第166話 モブ令嬢と褒賞授与式典(三)

『おお……あれが噂の……』

『誠にあのような髪色なのですな……』

『……まさか、あのような娘が……救国の女神とは』


 と、両脇の側廊に陣取っている方々から好奇の視線が向けられ、ザワついた声が漏れ聞こえます。

 その視線の中にゾクリッ――とする粘ついた視線が混じっておりました。

 私はその視線の主に気付かれないように横目で視線の方向を探ります。……視線の先、そこにいたのは新政トーゴ王国の聖職者――おそらくは精霊教会の司祭ではないでしょうか?

 彼は黄緑色の瞳に爛々とした光を湛えて、私を見つめておりました。

 ……このような視線には覚えがございます。彼らほど強くはございませんが、バレンシオ伯爵親子からも感じた執着の視線です。


 直接その視線に晒された私は気付きましたが、旦那様はこれから始める一幕の舞台に気負っているのでしょう、その視線には気付いた様子は見えませんでした。

 彼は、明らかに私に向かう多くの視線とザワついた声に気を悪くした様子で、私に振り返ることも無くズンズンとアンドリウス陛下の前に進んでいってしまいます。

 私は置いてゆかれないよう、失礼にならない程度に足早に彼のあとに続きました。

 旦那様のお顔の表情を伺い見ることは叶いません。ですが、懸命に強欲グラードルの悪名にふさわしい表情を作っておられることでしょう。

 ジンっと、切ない思いが、胸の内で僅かに溢れ始めてしまいます。

 陛下の前まで進み出て、私は軽く会釈致しました。ですが隣に立ち並ぶ旦那様は、会釈すること無く、反って自慢げに胸を反り返らせて見せます。

 その無礼な態度に、陛下が片眉を上げて不愉快さを示しました。

 ですが陛下は旦那様の態度には言葉を掛けずに褒賞の内容を口にいたします。


「エヴィデンシア伯爵、グラードル。その妻フローラ。両名の王国への献身、誠に大儀である。その功に対しエヴィデンシア伯爵の爵位を陞爵し侯爵とする!」


 おおおぅ……。と、どよめきが上がりました。

 そのどよめきは、特に下級貴族院の方々がおられる辺りから大きく聞こえてまいりました。

 王家の茶会に出席しておられなかった彼らは、ここ最近の我家の動向は存じておられないでしょう。

 これまで、オルトラント王国内でその存在が消えかけていたエヴィデンシア家が、突如名を上げ、彼らからはただ一度の活躍で侯爵への陞爵は破格の褒美であると受け取られているかも知れません。

 ですが、その褒美を頂いた当の本人、旦那様はかしこまる様子もなく、当然だとでも言うように胸を反らせて立っておられます。

 陛下の眉間に深い皺が寄り、目元にもしかめたような皺が浮かびました。

 これは……。

 一見不快さで顔を顰めているように見えます。ですがそれは、明らかに笑い出すのを堪えているお顔です。

 ふと右手に視線を感じて、そちらを見ましたら、マティウス様は完全に笑い顔でこちらを見ておりました。

 ただその笑いは、愚かな態度を取っている旦那様をあざ笑っているようにように見えなくもありません。


 ただ、お二人の尊いお方には、旦那様の懸命の演技が笑い事のように映っているようですが、その連れ合いであるノーラ様とエステリア様は、切なそうな表情を隠しきれない様子で私たちを見つめておりました。

 お二人のその表情は、周りからは私を思いやってのことと映っているかも知れません。


「……さらにエヴィデンシア伯爵夫人、フローラ。その方はクルークの試練を達成するに多大なる貢献をしたと同行の達成者たちより報告を受けた。その功績を鑑み、魔導爵の爵位を贈るものとする!」


 おおおおおおおぅ…………。と、先ほどよりも大きなどよめきが謁見の間を満たし、それに準ずるように視線も私に集中いたします。

 その視線の多くは賞賛を含んだものでしたが、中には警戒や敵意を含んだものもございました。

 それらは旦那様が危惧したとおり、隣国の使節団の中から私に向けられておりました。


「お待ちください陛下!」


 ざわつきのなか、そう声を張り上げたのは旦那様です。

 いきなり旦那様が声を上げたので、何事かとざわめきが静まりました。


「フローラに魔導爵などと、お戯れを……。この者は我が妻、つまりは夫の付属物に過ぎません。女子おなごなどに爵位を与えるくらいならば、是非、私に領地をお与えください! 幸い侯爵に陞爵して頂けるとのことそれに見合った領地を頂きたく存じます!」


 旦那様は、それは懸命に嫌らしくも強欲そうな声音を作ってそう言い切りました。

 ……あまりに立場をわきまえない旦那様の無礼な申し出に、謁見の間に居る事情を理解していない方々は、物音も立てられないほどにあきれ果てて居るように感じられました。

 視線の端に見えるお祖父様など、事情を理解している筈なのに怒り心頭といった感じで旦那様を睨みつけております。

 アンドリウス陛下も、怒り心頭に発したように見える、笑いの発作を懸命に抑え込んだ表情で固まっておりましたが、何とか発作を抑え込むことに成功したのでしょう。陛下は何とか口を動かしました。


「……こっ、この慮外者が!! この度の戦いにおいて確かにお主も功績を挙げた。だが、方々よりの報告では、お主こそ妻の功績のおこぼれを預かったようなものではないか! ――ええい気分が悪い。そのようなことも理解できぬのか!!」


「何を仰いますやら陛下。妻の功績は夫である私のモノです。それは大陸西方諸国では当たり前の理屈ではありませんか。何故そのように声を荒らげるのでしょう? 私にはそれを要求する正当な権利があると存じますが」


