第172話 モブ令嬢と魔導爵と瞬転魔法
ノルムの眷属である幼いノームさんと、金竜王様の子供でもあるシュクル、さらにかの竜王様より強い加護を頂いているトルテ先生の間で悶着があった翌日より、旦那様と私はライオット様が黒竜の邪杯盗難犯である証拠を求めて生活しております。
セバスたちアンドルクの方々も独自に動いておりますが、なかなか新たな情報は得られずにおりました。
各国の使節団は褒賞授与式典の翌日より一国、また一国と帰国の途に着いており、お祖父様を含めたマーリンエルトの使節団も三日前にオーラスを発ちました。
お祖父様は式典の後から、出立の日まで毎日我家にやってきて私やシュクルを可愛がってくださいました。
王都を発つときには見送りに参りましたが、偉丈夫のお祖父様が人目を憚らずボロボロと涙を流して出立してゆかれる姿には、私も涙を誘われてしまいました。
週の中程には、手荷物の詳細な調査を受け入れた新政トーゴ王国の使節の文官の方々、精霊教会の司教モルテン様も解放されて、帰国の途に着いたそうです。
さらに、長らく我家に逗留しておられたブラダナ様も、褒賞授与式典でのリュートさんの晴れ姿をその眼に収めて満足して帰ってゆかれました。
また、褒賞授与式典の前日まで水道工事を手伝っておられたアンドゥーラ先生も、水道の利用が可能になったことで解放されました。
後の作業は魔術技師と
そのようなわけで、今週より先生は授業に復帰いたしました。と申しましても、昼前に行われている授業の殆どはケルビン教諭が受け持っておられますので、先生は時間が空いているのを良いことに、瞬間遠距離移動魔法の構築をなさっておいででした。
アンドゥーラ先生は、どうやら水道工事の最中にも検証をなさっておられたようで、昨日は鳥籠に鳥を入れて生物を使った最終的な実験をなさっておいででした。
「フッ、フッ、フッ、フッ……フローラ。私はついに……ついにこれまで人類が成し遂げたことのない、瞬間遠距離移動魔法の構築に成功したよ」
昼後の授業が終わり個室へと戻ってこられた先生が、私の姿を目に留めてそのように仰いました。
「おめでとうございます。さすがは先生です!」
「ウムウム、そうだろう、そうだろう。なんといっても天才だからね私は!」
先生は、反り返らんばかりにその豊かな胸を張って、自慢顔です。
「……鳥を放した後、帰りは自分で試したのだが、問題なく巧くいったよ!」
調子に乗ってそう仰った先生に、私はあまりの驚きに目を丸くしてしまいました。
「……何をなさっているのですか!? 先生! 成功したから良いものの、生き物を使った実験が一度成功しただけでご自分で試されるなどと……」
私、生き物を使った実験が成功した報告だと思っておりましたのに……まさか、既にご自身で試したとは……。
昨日は籠に入れた鳥を、構築した魔法で瞬間移動させ、その後先生は、鳥籠を移動させた場所まで飛行魔法で確認しに行かれました。
私は、先生が帰ってこられる時間の予測が立ちませんでしたし、旦那様との待ち合わせもございましたので、そのまま帰宅したのですが……先生のあまりの無謀さ加減に頭がクラクラして参りました。
「いやいやフローラ。そのように怒らないでくれないかな。私としては確かな自信があっての行いだったのだから……」
アンドゥーラ先生は私の絶句具合を目にして、あたふたとしたご様子になりました。
「……そもそも君たちからシュクル嬢の『ワープ』という魔法の情報を耳にしていたのだ。この魔法を構築するために気をつけなければいけないことの予測は、私にはほぼ立っていたのだからね。……『ワープ』する前に君たちは透明な泡のような空間の中に包まれた。それは……人などの形の細かい
先生はそこまで仰ると、一度左目の
「……まあ、魔力量の多くない者には明らかに発現不能の大魔法になってしまったよ。六大精霊王の力はもしかしたら全ては借りずともいいかもしれない。このあたりは今後の課題だね……ああ、あと瞬間遠距離移動魔法というのは長いし、ワープ魔法と言うのはなんだか我々の言葉とは違和感がある。そんなわけで瞬転魔法と名付けようと思うのだ」
