第205話 鬼姫と悪鬼の邂逅

「ところで……アナタはいったい何モノなのかしら?」


 ルリアは、少年に問い掛けた。

 少年の脇では男がまだゴホゴホと息を整えている。

 アネットはルリアの前方で守るように位置取っていて、少年の一瞬の動きも見逃すまいと、意識を集中していた。

 こと個の戦闘に関して、並の戦士には後れを取ることは無いと自負しているルリアとアネット。

 その二人が気配を読み逃した少年に対して、最大級の警戒をして対峙していた。

 幼少期より武術を叩き込まれた二人にとって、自分たちに気配を悟らせなかった相手が、たとえ少年であろうともその力量の予測ができたからだ。


「その身なり……こちらの徒弟とは思えません。あちらの従者の関係者だと拝察しますが?」


 呆けたような笑顔……だがその笑顔が、ルリアの問いに意思を産む。

 ニマリ……っと。


「……あ~~~あっ、マッタク。仕込まれたクセって奴は厄介だよね。デキるヤツが近づいてきたと思ってたけど、まさかこんなお姉さんたちだったなんて。しかもこっちの気配まで読んでたとか、失敗したな~っ!」


 惚けた様子の少年の笑顔が、獲物を狙う獣と変わった瞬間。


「ルリア避けて!!」


 アネットが叫び、素早く手にした黒棒をアネットの眼前に突き出した。

 トトトッ! と軽い刺突音が響く。

 黒棒には五ルルセンチほどの針が三本突き刺さっている。

 それは少年が口から吹き放ったものだ。明らかにルリアの瞳へと向けられた攻撃だ。

 だが狙われた当のルリアは、アネットの差し出した黒棒をくぐるように身を沈めると、力を込めて少年に向かって踏み出していた。


「ルリア!」


 たった一歩の踏み込みで三ルタメートルの間隔を無にしたルリアは、少年の喉元に向けて黒棒を突き込んだ。

 だが、突き出した黒棒の先が少年の喉を打つことはなかった。

 少年は突き込まれた黒棒の威力を殺すように手で受けると、その突き込まれる力を、自分が跳躍する力の一助へと転化して、上方へと飛び上がった。

 突き込みの力を下方へと流されたルリアは僅かにたたらを踏んで体勢を立て直すと、飛び上がった少年の軌跡を追う。

 ルリアの視線の先では、少年が一度空中で宙返りをすると、狭い路地の壁面を交互に蹴ってアネットたちの頭上を通り過ぎてゆく。

 途中アネットが空中にいる少年に黒棒を投げつけたが、少年は隠し持っていた短刀で巧みに打ち払った。


「うわ~っ、やっぱりただ者じゃなかったね。危ない危ない。僕みたいないたいけな子供の喉を躊躇なく狙うなんて……お姉さん、ボクたち側の人間じゃないの?」


 先ほどまでルリアたちが居た路地に着地した少年は、悪びれた色もなく揶揄うような口調で言い放った。

 ルリアは少年に向けてプウっと頬を膨らませると、怒り顔を作って口を開く。


「女性の瞳に向けていきなり含み針を放つような子供が幼気いたいけなどと……。あなたの体術とあの含み針……お父様から耳にしたことがあります。あなた……凶手暗殺者ですね」


 そう話しながら、ルリアは慎重に歩を進めてアネットの横に並んだ。

 ルリアは、この位置関係の変化によって立場が逆転してしまったことを感じ取っていた。

 もちろん、アネットもそのことは理解しているだろう。この場所から動けずにいるのがその証拠だ。

 これではアルドラと少女を人質に取られたようなものです。

 アルドラもそれなりに格闘の経験があるようですが、あの少年とは比べようもありません。

 そんなルリアたちの心情を読み取っているのだろう、少年はアルドラたちのいる方向へと意識を向ける。


「……ねえ、お姉さんたち。ボクたちだけでも見なかった事にしてくれないかなぁ。ここの連中は煮るなり焼くなりご自由に……ね」


 少年のおどけた様子は、己の立場の有利さを確信した憎らしいものだ。


 だが、「……そうですね。私たちの目的は迷子を見つける事でしたし、耳にしたのは不穏な話ではありますが、実行されたわけではなさそうです。本来であれば無関係の事柄で命の遣り取りはいくらなんでもバカバカしい」と、アネットが言い放つ。


