第164話 モブ令嬢と褒賞授与式典(一)

 本日はついに、王都とトライン辺境伯領防衛戦の功績者、さらにクルークの試練達成者への褒賞授与式典の当日となります。

 旦那様はこの日までにルブレン家を訪れ、アルク様との和解と、お義父様よりエルダン商会の成り立ちなどを伺いたいと熱望しておりました。

 ですが、お義父様は財務卿選定選挙の支持を得るため奔走しており、またアルク様のお心がいまだ鎮まっていないとのことで実現することが叶いませんでした。


 結局、エルダン商会につきましては、旦那様は懸命にご自身の記憶を探り、お父様よりエルダン様を紹介されたのは五年ほど前だったようだと思い出されました。

 セバスから受けた報告でも、エルダン商会は六年ほど前に設立され急速に成長してきたそうです。

 エルダン様は会頭という立場ですが、元々商人として商っておられたのは副会頭であった方で、エルダン様は筆頭の出資者であり、有力な取引相手を見つけ出すことに才長けておられたそうです。

 ルブレン商会は大陸を股に掛けた大商会ですが、エルダン商会はルブレン商会などから商品を買い付けて国内を細かく巡る商いをしており、裕福な市民の方々を販路としているのだとか。

 主に貴族との取引をしているルブレン商会とは持ちつ持たれつの関係を築いていて、エルダン様が行方知れずになってよりも、ルブレン商会とは以前と変わりなく関係を続けているそうです。


 旦那様は、『そのあたり父上は商人として懐が深いと感心するよ。まあしっかりと関係は調べたんだろうけど、エルダン商会自体には怪しい所は無いと判断したんだろうね』と、仰っておりました。


 結局の所、セバスたちアンドルクの調査でも、エルダン様の過去の消息がたどれるのは商会設立までであり、それ以前にあの方が何をしていたのか……それを知る方は誰一人見付からなかったそうです。

 その中で旦那様と私が最も気になったのは、エルダン商会が設立されたのは六年前だという事実でした。

 それは、前回のクルークの試練が達成されてより直ぐの事であったからです。

 ライオット様が怪しい――という状況証拠ばかりがどんどんと積み上がって行くものの、決定的な証拠が手に入らないまま、私たちは何かが起こるかも知れない褒賞授与式典へと臨むことになってしまいました。

 貴宿館と我が家でのお茶会の後、褒賞授与式典の開催日まで、私たちがそのような日々を送っていた間、陛下たちは次々と訪れる隣国の使節団を迎えて、歓待と内々の交渉の日々を送っておられたようです。

 先んじて公王夫妻自らが訪れたマーリンエルト公国の慰問使節団を始め、国境を侵したアルバダ王国の謝罪の使節団。そうしてスリクス王国、ポートワルツ王国からの慰問使節団と、最後に使節の派遣を打診してきた新政トーゴ王国以外は既に王都入りしております。




「グラードル。お前たちあの後ずいぶんと活躍したようじゃねえか。噂はトライン辺境伯領まで聞こえてきたぜ」


 王宮の控えの間にて旦那様を見つけた黒竜騎士団団長デュルク様が、そのように仰りながら旦那様の胸を拳の背で軽く打ちました。男性同士でたまに見かける、年齢や地位などが上の方が下の方に対して健闘を讃えるときの所作です。


