第206話 鬼姫と旦那様と料理人

「それで、セバスとアルドラはその少女を神殿へと送って行ったのだね……」


 ルリアから一通りの顛末を聞き終えたロバートは、応接室の大テーブルを挟んだ正面、そこに俯くようにして座っている男に向けていた視線を、隣の席に座るルリアへと移した。

 彼は、軽く頭痛でも起こしたように片手で額を押さえると、はーっ、と首を振りながら息を吐きだす。


「……まったく、君というひとは……」


 途切れた言葉の先には、いったいどんな文言が続いたのかしら?

 ルリアはそんな思いを抱きながらも、ロバートの歎きとも呆れとも取れる態度に、目線を少し上に逸らせて言い訳めいた言葉を吐き出す。


「ロバート。これだけは言っておきますけど。別に私が事件を引き起こしたわけではありませんよ」


「それは分かっているよ……そうではなくてね。……いや、まあ、君たちの判断はきっと間違いではなかったのだろう。それにしても……セバスとアネットがいればおかしな事には巻き込まれないと考えていたのだが……」


 ロバートはいま一度大きく息を吐くと、視線を正面に座る人物へと視線を戻す。


「トナム君と云ったか、……騒動の発端となった事情を話してくれるかな」


 ロバートがそう声を掛けたのは、ルリアもアネットもエヴィデンシア家までの道すがらでは、誰の耳があるか分からないと、問いただすことはせずにいたからだった。


「……その、わたしは……以前勤めていた料亭の兄弟子に、修業先を紹介して貰おうと考えてオーラスにやって来ました。……ですが……あのヤロウ……修業先の紹介を条件に調理を俺に任せて、自分は飲んだくれてやがった! あッ、もっ、申し訳ございません。そっ、そのわたし、料理のこととなると熱くなってしまって……」


 トナムの、男性としては元々大きくはない背がさらに縮まったようにルリアには見えた。

 下町の料理人がいきなり貴族の館に連れ込まれて、このように問いただされれば萎縮するのは仕方ないですね。しかしこの方、料理が絡むと人が変わるのでしょうか? あのときはもっと男らしい感じでしたのに。


「それは気にしなくてもいい。それよりも話を続けてくれ」


「はっ、はい。……その、ここ二月ほどはわたしがあの厨房を回していたんです。わたしがやって来たときにはそこまで忙しくはなかったのですが、今は新たに人を雇わなければならないほどになっていました。……その、近頃では貴族の方々もお忍びでやってくるようになっていたらしく…………クッ、奴め、客に――明日予約を入れてくれていた客に毒を盛れと! アドモンの奴は、料理人の魂を無くしたろくでなしになっていやがった……」


「なるほど……それで言い合いになった所に彼女たちが通りかかったというわけか……トナム君。その兄弟子に毒を盛るように依頼したのは、貴族の従者だったようだが、君はどこの者か知っているか?」


「いえ、その――申し訳ございません。なにぶん初めて顔を合わせた奴でしたので……」


「それでは、狙われた客が誰か分かるかな?」


「それも……その、予約などはアドモンが仕切っていたので……」


「……分からない……か、そのアドモンとやらも、さすがに肝心な所は自分が抑えていたのだね」 


 ロバートは軽く腕を組んで思案顔になってしまった。

 毒を盛るなどという話をしていた者たちがいったい誰を狙っていたのか。

 実行の主犯となるアドモンという男が死に、その依頼者を取り逃がした現状ではこれ以上調べようもない。

 既に手遅れではあるものの、狙われている相手の手がかりだけでもほしいところだ。彼がそう考えているだろうことがルリアには見て取れた。


「あのあと直ぐセバスと合流したので彼に手配を任せましたが、店の中を確認するべきでした」


 ルリアは店内を調べようとしたのだが、合流したセバスに止められたことを悔やんだ。


「いえルリア様。あのままとどまっていては、誰の目に触れるかわかりませんでした。あの場でのセバス殿の判断は的確でした」


 セバスは、路地裏で何やら騒動が起きているようだとの話を耳にして、ルリアたちを見つけたそうで、あの場で長々と騒動に首を突っ込んでは、嫁ぎ先エヴィデンシア家に大きな迷惑を掛けることになる。そうルリアを説得したのだ。


「でも……それで手詰まりになってしまいました」


 それでも悔しげに呟いたルリアを目にして、トナムがさらに申し訳なさげに身を縮めてしまう。


「……その、申し訳ございません……」


「いや、君も被害者なのだ。そのように謝らないでくれ。それにその店主が亡くなったとあっては、凶行は未然に防げたということだ。ただ……できることならば、狙われた相手に身の危険を知らせてやりたかった」


 ロバートは、グッ、と唇を噛みしめて残念そうに沈み込む。


「……ロバート」


 そんな彼を目にして、ルリアはギューッと胸を締め付けられる思いがした。


 あぁっ――彼は、やっはりそう考えるのね。


 マーリンエルトの療養所で初めて目にした彼は、暴れ出した馬から落ちて、馬の蹄によって右の腰骨を砕かれて重傷を負っていた。

 そして彼は、自分の生には投げやりになっていたくせに、同じように重傷を負って療養所に運び込まれていた騎士や兵士たちに対しては、懸命に慰め、奮い立たせるように声を掛けるという、とてもおかしな人だったのだ。

