状について知っているらしい。


「……こちらは、エヴィデンシア伯爵夫人と使用人の方々です」


 その言葉を耳にして、神官に伴われた男の一人がルリアに視線を向けた。

 おそらく彼がマギルス子爵だろう。

 彼は僅かに計るようにルリアを見つめると、嘲るような表情を浮かべて口を開く。


「ほう。エヴィデンシア家にマーリンエルトから、変わり者の娘が嫁いで来たという噂を耳にしたが……本当であったのですね」


 見た感じ三〇代後半で、黒っぽい青髪に透明感のある青い瞳。細身の体型をした優男だ。

 開口一番悪口を吐き出された分けだが、ルリアはそれよりも彼の背後に控えている男が気になっていた。

 緑青ろくしょう色の髪に黒い瞳をしたその男。

 四〇を越えていそうな外見で、従者然として子爵の脇に控えている。

 だがルリアがこの男のことが気になったのは、その外見が原因ではない。

 男が放っている気配が、ルリアの記憶に残っているあの凶手の少年と同質のモノだと感じられたからだった。


「ふむ……本日の訪問は私が先約なのでね。君たちにはお引き取り願おうか」


 マギルス子爵は、邪魔者を追い払うように言い放つ。

 その言葉はとても上位貴族家の人間に対するものではない。しかしこれが今のエヴィデンシア家に対するこの国での評価ということなのだろう。


「マギルス子爵――それは申し訳ない事を……。アルドラ、アネット。私たちは引き上げるとしましょう」


 ルリアは口ではそう言いながらも、『ここがマーリンエルトでないことを感謝なさい』と、心の中に怒気を押さえ込んで微笑んだ。

 マギルス子爵は気付かなかったが、背後に控えた男はルリアの怒気に反応したかのように、静かに腰に吊した短刀に手を掛けていた。


 

「よく我慢しました。ルリアさまも成長しましたね」


 アネットがわざとらしく涙を拭うような仕草をした。


「アネットは私のことをいったいなんだと思っているのですか」


「ルリアさま……言って良いのですか?」


 アネットに真顔で見つめ返されたルリアは言葉に詰まってしまう。

 アネットの向こうではアルドラが吹き出しそうになるのをこらえているのが見えた。

 引き上げるルリアたちに付きそうナーリアが、この主従の遣り取りに目を丸くしている。


「ナーリアさんは、マギルス子爵のことを存じですか?」


 悔し紛れではないが、ルリアは彼女にそう尋ねた。


「マギルス子爵は毎年のように神殿に寄進を頂いているそうです。私は大神殿でお勤めをすることになってまだ一年ですので以前のことはよく分かりません。ですが孤児院へも慰問してくださる数少ない貴族の方ですね。私がこちらに来る前の話ですが、一人の孤児を、後継者として育てたいと仰って引き取って行かれたそうです」


「……なかなか奇特な御方なのですね」


 口にはそう出したものの、先ほどのルリアへの態度から、孤児を後継者とするような人間だとは、とても想像できなかった。


「子爵と一緒におられた方は? 従者としては少々年齢が行っていたような気がしましたが」


 あの男の力を測るために僅かに漏らして見せましたが、私が押さえ込んだ怒気に反応していました。

 従者は主の護衛を兼ねますが、あの僅かな攻撃の気配に反応する技量。マギルス子爵という方は、あの男を従える器量を持っているようには感じられませんでした。


「そういえば……あの方は他の貴族様の慰問にも付き従っていらしておられたような……」


 ナーリアが記憶を探るように考え込む。


「そうでした! 今年二人の子が孤児院から貴族様に引き取られて行きました。使用人とする為に幼い頃から教育するのだと、その貴族家の方々が訪れたときにも、確かにあの方がおられました」


 彼女は支えが取れたようにすっきりとした様子で口にした。

 だがその言葉を耳にしたアルドラが、ルリアの側によって口を開く。


「ルリアさま……。杞憂かも知れませんが、あのマギルス子爵という御方は財務官であったはずです」


 アルドラの言葉にはどこか深刻な響きがあった。


「それは……まさか!? あっ、あのナーリアさん。ひとつ伺いますが、神殿では引き取られた子供たちがその後どう過ごしているのか確認をしておりますか?」


 突然深刻な表情を浮かべ、詰め寄るように言いつのったルリアにナーリアは目を白黒とさせる。


「身元のハッキリしておられる貴族家の方が引き取られましたので、神殿からその後の確認をした事は無いと思います。……ですが、引き取られた子が神殿を訪れることはあります。先日、先ほどのマギルス子爵に引き取られたという子が顔を出しておりました」


 ルリアはそれを聞いて、一つ安堵の息を吐いた。

 財務部の人間であるということは、バレンシオ伯爵の息がかかっている可能性がある。

 かの御仁の嫌疑には、人身売買も含まれていたはずだ。

 大神殿の孤児院に保護されている強い魔力持ちの子供。

 魔力というと、高価なワンドを利用しなければならない魔法使いが真っ先に頭に浮かぶ。だから一般的には利用価値が少なく感じられる。

 だが簡単な魔法薬の生成、魔具の製造はワンドなしでもできるし、神職ならば癒やし手にも成れる。

 さらにこれはオーディエントの家系の秘密だが、体内に満ちる魔力は身体の強化に利用できるのだ。

 体内で魔力を操る修練が必要ではあるが、身体能力を大幅に強化することができるのだ。

 この技術は親筋であるオーダンツ侯爵家の初代当主が編み出したものだ。

 しかし戦いながら魔力を体内で操り続けることは難しく、オーダンツの系譜でもオーディエント家のみが綿々とその技術を繋いでいる。

 それ以外には、アネットのように能力と意思のある縁者が、時としてこの闘法を学んでいるのだ。

 このように魔力持ちには、魔法や癒やしの術以外の可能性がある。

 その力を手に入れ悪用しようと考える人間がいても決して不思議ではない。


『ですが、あの凶手が少年であった事が気になります。孤児院から子供たちを引き取った貴族のことは、詳しく調べた方が良さそうですね』


 ルリアは、神殿での思わぬ出会いによって、新たな糸口を掴んだ気がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る