第201話 オーディエントの鬼姫(後)
ルリアたちがオルトラントの王都オーラスへと着いた翌日。
軍務卿のバーナード・ダリュース・デュランド公爵が、供を連れてエヴィデンシア家へとやって来た。
それはロバートとルリアのオーラス入りを知ってのことだ。
応接室に通されて、国境での出来事をロバートから耳にしたバーナードは、ムスリとした表情を浮かべて口を開いた。
「バレンシオめ、やはりそこまでの嫌がらせをしておったか。……ほれ見ろ儂の言ったとおりであろう。こんなことならば、他の荷物も預かってくるのであった」
バーナードはそう言いながら、長テーブルの上に置かれた長い包みに視線を向ける。
その動作に合わせるようにテーブルの包みに視線を落としたルリアは、包みから視線を上げるとバーナードたちにニコリと笑顔を見せる。
「デュランド軍務卿の慧眼、恐れ入ります。ですが私の
そう言い切ったルリアの斜め後ろでは、アネットが額に片手をあてて、静かに首を振りながら息を吐き出していた。
バーナードは、そんな光景を見開いた眼に収めて面白そうに口を開く。
「まったく、オーダンツ侯爵家の一族は武辺の血統だと耳にしていたが、このように可憐な外見の娘が何故オーディエントの鬼姫などと囁かれていたのか、やっと得心がいったわ」
「父上! そのような物言い、いくらなんでも無礼ではないですか」
バーナードが豪快に笑うと、隣に座る息子のリッツハルトが窘めた。
父親に負けず劣らずの大柄だが、父親の枯れはじめのような緑髪と違い、淡い水色の髪をしていて、瞳の色は赤茶色をしていた。年齢はロバートと同じくらいだろう。
「まあ……、おそらくマーリンエルトでの婚姻の儀に、お義父様の代わりにご出席頂いたときの話だと思うのですが……そのようなことをどなたが囁いていたのでしょう?」
ニコリ……と、ルリアはそれは澄んだ微笑みを浮かべている。
しかし、この場に居た者たちはこの瞬間、まるで大型肉食獣の檻の中に閉じ込められたような錯覚に襲われた。
オルトラント王国で武勇の家柄として知られるデュランドの親子でさえ、じわり……と汗が滲み、喉が張り付くような乾きを感じて、言葉が喉の奥に押し込められる。
静かな重圧に押しつぶされそうになる直前、彼女の夫が声を上げた。
「ルリア、鎮まらないか! 確かに……軍務卿も言いすぎた所もある。だが、君はもうエヴィデンシア家の人間なんだ。マーリンエルトの渾名を、こちらでも広めたい訳では無いだろ」
その声が応接室の中に響き渡るのとともに、この場に満ちていた重圧は拭い去られて、ルリアは隣に座る夫に悔しげに顔を向けた。
「でもロバート!」
「ルリア!」
ふたりの視線は絡み合い言外の意思が遣り取りされる。
僅かな間をおいて、ルリアは居住まいを正して客人たちへと頭を下げた。
「……申し訳ございませんでした皆様」
「いやいや、儂も言いすぎであった。結婚したばかりの若い娘に向かって口にすることではなかったな……すまない」
バーナードもそう謝罪する。
そんな父親から視線をルリアに移したリッツハルトが、少し気まずそうに言葉を続ける。
「だがなルリア嬢、マーリンエルトではどうであったか知らないが、オーラスの市壁内では武器の所持が規制されている。特に女性は護身用の短剣以外持ち出しはできないぞ」
「え、本当なのですか!? ……そんな」
ガ~ンと頭の上に書き文字でも浮かびそうな顔をしたルリアに、背後に控えたアネットが控えめに口を開いた。
「あの……ルリア様。ルリア様にマーリン市街での武器の所持が許されていたのは、騎士団の武術指南であるガーンド様が、マティウス様の鍛錬相手として召し出していたからであって、誰もが武器の所持ができていたわけでは無いのですよ。……当たり前の知識だと思っていたので、教えなかった私の落ち度ではありますが」
アネットはそう言って僅かにバーナードたちに顔を伏せた。
ルリアの教育の一端を担っていた者としての恥じらいがあったのだろう。
「まあそうであろうな。オーラスでも第二城壁内では貴族でも護身用の小剣の所持に許可が必要だからな。……だがなるほど、ファーラム卿が学園などというものをつくった理由の一端が分かった気がするな。専門的な教育の為だとばかり思っていたが、それぞれの家での教育では、このように一般常識が抜け落ちる事があるわけか」
バーナードのその言葉に、この場に居たオルトラントの住人たちは、一様に納得したような顔になった。
ただ、その納得を生み出した当の本人は、すでに別の事に興味が移ったように、身体の前で手の平をパンと軽く打ち合わせて口を開いた。
「そういえば、オーラスには貴族の子息子女の教育を広く受け持つ『学園』というものが有るのでしたね。私、ロバートから耳にして、とても興味がありました。オーラスに入ったら一度、見に行ってみたいと考えていたのです」
黄赤色の瞳をキラキラと煌めかせて、ルリアはロバートに強請るような視線を向ける。
「……そうだね。ルリアもアネットもこれから先、オーラスで生活することになるんだ。一度王宮の周りを見てくるといい。アルフレッド、誰かに案内を頼んでくれないか。私はこの身体だ、かえってふたりの邪魔になりかねない」
