第191話 モブ令嬢とそれぞれの明日(中)
あの後、アルメリアと私は館のエントランスに移動いたしました。
メアリーがマリウスを寝かしつける為に、籐を編んだ揺り籠を持ってきてくれたので、マリウスをその中に入れて、私はときおり籠をゆっくりと揺らしております。
「そうだ……先日ノーラ様に召し出されたときに、クラウス殿下と顔を合わせたんだ。今は陛下に従って仕事の補佐をしているって、貴宿館での生活が懐かしいって、出来ることなら学生時代に戻りたいってぼやいていたよ。それに、ロレッタ様も元気にしておられたよ。さすがにマーリンエルトの公女様だね。あの方ももう王家の人間といった感じだったなぁ」
アルメリアの口から出たロレッタ様ですが、実はあの邪竜事変の後、貴宿館で預かることとなったマティウス公王とエステリア公妃、お二人の間に生まれた長女にあたる方です。
ちなみに、彼女が我が家へとやって来た代わりに、リラさんとミームさんは神殿へと引き上げる事となりました。
貴宿館でのマリーズの護衛は、ロレッタ様がやって来たことによって、近衛が増員されることになりました。
さらに身の回りの世話につきましても、我が家が経済的に潤ってきましたので、侍女たちを増員することで賄えるようになったからです。
ちなみに、この事が決定されたときに一番沈んでおられたのは、何故かサレア様でした。
サレア様は休日に時折、リラさんと修練をなさるために貴宿館を訪れていたのですが、修練の後によく貴宿館の方々と食事を共にしておりました。
その決定を聞いたとき、サレア様と共にアンドゥーラ先生も我が家に来ておられたのですが、足元から崩れ落ちたサレア様を目にして、先生がお腹を押さえて、引きつりそうな程に笑いを噛み殺しておりました。
そういえば、忘れておりました。
邪竜の身体に取り込まれてしまった神殿ですが、なんとあの邪竜事変の翌日には竜王様方のお力によって一夜にして奇跡的な復元を成されたのです。
なんでも傷やシミなどまで完全に元通りであったそうで、今では竜王様方の偉大な力を示す建築物として、大陸中の七竜教信者が礼拝にやって来るようになっております。
ロレッタ様が貴宿館へとやってこられたときに、マリーズが案内役を務めて、神殿を見て回っておりました。
あの時には、私も学園の案内をするために同行することになったのです。
ロレッタ様が、貴宿館への入居を希望なされたのは、その目的はクラウス様との仲を深める事が第一であったのでしょう。
ですがそれ以外にも、今後オルトラントの貴族社会で影響力を増すと考えられる貴宿館の住人たちや、我がエヴィデンシア伯爵家と縁を繋ぐことも目的であったはずです。
アルメリアの話を聞いて、そんな事を考えておりましたら、何かもの言いたげにアルメリアが私を見ておりました。
「どうしたのですかアルメリア?」
「……いや、やっぱり勿体ないな、と思って。今更だけどさ、どうして前の髪と瞳の色に戻してしまったんだい? 髪の色合いは違うけど、私、お揃いみたいで少し嬉しかったんだけど」
ああ、そういう事ですか……。
実は私、邪竜事変からしばらくして、以前の茶色い髪と瞳へとノルムに戻して頂いたのです。
「……その、鏡を見るたびに目がチカチカしてしまって、なんだか落ち着かないのです。それに、この髪と瞳の色で苦労したことは確かですけど……この髪と瞳の色だったからこそ、私は旦那様と結ばれる事が出来たのです。それに、今度は私の意思で元に戻すこともできますから」
地の精霊王ノルムによって
ですが、それがなかったらどうなっていたでしょうか?
もしかしたら、周囲よりちやほやされたかも知れません。
ですが、そのようにして育った私は、今のように育ったでしょうか?