「デュルク団長もご活躍であったと耳にいたしました」


 旦那様の言葉にデュルク様は皮肉げに口を歪めました。

 頬にある恐ろしげな大きな十字傷さえ無ければ、そのようなお顔をなされても女性達が黄色い声を上げそうな美麗さです。


「活躍? 邪魔な奴が居たせいでタルブを包囲されたのが活躍か? あれはお前たちがクルークの試練を乗り越えた事で得たたまさかの勝利だ」


「ですがあの挟撃戦を立案したデュルク団長とアンドゥーラ卿の功績でありましょう」


 旦那様の言葉には追従の色はございません。ですがデュルク様は僅かに恥じ入るように視線を外します。


「あれはアンドゥーラの功績だ……あの防衛戦で俺の功績というのなら、兵を無為に減らさなかった事くらいだろうよ」


 デュルク様はそう吐き捨てると、苦々しげな表情で控えの間の端へと視線を送ります。


「まったく、奴さえ居なければあのような事態にはならなかったがな……あの野郎、なんでこの式典に紛れ込んでやがる?」


 その視線の先に居たのは騎士らしき方です。王国騎士団の騎士服とは少し意匠の違う騎士服を纏っておられます。確かあれはトライン辺境伯領の騎士たちが着ていたものでした。

 肌色の悪い、騎士と呼ぶには少々でっぷりとした年嵩の男性です。


「あの方は?」


「奴はあの戦いで事態を混乱させた元凶だ。マスケル騎士長……奴のおかげで、お前たちがやって来るまでの間、俺たちは戦場を掻き回されたのさ。野郎、騎士長から降格されたはずだが……」


 デュルク様は訝しげな様子です。

 確かに……話を聞く限り褒賞授与式典に参加なされる理由が分かりません。


「あの男は褒賞を授かるためにやって来たのではありませんよデュルク卿。新政トーゴ王国使節の道先案内人としてやって来たのです」


 そう声を掛けて来たのはセドリック様でした。


「トーゴの使節は今朝方到着しましたが、デュルク殿は?」


「俺は昨日中に飛竜使に運んでもらった。褒賞授与式典が終わったらすぐにとって返す。まあ、トーゴが攻め入ってくることは当分無いだろうが、配下の奴らが弛んでいないか試すには丁度いいからよ」


「デュルク殿もお人が悪い。時には配下の者たちに羽を伸ばせる時間を与えてやるのも大切ではありませんか?」


「お前の所の奴らと違ってウチの奴らは気を抜く天才揃いだからな、適度に締め直さねえとならねえのさ」


 その言葉を聞いてセドリック様は、僅かに呆れの滲んだ笑顔を浮かべました。


「ああそうだった。グラードル卿、あちらでアンドゥーラが君を呼んでいるよ」


 その言葉に、キッとデュルク様はセドリック様の視線の先を睨みます。


「なんだあの女、こっちに来ればいいじゃねえか」


「デュルク殿……彼女は、貴男がいるから近付きたくないそうですよ」


「ハッ、まったく嫌われたもんだなぁおい。俺はあれ以来、痩せぎすの小娘は揶揄わないことにしたんだぜ。どう化けるか分かんねえからな」


 デュルク様はそう仰ると、皮肉めいた笑いを浮かべました。





「ふぅ、君たちだけが来てくれて良かったよ。セドリックに頼んだから大丈夫だとは思ったが、デュルクの奴がやって来たらどうしてくれようかと考えていたところだ」


 旦那様と私が先生のところまでやって来ましたら、なんとも安心した様子でそう仰いました。先生は相変わらずデュルク様を苦手としておられるようですね。

 旦那様と私の少し呆れた視線に気が付いたのか、先生は軽く咳払いをしてから仕切り直すように口を開きます。


「グラードル卿、頼まれていたものを造っておいたよ。これでいいのだろう? いまの君なら大丈夫だと思ったから引き受けたが、くれぐれもおかしな事には使わないでくれたまえよ」


 ドレス姿の先生は、袖口から小さな小瓶を取り出して旦那様へと手渡しました。


「旦那様、それは?」


「これは、先日の茶会のおりにアンドゥーラ卿にお願いしておいたんだ。この先必要になるかも知れない切り札さ」


 旦那様はそれだけ仰って、その瓶の中身が何なのかは教えてくれませんでした。

 私はアンドゥーラ先生に疑問を込めた視線を送りましたが、先生は製造者として依頼人の意向を汲んだのでしょう、口を開こうとはいたしません。

 先日の茶会のおりという事は、私がメルベールお義母様を探しに行っていた間のことでしょうか?