そう言って、ロバートがオルドーの斜め後ろに控えたアルフレッドに視線を向けた。
「判りましたロバート様。ならばセバスを伴わせましょう」
「――ああそうだ、確かルリアたちと年の近い侍女がいたとおもうのだが彼女も頼む。彼女と気脈が通じればふたりも早く家になじめるだろう」
「まあロバート、アナタの配慮は嬉しいですけれど、馬車を使えばいいではありませんか。ふたりで街中を歩くのはムリかも知れませんけど、車窓からの案内だってアナタとだったら、私、かまいませんよ」
エヴィデンシア家の人間がそのような遣り取りをしていると、皆の気を引くようにリッツハルトが小さく咳払いをして口を開いた。
「なんとも仲の良いことですねロバート卿。今日は父上に荷物持ちとして連れてこられたようなものだが、見ていて微笑ましい。……だがルリア嬢、気をつけた方が良い。ロバート卿の身を案じているのは判るが、見る人間によっては、男を低く見る品性の無い女性だと捉えられかねない」
彼の忠告は、ルリアが先ほどからロバートを引きずり回しているように見えたからだった。
「何を言っておるリッツハルト。儂から見ればお主とて、嫁のシャーリーとの遣り取りはこのふたりと変わりなく見えるぞ。儂が今日お主を連れてきたのは、お主が普段周りからどのように見えているか教えてやろうと思ってのことだ」
「なッ、父上! 何をそのような」
「まあそうなのですか!? ならばリッツハルト様と奥様はとても仲がよろしいのですね」
そう言ってコロコロと笑うルリアに、忠告をしたリッツハルトが顔を赤くしてしまう。
「あぅ……まあ、まだ爵位を継いでいない身の俺でさえ陰口を叩かれるのです。実体験でもあるので、ロバート卿もお気をつけください」
父親にやり込められてしまったリッツハルトのその言葉を、ロバートは気の毒そうな表情で受け取った。
そんな遣り取りがあった後、マーリンエルトからの長旅の疲れが出始めたロバートの身を気遣って、オルドーが若夫婦を退室させた。
「それにしてもオルドーよ、すまなかった。儂がロバートを軍務部に引き入れたばかりに……」
若夫婦たちが退室するのを見届けると、バーナードがそう言ってオルドーに頭を下げる。
「バーナード、戦場で負った傷に誰に落ち度があろうか。ロバートの力が及ばなかった、それだけのことだ。それよりも、マーリンエルトで行われたロバートたちの婚姻の義、儂の代わりに出席してくれたこと礼を言う」
「なに、負傷した兵たちを見舞ったついでのようなものだ。それよりもバレンシオめがお主の出国を認めなかった事の方がおかしいのだ。何が亡命の恐れがあるだ! お主は責めを受けて職まで辞し、エヴィデンシア家当主の座まで子に譲った。そのお主が、何故いまになって亡命なんぞせねばならぬ。嫌がらせにもほどがあるわ!」
そのように憤慨するバーナードに、オルドーは少し表情を正して口を開く。
「ところでバーナード。お主はオルトロス陛下があそこまでバレンシオ伯爵を重用する理由を考えたことがあるか?」
友人の突然の問い掛けに、バーナードは少し胡乱げな視線を向けた。
「よほどおべんちゃらがうまいのであろうよ。彼奴の家が分裂したトーゴ王国の領地よりオルトラントに亡命して三代。バレンシオ家が出奔してすぐに今の新政トーゴ王国が興ったが、トーゴに戻らなかったことはかの家にとっては成功であったという事だろうな」
「しかし父上、バレンシオ伯爵はその……一〇年ほど前のあの事件で嫌疑は晴れた訳ですし、容疑をかけたオルドー様への恨みが異常と思えるほど強い事を除けば、財務卿としての責務を十全に果たしているように見えます。確かに亡命貴族ではありますが、現在では財務卿として国益に多大な貢献をしている。現に、次期財務卿の選定もかの御仁が再任されるであろうともっぱらの噂です」
遣り取りをしていたふたりに、バーナードの隣に掛けるリッツハルトが口を挟むと、息子の言葉を聞いたバーナードは、正面に掛けるオルドーに向かって目配せする。
「……つまりはこういうことだオルドー。儂やお主は奴の事を知っておるから、奴が力を持つことの危うさに心を痛める。だが儂の息子でさえ、彼奴の事を知らねばこのような意見になるのだ。エヴィデンシア家にとって、頼みの綱であったロバートがあのような重傷を負い、このさき力を外に示す事を封じられたこの家の未来がどうなるか……あのルリア嬢が何らかの道を切り開いてくれれば――と、儂はそう思わずにはおれん」
その言葉にオルドーは深く頷いた。
「バーナード……。あのルリア嬢は、沈みかけている我が家を救う希望の船であるかも知れぬ」
「まあ、勢い余って助けに来た船に追突して、沈めてしまいそうな恐ろしさもあるがな」
そう言って笑い声を上げたバーナードにオルドーが口を開く。
「おいバーナード。それは笑い事では無いぞ」
そんな旧知のふたりの遣り取りを、リッツハルトだけが場違いな様子で聞き入っていた。
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