 心配して声を掛けたルリアや祖母にさえ、先のない自分よりも他の奴らを助けてやってくれと、そう言っていた。

 ルリアは自分の未来には頓着しないくせに、他人を思いやれるこの不思議な青年に対して、初めて武芸以外に強い興味を覚えたのだ。


 初めは……お婆さまの好意を無下にするいやな奴――。そんな思いもあって意地になって干渉していたのよね。でも、自分の事より他人のことばかり心配しているこの人を見ていて、段々頭にきてしまった。なんでこの人は他人にしているように、自分の事を大切にしないのかって……。

 いつからだったかしら……彼が自分を大切にしないのだったら、私が彼を大切に――幸せにしてあげるんだ。そう考えるようになったのは……。


 ルリアが、そんな過去の思いに囚われていると、 ロバートの斜め後ろに控えていたアルフレッドが突然口を開いた。


「旦那様――私に少々発言の許可を頂きとうございます」


 静かだがよく通る声が応接室に響く。

 ロバートは、僅かにアルフレッドの方に頭を動かした。


「アルフレッド、発言を……」


「ありがとうございます旦那様。……トナム殿に伺います。貴男が働かされていた料亭というのはエイルゥという店名ではありませんか?」


「そっ、そうですが……どうしてそれを!?」


 トナムが目を大きく見開いてアルフレッドを見詰めた。

 ロバートも上体を捻って、アルフレッドに視線を送る。


「うむ。何故彼のいた店の名を?」


 二人、いやさらにルリアとその背後に控えているアネットも、その視線をアルフレッドへと向けていた。


「実は明日、大旦那様とバーナード様がその料亭に招かれていたのです」


「なッ、父上と軍務卿が!?」


 ロバートがこれ以上無いくらいに目を見開いた。


「昼前に旦那様たちが退室したあとにも話題に挙がっておりました。なんでも美食の都とも云われるトランザット王国のボローヌ。王室も贔屓にしているという名店、バーニャにも引けを取らぬらしいと。法務部のバストン子爵の設えた食事会だとか」


 アルフレッドは淡々と言い終えた。だが彼の言葉はロバートやルリアたちの間に、巨石を投げ入れたような波紋を巻き起こしていた。


「バストン子爵か、あの方は美食家としても有名だったな……。それに父上が例の件の事後を託した方だ……まさか!? バレ――」


「旦那様!」


 ロバートの言葉を、アルフレッドが強い口調で遮った。


「それ以上は、家のもの以外が耳にしては障りがございましょう」


「ああ、ああ確かにそうだね。……しかしそうなると事態はさらに複雑になる。全員が狙われたのか、それともその中の個人が狙われたのか……さらに、他の客の可能性もまだ残っている」


「あッ! あの……多分、明日の客はひと組だけです」 


「……何故そう考えたのかな?」


「食材の仕入れです。明日の生ものの仕入れが三人分だと聞いていました」


「なるほど、もしも毒殺を考えていたのなら、そのあとの事もあるから営業は続けられないだろうね。……アルフレッド、彼との話が終わったら、このことを父上に、あとバーナード卿にも連絡を入れた方が良いだろう。……問題は、バストン子爵だね。考えたくはないが、かの御仁があちらに取り込まれた可能性もある」


「ならば私たちが身辺に探りを入れましょう」


「そうだな……そうしてくれるか」


 ロバートは思案しながらアルフレッドと言葉を交わし終えると、今一度トナムへと視線を向ける。


「君はほとぼりがさめるまで身を潜めた方がいいだろう、君さえ構わなければ我が家に逗留するといい」


 彼の申し出は事件に巻き込まれたトナムを思いやったものだろう。

 だがもしかするとエヴィデンシア家が関係した事件に、彼が巻き込まれた可能性も捨てきれない。

 ルリアは、未だ顔を知らぬエヴィデンシア家の仇敵の名をその脳裏に思い浮かべながら、ロバートの申し出を思案しているトナムを見詰めた。

 しばしの逡巡の後、トナムは心を決めたようにロバートと視線を合わせる。だが、貴族相手に気後れしたのだろう、すぐにオドオドと目線をテーブルに落とす。


「あっ、あの……できればわたし、私を厨房で使って頂けませんか? 私には料理人として役立てる力があります。そっ、その、命を助けて頂いたうえに、さっ、さらにタダで匿って貰うわけには……」


 なんとか吐き出された言葉は尻すぼみに小さくなってしまったが、彼の意思ははっきりと伝わった。


「……うむ。ルリアたちが君を助けることになったのは、状況から見ても明らかに偶然のものだろう……」


 ロバートは、隣に立っているアルフレッドをうかがい見る。それは、あの事件が彼をエヴィデンシア家に入り込ませるためのものであったという僅かな可能性を考慮したからだろう。

 ロバートの視線を受けたアルフレッドも、思慮深い表情で頷き返す。


「……私も、問題ないと考えます旦那様」


 アルフレッドの返事を受けたロバートは、その視線をルリアへと向けた。

 ルリアは、同意の意味を込めて静かに頷く。


「ならばトナム君には、しばらくのあいだ我が家で身を隠しながら働いて貰うこととしよう。美食で有名なトランザット王国の名店にも引けを取らないと噂の君の料理を楽しみにさせていただくよ」


 こうしてトナム・カーレムという料理人が、エヴィデンシア家に客人として滞在することとなったのだった。

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