金竜の愛し子として目立ってしまった私は、バレンシオ伯爵の手によってどのような目に遭わされていたかも分かりません。
無事に成人できたとしても、金竜の愛し子である私は、おそらく旦那様と結ばれる事は叶わなかったでしょう。
この髪と瞳の色は、私には旦那様との絆のひとつのようにさえ思えるのです。
それに魔法を全力で使うときには、金髪金眼へと戻る事ができますのでいまの私には不便はございません。
かえって、金髪金眼のときよりも人に囲まれることが少なくなったので助かっているほどです。
ちなみに、ノルムに茶色い髪と瞳の色に戻して貰った後、旦那様に『金髪金眼にも戻れるのですよ』と見せてみましたら、『俺の嫁がスーパーサ○ヤ人に……』と、衝撃を受けておられました。
私が何のことなのか聞こうといたしましたら、突然シュクルが、『ふっ、ふっ、ふっ、私はまだ、後一回の変身を残しているの!』と、どこか悪戯めいた顔をして言いました。
『シュクル、それ悪い人の方だから! それにその人は二回だからね!』と、旦那様が突っ込んだのです。それを切っ掛けにして始まった二人の楽しげな遣り取りを見ていた私は、記憶を共有している二人に対して少しむくれてしまったのでした。結局そのせいで詳しい話を聞き忘れてしまいました。
私は、それてしまった思考を元に戻すように軽く頭を振ってから、仕切り直すように口を開きます。
「そういえば……先日、レガリア様より手紙を頂きました。なんでもレガリア様は少し前に南方のクルバス王国で演奏会をなされたそうで、大成功だったそうです。それに、アンドゥーラ先生のお母様、アントワーヌ・バリオン・カランドール様とも共演なされたと書かれてありました」
アンドゥーラ先生のお母様、アントワーヌ様は世界的なバリオン奏者で、以前よりオルトラント王国に滞在している時間よりも演奏旅行で他国にいる事のほうが多い方です。
私、一度お目にかかってみたいと思っているのですが、アンドゥーラ先生が乗り気ではなくて、先日も『あの人に君を紹介したら、弟子を奪われかねない』と、かなり真面目に仰っておりました。
「それにしても……前回の手紙ではイルティア王国に居られたんだっけ? アルベルト様も大変だなぁ。想い人が他国から演奏会を望まれるほどの奏者になってしまって。なかなか顔を合わせる機会がないんじゃないかな」
「ええ、ご本人も法務部でのお仕事もありますから、今はお二人ともすれ違いの日々のようです」
「貴宿館の住人の中で、レガリア様が一番初めにご結婚なされると思っていたのに、世の中って分からないものだね」
アルメリアがそう言って感慨深そうにしておりましたら、玄関のドアが勢いよく開きました。
「むふぅ~~~っ、堪能したの! アルメリア、ミュラたちもう行くって言ってるの」
ミュラを始め、犬たち一緒にと中庭を駆けずり回っていたらしいシュクルが帰ってまいりました。
「ママ、今度はシュクルがマリウスの面倒見るの!」
シュクルは、私がゆっくりと揺らしていたマリウスが眠っている籐製の揺り籠を、私に代わって揺らし始めます。
「ああ、もうそんなに時間が……、フローラ、私はもう行くよ。旦那様に何度も恥を掻かせるわけには行かないからね。ああそれから、マリーズを迎えに行くとき、私が護衛に付くことになったからね。昼後にまた顔を合わせることになるよ」
アルメリアはそう言うと、犬たちに引きずられるようにして去って行きました。
◇
「本当に便利になったものですね。マーリンエルトの主都マーリンから、オルトラントの主都オーラスに、瞬きの間に移動できてしまうのですもの」
本年の初めに学園を卒業して、マーリンエルトの神殿へと戻ったマリーズが、転移陣から出てなんとも感慨深そうに言いました。
ここはオーラスの王宮、元々冬の庭園の外れに設けられた休憩のためのあずまやを利用した転移の為の場所です。
いま転移してきたのは、マリーズを始め、お付きのリラさんとミームさん、そして、瞬転魔法を使った私と、私の護衛のために同行してくれたアルメリアです。
この転移陣が設置されたあずまやの周囲には、兵が数名立っていて、不正な利用が行われないように見張っております。
