第173話 モブ令嬢と旦那様とルブレン家の絆
「ご主人様と奥様がお帰りになりました」
玄関にて私たちの帰宅を待っていたメアリーに先導されて、旦那様と私は応接室へと入りました。
すると、長テーブルの右手に座っておられたドートルお義父様が、私たちが挨拶をする間もなくガタリと床を鳴らして椅子から立ち上がります。
「おおグラードル、それにフローラも……。フローラは本当に久しぶりだな……グラードルよりあの王家の茶会の後の事は耳にした。儂らに心配を掛けまいとのことであったのだろうが……父として改めて礼を言わせてほしい。フローラ……本当に感謝する。……グラードルがお主のような素晴らしい妻を得ることができたこと、七大竜王様への感謝だけではとても言い表せぬ……。それにしても、まさかお主らが王都を救ったとはなぁ……吟遊詩人どもが救国の女神と唄っていた娘が、フローラの事であると知ったときには、己の耳を疑ったぞ。グラードルめは恥ずかしがっておったのかは知らぬが、我が家を訪ねてきたときはそのあたりの事を惚けておった」
「父上、まだ席にも着いていないのにそのように言い立てられては、フローラも返事のしようもありませんよ……」
旦那様が少し呆れ声でそう仰います。……そうして、お義父様の向こうに掛けている方々へと視線を動かしました。
「母上も――アルクも、一緒だったのですね」
嬉しそうな表情を浮かべた旦那様の視線の先、お義父様のすぐ隣にメルベールお義母様、そしてその向こうにアルクさんが座っております。
お義母様は、先頃お茶会の折りに顔を合わせたときよりもさらに落ち着いた感じです。
僅かに微笑んでいるような表情で、私たちに目礼をいたしました。
ですが隣に座っているアルクさんは、先ほどから視線を卓上に落としたままです。
どこか思い詰めたようなご様子で、頬が僅かに紅潮しておりました。
「ドートルお義父様、メルベールお義母様、アルクさんも、帰宅が遅くなり申し訳ございませんでした。お待ちになりましたか?」
「いやいや、突然訪ねたのはこちらなのだ。財務卿選定も一段落したことだしな、先ほどの話ではないが、私は礼を言うために出向いてきたというわけだ」
お義父様はそう仰いますと、お義母様の向こうに掛けているアルク様へと視線を向けます。
「……アルク。お主もグラードルに話があるのだろう?」
お義父様が促すようにそう仰いますと、それまで卓上に視線を落としていたアルクさんが、意を決したように顔を上げました。
視線を真っ直ぐに旦那様へと向けて……。
「兄上……」
それだけ口にすると、その先を言いあぐねるように僅かに口を動かしました。
旦那様は、その言いあぐねているアルク様から何か感じたのか、促すことなく続く言葉を待ちます。
「……兄上。申し訳ございませんでした。あの時、兄上がどのような状態であったのか、……あの茶会の日、自分の覚悟を無下にされたと、兄上の話に聞く耳を持たずに帰って、拗ねて部屋に引きこもっていたボクに、父上は聞かせてくれました。……ボクは、自分のことしか考えていなかった。兄上があの願いを――どれほどの覚悟を持って口にしたのか……。しかも、そのあとも兄上に謝罪する覚悟が付かずに今日まで時を過ごしてしまいました。今日だって……父上が、強引にでも連れ出してくれなければこうして口にすることもできなかった」
「いやアルク、俺の方こそすまなかった。もっと巧く説明できればよかったのに……お前を傷つけてしまった」
旦那様はアルクさんの言葉に、嬉しさと申し訳なさを
「いえ兄上! 命が尽きるかも知れないと自覚しておられた兄上の焦燥感に比べたら、ただ提案を受け入れるかどうかの答えを出すだけだったボクの苦悩など……」
「いやそんな事は無い! 婚姻は人生の重大な出来事だ! その決断を強いた俺が、もっと巧く話をするべきだったんだ」