言い切って、『どうかね?』とでも言う感じで先生は私を見ました。
私は、はーっと、ひとつ大きく息を吐き出します。
「先生に自信があったのは、まあ、分かりましたが……それでも、もう少し段階を追うべきであったと思います。私、これまで以上に、先生の弟子になって正解であったと思ってしまいました」
「そうだろう、そうだろう、私のような天才の弟子とあれば、自慢できようというものだよ」
ハッ、ハッ、ハッと先生は笑いますが、いえ、先生……いまの話の流れでどうしてそう思えるのでしょうか……。
「私、先生が何をやらかすか……恐ろしくて目が離せません……」
「……え?」
ジットリとした私の視線に気が付いた先生は、タラリ――と、額から一筋の汗を垂らしました。
その後、旦那様との待ち合わせまでの間、私は懇々と先生の軽挙を戒めるように説得いたしました。
個室を辞するさい先生が、「なんだかフローラがサレアに似てきてしまった。フローラを弟子にしたのは失敗であったろうか……」と呟いたのが聞こえましたが、私、自業自得であると思います。
逆に、サレア様のご苦労が忍ばれて、サレア様に今まで以上の親近感がわいてしまいました。
◇
アンドゥーラ先生の個室を辞して学園の門までやってまいりましたら、旦那様は既にその場所で待っておりました。
「旦那様、遅くなってしまい申し訳ございませんでした」
「いや、俺の方が想像よりも早く用事が済んでしまった。それにしても財務卿選定の投票場所が神殿であったのには、耳にはしていたけど実際に行ってみると不思議な気分だったよ」
「三務卿の選定投票は行政に関係の無い、我が国の国教でもある七竜神殿が管理しておりますから、旦那様の前世の話を聞いておりますと、確かに不思議だと思われるかも知れませんね」
「まあ、三務部より監視の人間も出ているようだけど、三務部と利害関係の無い神殿に選定の投票を管理させるのは、まあ分からなくもないよ」
「旦那様はやはりお義父様に投票成されたのですよね」
「ああ……以前ならいざ知らず、父上の心の内を理解した今はね……たとえ身内びいきと言われても父上に投票したよ」
お義父様は、大商会の会頭ではございますが、これまで財務部とは関係しておりませんので、そのあたりは不利がございます。
対するレンブラント伯爵は、大きな後ろ盾でもあったバレンシオ伯爵があのような罪状で失脚成されましたので、一時期は財務卿への出馬を辞退するのではという話も持ち上がりました。
ですが、バレンシオ伯爵の罪を初めに告発したことが知れ渡り、現在では形勢を取り戻しております。
そのような話をしておりましたら、ハンスが馬車の轡をとってやってまいりました。
「今の父上なら良い財務卿になるんじゃないかと思うんだけど、どうも父上は以前のような財務卿への執着がなくなってしまったような気がするんだ。確かに、顔を合わせる暇が無いほど選定について忙しく動き回っているけど、以前のような熱意が伝わってこない……もしかすると、そのあたりが投票結果に表れてしまうかもしれない……」
馬車の中で旦那様はそのように独り言ちいたしました。
私は、ここのところずっとお義父様とは顔を合わせる機会がございませんでしたのでなんとも言えません。ですが、馬車の件のおりなどに顔を合わせた旦那様には、感じられる何かがあったのでしょう。
……そうして、私たちを乗せた馬車は我が家へと到着して門を入りましたら、今まさに話をしていたルブレン家の紋章の付いた馬車が玄関に横付けされておりました。
「あれは……」
あの馬車でやって来たのは、おそらくお義父様であろうと思います。
これまでの経験ですとこのような場合、概ね厄介ごとが訪れるのですが……。
旦那様と私は、思わず顔を見合わせてしまいました。
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