「アネット!?」


「奥様……ここはマーリンではないのですよ。私たちがこれ以上深入りしてはご主人様に迷惑が掛かります」


「クッ…………わかりました……」


 アネットに弱点を突かれたルリアは、アネットの言葉を受け入れたものの、唇の端を噛んで悔しげだ。


「ふぅ~~~っ、よかった、よかった。お姉さんたちみたいな人に追いかけられたらたまったものじゃないから――それじゃあね」


 そう言うか、少年は懐から何かを取り出すとそれを地面へと叩きつけようとする。


「アルドラ! 伏せて煙を吸わないように!!」


 そう言うが早いかルリアも地面へとその身を伏せた。隣ではアネットも同じように身を沈めている。

 次の瞬間、少年が地面に叩きつけたモノを中心に、白煙が吹き出すように周囲に広がった。

 暫しの間を置いてから、どこか幻惑するように少年の声が響く。


『……ああ、安心してお姉さんたち……この煙には毒なんて混じってないから……』


 少年の言葉はおそらく本当のことだろう。だがルリアたちは煙が完全に晴れるまで身を起こすことはしなかった。

 煙が晴れ立ち上がると、既に少年の気配は無い。

 アネットが拘束した従者の気配もとうに二人が追える範囲より遠ざかっていた。


「やられましたね」


 地面から立ち上がると、アネットが僅かに恥じ入った様子で呟いた。


「あの場合仕方がないとはいえ、悔しいですね」


 ルリアは、憤然とした思いを押さえ込むように、あえて静かに言葉を吐いた。

 あの少年。

 静かに微笑んでいれば、まるで天使のように無垢に見えたのに……でもあの少年。あれこそ悪鬼というべきかも知れませんね。

 もし次に顔を合わせたら……勝てるかしら?

 眉尖刀がこの手にあれば……負けることはないはずだ。だが、その条件で戦える可能性は先ず無いといっていいだろう。


「奥様……申し訳ございません。私たちが足手まといになってしまったのですよね?」


「いいえアルドラ。私たちの目的はそのだったのですから」


 申し訳なさそうにしながら少女を抱えているアルドラに、ルリアは優しく笑いかける。


「奥様――本当にやられました」


 アルドラと話している間に路地へと出たアネットが、悔しさの響きを隠せずに声を上げた。


「アネット?」


「拘束した二人……死んでいます。これは……首筋に針を打ち込まれています。おそらくは毒でしょう」


 アネットの言葉を耳にして、ルリアは素早く背後に視線を向けた。

 気配は感じていたが、そこではようやく息を整えた男が、直前の事態を把握しきれずに呆然とした様子でこちらを伺っていた。

 男には毒針を打ち込まれた様子は見えない無い。

 彼は、艶のない枯れかけ葉のような緑髪で、瞳は青鈍あおにび色をしている。


「……ここでいったい何が行われていたのかしら? それを知っているのはどうやら貴男だけになってしまいました。ここまで巻き込まれた以上、私たちにはそれを知る権利があると思うのです。……ああそうでした。私、ルリア・オーディエント・エヴィデンシアと申します。貴男は?」


 ルリアは微笑みを浮かべ名乗り、そして男に問い掛けた。


「……おっ、俺は……その、トっ、トナム……トナム・カーレム……です」


 男は、騒動の始まりとなった、あの怒鳴り声を上げた同一人物とは思えない、とてもオドオドとした小声でそう名乗った。

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