「アルク殿――グラードル。二人で互いの罪の重さを競っても意味は無いのではないかな? どちらも謝罪する気持ちがあって、互いに謝罪したのならばもういいではないか……そう思いませんかドートル殿」
先ほどからお二人の遣り取りを目にしていたお父様が、その濃い緑色の瞳になんともお優しい光を湛えて仰いました。
「うむ、ロバート殿の言うとおりだ。グラードル……アルク、それに本人不在で話し合われたその内容、当のフローラが自力で解消したのだし、フローラが問題にしていないのであれば、これで終わりで良いではないか」
ドートルお義父様も、息子二人の遣り取りを温かい目で見守りながら仰って、そうして私にゆっくりと目配せいたしました。
「……はい。旦那様が私や我が家のことを考えてあのような決断を成されたこと、それにつきましては、正直に申し上げますと悲しくもございました。ですがあの時の旦那様の状況では致し方ないと思います。アルク様もその申し出について懸命に考えてくださったのだと旦那様より耳にいたしました。アルク様……そのお心には感謝しております」
「いや、フローラ
アルクさんに初めて……義姉様と呼ばれてしまいました。
彼は、真っ直ぐに私に視線を向けて、これもまた初めて目にする朗らかな笑顔を浮かべます。
初めてお目に掛って以来、一見、薄く微笑んでいるようで、その瞳の中にどこか苛つきの光を覗かせる、冷笑めいた表情しか記憶にありませんでしたので、彼が初めて見せたその年相応の笑顔に、私は婚姻の儀の折にルブレン家の皆さんから感じた負の印象……それを、全て拭い去れたような、そんな心持ちがいたしました。
「ドートル様、グラードルさんもフローラも、話が一段落したのでしたら、そろそろ腰を下ろして話しませんか?」
お母様が、ほんわかとした優しい微笑みを浮かべたままそう仰いました。
そうでした。
結局今までお義父様も、旦那様と私もずっと立ったままでした。
◇
「しかし、フローラのおかげで財務卿の選定は圧勝かと思っておったが、グラードル。お主の行いが社交界に伝わって、結局の所、儂の本来の実力と人望が試される結果となったわ。……だがそれで、レンブラントに敗れたとしても納得もいこうというものだ。彼奴とて、バレンシオ伯爵の影を背負っていることに違いはないのだからな」
「父上……申し訳ありませんでした。正直に申し上げまして、フローラの事しか頭にありませんでした。父上の財務卿選定にまで影響を与えるとは……」
「お主の行動はそれでよい。お主はフローラの為にその不評を買うだけの事をなしてもらっているのだからな。初めにも言ったが、儂も息子を救ってもらったフローラの為に、お主の親としてその不評の僅かでも喜んで引き受けようというものだ。……それにな、財務卿選定の結果。敗れたのなら儂は一度、メルベールとアルクを連れてルブレン領へ帰ろうと思っているのだ。二人はまだ一度もルブレン領を訪れた事がないからな」
お義父様はそう仰って隣に座るメルベールお義母様に目配せいたします。
お義母様もそのお義父様の視線をしっかりと受け取って、少し恥ずかしそうに口を開きました。
「私も……長らく意地を張り続けておりましたが、ボンデスとグラードルが幼少期を過ごし、旦那様が治めている……今は、カサンドラが治めているようなものですけれど、その地を目にしたいと思えるようになりました」
お義母様の少し悪戯めいた言い方に、どこかお二人の最近の関係を目にしたようで、微笑ましい思いが浮かび上がってまいります。
ドートルお父様は、私たちを一通り見回すように視線を動かしてから一つ咳払いします。そうして重大事を発表するように居住まいを正して口を開きました。
「実は、……アルクが学園を卒業したら、カサンドラを後見に立てて領主として学ばせようと考えている」
ドートルお義父様のその言葉を耳にして、アルクさんは驚きの視線をお義父様へと向けます。