「ご主人様、奥様、そろそろ式典が開催されるようです」


 それまで私たちの背後に静かに付き従っていたメアリーがそう声を掛けてまいりました。


「ああ、君はあの侍女だったのか……見違えてしまったよ。トライン辺境伯領へと向かう道中何日も同行したというのに……」


 普段の侍女服姿ではないドレス姿のメアリーを目にして、アンドゥーラ先生は感慨深いご様子です。

 私も今朝、ドレスを着付けきらめく黒髪を結い上げたメアリーの姿を目にして息を呑みました。このような格好をしておりますと彼女は深窓の令嬢といったおもむきです。


「まさかこのような姿を晒すことになるなど……屈辱です」


 本当にそう思っているのか、今ひとつ感情のこもらない平坦な口調でメアリーは言い放ちました。


「いや、褒めているつもりなんだがね」


 さすがのアンドゥーラ先生も、メアリーの反応にどう返したらいいのか分からないご様子です。

 我が家でも、着付けを手伝っていたミミに同じ事を呟いて、『なに言ってるんですか姉さん……ああ、いえ、侍女長。褒賞授与式典に侍女服姿で出席するわけには行かないじゃないですか』と、言われておりました。


 ドレスを着るのが屈辱だというメアリーですが、最近はそのドレスを纏う機会が多い私の前で、堂々と口にするところがメアリーらしいと申しましょうか……。


 それにあの時、そのように思いながら、隣で着付けをしておりましたら、『前回のクルークの試練では、冒険者のシモン様と弓使いのアシアラ様、それにライオット様も式典を欠席なさったはず。私もその枠で!』などと言い出して、『だから、なに言ってんですか――そのライオット様が何かやらかすかも知れないから、ご主人様や奥様を守るためにも侍女長には側にいてもらわないと。さすがにあたしたちは王宮内に潜伏するわけには行かないんですから』と、ミミに突っ込まれておりました。


 私が今朝の出来事を思い起こしておりましたら、儀典官がやって来て式典会場である謁見の間への移動を促されました。

 私たちが謁見の間への入室順を待っておりましたら、一人の方が旦那様の前で立ち止まります。

 それは、見事な金髪に、晴れ渡った空のような紺青の瞳を持った金竜騎士団の団長、ドルムート様でした。

 彼は旦那様の前に立ちましたが、その視線を私に向けて口を開きます。


「フローラ様……この式典、私はグラードル卿の味方ですからな。いかに彼が罵倒を浴びせられることになったとしても、フローラ様を想うグラードル卿の真意を理解している人間がここに居る! フローラ様、グラードル卿……健闘を祈ります」


 そう仰ったドルムート様は旦那様の胸に拳の背を当てますと、その名を呼ばれて会場へ入って行かれました。

 その……ドルムート様。お心はありがたいものですが、その言葉は真っ直ぐに旦那様に向けて頂きたかったです。

 まあ旦那様が、『この人は……仕方がないなぁ』という感じで微笑んでおられますので、それはそれで良かったのでしょうか?

 ドルムート様が先に進んでゆきましたら、彼に続いて旦那様の前に銀竜騎士団のウルクァンド様が立ちました。

 彼は、灰色がかった紫色の瞳でジッと旦那様と視線を交わして、無言のまま旦那様の胸に拳の背を当てて、儀典官より名を呼ばれるままに会場へと入ってゆかれました。


 私は、旦那様とそのお二方の遣り取りを目にして、瞳に熱い物がこみ上げてきてしまいました。

 いけません、いま泣いてしまってはお化粧が崩れてしまいます。

 儀典官が、いよいよ旦那様と私の名を呼びました。

 その声に促されるように旦那様は私の手を取って、一度しっかりと握ります。

 私は、旦那様と意思を交わすように瞳を合わせ……そして、離します。

 同時に旦那様は私の手も離して、その後は私に視線を向けることなく謁見の間へと足を進めました。

 これより式典のあいだ旦那様は、悪名高き傍若無人の強欲グラードルとなるのです……。

 私は、瞼からこぼれ落ちそうになる涙を懸命にこらえて、旦那様の後を追うのでした。

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