「確かに便利にはなりましたが、竜王様方によって当初のものよりも多くの制約が設けられてしまいました。アンドゥーラ先生が、『まあ安全面を考えれば仕方がないかもしれない。だが、悔しいことに違いはないね』と、先日もぼやいておりました」
邪竜事変において大いに活躍をした瞬転魔法ですが、あの後竜王様方の協議によりまして様々な制約が設けられました。
簡単に説明いたしますと、先ず都市内への直接転移は原則できなくなりました。
都市内への転移は、いまマリーズが利用した転移用の魔方陣の間でなければ行えず、現在その管理は国が行う事となっております。
さらに、都市外においても五人ほどまでは魔力の消費もそうは多くなりませんが、それ以上の人数になりますと魔力の消費が桁違いに大きくなってゆきます。
つまり現在では、あの時のように邪竜になりかけた神殿を、まるごと転移させるような力業はできなくなってしまっているのでした。
「まあ、アンドゥーラ先生らしいですね。それでも世界の有様を変える画期的な魔法を構築した大魔導師として歴史に名が残るのは間違いないのですから」
「ああ、それについても溢しておいででした。『私はシュクルとグラードル卿から大きな手がかりを貰って、瞬転魔法を構築しただけだから、盗用者が名前を残すようで心地悪いのだがね』と……」
「本当にあの方らしいですね。でも第一世代の竜種であるシュクルが感覚で行った魔法を、人間が利用できるモノへと構築なされて、そのおかげで邪竜による被害があれだけで済んだのですから、それだけでも十分に歴史に名を残す資格があると思います」
「あの……そろそろ移動を……」
魔方陣の外で、話が弾んでしまった私たちに、そう遠慮がちに声を掛けてきたのはクラリスさんでした。
あずまやを見張っている兵たちは、聖女であるマリーズと、既に金竜の愛し子として知れ渡ってしまった私に遠慮して言葉を掛けられずにいたのでしょう。
私たちは警備の方々の邪魔にならないよう、少し離れた場所へと移動いたしました。
「クラリスさんお久しぶりです。そういえば、
「……はい。本日は許可を頂きまして……その、リュートさんを迎えに……」
はにかむように顔を赤らめるクラリスさんを目にして、マリーズがニマリと悪戯めいた笑みを浮かべます。
「お付き合いは順調なようですね」
マリーズにそう言われて、クラリスさんは益々顔を赤らめてしまいました。
貴宿館では、見ている方がじりじりしてしまうほど関係が進まなかったお二人ですが、マリーズではないですが、今の様子を見るに付け、二人の仲は深まってきているようです。
こちらのお二人は、少し距離が離れたことで互いの存在の大きさに気付いたのではないでしょうか。
ちなみに、白竜王ブランダル様のお膝元であるバーンブラン辺境伯の館にも、転移陣が設けられておりますので、彼女は今からそちらへと向かうのでしょう。
転移陣を使っても、瞬転魔法は一度訪れたことのある場所でないと移動できませんので、クラリスさんはこれまでにバーンブラン辺境伯の館に伺ったことがあるという事です。
私も、邪竜事変の後、一度学園が休みの期間にマリーズの帰省に合わせて、お母様と共にマーリンエルトを訪れました。
その時にはお母様のご実家、オーディエント家に泊めて頂いたのですが、マーリンエルトの主都マーリンに入った途端、沿道より盛大に歓迎されてとても驚きました。
「ところで、シュクルはどうしたのですか? フローラと一緒にやってくると思っていたのですけど」
我が家へと向かう馬車の中、マリーズが不思議そうにそう言いました。
マリーズが貴宿館に居た頃には、学園以外ではほぼ私と一緒に居たシュクルが、私の周りに見当たらないので気になったのでしょう。
「シュクルは、自分がマリウスの面倒をみているから大丈夫。ママはマリーズを迎えに行って、って」
「まあ、あのシュクルが……すっかりお姉さんなのですね」
「ええ、マリウスが可愛くて可愛くて仕方がないみたいです」
「それではシュクルのお姉さんぶりをしっかりと見せてもらうことにしましょう。今日は貴宿館ではなくて、エヴィデンシア家の館にお世話になるのですから。それにカーレム夫妻の食事もとても楽しみです。貴宿館を離れて十月、どれほど食事に恵まれていたのか、私、あらためて身にしみました。あの時のサレア様の落胆ぶりに、今ならば共感できそうです」