「父上!? ……それは、誠ですか。……ボンデス兄さまはよろしいのですか?」
旦那様と私は、以前少しそのような話を耳にしておりましたが、アルクさんは今ここで初めて耳にしたのでしょう。
「誠のことだ。ボンデスもそのことについては承知しておる。彼奴にはヴェルザー商会をまかせる。商会も少々大きくなりすぎた。このまま貴族家が営んでおると色々と支障が出てくるのだ。実際、上級貴族院の中には、ルブレン家が財力を持ちすぎていることを危険視する者も多くなって来ている」
アルクさんのその表情に喜色が浮かび上がりました。ですが話の内容は少々深刻なものですので、不謹慎だという思いもあるのでしょう、懸命に表情を殺そうとしております。
しかしドートルお義父様に認められたという嬉しさの方が勝ってしまっているように見受けられました。
「兄上が納得なさっているのなら……。ボクは父上に認められたことを嬉しく思います……」
「ああアルク、お前も明日には十五歳になるのだ。気持ちをあらためて勉学に励めよ」
ドートルお義父様のその言葉に、アルクさんは表情を引き締めて「……はい」と、決意を口にいたしました。
「これで儂も、愛おしいメルベールと優雅に余生を送れるというものだ」
お義父様はそう仰ってワッハッハッと笑います。
「あなた……」
メルベールお義母様が少女のように頬を染めて俯いてしまいました。
ひとしきりして笑いを収めた後、お義父様は何かを思い出したように口を開きます。
「……おお、おお、そうであった。グラードル――お主、何やらエルダンの事で話があったそうだが、それはどうなった? 実はな、うっかりしておったのだがお主たちの婚姻の祝いとして、奴からこのようなモノを預かっていたのだ。あの時お主はトライン辺境伯領の療養所に入っておったから、預かったまま忘れてしまっておった」
お義父様はそう仰いながら胸の隠しより手の平ほどの箱を取り出しました。
「それは?」
「これは懐中時計だ。これを持ってきたとき、ヤツは以前お主が
お義父様はテーブルの上に箱を置いてその蓋を開けました。
中には、確かに懐中時計が入っておりました。おそらく十数年前に開発されたという
機械式の懐中時計はそれ以前よりございましたが、これは一度魔力を込めると数年の間ネジの巻き上げなどが必要ないというモノであったはずです。
それを目にした途端、旦那様の表情が変わりました。
「父上……エルダンはこれを持ってきたとき、中の懐中時計に触れましたか?」
「ああ、一通り使い方の説明をしていったからな……それがどうかしたのか?」
旦那様の雰囲気が急変したことに、お義父様が訝しげな表情になります。
ですが、旦那様はそんなお義父様の様子に気を遣う余裕も無く私に視線を向けました。
「……フローラ。アンドゥーラ卿はまだ学園にいると思うかい?」
「はい。定期的に頼まれている魔法薬の製造が、水道工事を手伝っていた関係で遅れているようでしたので、学園で作業をなさって居るはずですが……旦那様? どうなさったのですか?」
「至急彼女に試してもらいたいことができた。フローラにも手伝ってもらいたい。……父上、母上、申し訳ありませんが、急用ができてしまいました。誠に失礼ではございますが私とフローラはこれにて失礼いたします。メアリー! ハンスに至急馬車を出すように言ってくれ! フローラ、学園に向かうぞ!」
旦那様の突然の剣幕に驚き、父様やお母様、ルブレン家の皆さんが目を丸くいたしましたが、旦那様はそのことに気を回す余裕もない様子です。
結局私も、皆様に無礼を詫びて、旦那様に促されるままにその後に続くこととなりました。
旦那様は、アンドゥーラ先生にどのような用事ができたのでしょうか? 私にも手伝ってほしいとのことですが、旦那様は何を思いついたのでしょう。
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