 旦那様は陛下の叱咤に対して、へらりとした調子で屁理屈を口にいたしました。


『何というヤツだ! 妻の功績を盗み取ろうとするとは……』

『あの男には恥という感覚が無いのか……』

『あんな男に大陸西方諸国の男だと一緒くたにされるなど怖気が走るわ!』

『強欲グラードルとは……誠によく言ったものだ……』


 方々からそう言った声が漏れ聞こえます。

 その言葉を耳にして、私は懸命に漏れ出さないようにと耐えていた涙がほろりとこぼれ落ちてしまいました。


『見ろ、奥方も夫の短慮に心を痛めているではないか、可哀想に……』

『たまさか実家の財力で手に入れたぎょくを、己の力と勘違いしおって、奥方が不憫でならん』

『救国の女神、フローラ様を泣かせるなど……グラードル許すまじ』


 いけません、旦那様が私を想い、あえて悪名を被ろうとするその行いに、感極まって涙してしまった私の姿が、さらに彼らに旦那様の悪名を印象づけてしまいます。


「貴様! 恥じ知らずにもほどがある! ……ええい気分が悪い、この慮外者をつまみ出せ!!」


 周りの様子に、陛下はもう潮時だと感じたのでしょうか、そのように吐き捨てました。


「なッ、何を陛下!? 私は正当な……ウグッ」


 陛下の言葉に側廊に控えていた近衛たちが駆け込んでこようといたしましたが、それよりも早く背後からどなたかが駆け寄って、旦那様のみぞおちに拳を突き立てました。


「デュ、デュルク様!? だっ、旦那様は……」


 突然のことに、旦那様をかばい立てしようとした私に、旦那様のみぞおちに拳を突き立てたデュルク様は、身体を屈めて私と顔を合わせました。


「分かってるさ、理由はよく知らねえが、こうしなけりゃならねえ訳があるんだろ? このくらいやっておいた方が良い。安心しろ、少しの間息がしづらいだけだからよ」


 そう小声で言いますと、デュルク様はヒョイと旦那様を担ぎ上げて陛下向き直ります。


「陛下、我が騎士団の馬鹿者がご迷惑をおかけした。褒賞の授与をお続けあれ、俺は此奴を片付けてまいります。暫し御前より外れますがご容赦を!」


 彼はそう口上を述べますと、苦悶に喘ぐ旦那様を担いだまま控えの間へと歩いて行ってしまいました。

 私は、この一幕を閉じるためにその後を追うわけにも行かず、姿勢を正して陛下と対峙いたします。


「フローラ・オーディエント・エヴィデンシア。慮外者の夫を持つと苦労するな……どうだ、お主が望めばグラードルとの婚姻を破棄することを認めるぞ? 爵位権もお主の夫となるものに与えるという条件でな。いまのお主ならば再婚であろうとも縁を望む男はあとを絶たぬと想うが?」


 陛下のその言葉に、会場がにわかにざわつきます。


『まっ、まさか……いや、だがそうなれば……』

『なッ……エヴィデンシア家といえば、没落寸前であったが建国以来の名家。婿入りでも十分に名誉なことだぞ』

『ああ、エヴィデンシア家はフローラ様がおられる限り、この先間違いなく偉大なる復興を遂げるだろう』


 色めき立った、獲物を狙うような視線が方々から私に刺さります。

 ゾクゾクとする、欲深い視線を振り払うように私は、キッと陛下と視線を合わせました。


「……いいえ陛下。私の旦那様はグラードル・ルブレン・エヴィデンシアただ一人でございます。愚かしい旦那様ではございますが、ひとたび夫婦の契りを結んだ限り、私は旦那様に従い、命が尽きるその時まで添い遂げる心づもりでおります」


 私がそう宣言いたしますと、陛下の背後でノーラ様が私以上に切なげな涙を流しておられました。

 視線の端に見えるマーリンエルトのエステリア様も同じようなご様子で、しきりに涙を手巾で拭っておられます。


『おおぅ、何という愛情深い女性か……まさに女神だ……』

『いや、あれは従順が過ぎるというものだろう……グラードルの意向に左右されるようではものの役には立たぬ。所詮は依存心の強い女子おなごということか……』


 僅かに感心と呆れの声が耳を打ちました。

 私は、悟られないように隣国の使節団の様子を窺います。

 彼らの多くからは、どこか安心したような様子が滲んで見えました。

 ……旦那様、旦那様の懸命な演技は一応の成功を収めたようです。

 旦那様の確かな成果を確認した私は、旦那様に悪名をかぶせてしまった心の痛みと、自分が最愛の相手より自分と同じか、それ以上の愛情を注いでもらえることの喜び、その相反する想いをこの心にしっかりと刻みつけて、この先の人生で絶対に旦那様を幸せにするのだと決意を新たにいたします。

 そんな私を、陛下が慈愛を込めた視線で見下ろしておりました。


「エヴィデンシア夫人、多大な功績を挙げたお主には申し訳ないが、当主があのような愚行に及んだのだ。陞爵の話は白紙に戻す。グラードルとの婚姻を解消しないというのであれば、夫の罪はエヴィデンシア家の罪だからな。ただしその方がクルークの試練で得た権利はお主のものだ。その褒賞は間違いなくお主に渡すのでそれは安心するが良い」


「陛下の温かいお心遣い、深く心に刻みます」


「……うむ。では下がれ」


 こうして、旦那様の深い愛情に守られた私は、他国の脅威にはなり得ないだろうという評価の代わりに、旦那様の世間からの評価を、拭いがたい悪名で染め上げてしまったのかも知れません。

 褒賞授与者の列に戻る途中、流れ落ちた一筋の涙を、私は止めることができませんでした。

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