そう言って悪戯げに笑うマリーズを、私は思いのほか懐かしく感じます。
私の心情をよそに彼女は、微笑みを浮かべたまま言葉を続けます。
「ところで、グラードル卿の様子はいかがですか? ここのところ時折ですが、ヨルムガンド様から宿主であるグラードル卿への愚痴を聞かされるのですが……」
「まあ――ヨルムガンド様がマリーズにですか!?」
いま、黒竜王ヨルムガンド様の名前が出ましたが、実は、聖杯ムガドを侵そうとした邪な欲望を、旦那様の心の内に満ちた愛情が浄化したあの時、その浄化の余波を受けて、ヨルムガンド様がお目覚めになっていたのです。
そのことに初めに気が付いたのは、やはり聖杯の管理をなさっていたクルーク様でした。
クルーク様の話では、あと一〇〇年から二〇〇年ほどは目覚めないと思われていたそうですので、大幅に目覚めが早まることとなったようです。
ですが、黒竜王様は目覚めたものの、まだ本来の力を取り戻しておりません。さらに、旦那様の命が黒竜王様の神器聖杯ムガドの力によって保たれておりますので、ヨルムガンド様は旦那様が寿命を迎えるその時まで、彼の身の内にある聖杯の中で、今しばし力を蓄えておられるのです。
さらにクルーク様のお話では、ヨルムガンド様がお目覚めになったことによって、この世界に人の身から漏れ出していた穢れた欲望は、僅かずつですが浄化されるようになったそうです。
私は、マリーズの言葉から、旦那様とヨルムガンド様の遣り取りと思われる光景を思い出します。
旦那様は元々とても独り言の多い方ですので、それらしいものを思い出すのに一苦労いたしました。
「……そういえば先日、旦那様が何やら『頼むから、夜は眠っていてくれ』と漏らしておいででした」
私がそう口にいたしましたら、マリーズはさらに悪戯めいた表情になりました。
「そうですよね……やっぱり、グラードル卿は二人目を望んでいるのでしょ? たとえ竜王様とはいっても、他の方に貴女の産まれたままの姿を――ましてや秘め事を晒したくはありませんよね……」
「……………………えっ!?」
マリーズの言葉の意味が頭に染み入って、私は、ポムッ! っと音を立てそうなほどに、自分の顔が真っ赤になったのを感じました。
……ぁぁぁぁぁぁ、そういう意味だったのですかあれは…………。
私は、懸命に両の手で顔を隠しました。
……ぁぁぁぁぅぅ……恥ずかしいです。
「大丈夫ですフローラ。あの方、『人がカエルの交尾を目にして欲情するか?』とか、仰っておりましたけど、そういう問題ではありませんと、私も懇々とヨルムガンド様を説得しておきましたから」
マリーズは、エッヘン! と胸を張りましたが、できることでしたらその話は耳にしたくありませんでした。
身悶える私をよそに、マリーズが何かを思い出したように言葉を続けます。
「ああそうでした。子供といえば……、実はトーワ皇国に新たな聖女が産まれました。十年ほどしたら、私、その子に聖女の仕事を引き継ぐため何年かトーワ皇国に赴くことになりそうです」
「まあ、そうなのですか!?」
私は驚きのあまり、覆っていた手の平から顔を上げてマリーズを見つめました。
彼女は悪戯めいた笑みを潜め、聖女らしい微笑みを浮かべています。
「ええ、それが済んだら私、聖女から引退です」
私、聖女が引退という話は初めて耳にしました。
それにしましても、聖女はいつでも居るというわけではありませんので、当代の聖女が存命の内に、次の聖女が産まれるというのも珍しいのではないでしょうか?
私の驚きをよそに、マリーズは真面目な表情になって重大な決意を告げるように口を開きます。
「私、マーリンエルトに、ファーラム学園のような学園を造りたいと考えています。神殿に残って癒やし手として暮らすことも考えました。ですが……あのライオス様の志を耳にして、未来のために教育から変えていくことが大切なのではないかと考えるようになりました。引退までにはまだ時間がございますので、学園建設のための資金をこれから募っていこうと考えております」
マリーズのその言葉を耳にして私は、ライオス様の想いがこの先の世界を変えていく確かな礎になっているのだと嬉しく思うのでした。
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